風鈴

 

みわ はるか

 
 

近くの神社でたくさんの風鈴が飾られているというのを広報で知った。
風鈴好きのわたしはすぐにとことこと早足でそこへ向かうことにした。
その日はうだるような暑さ、もこもこと存在感をあらわにする入道雲、けたたましい蝉の鳴き声がそこら中で聞こえるような日だった。
黄土色の涼しげな帽子、日焼け止めを露出する肌に塗り、黒いサンダルで出かけった。
サンダルから覗く足の爪は赤かった。
そういえば昨日自分でマニュキアを塗ったことを思い出した。
街は以前のような活気はなくなってしまったけれど、みんな静かに夏を楽しんでいた。
玄関先の朝顔に水をやり、しっかりと庇をつけたベビーカーを母親らしき人が押し、キャップをかぶった若者は汗を滝のように流しながら走っていた。
夏、それだけでなんだかとってもうきうきする。

神社に着いた。
それは見事な風鈴たちだった。
赤、黄、緑、青、紫色の5色が隣同士被らないように丁寧に吊り下げられていた。
風通しがよい場所なので一斉に音色を奏でていた。
同じ方向になびく何百もの風鈴。
首が痛くなるのも忘れてずっとずっと見上げていた。
まもなく夏が終わる。
ものすごく残念で悲しい気持ちになった。
いつまでも見ていたかった。

築100年はたっているだろう茶屋に入った。
小柄で白髪のかわいらしいおばあさんが1人で経営していた。
数席あるカウンターには常連客らしいおじいさんが静かにコーヒーを飲んでいた。
何か話すわけでもなく、ただただ静かに時の流れを楽しんでいた。
縁側には中年の髭もじゃのおじさんがヨレヨレの赤いポロシャツを着て座っていた。
煙草をそっとふかしながら庭を眺めていた。
眼鏡の奥にはつぶらな瞳がひそんでいた。
わたしはあんみつを頼んだ。
少々出てくるのに時間はかかっていたけれど、1つ1つ果物、餡子、寒天がとてもきれいにカットされていた。
甘すぎず、ちょうどいいお味だった。
木造の家屋、昔ながらの柱や土壁、黒電話・・・・・・・。
定休日がなく、マスターの気まぐれでクローズする。
全てのガラス戸や窓が開放されている。
相変わらず蝉の鳴き声が響いていた。

帰りに駄菓子屋に寄った。
昔買ったペロペロキャンディーとショウガ味の豆を購入した。
まだこういう店が残っていることが妙に嬉しかった。
小さなかごをぶら下げてまた来よう。
この時だけは小学生のような純粋で素直な自分になれる気がする。

「夏」、静かな「夏」の終焉をまだもう少し堪能したい。

 

 

 

美術室

 

みわ はるか

 
 

中学校の美術室。
なぜか心の奥にいつもある。
それは多分とても心地いい場所だったからだと思う。

決して美術は得意ではなかった。
むしろ苦手だった。
ポスターに描く絵も、粘土で作り上げる作品も、オルゴール作りも、何をやってもいまいちだった。
いつもこっそり誰かに手伝ってもらったり、開き直って先生に筆をわたして横でわたしは頭をかかえていた。
先生が作り上げていく作品はとても美しかった。
同じ道具を使っているのに、どうしてこんなにも違うものかとみとれていた。
先生も「まぁ、あなたは!ここまではやるけど後はやるのよ」。
なんて怒ったように言っていたけれど、それに反して顔はにこやかで、楽しそうに筆を走らせていた。
この人は本当に美術が好きで今ここに存在しているんだなぁ。
そんな先生の顔を見るのが結構好きだった。
作品は何回かの授業を通してやっと出来上がる。
なんとか作品を完成させたわたしはそれを提出した。
確かあれは自画像を彫刻刀で掘って版画にしたものだったと記憶しているけれど、先生は自分が手伝ったところを指さして、
「あら、この辺とても上手にできたわね。これはとてもいいわ。」
先生はきっと自分が手直ししたことをすっかり忘れていたのだろう。
「へへへ、そうでしょ。わたしもやればできるんですよ。へへへ。」
なんて今にも吹き出しそうな笑いを我慢してさらっとその場を去った。
その絵の評価は一番いいものになっていた。
ちょっと後ろめたい気持ちになったけれど、今では懐かしい思い出だ。

美術室はちょうど北側に位置していた。
木の机、背もたれのないこれまた木の椅子。
アスパラガスのようなグリーンの体操服で授業を受ける。
風通しもよかったため窓が全開に空いている時なんかは心地いい風が最高だった。
窓から見える夏の入道雲はいつまでも見ていられた。
もくもくと力強く青い爽やかな空に突き抜けるような白い入道雲が大好きだった。
美術の時間がずーっと続けばなぁと木の椅子をギコギコさせながらいつも思っていた。
すぐ隣にある美術準備室はひんやりとしていた。
過去の先輩の作品や、先生が見本でつくったものがたくさん並んでいた。
奥行きのある絵画、考える人のような彫刻、木彫りのフクロウ・・・・・。
わたしにとっては身近にある小さな小さな美術館だった。
そこには先生の許可があればすんなり入れたので定期的に見に行っていた。
学校の中の神秘的な場所で不思議な気持ちにさせてくれた。

中学校を卒業して、美術に触れる機会は激減した。
この季節になるとあの美術室を思い出す。
先生のことも、クラスメイトのことも、空も、準備室も・・・・・。
穏やかで心地いいあの時間が、あの時一緒に過ごしたみんなに今でもあればいいなと思う。

こんなご時世だからでしょうか、年を重ねたからでしょうか、またいつかみんなに会いたい。
ベランダの風鈴の音に耳を傾けながら文章を結ぶことにする。

 

 

 

散歩道

 

みわ はるか

 
 

世間一般ではもう目一杯咲いているところがあるというのに、うちの近所ではまだ咲く気配がない。
そう、6月といえばのあの代表的な花。
小さな花弁がたくさん集まって、水滴なんかが滴り落ちての、あの紫陽花である。
葉も爽やかな緑色で美しい。
ふだんはギョッと思うようなカタツムリなんかがついていても愛でてしまう。
公園の端っこ、畑のそば、歩道のわき、校庭の奥の方・・・・・。
ふとした所に意外とどしっと存在している。
個人的には淡い水色がかわいらしくて好き。

最近、時間があればスタスタと歩いている。
冬は寒いのが大嫌いなので引きこもりがちになってしまう分、この時期はできるだけ外に出る。
古くから建っている家々。
ペンキがだんだん剥げてきてはいるけれど、柱はしっかりして頼もしい。
今でもあるんだなぁと驚いたのは、瓶の牛乳を入れるためのケースが玄関先に置いてあったこと。
昔、わたしの家でも毎晩運んでもらっていた。
台所があるであろうと思われる場所のすりガラスの窓。
そこには洗剤、花瓶、おたまやフライパン返し等が吊り下げられている。
夏だからだろう、窓を開け網戸から涼しい風を取り込んでいる食卓。
LEDとは違う少し黄色がかった明かりの下、箸が器や皿に触れる音が聞こえる。
テレビの野球中継に交じって、ときたま食卓を囲む人たちの笑い声が漏れ出ている。
時には怒声や大泣きしている子供の声も。
その生活音はとても心地よかった。
やっぱり家族は同じ場所にいるのがいいなぁと思う。
何か見つけたとき、今日あった面白かったこと、どんより納得できなかったこと。
聞いてほしい、解決策はなくともただ隣で聞いてほしい。
なんともない少し退屈だなと思う日常こそが最も尊い。

とある中学校の側を横切る。
そこには新築の家々がたくさん並んでいる。
近くにはスーパー、幼稚園、郵便局、銀行・・・・・。
ファミリー層が住むには好立地な場所だ。
お洒落な外観に、素敵な花々が彩る庭。
玄関先には小さな靴が干してあったり、まだ補助輪がついた自転車がお行儀よく置かれている。
カーテンの替わりにブラインドを使用している窓もあった。
1つ1つの窓もわりと大きく感じる。
窓わきに置かれたディズニーシリーズであろうぬいぐるみがこちらをじっと見ている気がしてそっと目線をずらした。
モダンな家々に少し圧倒され恐縮してしまった。

駅の近くにはアパートやマンションが多い。
古いものだと「~ハイツ」や「~荘」のようなアパート。
歩くと結構音が響きそうな階段を上がると同じ扉がズラッと並んでいる。
おそらく単身用の住まいだ。
趣があってまるで小説の世界に入ったかのような世界観。
ぎぃ~と開く扉の音もまたいい。
なぜかある扉の前にはとれたばかりの玉ねぎがこれでもかというくらい積まれていた。
セキュリティがしっかりしているマンションも最近はとても多い。
エントランスで鍵なのか指紋なのかわたしには到底想像できないが、本人確認を求められるようだ。
それを見事に突破するとエレベーターで自分の部屋がある場所までたどり着ける。
きちんと清掃されているんだろうなと思われる外観はただただきれいだった。
洗濯物をベランダに干している所もほとんどなさそうだ。
気温の高い日中さえ窓を閉め切っているようでレースのカーテンだけが外からは見えた。
隣に住んでいる人が誰かも分からず、住人だけがどんどん循環して入れ替わっていくのだろう。
それはとっても楽で快適だけれども、ほんの少し寂しい気持ちになった。

そんなこんなでわたしは時間があれば歩いている。
ただただ歩いているのだけど、毎日たくさんの発見があってとても刺激的だ。
橋の上からじっと川の流れを見て、その流れに逆らうように動いている魚を探したりする。
季節によって異なる花を注意深く観察したりする。
畑で栽培されている野菜を見て旬なものは何かをチェックする。
稲が植えられたばかりの田んぼにゆるりと泳ぐオタマジャクシを「わっ」と叫んで驚かしたりする。
太く大きな松の木を首が痛くなるまで見上げ続けたりする。

わたしの散歩はしばらく続く予定だ。
冬が来る前までの限定的なワクワクする冒険を。

 

 

 

朝顔

 

みわ はるか

 
 

小学校1年生の時、朝顔を育てた。
自分たちで土を配合し、種をまいた。
しばらくすると小さな芽が出て、そこからはものすごい勢いで弦が伸びていった。
紫、白、ピンク、それはどれも色鮮やかでわたしの目を楽しませてくれた。
ラッパの形のようなそれらは朝思いっきり咲くとシュルシュルとしぼんでいった。
次の日にはまた力いっぱい花弁を開きたくましかった。

その頃、私の家にもたくさんの朝顔が夏になると咲いた。
祖父が必ず真夏前に種をまき育てていたからだ。
育てたといっても、種さえまけば勝手に成長していた。
その次の年に種をまくのを忘れていても勝手に芽を出した。
おそらく、去年の種が落ちてそのまま夏を待っていてくれたのだろう。
広範囲に咲く朝顔はどれも生き生きしていた。
冬には椿の花が庭に咲いた。
力強く固い深い緑の葉に、深紅の椿は美しかった。
どんなに寒い冬でも、忘れずきちんと顔を出した。
他にも様々な木があった。
梅(昔は祖母と梅干をこれでもかというくらい作った)、枇杷、夏ミカン、ゆず、山椒、柿・・・・・・・。
どれも好きな時に収穫してムシャムシャ食べていた。
ゆず風呂も最高だった。
しぶ柿は祖母が干し柿にして食べやすいようにしてくれた。
時には獣に食べられてしまったけれどそんなに悔しい思いは抱かなかったように記憶している。

そんな祖母も祖父もわたしが社会人になる前に亡くなった。
朝顔は数年間は毎年いつものように芽を出し、きれいな花を咲かせてみんなを楽しませてくれた。
しかし、しばらくしてうんともすんとも芽がでなくなった。
種が底をついたのだと思う。
さらに、手入れが大変だからという理由で、様々な木々が伐採されていった。
電動ノコギリであっという間に崩れ落ち、もう昔のように愛でることも食べることもできなくなった。
自然と獣の姿も見なくなった。
唯一、山椒の木だけなぜか残されていた。
つい先日ちょうど山椒の収穫時期だったため、何枚か大事に採った。
小さく刻んで炊き込みご飯や魚の煮物に添えた。
子供の頃はそんなに好きではなかったけれど、大人になった今はそれは料理の絶妙な引き立て役になっていてとても美味しかった。

小学校の夏休みが始まる前、学校で育てた朝顔を鉢(プラスチック)ごと家に持ち帰らなければならなかった。
徒歩15分の道のりを、それを抱きかかえて帰るのは汗が噴き出るほど大変だった。
なんとか持ち帰り、家の朝顔たちの横に置くと、またそれは仲間が増えたようで嬉しそうに見えた。

季節の移り変わりを目や舌、感触で感じていた幼少期。
今ではほとんど木々や花々がなくなってしまったことは寂しい。
玄関に一輪挿しでも置こうかな。
ほんのちょっぴり昔のように季節を楽しめるような気がする。

 

 

 

招待状

 

みわ はるか

 
 

2年前の物語。

「ご報告 私事で大変恐縮ですがこの度かねてよりお付き合いしていた彼と結婚する運びとなりました。夏ごろに挙式・披露宴を予定しています。ご都合がつけばぜひはるちゃんにも参加してほしいです。詳細に関してはまた後日改めて葉書を送ります。」

空0はるちゃんと言うのはこのメールを受け取ったわたしのことだ。晴れて新婦になる中学時代の友人のわたしに対する呼び方だ。社会人になると名字で呼ばれることがほとんどになったためなんだかとても懐かしい気持ちになった。さらにその友人のお相手はびっくりしたことに同じ中学校の同級生だった。つまり、新郎新婦両方を知っているし、おそらくこの式に招待されるであろう人もほとんどが昔の同級生になるだろう。二十九歳という結婚適齢期をわたしたちは迎えているということを視覚的に認識させられた瞬間だった。わたしたちの間に時は流れた。もう昔のように同じ教室で机と椅子を並べることも、同じ時間割で授業を受けることも、同じ宿題をこなすこともない。みんなそれぞれが自分の未来を考え歩んでいる。それが大人と言うことなんだろうけれど、頭の中では理解しているはずなんだけれど、ものすごく寂しい気持ちになった。窓から空を見上げると灰色がかった雲が太陽を隠していた。

空0小さな田舎町に生まれた。周りは見渡すかぎり木々が生い茂る山に囲まれていて、平気で猿や鹿、猪なんかが出るようなとこだ。畑の農作物はしょっちゅう獣に狙われていたし車との衝突も珍しくはなかった。上流から下流まで流れる川は透き通っていてきれいだった。鮎やアナゴなんかも確か釣れたはずだ。近くに養殖場もあって夏には友人家族と一緒にバーベキューをするのが恒例だった。わたしの小学校の同級生はたったの十四人。中学校でさえ八十人程だった。みんなの顔はもちろん知っていたし、フルネームを漢字で書くこともできた。家族構成もなんとなくは知っていた。わたしたちは男女問わずわりと仲がよかったと思う。なんだかんだブーブー文句を言う男子もいたけれど、それなりに年に一度の合唱コンクールではまとまりが見られた。応援席より選手として出場することが多かった体育祭も最後に涙を流す人が少なくないような感動的なものだった。部活動がどの部もみんながレギュラーだった。中には定員割れの所もあって苦労していた。そのせいだろうか、市の大会に出ると初戦で負けることがどうしても多かった。校内で競争心が持ちにくい環境は大きな欠点となっていたかもしれない。そして、わたしたちは全国のみんなと同じように絶賛思春期だった。甘酸っぱくて、淡くて、清々しい恋の話は楽しかった。わたしはどうしたことか当事者としてはそういうものに興味がなかったけれど、部活の後に聞くそういう話はレストランで最後に出てくるデザートを目の前にした時と似た感情になった。誰かを思う気持ちはいつの年代も、時代もとても美しいと思う。それが仮に思い通りにいかなかったとしても。学生時代にそういう瞬間がもてたということは人間として大きな財産をもつことができたのではないかと感じる。
お互いを知り尽くしたこの時のような友情はこの先には絶対にない。だから今とてもその時のことを愛おしく感じる。

空0高校進学、大学進学、就職を機会にわたしたちは会うことはほとんどなくなった。小さな田舎町では想像できないことの連続にわたしを含め日々戦っているのだと思う。確か大人になって久しぶりにみんなに再会したのは同級生の葬儀だったと思う。こんな形で再会しなければならなかったのはとても無念だった。わたしたちは若くして友人を亡くした。一緒に校庭を駆け回ったやんちゃな子が今では二児の母親となった。上京して、見上げると首が痛くなるほど上の方のビルの中でパチパチとパソコンのキーを叩きながら仕事をしている元生徒会長。農家の長男として大根やニンニク、じゃがいも、白菜、人参と丁寧に丁寧に野菜を育てている友人。東京で少しは名の通るイラストレーターになった友人(アニメのエンディングでその子の名前を見つけた)。一度は遠い土地に嫁いだけれど出戻った友人。当たり前だけれどわたしの知らないところであの時一緒に同じ黒板を見ていた同級生が様々な世界の中で生き続けている。それがとても不思議で興味深かった。

空0新婦となる彼女から来たメールの返信には「もちろん参加させてもらいます。本当におめでとう。会えること楽しみにしています。」と打った。
いつのまにかわたしたちの間に流れた年月が文面の末尾をですます調にさせていることもなんだか自然で悪くないなと思った。

 

 

 

履歴書

 

みわ はるか

 
 

住所
山の中

性別
女性

年齢
30才

略歴
山や田んぼに囲まれた田舎に生まれる。
当時は3世代で暮らしていた。
みんな忙しそうに働いていた。
保育園に入る前は兄弟や近所の幼なじみと野山を駆けずり回っていた。
ひどい擦り傷はしょっちゅうしたけれど、ガハハガハハと毎日笑っていたなぁ。
と、実はこの辺りはこの程度の記憶しかない。

地元の家から徒歩15分の保育園に入園。
同じ組の友達は13人。
男子7人、女子6人。
少数精鋭でみんな仲がよかった。
わたしが階段から落ちて左手を骨折したときみんなが心配してくれた。
ちょっとヒーローになったような気分になった。
みんなで鯉のぼりを作り、プールで水をかけ合い、スイカ割もした。
園内のお祭りのカレー作りは新鮮な体験で本当に楽しみだった。
冬はわりとたくさん雪が降るところだったので雪だるまをこれでもかという程作った。
ウェアは水浸しになった。
保育園の先生は明るくてきれいな人ばかりだった。
卒園は悲しくみんなで泣いた。
小学校も同じメンバーだというのにね。

上記のように13人そろって保育園のすぐ隣の小学校へ入学した。
少し大人になったような気がして嬉しかった。
けれど、入学して数ヵ月たったころずる休みを数日してしまった。
保育園とのギャップでなんとなく行きたくなくなってしまった。
公園でぼんやり過ごしていたがやっぱりみんなや先生に会いたくて、その後はきちんと通った。
小学校時代、そろばん、水泳、英語の習い事をした。
どれもそんなに長続きはしなかったけれどいい経験になった。
ポケモン、モーニング娘、テレビゲームにものすごくはまった。
ポケモンゲームは特に育て対戦に勝っていくスリルがよかったし、モーニング娘は全盛期のメンバーでとにかくかわいかった。
ぬいぐるみ、カード、シール、何でも集めた。
大分捨ててしまったけれどカードはまだ100枚くらい残っている。
相変わらずみんな仲良しで卒業式をみんなで迎えた。
このころからなんとなく将来こういう業界で働きたいかもと思えるものが頭の中をフワフワしていた気がする。

4つの小学校が集まって中学校に入学した。
80人くらいで2クラスに分かれた。
色んな個性の人の集まりだった。
様々な理由で人と人とがトラブルをおこす所を何回か見たし、体験もした。
人が多いのは良し悪しだなと感じていた。
新しいこともたくさん始まって、このころからか、なんだか勉強を頑張りだした。
通信教育しながら長期休暇には隣町の塾にも通いだした。
部活はテニス部に入部したけれどわたしはへっぽこだった。
でもテニスという競技は楽しかったし、部員で出た駅伝大会は団結することの達成感を味わった。
きれいな汗をみんなかいていた。
今でもテレビでテニス中継を録画して見ている。
高校受験は併願校合わせて志望校2校に絞った。
最も通いたいと思った高校は、大学のキャンパスのような校舎で自由な校風に憧れた。

念願だった第1志望の高校に入学した。
同級生が320人(8クラス)もいたので本当に驚いた。
電車や自転車を駆使して片道1時間程かけて通った。
通学は苦ではなかったが、宿題が多く、本格的に塾にも入ったのでその宿題もあった。
勉強もものすごく難しくなったけれど、特に数学はきちんと道筋をたてればきれいな解答がでたので美しいなと思った。
文理選択は理系を選び(文系に進むことを反対されてしまったため)、世界史の授業中にはこっそり塾の数学の宿題をやった。
数学や物理は好きだったがどうにも化学を好きになれず、たまたま地元のおじさんが化学の教師だったため恥ずかしい思いをした。
学校はあまりにも人が多かったので気後れして、あぁわたしは大人数って得意じゃないんだなと認識した。
図書館、文芸部、美術部には部員でもないのによく出没した。
静かな空間が心を癒してくれた。
先生はみんな一生懸命に勉強を教えてくれた。
夜遅く質問に行っても嫌な顔一つせず対応してくれた。
この時、「大人って悪くないな、いいな」と、ずっと子供がいいと感じていたわたしの考えを変えてくれた。
わたしも社会に貢献できるようなこんな「大人」になりたいと心から思った。
今でも連絡をとる数人の友人ができたことは宝である。
自由な校風が辛うじてわたしをここにいさせてくれて卒業証書をゲットすることができた。
小学校のころからなんとなくと思っていた業界に絞って受験勉強をしたため(人生で1番ガリ勉)、現役で大学に滑り込むこともできた。

家から通える、自由な校風な大学生活がスタートした。
同級生は3000人くらいであったと思う。
実際関係してくるのは数十人なのだが、キャンパスを歩けば知らない顔ばかりだった。
臆病なわたしはおどおどしながら歩いていたかもしれない。
片道1時間30分~2時間であったけれど、電車や地下鉄を乗り継ぎ通っていた。
都会に住むというのはどうも肌に合わなかったからだ。
単位を落とさないように計画的に授業選びはしたし、ボランティア団体に所属し長期休暇は東京へよく行った。
バイトも様々なこと(飲食、花屋の裏方、旅館・・・・・)を経験したが、家庭教師は卒業までずっと続けたし自分に合っていた気がする。
「お洒落」というのもなんとなく感覚的に学び、色んな都道府県から来る友人の話や価値観は興味深かった。
「お酒」というものも嗜むようになりちょっぴり大人に近づいた気になっていた。
ここでも、数人今でも連絡をとる友人ができたことは宝となった。
就職活動も人並みにし、地元に決まった。

社会人というのは思っていたより大変だった。
仕事の責任、人間関係、プライベートの過ごし方。
社会人になれば自由になれると思い描いていたけれど、ここからがまさに修行だった。
信頼できる人の話を聞き、本を読み、友人の話を聞き・・・・・・。
やっとこさっとこ社会という軸を自分の中で受け入れられる様になってきた。
不安は今でも大いにあるけれど、あまり先を考えず「今」を生きることが一番楽なのではと思っている。
居心地の良いパートナーができ初めて地元を離れた。
今、ここである。
この土地で自分ができることをして過ごしている。
 

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所有している資格
いくつか諸々

趣味
読書 文章を書くこと 散歩 温泉 サイクリング お茶を飲むこと

自己PR
居心地のいい環境で流動的に信頼できる人と過ごしていきたい。
社会に貢献できる人間でありたい。

 

 

 

30才

 

みわ はるか

 
 

今年度、とうとう30才になってしまった。
何者でもなくここまで来てしまったわたし、いいのだろうかと頭をかかえる。
「しまった、しまった」と後悔することばかりだけれどいいだろうか。
なりたかった30才になれただろうか(そもそも30才になりたかったのかどうか)。
来てしまったものを追い返すことができない今、仕方なく受け入れる。
町のアンケートの年齢記入欄に、そっと(30代~)の部分に小さく丸をつけた。
ふっーと大きなため息がもれた。

先日、自動車免許証の更新に行った。
かくかくしかじかあって、18才で免許をとって以来初めてのゴールドカードだ。
ゴールドカードになると次の更新まで5年あるという。
身分証明書としてよく使われる免許証、そこに写っている自分の顔・・・・・・・、長い付き合いになるということ。
これは大変と、まだ毛布にくるまっていたいと思わせるような寒い朝、いつもより早く起床した。
念入りに化粧水を塗って乳液も細部まで慎重に。
軽くドライヤーで髪に空気を入れ、ヘアアイロンで髪先まで丁寧に整える。
朝食はいつも通りバナナ、ヨーグルト、チーズと済ませる。
温かいほうじ茶を流し込みお腹を満たす。
これでもかと降り続ける雨をげんなり見つつ、化粧を始める。
昨日のニュースをテレビで確認しつつ、念入りにアイブローをひいた。
最近おろそかにしがちなチークや口紅もさらっと馴染むようにつける。
5年間付き合える顔になんとかなったかなぁと、何度も鏡の中の自分を食い入るように見つめる。
朝一の講習のためあっという間に家を出る時間となった。
上だけスーツに着替え、下は暖かいパンツスタイル。
上着を着るので大丈夫、上着を脱ぐのは写真撮るときだけと自分を納得させ家を出る。
さっきよりひどくなっている雨には舌打ちしたい気分になった。

10分前に会場に着いたのにもう人でいっぱいだった。
急いで手続きを済ませる。
コンタクトを代えたばかりというのもあり目の検査はばっちりだ。
そしていよいよ写真撮影。
急いで上着を脱いで上だけスーツスタイルになる。
撮影者や後に並んでいる人たちの「早くしてくれ」という心の声にも負けず、鏡の前で最終セットにかかる。
うん、悪くない、いいのではないかとうなずき、さっと撮影カメラの前に腰を下ろす。
一瞬だった。
「はい、次の人~」
まるで回転ずしのようにその場を離れ次の講義室へと誘導された。
ありがたいお話を30分聞き、講習は無事に終わった。
そしていよいよ、これから5年間もお世話になる新しい免許証の交付が始まった。
20番だったのでドキドキしつつも身支度を済ませてお行儀よく待っていた。
20番といってもここでも回転ずしの様にスピーディーな対応だったため、あっという間にわたしの手にはNEW免許証が収まっていた。
・・・・・・・・・・・・、可もなく不可もなくといったところだろうか。
あえていうなら、口紅をひいておいてよかったな、少しは映えたなという感じ。
死んだ魚のような顔をしていた前の免許証からしたらずっといいなと自分を納得させた。
次の免許証更新日を見た。
ふぅー、その時はもう35才かぁ。
どんな人生をおくっているんだろう。
考えたらなんだかぞっとした。
首を大きく左右に振って今は考えないことにした。
外に出ると雨はあがっていて、危うく傘を持ち帰るのを忘れるところだった。
大きな水溜まりが至る所にできていた。

元々ある貧血がひどくなった(寝込むことも増えた)。
離れて暮らす兄弟にこちらで有名な肉のステーキ(わたしは食べたことない)を送った。
ゴミの分別が心底めんどくさいと思い始めた。
SNSで地元に残っている知り合いや友人のアカウントをかかさず見るようになった。
新しく接する人と関係を築くのが億劫になった。
犬を今まで以上に愛でるようになった。
遊園地にある廻るブランコに10回ぐらい乗りたい。
城崎温泉、尾道、房総半島、しまなみ海道へ行ってみたい。
誰かに必要とされたい。
ちゃんとした「何者」かになりたい。

あぁ、30才、きれいな数字だ。

 

 

 

雑貨店

 

みわ はるか

 
 

小さな田舎町の雑貨店が静かに終わりを迎えた。
肌つやのいいおばさんが切り盛りしていた雑貨店。
文房具、生活用品、園芸用品、ちょっとした洋服、靴。
けっしてお洒落ではないけれど必需品はなんでもそろった。
自動ドアは常に開けっ放しになっていたけれど、中に入るとふわりといい香りがした

その町のメインストリートと言っては仰々しいのだが、必要最低限のものは確かにそこにはあった。
八百屋、郵便局、支所、農協、車屋、診療所、図書館、そして雑貨店。
みんなのんびり生きていた、ニコニコと優しかった。
道は細く車がすれちがうのがやっとなようなところ。
コンクリートはきちんと舗装されていなくてゴツゴツ。
自販機は錆びれていたし(中の飲料は大丈夫)、赤いはずのポストは色が剥げていた。
支所の職員(小学生時代の同級生のお父さん)は暇だったのかよく外で日向ぼっこしてたような。
透きとおった青い空の中をふわふわした雲がゆっくりと泳いでいた。
そんな町が小さい頃は当たり前にあったし、ずっと続くんだと疑いもしなかった。

「練り消し」という消しゴムが小学生の時ものすごく流行った。
もともとがやわらかい素材でできていて、もちろん鉛筆で書いた所なら消すことができる。
その消しカスを集めて丸めてもう一度使うのだ。
消した後のカスだから黒くて汚かったけれど、それがなぜかものすごく人気だったのだ。
もちろんわたしもお小遣いをもらってその雑貨屋に買いに行った。
オレンジ、グレープ、レモン………。
色んな香りがあってわくわくしながら選んだ。
しばらくは使わずに鼻をぎりぎりまで近づけて香りを楽しんでいた。
食べてしまいたいようなその練り消しは、消し具合はものすごく悪かったのだけども。

中学生に進級するにあたり制服の採寸をしてもらった。
自宅が2階にあるせいか、おばさんはいつもエプロンをしていた。
三日月のような目をした笑顔が素敵な小柄なおばさん。
「まあ、背が高くてすらっとして羨ましいわぁ」
そんな単純なお世辞のような言葉にわたしは浮かれていた。
初めて袖をとおした2本線の入った黒いセーラー服を着た自分は大人びて見えた。
全身鏡を持ってきてもらって上から下まで見るとなんだか恥ずかしかった。
手際よく必要なものを採寸してもらいあとは納品を待つだけとなった。
レジの金額を見たとき結構高いんだなぁと驚いた。
大切に着よう。
帰り際、あの練り消しが陳列されていた棚はロケット消しゴムとやらに変わっているのを発見した。
ロケット鉛筆の消しゴムバージョンらしく、一番上の部分がなくなったら下から押して次の消しゴムを使うらしい。
いくら探してもあの「練り消し」はどうしても見つけられなかった。
その1週間後、わたしはこの町の小学校を卒業した。
中学校は隣町だったためバス通学になった。
あの雑貨店にはそれ以来行くことはなくなった。
おばさんと会うこともなかった。

嬉しいことにそのおばさんは今でもとても元気にあの場所に住み続けていると聞いている。
雑貨店はなくなってしまったけれど、あの瞬間あの場所に存在していたという事実は変わらない。
それはわたしや友人の記憶の中にも刻まれているはずだ。
そしてこれからも忘れることはない。

 

 

 

謹賀新年2021

 

みわ はるか

 
 

今年も赤いチェックの半纏をクローゼットから出した。
肩にかけるだけでも温かい。
今年はよく雪が降る。
空もどんよりで暗い。
将来は暖かい所に住みたいと小さいころから思っていたけれどそれに拍車をかける。
そうでなくても未曽有の2020年だった。
明日が必ず今日のように来るとは限らないということを思い出させてくれる。
色んな人の人生が変わった。
そして、これからもきっといつもより早い速さで変わっていくのだろうと思う。

年末、不燃物のごみ袋、可燃物のごみ袋がベランダにたくさん並んだ。
使い古したキッチン用品、着なくなった洋服、不要になった書物・・・・・。
すっかりこぎれいになった部屋を見渡すとすっきりした気分になった。
ごみを収集場である場所まで運ぶとすでにたくさんのごみ袋で埋まっていた。
みんな同じだなぁとなんだか嬉しくなった。
普段顔を合わすこともない、隣に誰が住んでるか分からない集合住宅でも、ここでは間接的にみんなきちんと生きていることが分かる。
年末にきれいに部屋を整え、元日を清い心で迎える。
明るい未来を信じて。

今年は何十年かぶりに「おせち」というものをお店に頼んだ。
わたしの2020年最後のミッションは大寒波が来ると言われる31日に歩いて30分程のお店からおせちを持って帰ってくること。
この文章が載るころにはそんなおせちを食べているのかな。
小さい頃は何事にもきちんとしていた祖母が1つ1つ手作りで何日も前から作っていた。
黒豆、かずのこ、だし巻き卵、煮物・・・・・・。
お正月が過ぎても残っているそれらを見てぶつぶつ文句も言っていたけれど。
そんな思い出も今では大分忘れてしまった。
自分の人生が大分進んだということなのだろうか。
それならばこれからどんな日々を紡いでいこうか。
悩んだところで答えは出ない。
「今」を生きてみようと思う。

みなさんにとって良い1年になりますように。

 

 

 

口紅

 

みわ はるか

 
 

三十歳を目前に、わたしは口紅を一つゴミ箱に捨てた。誰もが知るブランドメーカーのもので少し幼さが残る淡いピンク色。まだ半分以上使える状態で残っていた。それは大学時代の友人が三年前のわたしの誕生日に贈ってくれたもの。その友人は律儀で毎年プレゼントを渡してくれる。尋ねたことはないけれどそれはなぜか必ず有名化粧品メーカーの口紅だった。まだ開けていない封の上から覗くと一年ごとに異なる色のようだ。毎日使っていてももったいなくて中々消費できずにいた。もう三本程の頂き物のそれが化粧ポーチの中を陣取っている。ただ、たくさんあったから処分しようと思ったのではない。数ヵ月前から頭の中でぐるぐると考えていた結果、自分に対するけじめとして捨てたのだ。

小学生時代、教室には木でできた机と椅子がきれいに同じ間隔で人数分並べられていた。
特に入学したての小学一年生の時には机にも椅子にも自分の名前が平仮名で大きく書かれていた。自分の存在するべき場所がきちんと用意されていた。当然のようにそこに座り、何回かの席替えを経験してもその場所がなくなることはなかった。みんな当たり前のようにそれを使っていたし、座高が合わなくなったりねじが壊れてしまった時には先生にその窮状を訴えれば無条件で交換してくれた。それは中学生の時もほぼ同じで相変わらず自分のポジションが必ず教室の中にはあって、それが普通だと思い込んでいた。教室という組織の中で自分が存在する小さな小さな城に毎日君臨していたのだ。それは音楽室や美術室、家庭科室等といった移動教室でも同じだった。大きな机に椅子がそれぞれ四脚ずつだっただろうか、班ごとに座る。なんとなく一人一人の定位置ができていて、インフルエンザのように長期間休む人が出ても必ず同じ位置が空席になっていた。体育の授業でも似たような感覚になる。机や椅子という物理的なものはないにせよ、背の順、あいうえお順、男女別々の順、その時々によって体操座りしたり前ならえの格好をしたり。そこには規則正しい配列があって自分の整列する位置があった。それは運動場だろうが体育館だろうがプールサイドだろうが同じことが言えた。十五歳までの学生生活には無条件にわたしを迎い入れてくれるる器がそこにはあった。そういう安心感みたいな感情があったのと同時に、どこか窮屈なそこにいなければいけないという切迫感のようなものも感じていたような気がする。

少し状況が変わったのは高校生になったころだ。わたしの入学した高校は同じ学区内では校風が最も自由と言われていた所だった。当時としては珍しく授業以外での携帯電話の使用は自由に認められていたし、冬に着るカーディガンの色も特段指定はなかった。教室の席は決まっていたものの、能力別で割り振られた特別授業や土曜日に希望者だけが受講するセミナーはどこに座っても何も言われなかった。その瞬間、私の中で初めての感情が生まれた。後ろから見られる目線が気になるなら一番後ろに座ればいい、眼鏡を忘れた日には前列中央を選べばいい、暑い夏は涼しい風が心地よく入ってくる窓際にしよう。どこに座ったって何も言われない、干渉されない。それがとても心地よかった。

大学生になるとそれはますます加速した。
まず個人の席という概念がない。一年生の時には全学部共通科目があり大きな講堂で何十人、授業によっては何百人という規模で講義があった。遅刻してこっそり空いている席に座っても、こっくり居眠りしていても、なんとなくさぼってしまっても誰も何も言わなかった。学年が進んで専門科目が始まった。さすがに人数は少人数制になりはしたがそこでも自分の席というものは存在しなかった。卒業という目的を達成するには授業に出て単位を取る必要はあったが、そこに出席するかしないかは自分自身に託された。単位が取れたなと確信したつまらない授業には顔を出さなくなった。その分、芝生の上でぼーっとしたり目的もなく街をさまよったりする時間に当てていた。当時その特定な場所がないということをこの上なく素晴らしいものだとわたしは疑いもしていなかったと思う。

そしてわたしは晴れて社会人となった。自分のデスクこそあったがぼーっとしていたらあっという間になくなるような幻のデスクだった。自分から学ぶ姿勢をもって能動的にならなければなかった。あっという間に後輩が入ってきてせかされた。毎日毎日一生懸命走り続けた。朝職場に行って自分の席があることに心からほっとした。消えてなくなっているのではないかとたびたび冷や汗をぬぐった。右も左も分からない入職したてのころの方がよかったとさえ感じてしまう時が増えた。平気で八段の跳び箱を跳んでいた怖いもの知らずの昔の自分のように。そんな時わたしの姿をたたえ褒めてくれた上司がいた、わたしを見ていると自分も頑張ろうと思うよと伝えてくれた同期がいた、先輩がいてくれて心強いですとこっそり教えてくれた後輩がいた。何物でもない何かに怯えていた自分が急に馬鹿馬鹿しくなった。居場所は真摯に物事に向き合っていればきちんと用意されるものなんだろうなと。どうもがいても上手くいかなくて幻の机が消えてしまってもそれはそれでいいじゃないか、その時またそこから可能性を掘り出していけばいいじゃないかと。

気持ちよく朝を迎えられるようになった。
ドキドキしていた鼓動はゆっくりと規則正しく聞こえてくる。まだまだゴールが何なのかいまいち分からない人生がこれからも確実に続いていく。毎年一つずつ年を重ねながら長い長い道のりが。今まで色んな居場所を見て様々な感情を抱いてきたけれど、これからは自分の納得できる居場所を探し続けていこうと思う。自分を進化させながらその時々にあった居場所を。

淡いピンクの口紅を捨てた日、新しい口紅の包装を丁寧に破った。クルクルとケースの下側を左手で回す。そっと顔を出したそれは少しくすんだちょっぴりラメの入った美しい赤色だった。デパコスで背筋のいいきれいなお姉さんがつけているような色合い。自分には恐れ多くて一生手に取ることのない物だとずっと思っていた。いつもより鏡に顔を近づけてそっとそれの先を唇に走らせた。なりたい大人に少しだけ近づけた気がした。