贈り物

 

みわ はるか

 
 

土曜の朝、というか昼になるんだろうか、11時頃玄関のチャイムが鳴った。
布団の中にくるまっていたわたしはこんな時間に誰だと少し不機嫌になりながらも急いで半纏を羽織って扉を開けた。
若い郵便局員が大きな段ボールを重そうに持っていた。
無事受取人が出てきたことに安堵したのかにかっと嬉しそうに笑いながらわたしにサインを求めてきた。
「ありがとうございましたー」と若者らしく元気な声で言い終えると風のように去っていった。
そんなこんなで眠気もあっという間になくなってしまった。
そしてわたし宛の荷物にドキドキしながら依頼人欄を見るとそれは懐かしい名前だった。
所在地は遥か遠く日本の中心地、「東京都」であった。
彼女はわたしの中学時代のテニス部の同級生でとても美人な子である。
長身で肌は雪のように白く笑うとえくぼができてたっけな。
地毛がきれいな栗色で伸ばしたストレートの髪がよく似合っていた。
部活開始前のランニングではよくお互いにがははがははと笑いながらふざけあった。
木陰での休憩中には砂の上によく絵を描いた。
わたしのそれはとても下手くそだったが、彼女はさらっとかわいいキャラクターや幾何学模様のようなものを書いていた。
それはとてもわたしには真似できない上手な絵だった。
同じクラスで席が近かった時、彼女はよくわたしが一生懸命英単語を覚えている横でわたしの教科書に落書きをしていた。
「あっ」とわたしが気付くと悪びれた様子もなくあはははは~と笑いながら逃げていった。
「ふ~」と思って一度はシャープペンシルから消しゴムに持ち替えたけれど、その絵を見て消すのをやめた。
ただの、本当にただの落書きなんだけれど消すにはもったいないと思ったのだ。
それくらい彼女の絵はなにか引き付けられるようなものがあったのだと今では思う。
その時はなんだか不思議な本能で残しておきたいと思った気がする。
残念ながら昔の教科書類は全て処分してしまったのでもう確かめようもないのだけれどふともう一度見たいなと思った。
やわらかいタッチで、人やキャラクターを好んで描いていたあの作品を。

そんなことを思い出しながら段ボールの荷物の中身を取り出した。
そこには甲府で買ったと思われる赤ワイン、そしてわたしが昔から好きな日本茶の茶葉が丁寧にラッピングされた中から出てきた。
さらに奥をごそごそと探ると一枚の女性の絵と手紙が出てきた。
そこにはこう記されていた。
「こないだ共通の友人の結婚式で14年ぶりに再会できてとても嬉しかった。その時のことを忘れたくなくてその日着ていたワンピース姿のあなたを描いたよ。
ほとんど話す機会がなかったことはとても残念だったけれど昔と何も変わってないね。それがなんだかほっとしたよ。ワインとお茶はよかったら飲んでね。
また会えることを楽しみにしているよ。」
数か月前、同じテニス部の同級生だった子が結婚した。
その時、控え室で偶然会ったのだった。
14年ぶりの再会にお互い感動はしたものの席は遠くほとんど会話ができなかったのだ。
わざわざ気をきかせてこんなことをしてくれるなんてと、しばし感慨にふけってしまった。
自分を書いてくれたというその絵をまじまじと見てみた。
水彩画だと思われるそれはとてもやわらかい印象でずーっと見ていたくなるようなものだった。
わたしってこんな風に見えてるんだ、なんだか照れるなと一人ニヤニヤしてしまった。
その絵は縮小コピーして写真立てに入れ玄関に飾ることにした。
突然に華やいだ玄関はキラキラしていた。

段ボールの中をゴソゴソと整理しているともう1枚手紙が出てきた。
それには今までの近況が書かれていた。
10年程前に上京したこと、大学に通いながら誰もが知っている大手映像会社で絵を描く仕事をしていること、好きな映画監督の作品のこと、生まれ育った田舎との違いに今でも夜になると孤独を感じる時があること・・・・・。
わたしの知らない14年間がそこにはあった。
あーこんな嬉しいことはない、やっぱり彼女は描き続ける使命だったんだと何度も何度も読み返した。
慣れない都会でわたしなんかが知る由もない苦労がそこにはあるのだろうけれど、まだこれからも東京で頑張りたいと締めくくられた最後の一文には逞しさを感じた。

世の中にはこれをしたいと思ってものすごい努力をしてもどうしても報われない人が自分を含めてたくさんいると思う。
そうかと思えば本当に一瞬でさらっとやり遂げてしまう人が中にはいる。
そういう使命を持って生まれてきたような人がその道を進んでいるのはとてもいいなと思う。
そして、それが自分の古い友人の1人だと知った時の喜びは格別なものだ。

 

 

 
#poetory

アラサー、「時間」と向き合う

 

みわ はるか

 
 

数ヵ月先に親族の結婚式に参加しなければならなくなった。
こんな書き方をすると怒られそうだが、女性にとってこれは頭を悩ます問題である。
友人であればある程度きれいめなワンピースでも持っていればたいていは無難にすむ。
しかし、親族となれば話が違う。
参加するというより迎えるという立場になってしまうのであまりにも華やかなものは好まれない。
着物を着る人が多いと聞くがこれがまた会場が遠方で、式が終わったらすぐに帰らなければいけない日程のため現実的ではない。
さらに、一昔前の人たちは着物の1着や2着自宅にあるというのが普通であったらしいが残念ながらわたしは1着も持っていない。
持っていたところで自分では着られない。
きれいめなワンピースを数着はクローゼットにしまってあることを思い出したが会場の雰囲気にはいまひとつといったところ。
物が増えることが好きではないわたしにとって今後使用するあてがない物を買うという選択肢は毛頭ないし・・・・。
うーんと声に出してしまいそうな勢いで眉間に皺を寄せているとふっと名案を思いついた。
華やかな会場でも気後れしないきちんとした洋装をレンタルすればいいんだ!
少し考えれば誰でも思いつくようなことなのだけれど、その時のわたしはこの上ない解決策を見つけたかのように顔がニヤニヤしていたと思う。
それからは早かった。
Google様に頼りながら自宅近辺の貸衣装屋さんを探した。
2つ程目星をつけて週末に来店する旨の予約をとりつけた。
これで準備は整ったとPCを閉じ、TVの前に座り煎餅をボリボリとかじっていたらいつのまにか安心したのか深い眠りについていた。

週末はすぐにやってきた。
朝が苦手なわたしは休日は昼頃まで寝ることが多いのだが、その日は眠い目をこすりながらカーテンを開け、洗面所で顔を洗った。
朝ごはんはパスして、急いで化粧を済ませると車に飛び乗った。
1件目のお店は小さな可愛らしいお店で、隣にはカフェを併設していた。
ちょっとしたアクセサリーも売られているスペースもあり、おとぎ話に出てくるような建物であった。
中に入ると先客がいたため少し待つこととなった。
普段、カフェとか可愛らしい小物が売っているようなお店にほとんど行く習慣がなかったため新鮮だった。
月ごとに違う石?をアクセサリーにして売っていたり、石?水晶?のようなものをそのまま陳列してあったり。
心の中で石がこんな値段するのかと驚いて、2、3回値札の0の数を数え直した。
しばらくするとわたしより若いと思われる化粧の濃い店員さんに案内され貸衣装が並べられた部屋に入った。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
確かにある。数十着のドレスがハンガーに所狭しと並んでいる。
それに合わせたパンプス、アクセサリー、鞄。
だけどそれはわたしの想像していたものとは違った。
どちらかというとパーティーとか、1.5次会で着ていくようなややカジュアル系のものでリカちゃん人形に着させるような可愛らしいものばかりだった。
わりとふりふり系のものが多かったのだ。
30才を目前にしたわたし、童顔で幼く見られがちなわたし、わーーーー着られない。
ものの数分でこの店のコンセプトを理解したわたしは「すいません、すいません」とひたすら謝って、逃げるようにその店を後にした。
簡単に見つかると思っていたわたしは一気に崖の下に落とされたような絶望感にひたった。
次の店もこんな感じだったらどうしよう。
心は半泣きでナビに次の行き先を入力した。
2件目は淡い水色の外壁に守られた3階建ての造りだった。
恐る恐る入口から入ると年配のあまり化粧っ気のない、それなのにどこか上品な感じの女性がにこにこと出迎えてくれた。
ドレスは膝下で、なるべく大人っぽく見えるものがいいんだと初めから要望を伝えると、慣れた様子で何着かわたしの前に並べてくれた。
それはまさにわたしが探しているものだった。
色々試着させてもらって黒のノースリーブのロングドレスでラメ入り薔薇の刺繍が入ったものにした。
ボレロはベージュのこれまたラメ入り。
鏡の中の自分が違う人に見えて目をぱちくりさせた。
あんなにもめんどくさいと思っていた自分の衣装選びの時間がなんだかとてもうきうきしたものだったなと感じた瞬間だった。
小学生のころ、遠足のお菓子は〇〇円までだと決められてスーパーで駄菓子エリアの前をうろうろしていた時間。
なんとなくいいなと思った同級生にどうしてもバレンタインでクッキーを渡したくて慣れないキッチンの前で何時間も奮闘していた時間。
数時間のセレモニーのために事前に袴を決め、当日は着付けやヘアアレンジのためにものすごく早起きをしなければならなかった大学の卒業式。
たった一瞬のために準備する長い長い時間。
諸手続きを済ませて店を後にするころにはすっかり日が暮れていた。

ウインドウショッピングが苦手なわたし。
休日は昼まで毛布にくるまっているのを好むわたし。
いつも終わるのをまだかまだかと願って参加する職場の飲み会。
まぁいいかと下処理を省いてしまう夕飯づくり。
自然な流れだけれど疎遠になっていく友人関係。
見て見ぬふりをしたくなる両親の老い。

もう少しだけ1つ1つを丁寧に扱っていったら、楽しんでみたら、何か変わりそうな気がしてきた。
頭の中で考えすぎて疲れる前に行動にうつして見るのもいいのかな。
そういえばこないだ職場の若い子が上司から「あなたは体当たりで仕事をするから困ります」
と言われていたけれど、なんだかわたしにはそういう所が欠けているのかもと思った。
まだきっと若いから。
若さだけは誰も後からは手にできないから。
まだまだやるぞーとなんだか不思議な力が湧いてきた。

そんなことを感じながら今年初めて梅が咲いているのを発見したアラサーの夕暮れ時の話。

 

 

 

朝を感じる

 

みわ はるか

 
 

今年は全国的に雪が少ないらしく、寒さが大の苦手なわたしにとってはありがたいかぎりだ。
雪かきをすることもなく日々過ぎていく。
朝晩さえ我慢すればあとはわりと快適だ。
昔はあんなに雪が降ったのになぁ、兄弟でよくそり遊びをしたことを思い出した。
雪はきれいなんだと疑わなかったあの頃は、ガラスの器に雪をてんこ盛りにして、
夏に使いきれず冷蔵庫に残っていたブルーハワイの蜜をかけかき氷にしたこともあった。
当然冬に食べるのだからさらに体は冷えたのだけれど、なんだか特別なことをやり遂げたような
気分になって1人にやにや笑っていた。
当時飼っていた愛犬だけにはその姿を見られてしまった。
なんだか不思議なものを見るような目で小首をかしげていたっけ。

さて、そんな暖冬ということもあって最近職場まで歩いて通勤することにした。
歩くとおよそ20分かかる。
今年新調した超軽量登山用ダウン、インナーは超極暖、毛糸の帽子と手袋、リュックスタイルだ。
歩いてみると朝の空気は冷たいけれどとても心地よく背筋が伸びる。
顔だけは寒いけれどなんだか楽しい気分になる。
意外にも徒歩通勤の人も多く、だいだいわたしとほぼ変わらないスタイルで歩いている。
勝手に仲間だと思って心の中で「ニヒヒ」と笑う。
田舎道なので民家や商店が立ち並ぶ所を通過する。
みんな朝早いのに色んなことをしている人を目撃する。
まだ寝間着姿でなぜか必死に窓ふきをしているおばあちゃん、郵便受けから取った新聞を
その場で広げてしげしげと眺めている腰のだいぶ曲がったおじいちゃん、子供が言うことを
聞かないのか怪獣のようにわき目もふらず大声で怒鳴っている目の吊り上がったお母さま。
さらに民家やお店を眺めるのも楽しい。
看板の色が剥げに剥げて目を凝らしてようやく「クリーニング屋」だと分かる店、真冬だというのに
風鈴だけが数百個も並べられ売られている店(果たして需要はあるのか)、朝6時~夕方16時まで
モーニングセット提供とかかれた喫茶店(もはやモーニングではない時間帯だ!)、
早朝から年配の人が列をなし今にも開店するであろう大衆浴場。
こんなにも朝早くから人って動いてるんだなと思うとなんとも不思議な気持ちに包まれた。
ビュンビュン通る車をやり過ごしながら職場の近くまで来た。
わりと速足で歩いてしまうせいかいつも早目に着きそうになるのですぐ近くにある建物に入ることにしている。
なんとそこはとても大きいコインランドリーだ。
本当はコンビニとかそういう所が近くにあればいいのだけれどそういう類のものが全くない。
初めは抵抗があったけれど意外と快適なのだ。
ソファ、新聞、雑誌、テレビ、自販機となんでもあるからだ。
洗濯や乾燥をしに来る人が何人かいるのだけれど、朝の忙しい時間帯だからなのかわたしには見向きもしない。
ぐるぐると洗濯物が回っているのを遠目に眺めていると眠気に襲われる。
ついうとうとしてしまうのをぐっとこらえる。
もうここまでくると仕事に行くのが嫌になってしまうのだけれどなんとか重い腰を上げててくてくとまた歩き出す。
ふぅーと吐いた息は白い。
近くの工業高校では朝からカキーンとボールをバットで打つ音が聞こえる。
職場の真ん前の工事現場の人が魔法瓶に入った湯気の立つ熱々のお茶をおいしそうにごくりと飲んでいる。
みんな人間をちゃんとやっている。
毎日決まった時間に同じことを繰り返している。
晴れだろうが、雨だろうが、雪だろうが、必ずやってくる朝をきちんと迎えている。
人生は変わっていくものだから楽しいと誰かが言っていたけれど、わたしはこういう小さな変わらない日々も
結構好きだなぁと感じる。
なんだかそういうものに安心する。

大寒ももうとっくに過ぎたそんな朝の小さな物語。

 

 

 

書斎にて

 

みわ はるか

 
 

畳1畳分のスペースに長方形の机、座椅子を置いている。
机の上にはペン立て、時計、電子辞書、障子で円柱にかたどったスタンド電気。
これがいつものスタイルで、ここをわたしは密かに書斎と呼んでいる。
どうしてこんなにも狭いのかというと、部屋自体は8畳分くらいあるのだが他にも置くべきものがあるからだ。
本棚、ベッド、クローゼット、ファンヒーター、プリンター。
物を最小限にしか持ちたくない、シンプルな生活を理想としているけれど、これらは必需品である。
というわけで隅のたった1畳分のスペースがわたしの憩いの場なのである。
温かいお茶を急須から湯飲みに移し、最近寒くなってきたので赤い半纏を着込み座っている。
ふっと前を向けば白い壁と目が合う。
朝がものすごく弱いわたしは夜にこの机でパソコンを開く。
色んなことを考えながら文章を書いたり、公募で応募したエッセイ作品が落選したことを伝えるメールを受け取ったり、
ここ最近島に魅了されている(できるだけ人口が少ないとこ)島への旅行をもくろんだり、
好きな作家の新刊をチェックしたり、又吉のトークライブ行きたいなぁと考えたり、
老いていく両親が元気であることに感謝しつつ妹弟がきちんと自立したことに安堵している。
お茶が大好きなのだけれど貧血がひどいので緑茶は諦めてほうじ茶を選ぶようにしている。
有名な全国のお茶っ葉を時々友人にもらうのだけれどとても嬉しい。
物欲のない若者が最近は多いとニュースでやっていた。わたしも例外ではないなぁとふと思う。
それでも必要なものは事前に色々調べて購入するのだがそれが届いたときに満足いくものだとやっぱり嬉しい。
シンプルでミニマムな暮らしに憧れていてこれからもそうであるような気がする。
友人関係も狭く深くとなった。
それが居心地がよくてしっくりくるようになった。
情報格差がいまやほとんどなくなった。
どこにいてもあらゆる情報をネットや動画で得ることができる。
でもやっぱり羨ましいと思うのは文化や芸術の中心地はまだまだ都心でありそれに憧れて上京する若者はたくさんいる。
わたしは田舎が好きなので今の場所に満足しているけれど、たまに物足りなさを感じることがないわけではない。
隣の芝は青いなのかな。

年の暮れに色んな角度への思いを思いつくままに書いてしまった。
最近、「いつもエッセイ読んでるよ」と友人からメールをもらった。
こんな嬉しいことはないなとその文面を何度も何度も繰り返し読んだ。
彼女は絵がものすごく上手で今でも彼女からもらった秋の隠れた紅葉の絵を大事に持っている。
これからも好きなだけ書いてほしいなと思ってるよ。

新しい年を迎えました。
昨年は日記のようなエッセイのようなわたしの文章を読んでいただきありがとうございました。
また今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

寒空の下で

 

みわ はるか

 
 

朝起きると窓から見える山々には早くも雪が積もっている。
どうりで寒いはずだなと急いでファンヒーターの電源を入れる。
朝晩の気温の下がり具合は尋常ではなくぶるぶると震える。
窓には結露も発生していた。
これから本格的な冬がやってくるんだと思うと少し身震いした。

夜7時頃、ダウンや毛糸の帽子を着込んであえて外に出てみた。
意外と空いているお店がたくさんあったのには驚いた。
真剣に患者の口腔内を観察している歯医者さん。
誰もいないのに明かりが灯してある神社。
カウンター席10席程のラーメン屋さんには観光客であろう外国人でいっぱいだった。
トタン屋根で作られた簡易なお店からはおでんのいい香りが漂ってくる。
みんなの楽しそうな声がわたしの気分を高揚させた。
白い息を弾ませながら15分ほど歩くと図書館が見えてくる。
そう、わたしのお目当てはここだった。
21時までとわりと遅くまで開館しているのだ。
こんな遅い時間にも関わらずたくさんの高校生やスーツ姿の大人がいた。
参考書とにらめっこする人、PCに向かっている人、朝刊や雑誌に目を通す人、黙々と本を読む人。
みんな1日の終わり、静かな館内で好きなように過ごしていた。
こういう雰囲気が好きでわたしはよく足を運ぶ。
今まで数回引っ越しを重ねてきたけれど、まずその地域で探し出したのは図書館だった。
本が好きというのもあるけれど、それと同じくらいその雰囲気や空間が心地いいからだ。

わたしが長椅子に座って新聞を読んでいると、隣に初老のおじいさんが腰を下ろした。
70才はとうに超えていると思われる。
細身できれいな白髪、縁のないない眼鏡、わりときちんとした服装で靴は革靴だった。
どんな本を読むんだろうと、そっと視線をそちらに向けると「物理学・幾何学」みたいな題名のものだった。
いかにも小難しくてわたしなんかには到底理解できそうにない。
そこでわたしは想像する。
昔はどこか大学で物理学を専攻し、そのまま大学に残り研究に明け暮れていたのか。
はたまた、電機メーカーのような企業の研究職あるいは開発部門に従事したいたのか。
それとも、物理学というものはただの趣味で本業は畑違いの農業や営業職だったりして・・・。
こんな人を支えてきた奥様はどんな人なんだろう。
いつもニコニコしていて夫の帰ってきたころに熱々のクリームシチューを出すような人か。
気難しそうな性格に耐えかね夫とは距離を置き自由奔放に自分の人生を謳歌しているような社交的な人か。
同職でいつもああでもないこうでもないと議論を家庭内でも繰り広げているような人か。
色んなことをチラチラ観察しながら想像していると「ん?}というような困った顔をされてしまったので思いを巡らすことは中断した。
その人は21時のチャイムが鳴るとさっと席をたち、今や自動貸し出し機となったPCの前でその本の貸し出し手続きをしていた。
慣れた手つきだった。
わたしも慌てて新聞をもとの場所に戻し上着を着込んだ。

外に出るとぐっと気温は下がって顔に当たる風は突き刺すように痛かった。
鞄の中に潜ませておいた帽子と手袋を急いで出した。
スナックや居酒屋が並ぶ道沿いはきらきらしていけれど、行きと違ってほとんどのお店は閉まっていた。
羽の生えたよく分からない生き物の置物につまずいた。
人の姿が見当たらないコンビニの若い女の店員さんは金髪のさらさらした長い髪をいじりながら大きなあくびをしていた。
少しくたびれた背広を着たサラリーマンがとぼとぼと歩いていた。
その日の月は雲に隠れたりそうでなかったり中途半端な姿だった。

明日が来るのが怖い時がある。
なぜかよく分からないけれどなんとなくそんな日がある。
ずっと暗闇でもいいのになぁなんて。
首を左右にぶんぶん降って自宅を目指す。
たまに後ろから来る車に注意を払いながらぽつぽつと歩き続ける。
あのおじいさんはもう家に着いたかなぁと考えながらもう一度空を見上げると月はもう完全に雲の後ろに隠れてしまっていた。

 

 

 

自転車屋のおじいさん

 

みわ はるか

 
 

マンションの窓から向かいの自転車屋さんが見える。
70才近いだろうか。
白髪、眼鏡、中肉中背、すらっとしたおじいさん。
1階は自転車を売ったり直したりしている店舗、2階3階が自宅だと思われる。
カーテンという概念がおじいさんにはないのか、2階の部屋は夜になると中がよーく見える。
窓際にマッサージ付きかなと思われる大きな椅子、テーブル、その向かいにテレビが置いてあるようだ。
お店を閉めた後には必ずそこにおじいさんが現れる。
1人、何かを飲みながらテレビの方を見ている。
たまに大きな口を開けて笑っている。
たまに勢いよくビールだろうか飲んでいる。
外でお祭りをやっている日でも、数年に1度の台風が来た夜も、おじいさんはいつもと変わらず椅子に座って休んでいる。
とても幸せそうだった。

ある日、たまたまお昼にその自転車屋さんの前を通った。
おじいさんが仕事をしている時間だった。
ちらりと覗くと、おじいさんと目が合った。
口をもごもご動かしていた。
傍らにはお饅頭が箱ごと置いてあった。
いたずらが見つかった少年のように目をまん丸くしてこちらに会釈してきた。
わたしも軽くお辞儀した。
お饅頭の箱をそーっと後ろに追いやっていた。
なんだかとてもかわいらしかった。

これから寒い寒い冬がやってくる。
おじいさんはあの椅子に座り続けるだろう。
半纏でも着るようになるのかな。
熱燗でも飲むようになるのかな。

これからもこっそり迷惑にならない程度に垣間見てみようと思う。

 

 

 

夏の終わりに

 

みわ はるか

 
 

コスモスはあんなに細い茎なのに真っすぐ長く背伸びするように存在している。
一番てっぺんにはあんなにも可愛らしい花を咲かせる。
仲間と共に集団で並んでいて、不思議なことに多少の強風には身を任せるだけで折れている所をほとんど見たことがない。
風に吹かれてゆらゆら揺れている姿にはか弱い印象ながらもあるがままを受け入れるたくましささえも感じる。
その上空には早くもトンボが飛び始めていた。
秋はもういつの間にかやってきたみたいだ。

9月の1回目の3連休、わたしは地元の友人宅に招かれてバーベキューをした。
メンバーは3人で中学を卒業してからは疎遠になっていたが、それぞれが大学生のころから定期的に再開するようになった。
そこで必ずやるのはトランプの大富豪だ。
わたしがトランプ係になぜかなってしまったのでいつも忘れないように気を付けている。
掌サイズの小さいもので、裏にはクリスマスの時にかぶるような帽子をかぶったクマがデザインされている。
「Merry X’mas」と大きな文字で書かれてもいる。
かれこれ10年近く使っているのでボロボロになってしまった。
小さくてシャッフルしにくいとか色々ぶつぶつ文句もでるけれどどうしてもわたしはそれを使い続けたい。
思い出に勝るものはなかなかないと思っているから。
だからその日持って行ったトランプももちろんそのボロボロのトランプだった。

雲一つない青空、気温も容赦なく昼に近づくにつれ上がっていった。
外の木陰にいるにも関わらず次から次へと汗が滴り落ちる。
炭と着火剤を使って火をおこすとあっという間に炎が姿を見せる。
せっかく奮発していい飛騨牛を買ったのにみるみるうちに黒焦げになってしまった。
みんなでトングをせわしなく動かして肉を救出した。
貝殻の上にのったホタテはいまいち火が通ったのか分からなかったのでひっくり返して貝殻が上になるようにしてみた。
そしたらなんといい具合に焦げ目がついて醤油を垂らすとそれはとっても美味しかった。
殻ごと焼いた大きなエビは手をベタベタにして殻をむいて食べた。
まるで子供みたいに体裁を気にせずかぶりついた。
肉、野菜、海鮮・・・・・・、様々な新鮮な食材を網に並べると色鮮やかできれいだった。
炎天下の元、ジューといい音が食欲をそそった。
みんな笑っていた。
それはわたしが昔から、ずっとずっと昔から知っている友人の笑顔だった。
大人になった分顔も少しは変化する。
だけど、笑った時にできるえくぼ、生まれた時からずっとそこにあるほくろの位置、切れ長になる目。
変わらない部分を確認できたときものすごくほっとするのはわたしだけだろうか。
どんなライフステージにいてもやっぱり人間笑っている顔が一番いいなと思った。
それが自分の家族や友人、大切な人ならきっとなおさら。

〆のラーメンを食べた後、エアコンで涼しくなった部屋の中でもちろんトランプをした。
それは3時間程に及んだ。
ずーっとほぼ大富豪。
たまに飽きてきたら7並べ。
それの繰り返し。
よく飽きないなと言われるけれど、みんなの顔色をうかがってカードを出していくゲームはただ単純に面白い。
たまには何時間も熱中してアナログのカードゲームをするのも悪くない。
色んな事、ぜーんぶ忘れてただ目の前のカードの数字に集中する。
勝利を確認してニヤっとしたり、逆転されて本気で落ち込んだり、敢えてカードを止めてちょっと意地悪してみたり。
そんな時間は何にも代えがたい宝物になる。

「stand by me」という映画がある。
幼少の頃の友情は貴重で永遠で、二度と戻ることはできないけれど忘れるとこはできない瞬間である。
そんなメッセージを伝えているものだ。
わたしは古い友人に会う時、この映画をよく思い出す。
古い友人と言える人がいてくれてよかったな、それだけで人生は豊かだなと思える。
これからはもっと会う頻度は減っていくと思うけれど、みんなの心にはきっと薄れることのないそんな日々が残っている。
それだけできっと十分だ、そんな気がする。

 

 

 

『令和1年8月6日 広島』

 

みわ はるか

 
 

8月6日、早朝、わたしは始発の新幹線に眠い目をこすりながら1人飛び乗った。
広島まで自宅からおよそ4時間ほどかかる。
その日は朝からあいにくの雨だった。
濡れた折り畳み傘が隣の人に当たらないように細心の注意をはらってくるくると小さく元の形に戻した。
新幹線の中はよく冷房が効いていた。
リュックからごそごそと持って行こうかぎりぎりまで迷った淡い水色のカーディガンを取り出した。
着てみるとちょうどいいくらいの体温になり、心底持ってきてよかったと感じた。
本当は礼服で行くつもりだったが、雨のこともあり白い控えめなワンピースにした。
窓から見えるあっという間に過ぎ行く景色を見ながら感慨深い気持ちになった。
ずっとずっと行きたかった。
22歳の春に初めて原爆資料館に入館し衝撃を受けたあの時から。
テレビのニュースで灯篭流しの様子を食い入る様に見つめたあの時から。
それが今年やっと叶った。

多くの人がご存じのとおり毎年8月6日、広島では原爆に対する慰霊祭と夜には灯篭流しの行事が催されている。
今年は朝に少し強めの雨が降ったものの、その後は夏らしい入道雲がもくもくと出現し夜まで晴れていた。
時間の都合もあり慰霊祭を見ることはできなかったが、10時くらいに到着するとあふれんばかりの人で埋め尽くされていた。
夏休みということもあり子供から大人まで様々な年齢層の人がいた。
そして、ツアーが組まれているであろう団体や、外国人の数の多さにも圧倒された。
今回の行事のスタッフと思われる首から名札をぶらさげた人も多く見た。
年配の人も多かったけれど、若いおそらく高校生や大学生、社会人の人も多数いた。
なんだかそれにほっとした。
原爆を経験した人が高齢化する中でそれを継承しようとする若者に頭が下がる思いになった。
みんな一生懸命に身振り手振りを交えて説明していた。
わたしもさらっとその団体の最後尾について耳を傾けた。
額から汗を流しながら語る人たちからは今日という日がどれだけ大切な日なのかが伝わってきた。
こんなにも澄み渡った青空の真上から一瞬にして何もかもを吹き飛ばしてしまう鉄の塊が落ちてきたなんてにわかに信じられなかった。
でもそれは今や世界中の人達が知る真実なんだとも思った。

小学校4年生の時、担任の音楽を得意とする女の先生から「はだしのげん」という本を薦められた。
漫画はほとんど読まない性分だったため初めはためらっていたけれど、ぜひという強い一言でとりあえず1巻を手に取った。
それからは早かった。
どんどんその魅力に吸い込まれていって、当時15巻位まであっただろうか。
3日程ですべて読み切った。
そしてそれを間をおいて3回程繰り返し読んだ。
日本にこんな時代があったことに衝撃を受けた。
一瞬でいなくなってしまった家族や友人、吹き飛んでしまった家や学校、皮膚がただれ水を求める人々、タンパク源にイナゴを食べる日々。
その本には戦時中のむごさはもちろん、戦後にどうにかこうにか生き延びた苦悩も描かれている。
あの時、あの本に出会わなければわたしはきっとこんなにも戦争や原爆のことを気にもとめなかったかもしれない。
広島にある原爆資料館でも同じ衝撃を受けた。
本からある程度は想像していたけれど、いざ視覚的に当時の物や写真を見るとぐっと胸にくるものがあった。
8時15分で止まったままの理髪店の皿時計、ボロボロにちぎれた子供の服、眼球が突出したまま歩いている人の写真。
目をそむけたくなるようなものばかりだった。
今年リニューアルされたばかりだという資料館はいかにその当時を再現するかに力を入れたものだったような気がする。
館内にいる人々の顔は驚きや悲しみに思わず眉間にしわをよせてしまうようだった。
資料館を出たときの太陽は驚くほどまぶしかった。

夜、18時から灯篭流しが始まった。
わたしも折り紙のような鮮やかな赤色の和紙を購入しメッセージを書き込んだ。
川に灯篭を流すための長い行列ができていた。
みんな思い思いに色んな色の和紙に様々な言語で文章を書いていた。
最後尾に並んで数十分後、川岸にたどり着いた。
スタッフの人があらかじめ灯篭用に用意してくれていた木でできた囲いにきれいに和紙を張り付けてくれた。
その中にはろうそくが1本たっていてそっと火を灯してくれた。
消えないようにそろそろった川の側まで歩き、ゆっくりと灯篭を流した。
慌ててリュックの中から数珠を取り出して両手を合わせた。
流れが穏やかだったためわたしの灯篭はゆっくりゆくり川下へ流れて行った。
それはとても幻想的でいつまでも見ていたくなるような光景だった。
それからは川岸の階段に座って全体の光景を眺めていた。
夜もふけてくるとさらに美しくなった。
川岸や橋は人でいっぱいでみんなが穏やかな顔をしていた。
たまたまわたしの隣に1人で日本全国を旅行中の60歳のカナダ人のおじさんが腰を下ろした。
カナダでは歴史学の教授をしており、奥さんとはずいぶん前に別れて子供と孫がそれぞれ4人ずついると教えてくれた。
カナダでは離婚率が高いらしい。
そして、こうわたしに柔和な表情で話しかけてくれた。
「北海道から東京、京都、大阪、広島と旅してきた。どこもよかったけれどまさに今この瞬間が最も心に残る。
そして、こうやってあなたと会話できたことも。」
「美しい、本当にこの光景は美しい。」
ずっとそうつぶやいてカメラのシャッターを切り続けていた。
5週間の内残り2日間となった日本滞在。
満足そうな笑みを浮かべて宿泊先だというゲストハウスのある方向へ帰って行った。
去り際わたしにこんな言葉を残して。
「あなたはこんなにも外国人がいることに驚いていると言ったけれど僕はそうは思わない。
ネットやテレビ、ラジオ、雑誌、様々な媒体で報道されている。世界中のみんなが知っている。
逆に今日ここに日本人が少ないことが悲しい。」

8月7日、チェックアウトぎりぎりまで眠っていた。
灯篭流しの帰りにふらっと寄った少し小汚い居酒屋で見た野球中継を思い出しながらベッドから起き上がった。
広島だけあってもちろん広島カープの試合が流れていた。
しかし、その試合の前だろうか、後だろうか、監督をはじめ選手がみんな灯篭を持って黙祷をしていた。
まさにわたしが流した灯篭と同じものだった。
何の銘柄を頼んだかは忘れてしまったけれど、その時の日本酒の味はものすごくおいしかった。

宿泊していたホテルをチェックアウトしたあと最寄りの駅には寄らずもう一度原爆ドームへ足を運んだ。
どうしても見たかったものがあったからだ。
その日は昨日に増して日差しがじりじりと照り付けていて帽子をぐっと深くかぶった。
数十分キャリーケースをゴロゴロと転がして原爆ドーム前の灯篭流しの川に到着した。
見事だった。
あれだけの灯篭が川に流れ、ろうそくの火で燃えたもの、そのまま岸辺にたどり着いたものいろんな形で残っていただろう。
川岸の階段や橋にはギュウギュウ詰めに人がいた。
食べたり飲んだりしている人もいた。
あの暑さだ、ほとんどの人が手や鞄にペットボトルをもっていた。
だけれども、川にも道にも箸にも塵1つ残っていなかった。
首から名札を下げていたあのスタッフの方々が夜遅くまで残って掃除した姿は容易に想像がつく。
日本の美徳だと思った。
昨日のカナダ人のおじさんが途中でぼそっと「この大量の灯篭はどうするのだろうか。」と言っていたけれど、
ぜひ今日この光景を見てほしかった。
彼は何と言っただろうか。
きっと赤く日に焼けた顔でにこっと笑ってくれたのではないだろうか。

また来年も来よう。きっと来よう。
蝉の大合唱の中、生暖かい風がふわっとわたしの首筋を通過した。

 

 

 

訪問者

 

みわ はるか

 
 

ピンポーンと夜の19時頃だっただろうか。
わたしの住むアパートのインターホンが鳴った。
アパートに住んでいると特段約束でもした友人でない限り訪問者なんてこない。
何かの勧誘か、NHKの受信料の請求か(いや、それはもう既にきちんと払っている)、いったい誰だろう。
おそるおそる家の中のホームカメラを覗いてみた。
そこには20代前半と思われる男女のややこわばったような緊張した顔が見えた。
2人とも小柄で男の人は中肉中背、短髪、いかにも好青年といった感じ。
女の人の方は色白で目がくりっとしていて黒髪のロングヘアーだった。
手には何か袋を大事そうに握り締めていた。
玄関の電気をつけ扉を開けた。
そこには当たり前だけれどさっきインターホン越しのカメラで見た若い2人が立っていた。
緊張した顔は変わることなく、
「昨日からここの上に引っ越してきた者です。他県から来たのでご迷惑をかけるかもしれませんがどうぞよろしくお願いします。」
と息つく暇もなく男の人は言い切った。
隣にいた女の人はぐいっと袋をわたしに差し出し、
「あの、これ、全然たいしたものではないんですけど使ってください。」
ものすごくこちらも早口でしゃべりきった。
2人は不安そうに見えた。
この辺にきっと知り合いもいないんだろう。
でもどこか覚悟を決めてここに来た2人はとてもかっこよく見えた。
聞きはしなかったけれどおそらく新婚さんなんだろうなとにぶいわたしでもさすがに気づいた。
わたしはにこっと笑って、わざとじゃなくてこれは本当に本心でそう言ったのだけれど
「わたしはここに8年程住んでいます。地元もこの近くです。分からないことがあったら何でも聞いてください。
こんな風にきちんとあいさつに来てくれる人は初めてです。ありがとうございます。うれしいです。」
その時初めて2人はお互い目を合わせほっとした笑顔になった。
さわやかで、清らかで、美しかった。
このアパートには他にも何部屋かある。
どんな人が住んでるか知らない人も多い。
せっかくあいさつに行っても適当にあしらわれてしまった場面もあったかもしれない。
あぁ、どうかこの町を好きになってくれますように。
きらきらとした楽しい毎日になりますように。
わたしはお姉さんのような気持ちになった。
2人は深くお辞儀をして自分たちの部屋に帰っていった。
その後姿はいつまでも見ていたくなるような羨ましい背中だった。
地に足を一生懸命つけて歩こうとしている歩調だった。

袋の中身は洗濯用洗剤だった。
わたしは非常に好感をもった。
実用的なものは大変嬉しい。
こんなこと言ったらおばさんだと言われるかもしれないけれど嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。
少しルンルンな気分になって洗面台の下のストックボックスにしまった。
今使っている洗剤がなくなってこのストックボックスの扉を開けた時、きっとまた彼らのことをわたしは思い出すだろう。
今はきっと何者でもないであろう彼らはそのころには随分大人になっているんだろうなと思う。
あいさつ程度の付き合いになることは目に見えているけれど、上の階の人達がいい人でよかったなと心が温かくなった。

賃貸住宅が立ち並ぶこの町は外から来る人が圧倒的に多くよそ者の集まりだ。
単身赴任の人、若夫婦、転勤でしばらくの間だけ家族で間借りしている人、学生。
みんなライフステージが進むにつれどんどんこの町を出ていく。
住民の入れ替わりは激しい。
それはたまたまタイミングよく見かける引っ越し業者の車や、駐車場に停めてある車がいつのまにか違っていたりすることから察しが付く。
ほとんどの人は、一時の仮住まいとして利用しているようだ。
そうであるから同じ棟であっても知らない人はたくさんいるし、昔からこの地に住んでいる人たちとの交流も皆無だ。
気楽でいいなと感じることの方が正直多いけれど、なんだか物足りなくつまらないなと思う時もある。
それはなんとなく蝉がミンミン、ギンギンこれでもかと鳴いていた昼間とはうって変わり、
淡いオレンジ色の夕暮れが空一面に広がるなんだか切ない感じと似ている。
人との距離感は難しい。
みんなそれぞれ色んな価値観を持っている。
できあがった組織に入っていくことや、他人と一緒に何かをしようとすることは煩わしいことかもしれない。
それでもやっぱり1人は寂しいな、誰かとつながっていたいなとふと思ったスーパーからの帰り道。
今日は鶏肉が安かったのでたくさん買いすぎてエコバックはいつもより重かった。
その時、空のずーっと奥の方からぽつりぽつりと夏の夕立がやってきた。
わたしは駆け足で家路へ急いだ。

 

 

 

人間として存在するということ

 

みわ はるか

 
 

渋谷のNHKへ行った。
一般の人でも入れる所だ。
毎朝テレビで見ているアナウンサーや気象予報士の人がここにいるのかと思うと不思議な気持ちになった。
建物は想像よりも大きくて、中もとてもきれいだった。

昔からテレビは好きだった。
でも小さいころはNHKがついているとすぐチャンネルを変えるような人間だった。
時は不思議なもので、数年前からは朝は必ずNHKで夜もだいたいNHKのニュースやドキュメンタリー番組を好んで見るようになった。
朝ドラは毎日録画して夜見るのがささやかな楽しみになっている。
バラエティ番組やドラマは今ではほとんど見なくなってしまった。
旬の人たちに疎くなってしまった。
ニュースが始まるときのアナウンサーの顔が好き。
でももっと好きなのは大役を終えて最後に画面に向かってお辞儀をした後、もう一度顔を視聴者の方へ戻した時の顔が好き。
仕事に誇りをもって充実しているあの表情がものすごくかっこいい。
組織の一員として社会に存在していることに充実感を感じている印象が素敵だ。
テレビだからそう写って見えるのかもしれないけれどそれでもいいと勝手に思った。
あの顔や表情の変化を見るとわたしも頑張りたいと思えるから。

人の顔の表情というのは不思議なもので人目見ればなんとなく自分のことを受け入れてくれているのかどうか分かる。
何かを報告しようと思ったり、話したいとこちらが思っていてもなんだか拒絶されたような目や口角を見ると萎縮してしまう。
それでも伝えなければならないときは心の中でえいっと勇気を出して伝える。
それで冷たい反応であったときは自分が何か気に障るようなことをしたのか、それともこの人はこう人なのかとぐるぐる考えを巡らせる。
最終的には疲れてしまうのであまり考えないようにしようと自分を納得させる。
でもどこかで、頭のどこかでそれはずっと残り続けるような気がする。

組織に属している人には色んなライフステージの人がいる。
新卒で初めて社会に出たまだあどけない人、中堅どころでまさに旬な人、子供がいて育児や家事に追われながらも仕事をこなす人。
出身地も性格も環境も趣味もみんなばらばらだ。
だからお互いの理解がきっと必要なんだろうけれど、文字に書いたようにそんな簡単なことではないと感じる。
社会は結構難しい。
もういいやーって思ってしまうこともある。
なーんにも考えなくていい環境に行ってしまいたいと思うこともある。
そんな時は思い出すようにわたしはしていることがある。
わたしは特に高校・大学と先生に恵まれてきたと思っている。
学生時代、唯一社会人の人と毎日接することができた職業だった。
分からない問題に対して嫌な顔せず本当に一生懸命教えてくれた。
将来について迷った時親身になって耳を傾けてくれた。
そんな人たちに卒業まで見守ってもらって、どうして自分だけ社会に貢献せずにいられようか。
そんなことはわたしにはできない。
わたしのこれからの夢は卒業時と変わらず社会に恩を返すこと。
人間として存在している意味を社会に貢献することで見出すこと。
そのために何ができるか、今一生懸命考えている。

心身ともに健康的な状態で、社会に認められるような環境に身をおいた人間にわたしはなりたい。