塔の上のおじいさん

 

村岡由梨

 
 

家族で小さな小さな会社を経営している。
訪問介護の会社だ。
昨年母から代表の立場を引き継いだものの、
「代表」とは名ばかりで
実態は経理全般と事務担当だ。
私がこの世で一番関わりたくないもの「お金」の責任者。
もちろんヘルパー業務もする。

このところ日が落ちるのが早くて、辺りはもう真っ暗だった。
冷たい風を裂くように自転車を走らせて、
その日、私は母の現場仕事に同行していた。
初めて行く御宅だった。

着いたのは、まるでおばけやしきのような古いアパート。
母にくっついて、
向かって右側の古くて狭い階段をカンカン昇っていく。
恐る恐る手すりの隙間から向こう側の景色を見たら、
街がべっこう飴みたいに てらてら光っていた。

母が部屋のインターフォンを押すと
ドアが開いて、おじいさんが床を這って出て来た。

不思議な部屋だった。
家具も照明器具も見当たらない。
ガランとした部屋が、月光に青白く照らされていた。
床は腐っているのか、湿って傾いていた。

殺風景な部屋に、古いケージが一つあって、
中には赤茶色の鶏が一羽と
スズメのような鳥が一羽。
傍に、肌色の温かい卵が一つ落ちていた。

母は、その卵を拾って台所へ行くと
コンコンと割って、黄身と白身に分けた。
黄身が入った殻と、真っ白なショートケーキをお皿に載せて、
おじいさんの傍にそっと置いた。
おじいさんは布団も敷かずに、
まっすぐ横になっていた。

私は床にゴロンと寝転がった。
すると、母も私の隣に横になって
二人で夜空を眺めた。
流れ星が五つ。
私が「きれいだね」と言うと、
北海道生まれの母は
「私の小さな頃はこんなもんじゃないわよ」
と言った。

帰り道、ふと自分の手のひらを見たら、
おじいさんのうんこがベッタリ付いていた。
母の手のひらにも付いていた。
私たちは、おじいさんのうんこを
お互いにベタベタ付け合いながら
声をあげて笑った。

「ただいま!」
家に帰ると、娘たちが
ディズニープリンセスの顔パネルを作って遊んでいた。

「すごい御宅だったよ。
塔の上のラプンツェルみたいなお家だった!
今から詩に書くから! そしたら読んでね、野々歩さん」
 

そう言ったところで、目が覚めた。
 

母と寝転んで流れ星を見たことが一気に遠ざかって
急に悲しみと寂しさが込み上げてきた。
 

受験生のねむの期末テストが近いこと、
少し眠るから、1時間経ったら起こしてね
と言われたことを思い出した。寝過ごしてしまった。
ねむの憂鬱と切羽詰まった気持ちを思うと
遣る瀬ない気持ちになった。
中学校にほとんど行かず、
高校も3日で辞めた私のアドバイスなんて
クソの役にも立たないのだ。

「内申点に響く」「人生に関わる」って言って
狭い世界は子どもたちを追い詰めるけれど

そんな必死にならないで
太陽が優しい時 一緒に原っぱに寝転がって
うんと伸びをして
好きな絵を描いて過ごす
そんな風に生きていくわけにはいかないのかな。
そんな生き方を許容出来る世界ではないのかな。
やっぱり「お金」を稼がないと、生きていけないのかな。

考え込む私の横で、
猫が大きなあくびを一つして
丸くなって眠っていた。

 

 

 

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