与謝野晶子になぞらえて、弟へ

 

みわ はるか

 
 

誰も使わなくなった机、ベッド、中身がごっそり抜かれた本棚。
がらんとした8畳ほどの部屋はがらんとしていた。
机の下には持って行き忘れただろうお気に入りだと言っていたボールペンが転がっていた。
ベッドの上には趣味のバイクのパンフレットが置かれたままだ。
窓を開けるとちょうど西日が眩しくて反射的に目を閉じた。
淡いオレンジ色の西空はなんだか余計に心を寂しくさせた。

2019年、3月、弟は4月からの就職のため家を出た。

8年前まだ高校2年生だったあなたから色んなものを奪ってしまって本当に申し訳ないと思ってる。
お詫びと言っても許してもらえないかもしれないけれど、大学進学やその後の悩みには心から対応したつもりです。

8年前、わたしの体調がものすごくすぐれなかったこと、その他もろもろの事情で弟とは別々で暮らすことにした。
弟から母親を奪ってしまった。
遠くではないけれどお弁当とか、話したいこととかきっとたくさんあったはずなのに。
わたしのわがままで一瞬で環境を変えてしまった。
本当にあの時はごめんね。
もっとよく考えるべきだったと後悔ばかりが張り付いている。
戻れるのなら本当に戻りたい。

体調が少しずつよくなったわたしは頻繁に実家に帰るようになった。
弟は外からは分からなかったけど、話すと色々鬱憤がたまっているようだった。
その時わたしは決めた。
弟が社会に貢献する年になるまでわたしは自分のことは考えないようにしよう、いつでも何かできるように身軽でいよう。
それが贖罪だと思った。

そのうちに弟は受験生になった。
数学や物理は教えることはできたけど、ごめん、古典や漢文はお手上げだった。
論理的に考えれば1つの答えにたどりつける類は好きだったけれど、難解な助詞や難しい漢字が次々と出てくる文章は苦手だった。
希望している大学をわたしは勝手に下見に行った。
その日は雪がしんしんと降っていてものすごく寒かった。
バスの窓から大学の門扉が見えたとき無事に到着したことにほっとした。
時計がついた高い塔はモダンでお洒落だった。
なんでだろう、その時計にむかって「無事に合格できますように」とお祈りした。
雪はいつのまにかやんでいた。

着なれないスーツを身にまとったあなたはその時計台の前にいた。
にこにことした朗らかな顔だった。
その横には「入学式」と書かれた色紙台が立てかけてあった。
希望に満ちた新しいスタートだった。
大学院まで進んだあなたにはたくさんの友人ができたと聞いた。
偉そうに言うわけではないけれど、学生時代の友人は生涯の友人になる。
ぜひ、これから先も大切にしてほしい。
同じ時間を同じ場所で過ごした人の間には分かり合えるものがあると思う。
辛い課題もたくさんあったと聞いた。
それは隣に一緒に頑張った友人がいたからではないですか?
きちんとこなしたあなたは本当に偉い。
新しい趣味もいつのまにか見つけていた。
全国各地を巡るキャンプ、骨折もしてしまったけれど風を切って走る心地よさを味わえるバイク(本当はやめてほしいけど)。
色んな事が経験できた6年間は貴重だったね。
自分のやりたいことができる会社に入れてよかったね。
また違う景色を見て色んな事を感じて考えて行動するといいと思うよ。
どうしても嫌になったら帰ってこればいいさ。

鬱陶しい姉だったと思う。
心配性のわたしは長々と色んな用件でメールをした。
「分かった」と返信が来るときはまだいいほうでたいてい既読スル—だった。
それでも事あるごとに送り続けたことはさすがに反省してる。
引っ越しの荷物を積めているとき「お姉ちゃんがいてくれてよかったわ。」とぼそっと言われたことは生涯忘れないと思う。
大切に心の中にしまっておこうと思う。

この4月からは過度に干渉するのは卒業します。
自分の人生を好きなように生きてくれ。
行きたい方向へ羽ばたいてくれ。
人生は有限で意外と短い。

卒業、本当におめでとう。

 

 

 

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