八十三歳の優しい気持ち

 

鈴木志郎康

 
 

庭のビョウヤナギの花が
次々に咲いて、
初夏の
爽やかな風に揺れている
2018年の、
五月十九日の
今日、
わたしは、
八十三歳になった。
なってしまった、
ね。
ね、
相手に向かった、
ね、という終助詞。
そのねの相手って、
誰なんだろうね。
ね、
っていうと、
優しい気持ちになってくる。
八十三歳で、
優しい気持ちになってくる。
なんか、
いいね。

 

 

 

八十三歳の優しい気持ち」への2件のフィードバック

  1. 新作、読ませていただき、とても嬉しいです。
    おしべが美しく繊細な黄色いビヨウヤナギが五月の風に揺れる様子を眺める志郎康さんの感慨深い気持ちが伝わってくるようでした。ビヨウヤナギは美しい灯明のよう。「ね」「優しい気持ち」のあり方が深いなぁと感銘を受けました。しかし、それ以上に、「ね」を日本語文法の「終助詞」として捉えられ書かれたとjころに、志郎康さんの真骨頂を見た!と思いました。感慨深さとともに、詩が一気にズームアウトされ俯瞰されていくという、すごいものを見てしまったなぁ・・と驚きました。このことによって、詩全体が感慨だけで終わらず、83歳の誕生日の詩が、個人からパブリックへとするっと変貌をとげていくという感じがして、志郎康さんの言葉への意地のような姿勢を感じ、詩の美しさとともに感銘を受けました。

    • 詩の感想、ありがとうございます。身近なところに視点を置く書き方を続けられれば、と思っています。

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