村岡由梨

 
 

私は私が大嫌い。
暗闇で、鏡に映った自分を見る。
私って、こんな顔だっけ。
他人から見た自分を想像する。
たまらなくなって、鏡を拳で叩き壊す。
手に破片が刺さって、真っ赤に流血する。

私は私が大嫌い。
年をとるごとに、顔の肉はたるみ、体には余分な脂肪がついていく。
その上、狡くて思いやりのない人間になってしまった。
私って、こんなに嫌な人間だっけ。

先日、大好きなあの人とZoomで久しぶりに話をした。
Zoomの画面には、
格好をつけて足を組んだり、
後ろの壁にもたれたりする私の姿が映っていて、
品性の欠片もない、見るに耐えない代物だった。
どう映ればいいのかわからなかった。
私が話していることは薄っぺらで、
時折訪れる沈黙も耐え難い。
お互い顔が見えているのに、相手がとても遠くにいるみたいだった。
どうしても距離が埋まらない。
私は、以前の私ではなくなっていた。
あの人も、以前のあの人ではなくなっていた。
私は私が、大嫌い。
Zoomで話すことで、本当の友達がいない自分の孤独を知った。
本当の友達がいないのは、自分のせいだってことも。

二十歳くらいの頃、私が私を殺しに来たことがあった。
夜、「青空の部屋」で眠っていたら、急に身動きが取れなくなり
顔のすぐ近くに生臭い息遣いを感じた。
真っ赤な口紅を塗った女の口が、あった。私だった。
部屋の壁面にはポッカリと黒くて丸い空間が出来ていて、
青いネクタイをした黒いスーツ姿の3人の男たちがヒソヒソ話をしていた。
3人の青い男に分裂した、私だった。
赤い口紅の女が、私を殺しに来たのは明らかだったけれど、
少しも怖くなかった。
赤い女の息遣いに自分の下半身が熱く膨張して弾けて、
最高に気持ちが良くて気持ちが悪くて吐き気がした。
けれど、長い間自分がこうなることを望んでいたことも、知っていた。

収まらない苛立ちが、私を不安にさせる。
クリニックへ行く途中の電車の中で、今、
あなたときつく抱きしめ合うことが出来たなら、
どんなに心が楽になるだろう。
でもいつか私は、あなたの大切な人を階段の上から突き落とすかもしれないよ。
そうしたら私の人生は、ぐちゃぐちゃになる。
私の周りの人の人生も、ぐちゃぐちゃになる。

診察室のドアを出て、
これから一週間どう生きればいいのかわからないから、
先生のイスの後ろにある小さな窓から逃げようとしたけれど、
一発の銃弾が私の頭を貫いて、頭蓋骨がバラバラに壊れてしまった。
猫の遺骨を口に含んだ時みたいに、
私の命も、パリンパリンと簡単に砕けて、味がしないみたいだ。

床に静かに広がっている鮮やかな赤い血をぼんやり見ながら、
私は娘の言葉を思い出していた。
「おばあちゃんに、『ねむのおでこの生え際はママそっくりね』って言われたから、私、自分の生え際が好きなんだよ」

銃の引き金を引いたのは、もう一人の私。
鏡の中にあった私の顔は、
こっぱみじんになって無くなった。

でも、これでよかったんだ。
鏡の中の顔が泣いていたことを、
最早、知る術もない。

ただ、薄れゆく意識の中で、
もう何もかもどうにもならないっていうこと
それが無性に悲しかった。

 

 

 

しじみのカケラ

 

村岡由梨

 
 

今春小学校を卒業した花の荷物を整理していたら、
彼女が昨年書いた作文を見つけた。

 

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「しじみ」

しじみは四月の終わりごろに死んでしまいました。
しじみは一昨年の十二月に、家の近所でニャオニャオ鳴いているところを拾った猫です。
たった一年とちょっとの少しの間しか、一緒にいれなかったけれども、しじみは私たち家族にとって、とても大切な存在になりました。

しじみは、出会ったときはボロボロで、皆最初は野良だと思っていましたが、そうとは思えないくらいおっちょこちょいで可愛らしい猫でした。それにとてもおとなしく、白い足袋(足袋をはいているように足だけ白い)や白い胸毛、かぎしっぽがチャームポイントです。

しじみの名前の由来は、母の好きな小説、「クレヨン王国の赤とんぼ」にでてくる死なないトンボ「ふじみ」を少し変えて「しじみ」という名前になりました。母は昔、白文鳥と桜文鳥、ラブラドールレトリーバーの三匹のペットを亡くし、死なないでほしい、という願いからつけられた名前だそうです。

けれどしじみは出会う前から心臓に腫瘍があり、動物病院のお医者さんからもあまり長くない、明日死んでもおかしくない、と言われていました。

明日死んでしまってもおかしくない毎日を一年以上も頑張ってくれていました。私は、しじみの写真をたくさんとりました。死んでしまったとき思い出せなくなったりしないようにです。

今年の四月ごろ、しじみがあきらかに、具合が悪くなっていきました。
死んでしまう一日前、しじみはめずらしく私にすりよってきてくれました。もしかしたらこの時以外、しじみからすりよってきてくれたことはなかったかもしれません。しじみはカタカタふるえていました。きてくれたことに喜びもありましたが、ふるえていることがとても心配でした。この時とった動画が、しじみが生きているとき最後の動画になりました。

しじみはさらに容体が悪くなってきたため、その日に夜間にやっている大きな動物病院へいきました。
翌日の早朝、父が冷たくなったしじみをつれて帰ってきました。
しじみは片方の肺が腫瘍でうめつくされていたらしく、常に高山にいるような状態だったそうです。

父は声を出してずっと泣いていました。私が初めてみるくらい泣いていました。私は、最初意外と落ちついているなと思いましたが、寝ているようでぴくりともしないしじみを見て、もう一生帰ってこないんだ、と急に悲しくなってきて、泣きました。

私たちは、しじみを保冷ざいで囲み、バスケットに入れ、生花でしじみをうめました。私と姉は、小さく可愛らしいマーガレットのような花で花かんむりを作り、しじみにかぶせました。そして写真をとったり、肉球に朱肉をおしあて、いろんなものに肉球はんこをおしたり、ブラッシングして毛をとったりしました。

しじみが死んで、約四ヶ月。いつも形に残すことの重要さがとても身にしみます。
今、私の家には三匹猫がいます。全員一才のメスです。皆保護猫カフェで私たちが選んだ猫たちで、とても甘えん坊です。

この子たちには、しじみの何倍も元気に生きて、どんどん甘えてほしいです。そしてこの子たちが死ぬまで、たくさん思い出を形に残していきたいです。
 
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グレーキジのナナ。
キジ白のサクラ。
キジトラのクルミ。

今年で2歳、元気盛りの3匹の
どんな姿も仕草もかわいくて、
一日に何度も写真や動画を撮る。
よく撮れると人に見せたくなって、
インスタグラムやフェイスブックにアップする。
すると、「いいね!」がつく。
こんな時、しじみが遠くなる。
私は、自分が、配慮に欠けたひどく薄情な人間に思えてしまう。

そんな風に慌ただしい日常に飲み込まれて、
かわいかったしじみの記憶が薄れていくのが
ただただ、悲しい。

そんな時、花のこの作文を読んで、タイピングしながら、
胸の奥からこみ上げてくる涙を抑えることが出来なかった。

少量のご飯を一生懸命に食べていたしじみ。
食事の後、陽のあたる部屋の片隅で、
気持ち良さそうにグルーミングしていたしじみ。
時々私の撮影部屋にそっとやってきて
広げたダンボールの上で日なたぼっこしていたしじみ。

しじみ しじみ しじみ
忘れない
忘れたくない
忘れられない

しじみのようなちっぽけな猫が
生きようが死のうが
この世界はビクともしない。
何事も無かったかのように、事は進んでいくだろう。

けれど、時には時間を止めて。
確かに、しじみはここで生きていた。
間違いなくこの世界の一部だった。
そして花も私も、その一部なんだろう。

世界はそんなちっぽけなカケラが集まって出来ている。
猫とかヒトとか関係ない。
どのカケラも、世界は平等に愛するべきで
どのカケラが欠けても、悲しく虚しい。
欠けたカケラの空白に
ぴったり収まるようなカケラは存在しない。
空白は空白のまま。

そんな不完全で不器用な世界に、
私たちは生きているんだね。
たくさんの空白を抱えたまま、
今日も生きていかなければならないんだね。

そんな悲壮な決意をいだいて
私たち家族は、
しじみの空白を胸に抱き
今日も生きた形を残していく。

 
 

しじみへ

あの時
私のベッドで
痩せた体を横たえて
苦しそうに呼吸をしながら
遠くを見ていたしじみ。
一体何を見て何を考えていたの。
部屋の灯りが両眼に反射して、とてもきれいだった。
今どこにいるの。
もう一度しじみに触れたいよ。

 

 

 

透明な棺

 

村岡由梨

 
 

夥しい数の透明な棺が
一定の間隔をおいて
並んでいるのを見た。

白い人もいる。
黒い人もいる。
黄色い人もいる。
知っている人も知らない人もいる。

これから土葬されるのか
火葬されるのか。
泣いても叫んでも
愛しているのに触れることも出来ず、
物事は粛々と進められていく。
遺された人たちを置き去りにしたまま。

「母を燃やさないで。
まだ生きているかもしれないから」
母は極度の閉所恐怖症で、
死んでもなお、
狭いカマドに入るのを怖がるだろう。
私は激しく泣くだろう。

「私を娘たちと一緒に燃やしてください」
手を握ってやることも許されず、
私は娘たちの棺にしがみついて離れないだろう。
そして泣き叫ぶだろう。

世界中の人々が、
たくさんの残酷を目の当たりにして
深く傷ついた両眼から、血の涙を流している。
私たちが見ている世界は、
瞬く間に真っ赤に染まってしまった。

それでも、誰かが知らない人のために流す涙が本物ならば、
いつかきっと、世界は涙で洗い流され、
ありのままの色を取り戻すだろう。

そうしたら私は、
ありのままの世界で、
「砂利道を歩くのが好き」と言う娘たちと
手をつないで、笑って笑ってヘトヘトになるまで歩きたい。
猫たちが一生懸命ご飯を食べているのを見るのが好きだから、
何にも遠慮することなく、ずっとずっと見ていたい。

69歳のまりさんが、
「毎日食べることと排泄することばかり考えてて
こんなんで生きてていいのかしら」と嘆いたら、
84歳の詩人は
「生きるってそういうことなんじゃないの」
と言っていた。
私は、「また来ます」と言って、
いつも通り詩人と握手をして、帰った。

握手、をして帰った。
生きるってそういうことなんじゃないの。

 

ニュースで
夥しい数の木製の茶色い棺が
一定の間隔をおいて並んでいる
航空写真を見た。

その木製の茶色の棺に誰が入っているのか、
私には、見えなかった。
だから想像した。
私の肌と、その人の肌が触れ合うことが出来たなら
その瞬間の温かさを。

 

 

 

昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか(✳︎)

 

村岡由梨

 
 

1. 花

 

おでこのニキビがなかなか治らない。
何だか最近お腹も痛くてユーウツだ。

授業中、先生から出された課題を静かに終わらせて、
自分の席で絵でも描こうかと
自由帳を出したりしまったりして終業のベルを待つ。
教室の後ろには、習字で書いた「あけび」という文字が
退屈そうに並んでる。
窓際の壁に目を向けると、
「教育目標
考える子 思いやりのある子 元気な子」
って貼ってある。
私は6年間そうなれるように頑張った。
子供は大人の言うことを聞かなきゃならないものだと思っていたから。
誰からも疎ましがられたり嫌われたりしたくなかった。
私のせいで、誰かを落胆させたりしたくなかった。

大人はもっと世界に目を向けろというけれど、
私にとって
このイビツな教室が世界の全てだった。
学校は、大き過ぎて手に負えない宇宙みたいだった。
その宇宙の中で、私は
友達と笑っている時もそうでない時も
ひとりぼっちだった。孤独だった。
いつも聞き手に徹して、
「聞き上手だね」なんて言われて、また笑って。
苦しかった。
もっと私の話も聞いて欲しかった。

「考える子 思いやりのある子 元気な子」
になんて、本当はなりたくない。
これ以上、私に何かを押し付けないで。
私は私自身のために、考えて苦しんで生きてみたいんだ。

青春がキラキラしているなんて、誰が決めたの?
大人たちの疲れた顔を見るのは、もううんざりです。
自分たちは世界に絶望しているのに、
どうして未来に希望を持てなんて言うの?

私の中で、真っ赤な炎が激しく燃え始めている。

もう、誰からも束縛されたくない。
傍に猫さえいればいい。
私は、もうすぐランドセルをおろして自由になる。

私がなりたい私になるには、
まだ時間がかかりそうだけど

さよなら、ランドセル。
さようなら、世界。

 
 

2. 眠

 

春から行く高校の制服の採寸をしに、
ねむを連れて豪徳寺の店まで行った。

真っ白なセーラー服に、黒くて柔らかいリボンを付けて、
不機嫌そうな顔で試着室から出てきたねむ。
その姿を見て、私は泣きそうになった。
それはとても、きれいだったから。

いつの頃からか、人前で泣かなくなった、ねむ。
泣きたくなかったのか、泣けなくなったのか、
どちらかはわからないけれど、
中学校3年間は試練の連続だった。

ある夜、パパと口論になって
「塾に行く」と言って家を飛び出したねむが辿り着いたのは、
私が幼い頃住んでいた家の近くの公園だった。
懐かしい夜の公園で、私とねむは
話して話して話して話して
ねむは、激しく泣いた。
私はその姿を見て
雨の中でひとり泣きながらうずくまっていた
幼い私の姿をぼんやり思い返していた。
どうすることも出来なかった。

どうすることも出来なかったけれども、
ねむが、勉強や学校生活、生徒会の仕事
そういった社会との接点で
自分と他人はもとより
他人と他人がより良い関係を築けるよう
血のにじむような努力をしてきたことを知った。

私が中学生の時を過ごした「青空の部屋」で
ねむが声をあげて泣いていたこともあった。
私は、自分の中学生時代を思い出して不安になり、
このままねむが死んでしまうんじゃないかと
気が気じゃなかった。
「大丈夫?」と声をかけたら、
小さな声で「だいじょうぶだよ」と言った。
懸命に気丈に振る舞う、ねむが愛おしかった。

親や先生や友達は、
時に無自覚に残酷な言葉でねむの人格を傷つけるけど、
ねむはヤケッパチにならずに3年間闘った。

「『自分を守るために人を傷つけた』なんて人殺しの常套句。
私はそうはなりたくない。
これからのこと、もっと先のこと
ふわふわとした不安のなかで、
私は今、鏡に映る自分をまっすぐ見据えてる。」

いつだって私たちには夜があった。
夜に守られていた。
夜の闇の中では見たくないものを見ずに済むから。
でもその内、剥き出しの夜明けを迎えて
セーラー服の白がまぶしいくらいに光りだす。
そして、ねむは言う。
「私が見ている世界の中心にいるのは、私。」だって。

 
 

3. 由梨 / 母

 

2人の娘たちの存在が自分にとって全て、と思っていたけれど、それは少し違うかもしれない。子供はいつか自分の手を離れていくもの。と言いつつ、私自身も親と適切な関係を築けているかと尋ねられると困ってしまうけれど(苦笑)。それでも、自分の存在価値を、自分以外の誰かに委ねてしまうのは、実はとても危険なことだと思う。娘たちには、自分の人生を生きてほしい。自分の人生を生きるということは、自分の人生に責任を持つこと。重要な選択を人任せにしないこと。人のせいにしない。「自分で選ぶ」ということ。
世界で一番傷ついてほしくない。一方で、安易に人を傷付けてほしくない。それが今の私にとっての「娘たち」という存在。(2018年3月 眠の誕生日に寄せて)

これから、自分に今ある全ての言葉を注ぎ込んで
空っぽになろうと思う。

だいぶ前、東京拘置所にいた父と手紙のやりとりをしたことがあって、
その中に、父から届いたこんな言葉があった。

「由梨が小さい頃、自分の鼻を指差して『パパ、パパだよ』って教えていたら、鼻=パパだと勘違いしたらしく、
由梨の鼻を指差して『パパ、パパ』って言ってたことがあった(笑)。」

それを読んで、
怖かった父のイメージが完全に覆るまではいかなかったけれど、
私の中で何かがグシャっと潰れて、
涙が止まらなくなった。
人は単純じゃない、多面的な生き物なんだって
そう、腑に落ちたというか。
ああ、私にも父親がいたんだな
愛されていなかった訳じゃないんだな、ということがわかった。
完璧な親なんていないってことも、
傲慢だけど、許す許さないってことも、
長い時間をかけて決着がつけばいいやと思い始めている。

ところが、いざ自分が親になってみると、
完璧な親にならないと、と思ってしまう。
でも、出来ない。
夜更かしはするし、朝寝坊はするし、
子供に対していつでも優しくいられるわけでもなく、
寛容でいられるわけでもなく、
子供の都合より、自分の都合を優先してしまったりして
気付いたら、鬱陶しくて憎まれる親になっている。
愕然とする。
嫌われたくない、憎まれたくないと思うほど、
見透かされる。

そんなみっともなくて情けない私が、
娘たちに、何て言葉を送ればいいんだろう。

物事を多面的に見られるようになって欲しい。

対立している人たちがいたら、どちらか一方の意見だけでなく
双方の意見を良く聞いて判断できるようになって欲しい。

はな、いつもハグしてくれてありがとう。
ねむ、いつも「きれいだよ」と言ってくれてありがとう。

そして、
母が私に言うように、私から娘たちに言いたいこと。

生まれてきてくれてありがとう。

お母さん、私は生まれてきてよかったんだね?

あなたたち二人が私の闇の中から
狭い産道を通って
光のある方へ一生懸命生まれ出てきてくれたこと、
初めて両腕に抱いた時のことを一生忘れません。

二人とも、心から、卒業おめでとう。

 
 

(✳︎)ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」より

 

 

 

昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか(✳︎) Ⅰ

 

村岡由梨

 
 

おでこのニキビがなかなか治らない。
何だか最近お腹も痛くて憂鬱だ。

授業中、先生から出された課題を静かに終わらせて、
自分の席で絵でも描こうかと
自由帳を出したりしまったりして終業のベルを待つ。
教室の後ろには、習字で書いた「あけび」という文字が
退屈そうに並んでいる。
ていうか、どうして「あけび」?
退屈過ぎて、あくびが止まらないよ。
窓際の壁に目を向けると、
「教育目標
考える子 思いやりのある子 元気な子」
って貼ってある。
私は6年間そうなれるように頑張った。
子供は大人の言うことを聞かなきゃならないものだと思っていたから。
誰からも疎ましがられたり嫌われたりしたくなかった。
私のせいで、誰かを落胆させたりしたくなかった。

大人はもっと世界に目を向けろというけれど、
私にとって
このイビツな教室が世界の全てだった。
学校は、大き過ぎて手に負えない宇宙みたいだった。
その宇宙の中で、私は
友達と笑っている時もそうでない時も
ひとりぼっちだった。孤独だった。
いつも聞き手に徹して、
「聞き上手だね」なんて言われて、また笑って。
苦しかった。
もっと私の話も聞いて欲しかった。

「考える子 思いやりのある子 元気な子」
になんて、本当はなりたくない。
聞き分けのいい子でいるのは、もうたくさん。
これ以上、私に何かを押し付けないで。
私は私自身のために、考えて苦しんで生きてみたいんだ。

青春がキラキラしているなんて、誰が決めたの?
大人たちの疲れた顔を見るのは、もううんざり。
自分たちは世界に絶望しているのに、
どうして未来に希望を持てなんて言うの?

私の中で、真っ赤な炎が激しく燃え始めている。

もう、誰からも束縛されたくない。
傍に猫さえいればいい。
私は、もうすぐランドセルをおろして自由になる。

私がなりたい私になるには、
まだ時間がかかりそうだけど

さよなら、ランドセル。
さようなら、世界。

 
 

(✳︎)ニーチェ「ツァラトゥストラかく語りき」より

 

 

 

診察室

 

村岡由梨

 
 

これは夢なのか、現実なのか。
わからないまま、ぼんやりとした不安の中で生きている。

ここ数年、私は警察に追われている。
私が、自宅の近くに住む資産家の高齢女性を殺して、
広い庭の片隅に遺体を埋めたというのだ。
まだある。
私が、面識のない小学校3年生の男の子を殺して、
学校の近くの遊歩道に穴を掘って遺体を埋めたのだという。

警察に捕まっても、「私は殺していません」とは言えないだろう。
なぜなら、私自身、確かに彼らを殺したような気がするからだ。

毎週水曜日、15:30発の小田急線小田原行きに乗る。

入ってすぐ右の優先席に、
胸の大きさを強調したミニスカートの女が座っていた。
脚は虫食いだらけ、下品な女だった。
私は、この女を乱暴に犯すことを想像した。
私の股間から鋭利なナイフが生えてきて、
女の陰部は血だらけになった。
絶頂に達した瞬間、女は不要な単なるモノになり、
エクスタシーと嫌悪と憎悪のグチャグチャの中で私は
醜く歪んだ女の顔を、原型をとどめないくらい何度も殴った。

空いている座席に座ると、斜め右に
タピオカをすすっている若い女がいた。
タピオカをすすりながら、片手で携帯電話をいじっている。
その女は、出っ歯で口がきちんと閉まらないようで、
前歯の隙間からタピオカが見え隠れしていた。
クチャクチャ クチャクチャ
私は耳を塞いで悲鳴をあげた。
そして女の顔をズタズタに切り裂いて、自分の耳を引きちぎった。

女が憎い。
けれど、私も女なのだ。
母親なのだ。
女の顔を何度も殴った時、2人の娘の顔が浮かんだ。
女の顔をズタズタに切り裂いた時、2人の娘の顔が浮かんだ。
この世で一番清潔な存在。傷つけたくない存在。
「人の痛みがわかる人間になりなさい」
そう言って、2人を育ててきた。
胸の大きい女にも、タピオカの女にも、
きっと母親がいるだろう。
女が憎い。
それでも娘たちを傷つけたくない。絶対に傷つけたくない。
そんな思いで、私は真っ二つに切り裂かれる。混乱する。

毎週水曜日16:30から診察が始まる。

先生とはもう10年以上の付き合いになる。
60代男性、中肉中背、
温和な顔にメガネをかけていて、
歩く姿勢がとても良い。
人間味溢れる、とても優しい先生だ。

「一週間、どうだったかな」
と、まず先生が聞いて、話が始まる。
家族のこと、義両親の介護のこと、
作品制作のこと、仕事のことなど
時には泣きながら、とりとめのない話をする。
「ここには善も悪もないから」と先生が言い、
殺す、殺される、死ぬ、死なせるなどの
不穏な言葉が診察室を飛び交う。

「これ以上怒りや憎しみに支配されたくない」
「結局は私が消えればいいんだと思う」と私が言い、
先生にたしなめられるのが、いつものパターンだ。
先生には何でも話すし、
先生も私に関して大抵のことは知っている。
私は、先生が好きだ。

カウンセリングの終了時間間際になると、
私は急激に不安定になる。
ドア一枚を隔てた外の世界はこわいことでいっぱいだから。
「○○がこわい人をいっぱい連れて復讐しに来るかもしれない」
と怖がる私を、先生はいつも「大丈夫」と言って背中を押してくれる。

診察室を出て間も無く名前を呼ばれて、
受付の女から、処方箋と領収書を渡される。
「3850円です」
一番苦しい瞬間だ。
当たり前だけれど、お金の問題なんだ。
医者と患者の関係なんだ。
それ以上でも、それ以下でもない。
結局、先生や受付の女は「あっち側」の人間で、
私は「こっち側」の人間なのか、と
否応無しに思い知らされる。

そう言えば、先生は私のことをよく知っているけれど、
私は先生のことを、ほとんど知らない。
どんな食べ物が好きなのか。
何色が好きなのか。
動物は好きか。
どんな音楽を聴くのか。

良くない家庭環境で育って、精神を病んで
なんてありきたりなストーリー
私は大丈夫。
大した問題じゃない。
絶対に大丈夫。
そう自分に言い聞かせて
偽善者の皮を被って、
自分を必死に取り繕って生きてきたけれど、
マトモな人のふりをするのは
もう、無理かもしれない。

死刑判決を受けて、
独居房にいる孤独なあなたを今すぐ連れ出して
狂おしいほど交わりたい。一つになりたい。
そして、あなたが他の人にしたように、
私をメッタ刺しにして、殺して欲しい。

この詩は、午前2時過ぎにあなたとわたし宛てに書いた
歪なラブソングだ。

 

 

 

家族写真

 

村岡由梨

 
 

家族写真を燃やしてしまった。
まだ若い父と母と、幼かった姉と私と弟が笑っている。
真ん中に座る幼い私の顔に十字の切れ目を入れて火を付けたら、
一瞬十字架の様な閃光がピカっと光って
瞬く間に私の顔は溶けて無くなり、
火が燃え広がって、消えてしまった。

私たちは、消えてしまった。
私たちは、壊れてしまった。

家族写真を燃やしたことで、
母を悲しませてしまった。
今はもう会えない姉も、きっと悲しむだろう。
弟はどうだろうか。
精神を病み、大量服薬を繰り返した私を、軽蔑していた父。
私の母ではない女性たちとの生活に安らぎを見出した父。
腹違いの弟たち妹たちの方が優秀だ、と言って自慢する父。
父も悲しむだろうか。いや、悲しまないか。いや、悲しむか。

この詩を読んで、母はまた悲しむだろう。
言葉は時に残酷で、人を深く傷つける。人の人生を狂わせる。
人はなぜ、生きようとする時、
自分以外の他の誰かを傷つけずにはいられないのだろう。
父も母も姉も私も弟も
ただ生きていただけなのに。
ただ生きているだけなのに。

私は生まれた時から親不孝者で、
親からたくさんのものを与えられてきたけれど、
自分が親に何か与えたかといえば、何もない。
何もないのが、情けない。
この先、私の娘たちが「親」の私を憎むことがあるかもしれない。
往々にして子どもから憎まれる「親」という分際に
自分が成り下がってしまったのが、情けない。

ああ
また母を悲しませる言葉を書いてしまった。

父や母や姉や弟といた世界はファンタジーだったんだろうか。
私は今、二人の娘という
血があり、骨があり、肉がある
究極的に現実的な存在を得て、
夢から醒めつつあるのかもしれない。
曖昧だった喜びや悲しみや怒りが、真実のものとなって
人生における大きな「気づき」のようなものを手に入れたのかもしれない。
それは多分、幸せなこと。

なのに、なぜこんなに胸が苦しいんだろう。
写真に火を付けた時、
これで何かを乗り越えられるんじゃないかと
何の根拠もなく考えていたけれど、
残ったのは焦げくさくて黒い燃えかすだけ。

本当は苦しくて悲しくて仕方がなかった。
結局、誰も幸せにすることが出来なかったから。
誰かを幸せにするだなんて、自惚れもいいところ。
でも、本当は消してしまいたくなかった。
壊してしまいたくなかった。

かけがえのない「家族」だった頃の、私たちの記憶。
私は大切なものを、燃やしてしまった。
二度失ってしまった。
私たちはあの時笑っていたのに。
本当にごめんなさい。

 

 

 

乱視の世界

 

村岡由梨

 
 

眼鏡を外してクリスマスのイルミネーションを見た君は、
何層にもダブる光を見て、「きれい」と言って笑っていた。
視力の良い私と、乱視の君。
同じ世界に生きているのに、
まるで違う景色を見ているんだね。
私は私で、君は君。
もっと知りたい、わかりたいんだ。
君が生きる乱視の世界の美しさを。

もうすぐ新しい年が始まるというのに、
世界が終わる夢を見た。
ヒトは全員殺されて、
ネコは丸ごと皮を剥がされた。
剥がれた皮に顔を近付けたら
あたたかいお日さまの匂いがした。

巨大な津波のように大きくうねる世界から、
「人殺し」と罵られ
追われた私は、
薄暗い台所の、流しの下の、戸棚の中に隠れていた。
「世界」と「私」は安作りの薄いトビラ1枚で分断されて、
自分の心臓の音だけが聞こえていた。
放っておいても、遅かれ早かれ
私は死んで焼かれて灰になってしまうのに。
涙をいっぱい溜めて、憎しみと怒りに満ち満ちた君の両眼。
いつになったら許されるのだろうか。
いつになったら逃れられるのだろうか。

歯を磨いていて、少し開いた前歯の暗闇から
「サンタクロースなんか、いない」なんて言葉、聞きたくない。
希望を捨てて絶望に生きるなんて、つまらない。
どうせ生きるのなら、
借りものの言葉なんかじゃなく、
自分自身の歌声で精一杯抵抗して。

私は私で、君じゃない。
君は君で、私じゃない。
けれど、私たちはひとつの世界で生きている。
時には眼鏡を外して、私に貸して。
もっと知りたい、わかりたいんだ。
君が生きる乱視の世界の美しさを。

 

 

 

太陽が震えていた

 

村岡由梨

 
 

長い間、暗闇の中で君を探し続けている。
君はいつも私を苦しめる。困らせる。
それでも、私の頭の中は君ばっか。

これまでの君、これからの君のことで
いつも頭がいっぱい。

自転車に乗って家路を急ぐ時でも、
夕飯が済んで洗い物をしている時でも、
片時も君のことを忘れることはない。

「この世界には星の数ほど表現者がいて
才能のある人などゴマンといるのに、
私が作品を作り続けている意味は何だろう?」

君を掲げて立ち尽くす私の前を、
急ぎ足で通り過ぎていく人たちの無関心に
切れ味の悪いカッターナイフでキーキーと心を切り刻まれる。
行き過ぎた自尊心なんて、いっそ捨ててしまえば良いのにね。

その上、私が作品を作っても、娘たちのお腹が満たされることはない。
「自己満足」「高尚な趣味」と周囲の人たちに揶揄されて、
いちいち傷つきながらも
自分の好きなものを好き勝手に作っている。
そう、それならいいじゃん。
だけど、心が揺れる。もがいている。
無意味に意味を探し続けている。

 
寒い冬の日、娘の花が、公園のフェンスにもたれて ひとり
友達を待っている。
待ち続けている。
まだ来ない
まだ来ない
そのうち日が暮れて、家に帰る。

花が、風呂場でシャワーをつけたまま
うずくまって、むせび泣いている。
「本当の友達がほしい」と言って、泣いている。
たまらなくなった私は、
どうしたの、と言って
風呂場のガラス戸を開けようとする。
けれど、花は扉を強く押し返して拒絶する。
「みんな嫌い」「ママの偽善者」
花の圧倒的な孤独感を前にして、
言葉は余りにも無力だった。

 
きっと、花も私も叫びたいのだ。
「私は、ここに、いるんだ」って。

 
去年の冬、家族で世田谷美術館へ行った帰り道、
とっぷり日が暮れた木立の隙間で
儚い太陽の光が
まるで夜が来るのをこわがっているように
震えて沈んでいくのを見た。
この光をどうしても忘れてはいけないような気がして、
スマホのカメラで撮影した。

 
もしかしたら、私が求めているのは、
意味でも答えでもなく、「光」なのかもしれない。

 
偏屈で頑固で怖かった老婆が
病室で臨終の際、賛美歌を歌うのを見た。
老婆は光に包まれて亡くなった。
花のピアノの発表会で中年の女性が懸命に歌うのを見た。
芸術は誰にでも開かれていることを知った。
幼い花が公園で落ち葉を浴びて遊んでいる動画をスマホで見た。
もうこの日に戻ることは出来ない。
無邪気に遊ぶ花が愛おしくて、画面が涙で霞んだ。
そこには金色の光が溢れていた。

幸せな記憶の中だけで生きたいよ。
暗闇の中でひとり死にたくない。
自分の子どもたちにも
自分の子どもたち以外の子どもたちにも、
あたたかで、優しくて、寛容な光に包まれた一生を過ごしてほしい。

思い返せば、私が幸せだった時、いつもそこには光があった。
幸せだったことを忘れたくないから、
私は作り続けるのか。

「ママの作品は残酷だけど、きれいだよ」

私のスマホの中で、
今もまだ、これから先もきっと
あの日の太陽が震えている。

 

 

 

塔の上のおじいさん

 

村岡由梨

 
 

家族で小さな小さな会社を経営している。
訪問介護の会社だ。
昨年母から代表の立場を引き継いだものの、
「代表」とは名ばかりで
実態は経理全般と事務担当だ。
私がこの世で一番関わりたくないもの「お金」の責任者。
もちろんヘルパー業務もする。

このところ日が落ちるのが早くて、辺りはもう真っ暗だった。
冷たい風を裂くように自転車を走らせて、
その日、私は母の現場仕事に同行していた。
初めて行く御宅だった。

着いたのは、まるでおばけやしきのような古いアパート。
母にくっついて、
向かって右側の古くて狭い階段をカンカン昇っていく。
恐る恐る手すりの隙間から向こう側の景色を見たら、
街がべっこう飴みたいに てらてら光っていた。

母が部屋のインターフォンを押すと
ドアが開いて、おじいさんが床を這って出て来た。

不思議な部屋だった。
家具も照明器具も見当たらない。
ガランとした部屋が、月光に青白く照らされていた。
床は腐っているのか、湿って傾いていた。

殺風景な部屋に、古いケージが一つあって、
中には赤茶色の鶏が一羽と
スズメのような鳥が一羽。
傍に、肌色の温かい卵が一つ落ちていた。

母は、その卵を拾って台所へ行くと
コンコンと割って、黄身と白身に分けた。
黄身が入った殻と、真っ白なショートケーキをお皿に載せて、
おじいさんの傍にそっと置いた。
おじいさんは布団も敷かずに、
まっすぐ横になっていた。

私は床にゴロンと寝転がった。
すると、母も私の隣に横になって
二人で夜空を眺めた。
流れ星が五つ。
私が「きれいだね」と言うと、
北海道生まれの母は
「私の小さな頃はこんなもんじゃないわよ」
と言った。

帰り道、ふと自分の手のひらを見たら、
おじいさんのうんこがベッタリ付いていた。
母の手のひらにも付いていた。
私たちは、おじいさんのうんこを
お互いにベタベタ付け合いながら
声をあげて笑った。

「ただいま!」
家に帰ると、娘たちが
ディズニープリンセスの顔パネルを作って遊んでいた。

「すごい御宅だったよ。
塔の上のラプンツェルみたいなお家だった!
今から詩に書くから! そしたら読んでね、野々歩さん」
 

そう言ったところで、目が覚めた。
 

母と寝転んで流れ星を見たことが一気に遠ざかって
急に悲しみと寂しさが込み上げてきた。
 

受験生のねむの期末テストが近いこと、
少し眠るから、1時間経ったら起こしてね
と言われたことを思い出した。寝過ごしてしまった。
ねむの憂鬱と切羽詰まった気持ちを思うと
遣る瀬ない気持ちになった。
中学校にほとんど行かず、
高校も3日で辞めた私のアドバイスなんて
クソの役にも立たないのだ。

「内申点に響く」「人生に関わる」って言って
狭い世界は子どもたちを追い詰めるけれど

そんな必死にならないで
太陽が優しい時 一緒に原っぱに寝転がって
うんと伸びをして
好きな絵を描いて過ごす
そんな風に生きていくわけにはいかないのかな。
そんな生き方を許容出来る世界ではないのかな。
やっぱり「お金」を稼がないと、生きていけないのかな。

考え込む私の横で、
猫が大きなあくびを一つして
丸くなって眠っていた。