根石吉久
それほど広くはない畑で、草だけを使って野菜を作る実験ばかりしてきた。実際、実験ばかりであり、ろくに野菜は穫れてはいない。草は毎年豊作 で、草を作っているのか野菜を作っているのかわからない。周りの畑に来る人たちもわからないらしく、口に出しては言わないが、いったい何をやって いるんだろうと思っているのが気配でわかる。どう見ても草を作っているとしか見えないのだから、その怪訝そうな顔は当然なのである。
方針は簡単であり、とにかく基本的に草しか使わないのである。草を地上で刈るなり、土の中の浅いところで根から切るなりして、一日か二日、雨が 降ったりしたら数日、そのままにしておけば草の干物ができる。まだ少し生気があるくらいの生乾きのものを土の浅いところに埋めることを繰り返す。 その草だけを肥料にして野菜を作ろうとしているのである。草を肥料にして別の草を作っているようなことになりがちであり、なかなかうまくいかない が、野菜を作ろうとしてはいるのである。意のあるところを汲んでいただく必要があるが、誰に汲んでいただくのか。多分、人間様にではない。
畑の中に軽トラが入れるようにした通路部分がある。ここにも草が生える。ある程度広いところに生えた草は機械で刈る。機械はすべて軽トラで運べ る程度の小さいものである。
生ごみも使う。その場合は、よく乾いた草を敷き、その上に生ごみを置いて広げ、土を生ごみがまったく見えないくらいに、しかし厚くならないよう にかぶせる。生ごみの水気を乾いた草に吸わせて、なるべく腐敗させず、できれば発酵に持ち込みたいのである。
畑に行くのには軽トラがいい。薪割りの時出た細かい木くずなども土の浅いところに埋めたりするから、生ごみや木くずなどを持って行くのに、乗用 車タイプの車ではよろしくない。本当は畑のためにもよくないのだが、腐りかけた(腐敗の方向をたどり始めた)生ごみを運ぶこともあるのだ。
畑だけでなく、川原から石を拾ってくる時などにも軽トラがいい。
川原は国土交通省の管理下にあり、本来は石ころひとつでも持ち出してはいけないタテマエになっている。私は石ころひとつどころではなく、かなり のものを持ち出した。家を自作したとき、布基礎の下に敷いたごろた石はすべて手で拾って、ひとつずつ車に運んだものだ。当時はバス型のジープに 乗っていたので、直径20センチくらいの石がごろごろしているところにも入って行けた。
友達から借りたバックホーで布基礎になるところを掘り、その底に川原で選んだ石を一面に敷いた頃、近所でブロック積みをやっていた職人が見に来 て、「おめえ、この石、どっから持ってきたんだ?」と言った。「こんなの、川原に行けばいくらでもあるじゃないですか」と言ったら、「おめえ、こ れ、買ったら、でけえゼニだぞ」と言った。川原で選んで、大きさをほぼ揃えて持ってきたから手間は確かにかかっている。そうなのか。「でけえゼ ニ」なのか。家の基礎ができてから、ジープは人にあげた。横腹が錆びて穴があいたりしていたから、欲しがる人がいるかどうかわからなかったが、自分のホーム ページに「あげます」と書いておいたら、名古屋から大型トラックで来た人が持って行った。その頃は、一台目の軽トラに乗り換えていた。今の軽トラ は家づくりの終盤頃に乗り換えた二台目である。軽トラではあまり荒れた場所は走れないが、今でも砂や石は運んでくる。
川原から運ぶものにニセアカシアの木もある。豆科の木で、畑の近くにあると種がこぼれ、畑をやっている人が嫌がる。根が浅い木で、大水が出る と、川原に生えたものは抜けて流され、橋の脚などにひっかかっているのをよく見る。大量にひっかかったものを放置しておけば、さらに大水が出た時 に、橋そのものが壊される危険もある。ニセアカシアは山でも川原でも殖えている。行政は、市報などでニセアカシアを切り倒していい場所を報せてい ると聞くが、私は切りたいところを勝手に切り倒す。
畑に種がこぼれて困るから切ってくれと百姓のおやじさんに頼まれて、低い土手の横腹に生えたニセアカシアを切り倒したことがあった。大土手を河 川パトロールの車が走っているのが見えた。やがて私のいる低い土手へ下りてきた。
「ああ、文句を言いに来たんだな」と思い、低土手の端の方に立っ て、河川パトロールの車が近づいてくるのを待っていた。私のそばまで来て、役人が車から降りてきて、「何やってるんだ」とでも言い出すのだろうと 思っていたのだが、パトロールの車は私の前でスピードを緩めずそのまま通り過ぎた。車の助手席に座っている人の顔が見えたが、こちらを見てにこにこしているのだった。
川原や土手にあるものは、石ひとつ持ち出してはいけないというタテマエがあるから、あの人たちも、切ってもらいたくても切ってくれとは言えな い。そういうことがあるだろう。
だが、私は別様に考えている。川が運んできた砂や石は、本来は国土交通省のものでも国のものでもない。川の流域に住む人たちが好きなように使っ ていいものだ。業者が入ったら別だが、個人が運び出せる量などしれたものだ。大水が出るたびに、千曲川の中流域のこのあたりでは、川原に石や土砂 がたまっていく。土手と土手にはさまれた大水を入れる容積が減っていく。だから、地域住民が使い切れない土砂や石は、国土交通省の利権で動かして もよろしい。国土交通省が利権を持っている業者から金を取り、業者は土砂を運んで金に換えてもよろしい。ニセアカシアは金に換えられないから業者 は欲しがらないが、川の流域住民が欲しければ、好きなように切ればよろしい。
本流の上に傾いてしまっているようなニセアカシアは、しろうとでは手が出せないから、そういうものこそ行政なり国土交通省なりが始末すればいい ものを、そういうものはほったらかしにして、誰でも切れるような場所の木を、行政は土建屋を喜ばせるために土建屋に切らせている。切った木は土建 屋には不要なものだから、川原に丸太が積み上がる。欲しい人が持ち出していいことになっている。しかし、それは日時が決まっていて早朝なのだ。早朝動くのは私には無理だ。人と争って手に入れたいとも思わない。自分で切り倒せばいいだけのことだ。
個人が運び出せる「しれたもの」の量は、自分で運び出して、例えば石は、自作した家の基礎の下に入れたのである。どこにも断りはいれていない。
ジープが必要だったほど粒の揃った大きい石の数は要らなくなって、軽トラに乗り換えたのだが、今でも必要なら少量ずつ川原に拾いに行く。薪ス トーブの薪にするニセアカシアも、チェーンソーで切り倒し、現場で50センチほどの輪切りにして、軽トラで運んで来る。砂が採れるいい場所がなく なったので、今は砂も買うことがあるが、家を自作した頃は、石も砂も川原から使う分だけ持ってきた。買ったのはセメントだけだ。
というわけで、軽トラは必需品だが、物を運ばないで、荷台が空っぽのままでも軽トラは走る。あたしゃトラックだ、荷台に物が載っていなければい やだなどとは言わない。荷台がからっぽでも、ごきげんで走ってくれる。だから、ほとんど毎日一人で動いている私は、軽トラで行きたいところに行 く。めったに行かないが、長野市の高いビルが並ぶあたりへ行ったりすることもある。あまり軽トラは走っていない。泥だらけの軽トラはほとんど走っ ていない。そこを泥だらけで走る。
普段、飯を食いに行くのは、以前スナックだったキャロルという店で、隣町の戸倉にある。煮魚か焼き魚とみそ汁のご飯が食べられ、煮物がついてく ると、その煮物がうまい。日替わり定食が別のものであっても、私は魚のおかずで食べる。店のおば(あ)ちゃんと申し合わせてあるのだ。とにかく魚 の定食が食べられることになっている。他の店では食べられないほど普通のご飯が食べられる。こんなに普通のご飯は、なかなか飲食店では食べられな いというくらいに普通だ。スナックだった頃は、夜遅くまでやっていたそうだが、今は午後4時には店を閉めてしまう。遅くても3時頃には行かないと いけない。早ければ午前11時、遅くても3時頃には行く。
ご飯を食べたら、コンビニに寄ってコーヒーと煙草を買い、軽トラの運転席で少しのんびりする。iPhone で音楽を鳴らしてコーヒーを飲んでいることが多かったが、最近は軽トラの座席に長居することが増えてきた。pomera という機械を買ったせいだ。ベースになっているOSは Windows ME とかいうものらしいが、自分で選んだソフトを組み込むことはできなくて、機能はテキスト作成だけである。漢字変換ソフトは ATOK を組み込んであるので、普段パソコンで使っているものと同じだ。両手の指を使って打ち込むのに不都合でないくらいのキーボードの大きさがそのまま機械の大 きさであり、キーボードを折りたたんで、ディスプレイを倒して重ねれば、大きめのポケットにならすっぽり入る。私は、小さいバッグに入れて、軽トラの助手席に放り投げておく。
数年前、詩人の足立和夫さんにこの機械を薦められたが、私の指の動きは WZエディタというエディタに慣れていて、Windows 標準のキー操作は使いにくくて駄目だろうと思い、そのときは買わなかった。長いものを書くときは(今書いているものもそうだが)、必ず WZ で書く。しかし、長年 Windows を使っているうちに、Windows 標準のキー配列で書かなければならない場面にちょくちょくぶつかり、例えば、BackSpace だの Delete だのを使うことが、それほど苦痛でもなくなってきていた。
Windows に相当飼い慣らされたなという自覚はあった。綿半というホームセンターで、pomera を見た時、どのくらい Windows 標準のキー配列で書けるものか、つまりどのくらい Windows に飼い慣らされたのかを調べてみようと思い、店の人に頼んで20分くらい試してみた。iPhone の青空文庫の適当な文章を打ち込んでいるうちに、なんにも苦痛らしい苦痛は感じないまま、Windows 標準のキーで打っているのに気づき、その場で買ったのだった。
これが手に入ってから、軽トラの中にいるのが長くなったのである。pomeraはほとんど軽トラの中ばかりで使う。今は主に日録を書くのに使っている。軽トラの運転席に座り、背もたれとドアのコーナーに、少し固めのクッションを置き、コーナーに背をあずける。靴を脱いで、脚は助手席へ伸ばして しまう。pomera が入っていた空き箱を太ももの上に置いて、その上に pomera を置く。これで書ける。30分程度書いても、特に体が痛くなることもない。
pomera のディスプレイはバックライトがないので、100円ショップで買った単四電池2本の LED ライトを右肩上方のドアの枠に磁石でくっつければ、夕方暗くなっても書ける。コンビニの駐車場でなくても、どこでも書ける。しかし、コンビニの駐車場で書 いていることが多い。コーヒーがなくなったら、すぐにまた熱いコーヒーが飲めるからだ。
pomera が手に入るまでは、軽トラはどっちかと言えば喫茶室だったのだが、今はどっちかと言えば書斎である。この人生で、ついに俺は書斎というものを持つことはで きなかったのだなと思って生きていたが、ある日からいきなり書斎が手に入ったのだ。もちろん本棚はないが、それは家の仕事場にもないのだ。英語の レッスンの教材を作る机とベッドがあるだけだ。本は冷遇されており、その辺に置いておくと、娘と妻が勝手に動かして仕舞ってしまう。アナグマとかイタチとか、土に穴を掘る動物が、何かを穴の中に持ち込んでしまうのと似ている。どこに何があるのかわからなくなってしまう。娘と妻は本を敵視し ている。だから、手を伸ばせば、読みたい本が棚にあるという形の書斎はやはり手に入らないのだが、参考にするものを見る必要はなく、書きたいもの を書くだけなら軽トラで十分だ。書斎の機能の一部分は確実に手に入ったのだ。畳半分もないこの明るい個室が天地だ。
どこにでも移動できるのがいい。暑ければ木陰へ。寒ければ車のヒーターに足の裏を押しつけたまま日向で。山の中へ、川の脇へ、葦に囲まれた川原 へ。行けば、書斎の窓から見える景色はがらりと変わる。今後も相変わらずコンビニの駐車場が多いのだとは思うが、行きたければ行けるのだ。私が行 きたければそこへ行けるし、書斎が行きたければ、書斎の行きたいところへ行ける。今後は書斎が行きたいところがどこなのか知る必要があるのかもし れない。
遠出してみるのもいいな。
海の見える書斎もいいな。
面白かった。
鈴木志郎康様
ご感想をいただきまして、大変有難うございます。
根石さんのエッセイは、是非みなさんに読んで頂きたいものです。
鈴木さん、さとうさん、ありがとうございます。
淡々と生活が描かれていて楽しく読みました。
牧様
感想をいただきまして、大変に有難うございます。
根石さんのコトバは生活に裏付けされた大切なコトバたちだと思っています。
これからも、拝読いただければ、幸いでございます。
どうぞ、よろしく、お願いいたします。
牧様
お読みいただき、うれしいです。
ありがとうございます。
日常がほっこりするものと思える根石さんの文章。
今回もほっこり面白かったです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
うれしいです。