塔島ひろみ
インターチェンジの脇を通る暗い道に停車した、白いワゴン車の運転席で
76才の男がおむすびを食べている
塩味のきいた 白い米の甘みを味わいながら
丁寧に覆われたラップフィルムを、食べる分だけ剥がしながら
男はときどき舌を鳴らし、おむすびを食べる
手作りのおむすびは小さな梅干しが入っているきりで、海苔も巻いていなかった
冷えていたが、温んだ掌の味がした
食べ終わると男は窓を開けた
真冬の寒風が車内に吹き込む
窓から顔を出して、プッと種を外に飛ばすと
種は道に沿って茫々と広がる枯れた畑にコロンと落ちた
すぐ横を走る高速道路から 切れることなく車の音が聞こえているが
この道も、畑も、人気がなく、地面には黄土色に湿ったキャベツの皮が張りつき
ところどころに雑草が芽吹く
よく見かけるこの雑草の名を 男は知らなかった
男はおむすびの味を無意識に頭の奥で反芻しながら手をタオルで拭き
ラップを小さくまとめてフロントガラスの下に置いた
そして左手で、次に右手で
膝に載せた日本刀の感触を確かめる
刀はずっしりと重く、冷たく、圧倒的で、ゆるぎなかった
しっかりと柄をつかみ、
76才の、身寄りのない男は、これからこの日本刀で、人を殺す
そしてそのあと自分も死ぬ
司法解剖された男の胃袋にはよく噛み砕かれた飯粒があり、
現場付近に乗り捨てられた車には
小さなラップが残っていた
彼の最後の食事となるこのおむすびを誰がにぎり、
丁寧につつんだものなのか、
それは至って謎なのだったが、
捜査に無用の謎であり、追究されることはなかったから
誰も知らない
永遠に知らない
畑に顔を出した雑草の名前を彼が知らなかったように
私も、あなたも 知らない
この男の、名すら知らない。
(2019.1.26 東名高速横浜町田IC付近で)