佐々木 眞
あなたは、潜水艦を見たことがありますか?
私は、時々それを見るのです。
はじめて実物を見たときは、ちょっと驚きましたが。
それは横須賀の岸本歯科へ行くとき。
JRの横須賀駅で降りて、すぐ左手のヴェルニー公園まで歩くと、
そいつはいつでも、ずんぐりむっくりとした怪異な姿を、浮かべているのです。
潜水艦は、今日も波穏やかな軍港に停泊していました。
珍しく大勢の人々が艦橋に乗って、なにやら作業をしていました。
今日明日にも、出港するのでしょう。どこへ行って、なにをするのか知らないが。
潜水艦を見るたびに、私はヨシナガさんを思い出します。
ヨシナガさんは、戦争中、潜水艦に乗っていたそうです。
「伊○○号」とかいう名前がついた、日本帝国海軍の潜水艦に。
誰でも思うことですが、潜水艦の中は、きっと狭くて暗かったことでしょう。
航海中は、酸素や電気や食料を浪費してはならないから、
乗組員は、腹を空かせた酸欠状態の金魚みたいに、息苦しかったに違いない。
そして、そんな息詰るような極限状態の中で、
ヨシナガさんは、戦った。
朝から晩まで、見えない敵と戦ったのです。
ヨシナガさんが、どうして海軍に入って潜水艦に乗るようになったのか、私は知らない。
どんな恐ろしい目に遭い、あるいは敵にそんな目に遭わせたかも、知りません。
でも彼は、恐らく死とすれすれの危険な目に、遭ったのではないでしょうか。
しかし、もし私がヨシナガさんだったら、
冷たい水の奥底で、人知れず死ぬことだけは避けたい、と思ったことでしょう。
せめてさんさんと降り注ぐ太陽の下で、新鮮な外気を吸いながら死んでいきたい、と願ったことでしょう。
さいわいなことに、ヨシナガさんは、死ななかった。
奇跡的に生き延びて、無事に内地に帰還したヨシモトさんは、基督者となった。
そして私の郷里の丹陽教会で、毎週日曜日の礼拝にご夫婦で出席されていました。
日曜日以外のヨシナガさんは、町の外れの醸造会社で働いていて、
当時私たち子供が夢中になって集めていた、「ヒガシマル」などの醤油瓶の
商標シールを、自由に採取させてくれました。
いつもかすかに微笑みながら、
「ほら、そこにもあるよ。取っていいよ」
と、優しい声で教えてくれるのでした。
だから私は、横須賀で黒塗りの潜水艦を見るたびに、ヨシナガさんを思い出す。
ヨシナガさん、あれからどうされただろうか?
もしかして、まだ生きておられるのかしら?