鈴木志郎康
とがりんぼう、
逃げちまった
とがりんぼう、
って、唱えて、
朝食のトーストを食べて、
朝日新聞を読んでたら、
八十八歳の数学者の
佐藤幹夫さんが弟子たちに言い伝えた言葉が出ていたっちゃ。
「朝起きた時にきょうも一日数学をやるぞと思っているようでは、ものにならない。数学を考えながらいつの間にか眠り、目覚めた時にはすでに数学の世界に入っていないといけない」(注)
ってね。
すげえ没頭に集中だっちゃ。
きっと、弟子だちは、
ご飯食べてる最中にももちろん数学、
うんこしてる最中にももちろん数学。
これだ、これだとばかり、
早速、俺っち、
この言葉をもらったっちゃ。
「朝起きた時にきょうも一日とがりんぼうをひっ捕まえて詩を書くぞと思っているようでは、ものにならない。とがりんぼうを尖らせ詩を考えながらいつの間にか眠り、目覚めた時にはすでに詩の世界に入っていないといけない」
ってね。
これぞ、
とがりんぼうを
確実に尖らせるやり方だっちゃ。
さあ、摑まえるぞ。
さあ、尖らせるぞ。
さあ、詩を書くぞ。
とがりんぼう、
とがりんぼう、
ウフフ、
ウフフっちゃ。
ものにならない、
ものになる、
ものにならない、
ものになる。
ものになる
数学って、
なんじゃい。
人類の数学史に残る公理の発見っちゃ。
とがりんぼうを
掴まえて、
尖らせ、
ものになる
詩って、
なんじゃ。
人類の詩の歴史に傑作を残すってことかいなあああ。
ケッ、アホ臭。
俺っちが、
とがりんぼうの
尖った先で、
言葉を書くと、
その瞬間、
火花散って、
パッと燃え尽き、
灰になっちゃうってこっちゃ。
そこに、
新しい時間が開くっちゃ。
嬉しいって、
素晴らしいって、
ウフフ、
ウフフっちゃ。
まあ、
仮に、此処に、
八十二になる老人が居てねっちゃ、
とがりんぼうを、
尖らせろ、尖らせろ、
つるつるつるーんを、
引っぱがせ、引っぱがせ、
ってね、四六時中、
食事しながら、
うんこしながら、
とがりんぼうを
追いかけてるっちゃ。
でもね、飴舐め舐めテレビ見ちゃう。
つい、飴舐めちゃう。
口が甘あくて幸せだっちゃ。
そこでね、
とがりんぼうに逃げられちゃうってわけさ。
それでも、
とがりんぼうを、
追い回してて、
詩が、
ものになるかどうか。
遠いところで頭を掠め、
やがて、此処に、
不在がやって来るっちゃ。
本当、世の合理は酷しいってこっちゃ。
つるつるつるーん、
ツルリンボー。
(注)朝日新聞2017年4月9日朝刊。
佐藤幹夫(88)・ノーベル賞と並ぶとされるウルフ賞受賞、京都大学名誉教授、京都大学数理解析研究所元所長が弟子に伝え、語り継がれる言葉とある。