薦田 愛
ばっこばっこ
はは、ばっこ。
跋扈する母、闊歩
いっぽ、独歩、
どの
いや
そっぽをむいて
わたし。
長く暮らした東京をはなれ
戻らないと言っていた土地へ戻ったひと
はは
母という
ばっこばっこ
はは ばっこ
その母
蠢動する
うごめくはる
はなれて一年の東京にあらわれた
という噂
「ママとご飯食べたわよ」
ばっこばっこ
はは ばっこ
つきひは一年を
さかのぼる
五月
しらっとして
朝
五月だった
書き置き四行のこし
いなくなった
スッと
ひとひとり
母というひと
紙の上にある文字の主の
部屋から小型キャリーと携帯と充電地が消えていた
ととのえる音だったろうか
聞こえていた
深夜
聞こえるとおもいながら眠りにおちた
ふすま一枚向こうを去っていた
ひとひとり
母という
みひらく目の先の
がらんどう
声のない
翌朝はたらきに出て
夜もどる
しらっとがらんと
閉めきった窓のうち雨の匂い
さがすねがいをだすなら要るかと
プリントアウトしたひとつき前の
旅先で機嫌よくわらった顔
雨だから今夜はよそう
るると鳴ったか
じじとだったか
電話
母というひとの弟すなわち叔父の声
とおい
とおいときいたのはなぜだったか
さぬき言葉だったからか
「お母さん来とるよ。明日帰るから、東京に」
「ここに来るしかないってわかっとるやろ」
なぜ
なぜわかるとおもう
ひとひとりのことを
わかるなどとなぜ
そして
書き置きのこしてなぜ明日
東京に
えっと言ったかああと言ったか
ため息は出たのだったか
メールは
帰るという日の午後
三行だったか四行だったか
叔父すなわちそのひとの弟の
敷いたレールの上を
空白*改めてみると二行
空白空0簡略いなカジュアルな口ぶりで
ばっこばっこ
母ばっこ
八十二歳の母、跋扈
年初の小倉行きの切符は揃えたが
ふるさとさぬきくらい
おちゃのこさいさい
「優しくしてあげてや」
と電話の叔父
なにを言えば
どう話せばいいのか
もうわからないのだった
帰ってくるというひとに
むけよと言われる
笑顔がつくれないのだった
ごっこ
ごっこだったのか
ずっと仲のいい親子に
見えたろう思われたろう
思っていた
うっかり
水をむければ応えるひとを
もてなすのが習いになっていた
おんぶにだっこ
あんたにわるい
言われれば打ち消す
くりかえしだった
あとで悔いる話をよそできくので
もてなしたのだろうか
せっせと
背中合わせの気むずかしさ
いらだつと籠もって
くちをきかずにいる
かたくながひとのかたちになった
朝こじれて夜帰ると
席をたった食卓が
そのまま
冷めきって
そっぽむきたい
むいてもいいと
気づかなかった
ずっと
兄弟姉妹なく父なくなり
「仲よく」「大事に」と
言われた日から三十六年
あかるみにでてしまえばもう
つつみ隠すことは難しい
べつべつのひとひとりずつと申し立て
剥がしてきたうえでなお
うかがっていた
もっとそっと
なだらかに切り分けるナイフを
もたなかった
それでも
三人で暮らそうと
春先の旅も一緒だった
彼が駆けつけ
待った
しらっと
夕方だった
帰ってきた
母のくちから
別に暮らす話
ふるえる声
もの言えぬわたしに代わり
「それがいいです」と
きっぱり
彼
スープのさめない距離と
叔父叔母に言われ
うなずいて帰ったけれど
こわばった顔に
あきらめたらしかった
ばっこばっこ
はは
母というひと
来たレールをまた
ははばっこ
戻らないと言っていた
さぬきに住まいを探しに
ばっこ
ひとつ屋根の
というより
ひとつ扉のなかにはもう
居たたまれず
やっと
逃れ
彼のもとへ
弟や姪やいとこ総出で
助けてくれると逐一メール
あった
いい部屋があったと機嫌よくしていた
ひとへ
年来の痛手うっせきを列挙した
ながくながくながいメールを送った
ややあって返信また返信
わび言のち反論
また反論つきぬ反論
メールボックスにあふれる
母というひとの名と言葉
日に夜に決壊するかんじょうのなみ
ひたすらやりすごす
泣きながら荷物を整理していると繰り言
メールにコールの果て
その月の末、ふるさとへ
母というひと
ばっこ
かくて別居のはじまり
なれど打ち寄せつづけるメールコールのなみあらく
ついに着拒もはや着拒
怒濤くだけるみぎわをいっさんにはなれ
わたし
圏外へ
あつささむさの日月ひとめぐり
ものの噂
ばっこばっこ
ははばっこ
うごめく
母という
ひと
東京へ
(わたしのいない)
重ねて齢八十三の
ばっこばっこ
ははは
ばっこばっこ
ははばっこ
はるか
ははという
ひと
はるか
圏外へ
はは、ばっこ 溶闇の人 戦中派 かっこつけても 親子は親子