また旅だより 14

 

尾仲浩二

 
 

韓国ポハンへ写真フェスティバルで行ってきた。
台風が朝鮮半島に上陸する数時間前に着陸。大荒れの済州島のニュースを観ながら眠る。
翌朝、台風は日本海へ去り爽やかな秋晴れ、ポハンは製鉄所と魚市場の街。
フェスティバルの会場は70年代に建てられた古いホテルで、自分の写真に囲まれて眠る三日間。
もちろん展示の合間の散歩とメッチュ(ビール)も楽しんだ。
それにしても今年は台風多いな。

2019年10月6日 韓国浦項にて

 

 

 

 

くり返されるオレンジという出来事 5

 

芦田みゆき

 
 

犬は球体を吐き出す。

夕暮れだった。
いや、空は重たい発色だが、それは昼下がりなのかも知れない。
ともかく、犬は球体を吐き出し、よだれを垂らし、こちらをじっと見ている。
吐き出された球体が少し動いた。動いた、ように、見えた。
次の瞬間、
犬は鎖を引きちぎり暴走する。
スクリーンから犬ははみ出し、
もう見ることができない。
雨が降りはじめる。
球体は身もだえるかのようにもぞもぞと揺れて、転がり始める。初めはゆっくり。次第に、次第に速く、速く、速く、犬を追うかのように速く。

 

 

 

 

 

 

 

 

島影 11

 

白石ちえこ

 
 

北海道 帯広

はじめて冬の北海道を訪れたのは2014年の2月だった。
帯広の町。
凍った歩道を滑らないよう、足下を見ながらうつむいてあるいていると、見慣れない影が目に飛びこんできた。
顔をあげると目の前に大きなエゾシカがいた。

 

 

 

涅槃

 

狩野雅之

 
 

人生はいつも「生まれ来る」と「死んで行く」の間。この両項間の距離は問題では無い。時間は便宜的な精神装置にすぎない。「生きていない」も「死んでいる」もぼくらの「人生の内の出来事」ではない。「死」を体験した人間はいない。人間は「死」を知らない。
 


存在と無、そして空

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存在と無の狭間には何も無い。「何も無い」というものが「ある」わけではない。

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ただ其処に咲き其処に散る。

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記憶は寄せ来る雲海の中に消えていくのだろう。

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それは おそらく幻であることを私は知っている。いっさいは空である。

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西壁の植物

 

芦田みゆき

 
 

 

草の記憶による再生は、私の接触によっても消えることはなかった。私は草をいっぱい抱えこんで向こう岸へむかう。草は匂いを放つことなく、一様にうなだれている。一歩、踏みだした私の足くびを冷たいものが掴まえる。私は振りかえる。何もみえない。瞬きをする。何もみえない。正確にいうと、私の掴まれた足くびの接触部分を除いて、全てが消えた。私ははじめから草など抱いてはいない。そもそも、私自身、発生していない。一面に草が茂っている。その上を靄が立ちこめている。

 

『ミドリとハエの憂鬱(メランコリア)』/思潮社2002年より