橋上女

 

佐々木 眞

 
 

見ろよ イズミ橋の橋の上
今日も佇む 橋上女
降っても 照っても
一日に 何度も 何度も
近所の石橋の上に 佇んで
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

歳の頃なら 五十 六十
身につけているのは 垢で汚れた紅色のダウン
水色のウールのパジャマの 上下をまとい
もっともらしく 両腕を 組んで
足には 黄色いサンダル 履いて
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

それとなく 近寄って 眼鏡の下の 薄汚れた顔を 見れば
小さな 両の目玉は 灰色に濁って
さながら M.ジャクソンンの「スリラー」に出てくる ゾンビのよう
これでは どこを 眺めても 何も見えないだろう
ところが そうではなかった
彼女は 恐ろしい真実を 見据えていたのだ
ギリシア神話に出てくる カサンドラのように

私はその時、むかしアメリカで撮影した たくさんの写真を持っていた
すると 橋上女は 私を 呼びとめて
「その写真を 見せて おくれな」というた
それで 私が 写真を渡すと 彼女は 物珍しそうに見つめていたが
「ほら この写真を じっと見ていて ご覧な」というた
1968年、78年、88年、98年に NYの ブルックリン橋を
私がおなじ場所、おなじ角度で撮った 4枚のカラー写真だ

橋上女が 橋の上で 1968年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1978年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1988年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

続けて「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1998年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

私は、橋上女から取り戻した 4枚の写真を 矯めつ眇めつ 何度も何度も見つめたが
そのどこにも ブルックリン橋は映っていない。同じような どろりとした茶色の印画紙が 掌から突き出た 4枚のトランプのように 並んでいるだけだ

この時遅く かの時早く 私は気が付いた
1968年と 1978年と 1988年と 1998年に撮影された写真は なぜか見つめられると 粒子が荒れて 映像がとろけ出し 膨れ上がって 土の色に戻ることを

西暦の末尾に8が付く写真は 10年毎に見つめられると ピンボケになってしまうのだ
それはあたかも 大きな栗の木を 輪切りにした時 その年輪が 10年ごとに膨れ上がっているような ものなのだ

ユーレカ! ユーレカ! これぞ世紀の大発見 ではないか!
手の舞い 足の踏むところを 知らなくなった 私は
かの 橋上女に その 驚きを伝えようとしたが 彼女の姿は どこにもない

橋上女 ことカサンドラは いつのまにやら 姿を消した
さらば さらば 謎の女 カサンドラよ!
お前の 灰色に濁った 両の眼は 誰にも見えない 真実を見ていた

 

 

 

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