狩野雅之
夕暮れにはまだよほど時間があるのだが、異様な濃霧に遭遇した。標高1700メート ルの山岳地ではこれは「雲の中」に入った状態なのだが、現象的には「濃霧」のよ うに見える。分厚い雲海にさえぎられて出現した薄明の空間。拡散する光のスペク トルによってじつに幻想的な世界を垣間見ることになった。
このような機会を心待ちにしている自分がいる。わたしの内なる薄明世界にも似たこの風景に、なによりもこころ惹かれるからだ。
全てカラー写真です。
夕暮れにはまだよほど時間があるのだが、異様な濃霧に遭遇した。標高1700メート ルの山岳地ではこれは「雲の中」に入った状態なのだが、現象的には「濃霧」のよ うに見える。分厚い雲海にさえぎられて出現した薄明の空間。拡散する光のスペク トルによってじつに幻想的な世界を垣間見ることになった。
このような機会を心待ちにしている自分がいる。わたしの内なる薄明世界にも似たこの風景に、なによりもこころ惹かれるからだ。
全てカラー写真です。
写真を見て、ノルウェイの森みたいだと思いました。
雲海と森そしてもし白夜があるなら画家東山魁夷さんかもしれませんね。この樹々が湖面に映って、透き通るような湖もあればと思いました。
テトラポットと海の終わり
テトラポットの海を見て
海がしぶきを上げて砂浜へと打ち寄せ近づこうとするたびに
私が埠頭にしゃがみこんで膝を抱えると
テトラポットは波を打ち砕く
砕かれた波は、テトラポットの間、よどむようにたゆたんでいる
テトラポットが墓標に見えるのは、おそらくは、波の命の終わりと
墓なのだろうか?海辺から始まると思っていたのに、ここが終着地点だと
教えられて 波の終わりと海の果て 波の始まりが見えたなら私は喜んでそこへ旅しよう
お写真を見ている間、むらむらと詩を書いてしましました。さとうさん気を悪くされたらごめんなさい。詩を書くとは、書きたいという衝動の発作のようです。
お許しください。お許しください。