汚れた水

 

村岡由梨

 
 

深夜、とあるマンションの屋上から
大量の薬物や、アルコールで
恐怖を紛らわせた少女たちが
手と手を繋ぎ、
「せーの」で後ろ向きに飛び降りた。
大人たちの欲望で
びしょびしょに汚れた体から

解き放たれた。

ドサッ

あともう少し待てば夜が明けるのに
朝焼けの美しさを知らないまま
少女たちは

木からリンゴが落ちるように、
物の理に従って正しく落下した。
固いアスファルトの地面に
地面よりやわらかな頭蓋がぶつかれば
頭蓋が潰れるのは自明のことで

グシャ
水分を含んだ音が飛び散った。
少女たちの時間は永遠に止まった。

自分のこれまでを肯定できない人間に、
未来なんて、ないよ。
意味はたちまち意味を成さなくなり、
これ以上不幸にならない代わりに
幸福にもならないことが保証される。

そして世界は、急速に動き始める。
「女子高生 飛び降り」
「顔」「名前」「自殺配信」
「動画」「拡散」「理由」「YouTuber」「ネグレクト」
「現場写真見たい人、手あげて」
まるで少女たちが死ぬのを
待ち望んでいたかのように。

 

夜、消灯して、
暗闇の中、スマホで何度も再生する。
「こわい」と言って
飛び降りるのを躊躇う少女たちの声を
何度も聞く。
こわい
こわい
こわい

せーの

ドサッ
グシャ
ドサッ
グシャ

17歳の少女たちに、41歳の自分を重ね合わせる。
陸橋の金網越しに、
車が行き交う環状七号線をぼんやりと見つめる私。
少女たちに「死んではダメだ」「未来は明るい」と
言う資格があるだろうか。
彼女たちから唯一の逃げ道を奪う資格が、私に

どこまで行っても噛み合わない、世界と私。
自分を取り巻く
たくさんのこわいものから逃げるために、
いっぱい薬を飲んだ。
死んでしまえと
自分を痛めつけて 痛めつけて
でも死ねなかった。
いっぱい飲んでも死ねなかった。
伝わらなかった。

どうすれば、私の中にある「ほんとう」が
あなたに伝わるの
わかってもらえるの

最後の一滴の気持ちを言葉にできずに、
どしゃぶりの中 自転車を
漕いで 漕いで
濡れた髪が顔にまとわりついて
顔中を掻きむしりたくて
涙は大雨にかき消されて、
「きれい」と「汚い」の狭間で
右往左往する私に
「自分を四捨五入してみたらどう?」と
15歳の花はアドバイスしてくれたけれど、
いつまでも割り切れない気持ちを抱えた私は

「花ちゃんなんか、死ねばいい」
そう私に言われる夢を見たと言って、花が
泣きながら起きてきた。
「そんなこと言うはずがない」
そう言って、花の
細くて柔らかい体を抱きしめた。
「ママが癌で死んじゃう夢を見た」
と言って、泣いてまた目を覚ました花を、
「そんなことない」と言って笑って励ました。
花の両眼から、きれいな水が零れ落ちる。
「どうすれば、わたしの中にある『ほんとう』が
 ママに伝わるの
 わかってもらえるの。
 苦しいのも辛いけれど、
 苦しいのを誰も判ってくれないのは
 もっと辛いんだよ。」

 

夜が明ける
「嘘つき」
朝焼けの美しさ
「嘘つき」

嘘つき
嘘つき
嘘つき

世界はどうしようもなく汚いし、私も汚い。
大量の薬物で汚れきった私の体。
糸を引き、悪臭漂う性欲に
びしょびしょにされた私の心。
耳をつんざくような痛みに、魂が引き裂かれる。
今からでも、私は
再び誰かの喉を潤せるような人間になれますか。
精神科から処方された薬を、
日に何度も飲んで、
消毒されたきれいな水になりますから。

夜が明ける前に、解き放たれたい。
彼女たちみたいに、私も死ねたらいいのにな。

陸橋の上で逡巡する私の「ほんとう」は
いつだって誰かを傷つける。

今日も花は泣いて目を覚ます。
花の両眼から、きれいな水が零れ落ちる。
「もう死なないって約束したじゃん」
「わたしたちを残して逝かないって約束したじゃん」
「ママの嘘つき」
嘘つき
嘘つき

 

 

 

2023年・オーバーハウゼン旅日記

 

村岡由梨

 
 

ドイツのオーバーハウゼンで4月26日〜5月1日(現地時間)に開催された「第69回オーバーハウゼン国際短編映画祭」のインターナショナル・コンペティション部門に、私の新作映像作品『眼球の人』がノミネートされたので、同作に出演してくれた娘たち(眠(ねむ)と花(はな))と一緒に現地へ行ってきました。

「オーバーハウゼン国際短編映画祭」公式サイト
https://www.kurzfilmtage.de/en/
公式サイト内の「Visit」ページに『眼球の人』のスチール(うつっている二人の少女は娘たち)が使われていたのが嬉しかったです。
https://www.kurzfilmtage.de/en/visit/

日本に帰国して自宅に着いたのが、今(5月17日)からおよそ2週間前の5月4日午前1時頃。帰宅して早々、片付けなければならない事務仕事があったので、絶え間なく押し寄せる睡魔に抗いつつ、仕事を片付けながら洗濯機を回すこと3回(!)、明け方ようやく床につきました。まったく現実は容赦ない(涙)。現実に追われて、オーバーハウゼンで過ごした5日間が幻のように消えてしまう前に、覚えていることをここに書きとめておこうと思います。ドイツ滞在中、履き慣れないサンダルで出来た靴擦れも、とうにカサブタになりました。

 
【4月27日、木曜日】
21時50分発の飛行機で成田空港を出発。ポーランドでの乗り継ぎまで14時間50分、機内食のタイミングが思っていた以上に多く、ほとんど寝ているか食べているかのどちらかだった(笑)が、出国前に手に入れた詩誌「La Vague(ラ・ヴァーグ)」を機内で読んだことにはきちんと触れておきたい。「ラ・ヴァーグ」は12名の女性詩人(内、2名は創刊号のゲスト)によって今春産声をあげたばかりの詩誌で、(差別的な意味ではなく)いかにも女性らしい洗練された手法で、1ページ1ページ丁寧に編みこまれた印象を持った。創刊メンバーの一人である紫衣さんは、詩人としてだけではなく、写真家としての顔も持つ類い稀な才能にあふれた方で、互いの作品を通じて一気に意気投合し、今ではかけがえのない親友のような人だ。「ラ・ヴァーグ」を購入したのも、彼女の新しい作品に触れたかったからだ。日本からポーランド(さらにドイツ)に移動する道中、つまり母国語と外国語の狭間で、紫衣さんの紡ぐ美しい純正の日本語に触れたことは、不思議な浮遊感のある体験だった。日本語から離れることへの不安、という名の浮遊感だったかもしれない。いつもにも増して、言葉が美しく感じられた。ただ、内容としては不穏なもので、決して癒えることのない精神的・身体的な痛み、「あなた」と「わたし」の儚く報われない関係を謳いあげたものだった。私は今、今年4月に千葉県松戸市で女子高生2人がマンションから飛び降り自殺をした事件をテーマとした詩を書くのに四苦八苦しており、あまりにも彼女たちに感情移入し過ぎているのもあって、紫衣さんの作品を読んで涙があふれて仕方がなかった。多忙のため、近頃休みがちだった詩の合評会に来月は参加するつもりなので、もう少しジタバタと足掻いてみようと思う。

 
【4月28日、金曜日】
午前5時40分、ポーランドのワルシャワ・フレデリック・ショパン空港到着。朝早いせいか、人影もまばら。手荷物検査でちょっとしたハプニング(!)があり、(Facebookにも記したけれど)ここにも書いておきます。機内に持ち込んだトートバッグをベルトコンベアーに載せて身体チェックを受けようとしたら、スキンヘッドの強面のおじさんが初っ端から何だか怒っていて、どうやら「靴を脱げ!」と言っていたらしいのだけど、よく聞き取れず、“shoes(=靴)”が“shoot(=撃つ)”に聞こえて「やばい、撃たれる…!!!」とオロオロとしていたら、「お前、英語わかんねえのか!」とおっさんがさらに怒り出して、手を上げろ、後ろへ下がれとワーワー言われて、赤いサイレンみたいなのも回り始めて、もう生きた心地がしませんでした…。ちなみに、帰りのドイツのデュッセルドルフ国際空港での手荷物検査もスキンヘッドのおっかなそうなおじさんだったけれど、ものすごく優しい人でした。眠が、何をトチ狂ったのか日本から『火の鳥』全巻を背負って持ってきたので検査に引っかかってしまったんだけど、「何これ、マンガ?」「グッドバイって日本語でなんて言うの?」「サヨナラ!良い旅を!」と手を振って笑顔で見送ってくれて、感激。思わずカッコつけて「ダンケ!」って言ってしまいました。
話を戻します。そんなこんなで午前7時40分ポーランドの空港を発って、2時間後、ドイツのデュッセルドルフ国際空港に到着。無事に各自のスーツケースも回収。(←旅慣れていない私たちなので、こういう些細なことでいちいち感動!花のスーツケースに付いているタコのぬいぐるみキーホルダーをいち早く発見して大盛り上がり)そこから電車でオーバーハウゼンへ。午前中には現地に到着しました。ゲストハウスに寄って、映画祭が用意してくれたホテルのバウチャーなどを受け取った時、映画祭の雑誌『programm』表紙に娘たちの写真が使われているのを発見して大感激!すかさず「これ、私の作品ですよ!」と受付のお姉さんに自慢しました(笑)。記念に複数枚ゲット。日本で待つ野々歩さんへ、いいおみやげになりました。

(このゲストハウスには滞在中、何度も立ち寄ったので、スタッフの人たちとも仲良くなれました。見た目がパンクな人もいたけれど、みんな本当に優しい人たちばかりで、下北のドンキ(笑)で買った抹茶味のキットカットを「皆さんでどうぞ」と言って渡したら、すごく喜んでくれました。)
ホテルのチェックインまで時間があったので、近くのレストランに入って食事。しかし、ここでも事件が…。(詳細はふせますが)娘たちと私、冗談抜きで生きるか死ぬかまで精神的に追い込まれ、ホテルのチェックインの時間を早めてもらい、ベッドにダウンしました。この日はこれでおしまい。私たち家族が抱える問題の深刻さも思い知り、重い旅の始まりになりました…。

 
【4月29日、土曜日】
15時30分から、満員のGloriaにて山城知佳子さんの特集上映(1回目)を観る。
「映画祭『特集上映』ページ」
https://www.kurzfilmtage.de/en/press/detail/69th-festival-five-profile-programmes/?fbclid=PAAaZpolEWmsqJBAQVUlxCKeEP8YWPJqAxA4d9p7KPXEvjPpi1CBtTlroBapw
上映前、(滞在中通訳などで大変お世話になった)中沢あきさん、山城さん、キュレーションを担当された東京都現代美術館の岡村恵子さんと挨拶を交わす。山城さんの特集上映は4月29日(Gloria)と30日(Lichtburg)の2回に渡ってプログラムが組まれており、その両方を拝見した。2日目の感想も合わせてここに記したい。
山城さんは、沖縄県出身・在住の映像作家・美術家で、一貫して沖縄の抱える社会問題を主題とした映像作品や写真作品、インスタレーションなどを制作されている。1回目の上映では、初期のパフォーマンス・アート的な映像作品からほぼ時系列にプログラムが構成されており、作品の規模(恐らく予算的にも)が大きくなるにつれて凄みが増していった山城作品の軌跡を窺い知ることが出来た。山城さんの作品の特徴として、社会問題をそのままドキュメンタリーの形で提示するのではなく、いったん自分の「体験」として咀嚼して、ある種のスペクタクルとして昇華させて観客に提示している点が挙げられると思う。例えば、『土の人』(2017)では、爆弾が炸裂する音と、人々が息を潜める地下壕とのカットバックがボイスパーカッションにのせてリズミカルに展開する場面があり、スペクタクル的なテンポの良さが強く印象に残った。2日目のQ&Aでご本人が「アメリカのポップ・ミュージックに影響を受けている」とおっしゃっていて、妙に腑に落ちた。ちなみに、私の『眼球の人』を観た山城さんが「テンポが良かった」と言って下さって、ブリティッシュ・ロックやポップスに影響を受けている私としては、僭越ながら共通点を見出したような気がして、とても嬉しかった。そして、山城さんの作品の一番の特徴は、観る者の想像力を常に上回る豊かなイメージの数々だろう。『沈む声、紅い息』(2010)で海に沈む「マイクの花束」、『土の人』で白いユリ畑の間に生えるヒトの手・手・手、『肉屋の女』(2016)で次々に現れる同じ服装をした女たち。「安部公房の影響を受けているのか」と質問した人がいたが、御本人はそれをやんわりと否定していた。「不条理」という一言では簡単に言い表すことの出来ない驚きに、思わず溜息が出てしまった私がいた。
現在、山城さんは香川の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で個展「ベラウの花」を開催中。6/4(日)まで。
https://www.mimoca.org/ja/exhibitions/2023/03/21/2652/

山城さんの特集上映の後、いったんホテルに戻り、着替えて、20時からの自分の作品の上映に備えた。花が、私の髪にヘアアイロンをあててセットして、アイラインも引いてくれた。時間になり、花と一緒にホテルを出て、メイン会場のLichtburgへ向かった。劇場前にものすごい人だかりが出来ていて、すごい熱気にとにかく圧倒される。通訳の中沢さんと花と、関係者席に座る。大入り満員の会場を目の当たりにして、感無量。監督の紹介と簡単な挨拶の後、『眼球の人』が「インターナショナル・コンペティション プログラム7」の2番目の作品として上映された。上映後の拍手と口笛を聞いて、ドイツに来て本当に良かったと泣きそうになった。やはり、自分の作品に対する観客の反応は、実際に会場にいないとわからない。不思議と緊張はしなかった。ただただ幸せだった。上映が終わり、劇場の斜向かいの小さなギャラリーでQ&Aセッション。通訳の中沢さんと、記録係をしてくれた花に深く感謝。全て終わったのが23時過ぎ。ヘトヘトになった花とホテルへ帰る。長い一日だった。

 
【4月30日、日曜日】
ホテルで朝食をとっている時、街を歩いている時、様々な年代の人たちに「作品良かったよ」「とても美しかった」「感動した」「おめでとう」と声をかけられる。中には、丁寧な感想をくれた人も。生きていて良かったと心から思えた。眠が「ママさん、すごいね」と言ってくれたのも嬉しかった。
17時から山城さんの特集上映2回目。中沢さんに、劇場〜ホテルの最短距離を教わって、自分の空間認識能力の無さを思い知る。歩いて数分で行けるところを十数分かけて行っていた…。つまり、「→↑↑↑←←」のところを「↑↑↑↑→→→↓↓↓」みたいな。(よくわからないかもしれないけど!)
近くのS U B W A Yへ走って娘たちの夕飯を買いに行ってホテルに届け、夜ひとりで、「インターナショナル・コンペティション プログラム9」を観に行く。ウクライナのチェルノブイリ原発や、カザフスタンの強権的なデモ弾圧など、社会的問題を扱った作品が続き、鉛を飲み込んだように胸が重くなった。ウクライナから来た製作チームが来場していて、日本にいるだけでははかり知れない現実の重さを体感した。(ちなみに、今年の最高賞はこのウクライナの作品に授与された。)どの作品も、このタイミングでスクリーンで観ることが出来て本当に良かったと思うと同時に、こういった「社会的問題を扱った作品」の数々を「コンペティション」という形で優劣をつけなければならない難しさも感じた…という話をしながら、岡村さん中沢さん山城さんとホテルに戻った。岡村さんに「村岡さん、半袖で元気ね!」と言われ、確かに半袖で元気だと思った(笑)。暑がりな上に、滞在中は常に走っていたような気がする…

 
【5月1日、月曜日】
娘たちと、片道5km(往復10km!狂ってる!)歩いて水族館へ行きました。とにかく足が痛かったです。ウルトラスーパー方向音痴なので完全に花にナビゲートされました。(異国でスマホを自在に操るZ世代恐るべし。)水族館の近くに観覧車があることがわかり、「どうか花に連れて行かれませんように」と祈った、ウルトラスーパー高所恐怖症の私。(←行かずに済みました。)水族館で、記念にカワウソとペンギン(大)とペンギン(小)のぬいぐるみを買いました。特にカワウソは、後頭部がクルミ(うちの猫)と似てウリウリとしててかわいかったです。帰り道、まずいタピオカを買いました。(キャラメルラテを頼んだのに、なぜか豆の味。そして紫。)一連の様子は写真でお楽しみください。

ホテルに戻って、17時30分からの「Team Favourites 2023」を観に行きました。会場のGloriaは満席でした。国籍も人種も違う私たちだったけれど、ひとたび暗くなって上映が始まれば、皆同じ人間でした。“Heimatfilm”という作品(多分。カタログを見る限り)が映画愛に溢れていて素晴らしかったです。19時30分からはアワード・セレモニーでした。残念ながら『眼球の人』は受賞ならず、でしたが、現地で映画祭に参加できて本当に良かったと思います。自分がどれだけ映画を愛しているかを思い出し、スクリーンを前にして「自分の居場所はここなんだ」と再認識することが出来ました。牛?カバ?のような映画祭のゆるキャラも発見。次に来た時は、必ず2ショットを撮ってもらおうと思います(笑)。

海外の大切な友人たちと対面で会えたのもとても嬉しかったです。
ギリシャの大切な友人Giorgosと。

ミャンマーの映画制作団体3-ACTのMoeさんと↓。(彼女の作品“The Alter”もインターナショナル・コンペティション部門にノミネートされていました。)

 
【5月2日、火曜日】
12時頃ホテルをチェックアウト。デュッセルドルフ国際空港でスーツケースを預け、市内を観光。おみやげのチョコ買う。クッキー買う。プレッツェル買う。「○◯駅を出発し〜」などと説明できればいいのだけど、ここでもZ世代・花に頼り切りのノンビリ系ふたり(私と眠)なので説明できません(苦笑)。(ちなみに帰国後、花の友達にあげる用のクッキーを食べてしまい、めちゃくちゃ怒られ、その後チョコにも手を出してしまったので家族会議になりました…。ごめんなさい)ウルトラスーパー高所恐怖症なのに、ラインタワーにも上りました。なぜお金を払ってまで高いところへ上らなければならなかったのか…ナビゲートした野々歩さんを恨みます。そして、リトルトーキョーで野菜かき揚げラーメンを食べました。(ドイツは私のような中途半端なベジタリアン(お肉を食べないだけ)にも優しいベジ料理が充実していました。写真は花の頼んだ豚骨ラーメン)そして帰りの飛行機内で、リナ・サワヤマ(好きすぎて今年1月の来日公演行きました)とビリーが聴けて大満足。特にビリーの“Happier Than Ever”は楽曲の構成力が素晴らしいアルバムなのでフルで聴けて良かったです。これまた一連の様子は写真でお楽しみください。

帰国してから今日まで、映画を作る夢ばかり見ています。
もっともっと映画を作りたい。
以上、取り留めないですが、2023年・オーバーハウゼン旅日記でした。
勢い余って
ですます調と、である調が混ざってしまい、ごめんなさい。
こんな長いの、誰が読むの。
未来の私が、読み返すの。

 

 

 

幸せな結末

 

村岡由梨

 
 

仕事に疲れて、
帰宅してベッドに倒れ込んだ。
体の震えが止まらない。
目を閉じて、少し眠ろうとしたけれど、
あの人や
あの人の取り巻きの幻影にうなされて
呼吸が苦しくなる。
朧気な意識の中、
不意に赤ん坊の頃の花を思い出した。
私の腕に抱かれて
お乳を飲んで
私の顔をじっと見つめていた。
両腕にかかる花の重みや温かさ。
ほんのり香る、甘い乳の匂いに包まれて
私たちは幸せだった。

それから15年経って、
家の中から外へ
徐々に軸足を移し、
私に背を向けて離れていく花。
あれは去年の暮れのことだった。
夜22時を過ぎて
雨でびしょ濡れになって
塾から帰ってきた花の、
私の不甲斐なさを射抜くような目。
親としての嘘やごまかしを一切許さない
真っ直ぐな目。

まだ、ママを置いて行かないで。
冷たい言葉で遠ざけないでほしい。

そんな私の自分勝手な気持ちを
全身で振り払うように花は、
私の知らない世界へと
スピードを上げてゆく。

 

2023年3月20日、晴天。
花の中学校の卒業式だった。
受付を済ますと、
生徒一人一人が保護者に宛てて書いた
手紙を渡された。
席に座って、早速封を切った。
そこには、
15歳の激しい怒りと
早すぎる諦念と
精一杯の優しさと
訣別の言葉が、あった。
一度読み、二度読み、
三度目読んだところで涙が止まらなくなり、
読むのをやめた。
親として、
花の孤独や苦しみに
きちんと向き合って来なかったこと。
私には泣く資格も無い。
一度言った / 書いた言葉は簡単に消せない。
一度傷付いた心は簡単に癒えるものじゃない。
けれど花は、深く傷付いてもなお
私たちが「家族」でいることを、諦めなかった。

卒業式から数日経って、
花からの手紙を読み直した。
そこには、
たくさんの花の優しさが、あった。
私たちが置かれている困難な状況を
何とか理解し、
受け入れようと苦しんだ花の姿が、あった。
「幸せになってください」
「200年、生きてください」
「これからまた200年、よろしく」
そう書いてあった。

 

今から約16年前、
産婦人科で
「出産予定日は10月22日ですよ」
と告げられた時、
10月22日生まれのママは、
その狂った頭で
「ついに私が私を殺しにくる」
って勝手に思い込んで、
生まれてくるあなたに恐れ慄いた。
結局その年の10月11日に生まれたのは
かわいい目をした愛くるしいあなたで、
あまりにも可愛かったから
ベビーベッドには寝かせず、
ママのお布団に入れて
寄り添いあって冬の寒さをしのいだ。

それから15年。
ごめん、
ママは、未だ良い母親になれずにいます。

けれど、もし許してくれるのなら、
ひとつお願いしても良いかな。
いつか、「その日」「その時」が来たら
スマホの電源を落として
パパと眠と花に見守られて
静かに旅立ちたい。
陸橋から飛び降りて
車に轢かれて
ぐちゃぐちゃの死体になりたいとは
もう思わない。
最後に思い出すのは、きっと
パパと初めて手を繋いだ
2002年のクリスマスイブのこと。
パパ手作りの銀の結婚指輪をして、
パパとママの二人で
渋谷区役所へ婚姻届を出しに行った時のこと。
そして何より、
生まれたばかりの眠と花を胸に抱いた時のこと。

今日は骨盤がバラバラになって、
ひとりのヒトを産む夢を見たよ。
それは、産まれ直したママ自身かもしれない。

「2023年2月26日日曜日18:10。仕事が終わって空を見たら星が光っていた。自分の現在位置がわからない。いつもそうだ。けれど今日の私は、いま自分が帰るべき場所がどこなのかをはっきりと自覚している。それがどれだけ幸せなことなのかも。あちこちから夕飯の支度をする音が聴こえる。一日の終わり。」

「200年、生きてください」
そうあなたは言った。
200年経っても、
忘れたくない。
忘れてほしくない。
私たちが家族だったこと。

 

 

 

ネグレクトという名の菓子パン

 

村岡由梨

 
 

花の詩を書こうとして、花のことばかり考えている。
花の為なら、両腕を切り落とされてもいい。
命を捧げてもいい。
それなのに、なぜ私
朝早く、起きられない。
普通だったら、他の誰よりも早く起きて、
炊き立てのご飯
具沢山の味噌汁
卵焼き
焼き魚 なんかを食卓に並べて、
食べ終わったら、
「いってらっしゃい」と言って学校へ送り出すのに

できない。
朝早く、起きられない。
大抵の人が普通にこなしていることが、
できない。

「ネグレクト」「だらしない親」

夢うつつに、花が玄関のドアを開く音がして、
慌てて「いってらっしゃい!」
と声を張り上げるのだけど、
私の声は、花の無言に吸い込まれて
あっという間に消えて無くなる。

「これ毎日じゃなくて、多くて週5日の内の2回だね」

けれど、ごく稀に、
花のお友達が家にお泊まりする時は、
花に恥をかかせまいと、
誰よりも早く起きて朝ごはんの用意をする。
サラダ
トースト
スクランブルエッグとベーコンの焼いたの
フルーツ を
ワンプレートにきれいに盛り付ける。
なぜ、こういう時は早く起きられるんだろう。

「自分が恥をかきたくないからでしょ」

たまにお弁当のある日は
早く起きて
お弁当を作る。

「ただし冷食だらけ」

花の中学校では
「早寝・早起き・朝ごはんカード」を書く習慣があった。
ある1週間をピックアップして、
何時に寝たか 何時に起きたか
朝食に何を食べたか、を
記録するという。
各々1週間分記録したところで
保護者からの一言コメントを書く欄がある。
震える手でピンク色の表紙のカードを開く。

×(何も食べていない)
×
いちご蒸しパン
×
コッペパン
×

毎朝無言で家を出る花の後ろ姿を想像して、
「これは何とかしないと」と思って、
フレンチトーストを作ってみたり
炊き立てのごはんと味噌汁にしてみたりもしたけれど…

「ママはどうせ、やっても続かないじゃん」

たまに家族旅行へ行くと、
「旅館で出る朝ごはんがすごく楽しみ」
と花は喜び、
以前、花が起立性調節障害の疑いで検査入院した時は、
「ママ、病院食って、おいしいよね」
と笑顔の花がいた。

ある日「塾があるから、夕飯18時で」
と花に言われたのに、
出来たのが18:15だったことがあった。
「食べてたら遅れるから、いらない」
そう言って花は勢いよく出ていって、
私は、作ったうどんを捨てた。
自分の分も、捨てた。
「花が空腹を堪えて塾へ行ったのに、
 私がのうのうと食べていては、いけないと思った」からだ。

「は? なんでママの分も捨ててんの?
 やっぱママ思考回路とか色々おかしいよ。
 めんどくさ」

 

昼食は、小学校・中学校の給食に助けられ、
いよいよ夕食、私の出番だ。
とにかく野菜をたくさん食べさせたい。

お正月のお餅がたくさん残っていたので、
お雑煮を作った。
鶏肉(脂身はきれいに取る)
にんじん、大根(両方とも皮付きのままイチョウ切り)
ぶなしめじ、ごぼう、ほうれん草
ザンゲの気持ちを込めて、
野菜を ザク ザク ザク と切る。

ブラウンシチューは、
玉ねぎを多めにスライスしてよく炒める。
にんじんは、やはり皮付きのままイチョウ切り。
それにたくさんのキノコ類(エリンギ、ぶなしめじ、エノキ)と
豚肉の薄切り、ブロッコリーを入れる。
1日目は、生協の塩バターパンと一緒に食べ、
2日目は、ご飯にかけて食べる。

他によく作るのがピーマンの肉詰めと
アスパラ(またはインゲン)のベーコン巻き、
タラと玉ねぎとじゃがいもとブロッコリーのホイル焼き など。

それで、たまに見栄えの良い食事が出来上がると、
すかさずスマホで写真を撮って、
Instagramにアップ。

「はい、私きちんとやってますアピールね」

 

こんな母親で、ごめんなさい。
これでも、あなたは私を良い母親だと言いますか?

 

こんな母親でも、花は
「ママ、絶対死んじゃダメだよ」
「ママが死んだら、遺灰食べるからね」
と言って抱きしめてくれます。
疲れ切った私を、あの手この手で笑わせてくれます。

仕事の合間に美味しいケーキを食べると、
真っ先に頭に浮かぶのは、眠と花。
ふたりに食べさせたいと思うのです。

子供が飢えるのは、何よりも辛い。

それなのに、なぜ
なぜ私は、朝早く起きられないの?

 

 

 

RED

 

村岡由梨

 
 

2022年12月14日、水曜日。
眠が可愛がっていたアメリカザリガニのザリ子が亡くなった。
赤いパーカーを着た眠が、
水槽の前でうずくまって泣いていた。
しばらくして野々歩さんが、
ひとしきり泣いた眠を促して
庭のネムノキの根元に、ザリ子を埋めた。
花屋で赤いパンジーを一株買って来て、
ザリ子の亡骸の上に、植えた。
眠は涙を流しながら、
懸命に、シャベルで土をかぶせていた。

12月13日。
下北沢で眠と買い物。
眼鏡屋で眠の眼鏡を直してもらい、
モスバーガーでポテトをテイクアウトした。
帰る途中、小さな雑貨屋に立ち寄って、
手作りのアクセサリーを見る。
赤い小さなバラのイヤリングを買う。
本物のバラを樹脂で固めたものだという。
眠と二人で「かわいいね」と笑いあう。
その後、ドラッグストアへ。
金曜からの入院に備え、必要なものを買う。

12月16日、今日から入院。
出迎えた看護師に、荷物チェックをされる。
ドライヤー、手鏡、ガラス製の容器に入ったヘアオイル
「自殺の恐れがあるため」と返される。
別れ際、施錠されたガラス扉を隔てて、
手と手を合わせた。
さっきまで握っていた手の温もりが
未だ残っていて、急激に切なくなる。

12月17日。
世田谷代田での仕事を終えて、
自転車で病院へ向かった。
16時頃、到着。
本2冊(ピッピシリーズ)
クリスマス柄のチョコウェハース3枚
ベジタブル味のおっとっと
もなか3個
ヘアバンド
スリッパを差し入れる。
二重扉のさらに向こう側にいる眠に手を振ったら、
眠も手を振り返してくれた。
声も届かない。直接触れることも出来ない。
眠をここにひとり残して、
私が帰る姿を見せたくなかった。
けれど、どうすることも出来なくて、
出来るだけ自分の背中を見せないようにして、病棟を後にした。
病院の寂れた敷地内を、ひとりで歩く。
帰り道、眠から着信がある。
さみしい、つらい、と言って、泣いている。
そばにいてあげたい気持ちが募る。

帰宅後、花と野々歩さんと三人で夕食。
夜、久しぶりに自分で髪を洗った。

12月某日。
花が、今朝、眠が亡くなる夢を見て
泣いて目が覚めたという。

12月21日。
午前中、眠から着信がある。
「学校きちんと行けるから、ここから出して」
と言って、泣いていた。
自分のカウンセリングの前に病院に寄り、
もなかとボディシートを差し入れる。
心配したけれど、思ったより元気そうで安心する。
扉の向こうの眠と、メッセンジャーでやり取り。
「もなか持ってきたよ!」
と送ったら、嬉しそうに手を振っていた。
病院を後にして、経堂のクリニックへ。
今後の方針を話し合う。
「入院期間1ヶ月くらい。
クリスマス年末年始も病院で」
夜、眠に電話して伝える。
小さな声で「がんばる」と言ってくれた。
「ねむまろが頑張るんならママも頑張る」
「毎日会いに行くよ」
尖った爪で心が抉られるように、痛かった。

12月22日。
朝、冷たい雨が降る中、陸橋通過。
眠から「帰りたい」「ここから出して」
と泣いて電話。
仕事が終わる頃には、
空がきれいに晴れ上がっていた。
野々歩さんと合流して、病院へ。
扉を隔てて、メッセンジャーでやり取りする。
眠の病室からは、公園や電車が見えるらしい。
「きれいなんだよ」と眠。
「今日は、看護師さんと一緒に散歩したよ。
敷地内にガチョウがいたんだよ」
「寒くなかった??」
「大丈夫。赤のパーカー羽織ってたから」
「赤のパーカー」

 

「赤のパーカー?」
「うん、赤のパーカー。」
「赤。」
「うん、赤。」
「赤。」
「赤。」
眠の涙
赤い涙
何もいない水槽はまだブクブクと音を立てていて

今月18歳になるというのに
余りにも幼すぎる眠の寝顔を見ながら
今、この詩を書いている、私。
2023年3月7日、深夜。

スヌーピーのトレーナーを着て、
ホットケーキが焼けるのを嬉しそうに待っている眠。
猫のサクラが見守る中、
洗い物をしたり、掃除機を掛けたり、
洗濯物をたたむのが上手くなった眠。

この春、徐々に学校での勉強を再開して、
眠の時間がまた動き出す。
私にとって春は苦手な季節だけれど、
3月は、別だ。
なぜって、それは
私の大切な、愛おしい眠が生まれた月だから。
ザリ子は亡くなったけれど、眠はまだまだ生き続ける。
だから元気を出して、
前を向いて、
時には立ち止まっていいから、
休み休みでいいから、
生きて 生きて 生きて

 

 

 

 

村岡由梨

 
 

およそ二週間前に、義父が荼毘に付された。
詩人だった義父の為に、
棺に詩集を何冊か入れた。
そして今、
私は目を閉じて、
火葬炉の中で詩人の身体が焼かれていく様を
心の中で何度も反芻している。

激しい炎は、
詩人の詩集を焼き、詩人の肉も焼いた。
残ったのは、少しの骨と
金属製の人工股関節だけだった。

そんなことを思い出しながら私は、
今日も台所に立っている。
そして、焦がし過ぎないように、肉を焼く。
夕飯に肉が出ると、育ち盛りの娘達は喜ぶ。
娘達が嬉しそうに
食べる姿を見るのは気持ちが良い。
けれども私は肉を食べない。私は
肉を嬉々として食べる女が嫌いなのだ。
それなのに、次女がお腹にいた時、
無性に肉を貪りたくなった。
尖った犬歯で肉を引きちぎり、
滴る肉汁など気にせずに、
幼い頃食べた肉の味やにおいなど
遠い記憶をたぐり寄せ、
心の中で何度も何度も咀嚼したが、
結局実際に口にすることは無かった。
私は、肉を嬉々として食べる若い女が
たまらなく嫌いだったのだ。

昔、直立二足歩行をする犬によって
首に縄をかけられ、
真っ裸で地べたを這いずり回る、
という8ミリ映画を撮った。
肉を食べる・食べさせるという
優越性の転換だ。

 

今日も私は、
目を閉じて、
詩人の身体が燃えていく様を
ゆっくりと味わう。
幼い頃食べた肉の味やにおいを思い出し、
ゆっくりと咀嚼する。

けれどもやはり、
私は肉を食べることが出来ない。
肉は死だ。
死体は、こわい。
私はその死に
責任を持つことなど出来ないのだ。

 

 

 

少女達のエスケーピング

 

村岡由梨

 
 

ある夏の日、娘の眠は、
いつも通り学校へ行くために
新宿行きの電車に乗ろうとして、やめた。
そして何を思ったのか、
新宿とは反対方向の車両に、ひらり
と飛び乗って、多摩川まで行ったと言う。
私は、黒くて長い髪をなびかせて
多摩川沿いを歩く眠の姿を思い浮かべた。
そして、彼女が歩く度に立ち上る草いきれを想像して、
額が汗ばむのを感じた。
それから暫くして、今度は次女の花が、
塾へ行かずに、ひらりと電車に飛び乗って、
家から遠く離れた寒川神社へ行ったと言う。
夕暮れ時の寂れた駅前の歩道橋と、
自転車置き場と、
ひまわりが真っ直ぐに咲く光景を、
スマホで撮って、送ってくれた。
五時を知らせるチグハグな金属音が
誰もいない広場で鳴り響いていた。
矩形に切り取られた、花の孤独だ。

日常から、軽やかに逸脱する。
きれいだから孤独を撮り、
書きとめたい言葉があるから詩を書く。
そんな風に少女時代を生きられたのだったら、
どんなに気持ちが清々しただろう。
けれど私は、歳を取り過ぎた。
汗ばんだ額の生え際に
白髪が目立つようになってきた。

 

夏の終わり、家族で花火をした。
最後の線香花火が燃え尽きるのを見て、
眠がまだ幼かった頃、
パチパチと燃えている線香花火の先っぽを
手掴みしたことを思い出した。
「あまりにも火がきれいだったから、触りたくなったのかな?」
と野々歩さんが言った。

きれいだから、火を掴む。
けれど、今の私たちは、
火が熱いことを知っている。
触るのをためらい、
火傷をしない代わりに、私たちは
美しいものを手掴みする自由を失ったのか。

いや、違う。
私はこの夏、
少女達の眼の奥の奥の方に、
決して消えることのない
美しい炎が燃えているのを見た。
誰からの許可も求めない。
自分たちの意志で
日常のグチャグチャから
ひらりとエスケープする。
そんな風に生きられたら
そんな風に生きられたのなら、
たとえ少女時代をとうに生き過ぎたとしても
私は。

 

 

 

The Eyeball Person

 

村岡由梨

 
 

Whenever grown-ups saw me when I was a young girl,
they told me how “innocent and adorable” I was.
I was always at the end of their loving gaze.

On the train to my violin lesson,
a filthy, ugly man sitting across from me was staring at me.
So I slowly spread my legs under my skirt and stared back at him.
His eyes were glued to my crotch.
He yearned for the “thing” between my legs.
It’s my evil eyeballs in heat.
Eyeballs oozing with vile water.
The man’s vile gaze intertwined with my evil gaze
and I felt a cold dampness on my underwear.

After a while when the train arrived at my station,
I disembarked as if nothing had happened.
I nonchalantly headed to my violin teacher’s house
as my imagination ran wild about doing it
with that man in the station’s public restroom.
My eyeballs were ready to burst.

On the bicycle saddle
In the corner of the stairwell
With all sorts of methods,
I pleasured myself when I was young.
During such acts, what were my hollow eyeballs watching?

And now, after a real physical intercourse,
I lie in bed naked
feeling deeply ashamed of myself.
I’m mortified of getting pregnant with two children
through countless moments of ecstasy.
Many portraits of me are displayed in the room with the bed
where many faces of me stare silently at me.
In the darkness, staring at me are me, me, and me.
Sometimes she says, “You’re beautiful”
and sometimes she says, “You filthy devil” or “Drop dead.”
One of the portraits was drawn by Nemu (first daughter),
which softly calls out, “Mom, Mom.”
When a line is drawn down the center of my face,
half is the face of a kind mother
and the other half is a face of evil.
When Nemu sees my evil face,
will she still believe in my face of a mother?

 

May 31, 2021.
Nemu announced that she’s going to leave us sooner or later.
“Mom, Dad, why are you making me suffer like this?”
I see Nemu in my mind wail loudly with red tears streaming down her face.
A part of her probably wants to flee from me
who suffers in the room enmeshed in gazes
of the mother, in other words, me.
She can flee and if she were to end up in an empty space,
we wouldn’t be there anymore.
She would be free.

I get jealous of Nemu’s youth.
And unexpectedly, I get rattled
by the thought of Nemu leaving me
not so far in the future.

Nemu, who’s so kind, still makes shaved ice
with the shaved-ice machine for the family.
She pours red syrup over it and smiles shyly.
“Here you go.”

The ice melts, and the red tepid syrup sways.
The sharp blades of the shaved-ice machine gleam
and I hesitate to touch them.
When we’re not around,
will somebody warn Nemu?
“Don’t cut your hand on the sharp blades of the machine.”
When we’re not around,
she might cut and hurt herself.
She might bleed red blood.
Who’s going to treat her wound?

The other day, a sunflower bloomed from a seed
that Nemu planted on her 16th birthday.
The sunflower stalk grew taller than me
and in no time at all, it even grew taller than Nonoho (husband).

The sunflower bloomed, seeking sunlight in the continuing cloudy weather.
A big, dry eyeball with yellow eyelashes.
A strong gaze that bravely tries to survive.

I remember the day when I first made eye contact with Nemu.
The newly-born Nemu
wrapped in white swaddling clothes
was in the incubator, silently watching me.
It was definitely me, a mother, at the end of Nemu’s gaze
as she toddled around, calling out for her mommy.
Back then, it was Nemu who was always at the end of my gaze.

Now that I’m older, if I crush the two evil eyeballs
idling in my hand all these years,
a pure, transparent jelly will ooze out.

I look up at the sunflower
and try to convince myself
that I don’t have to be ashamed.
Nemu taught me
what a beautiful desperate flower that a sunflower is.

 
 

Translation:Annie Iwasaki

*眼球の人(日本語版)
https://beachwind-lib.net/?p=30148

 

 

 

眠の涙、花の涙

 

村岡由梨

 
 

「泣いても誰にも助けてもらえない」
「泣いてる自分が『気持ち悪い』」
「言葉を発しても、誰も耳を傾ける人なんていないから」
「どうせ誰もわかってくれない」

【2022年11月27日 日曜日 眠17歳】
ベッドに横たわる眠が、
小学校中学校ととても苦しんだことを話してくれた。
泣きながら、小さな声で
「ママさん、少し抱きしめてもらっていいですか」
と言うので、胸がいっぱいになって、きつく抱きしめた。
眠が泣いた。
やっと、泣いた。
けれど、泣きながら「死にたい」と何度も言う。
その度に、「一緒に死のうか」という言葉を
何度も何度も飲み込んだ。

 

【2022年11月30日 水曜日 眠17歳 花15歳】
クリニックでの診察が終わったのが19時すぎ。
仕事から真っ直ぐクリニックに来た私は、自転車を押して
眠は歩いたり走ったりして、
経堂から自宅まで約3.5kmの道のりを歩いた。
眠の両眼から錯乱がなかなか消えない。
辛い道程だった。
「死にたい」「家に帰りたくない」
と延々と駄々をこねる眠をなだめて、
何とか自宅の駐輪場に着いた。
自転車をしまって後ろを見たら、
付いて来ているはずの、眠がいない。
アイスクリームの入ったレジ袋を玄関に放り込んで、
慌てて眠を探しに行くと、すぐに見つかった。
神社の裏道約50メートルの彼方にいた。
私の姿を見つけた眠が、少しずつこちらに歩いてくる。

私の中で何かが壊れた音がした。

近寄ってきた眠に言った。
「陸橋から飛び降りて一緒に死のう」
すると、眠はキッパリと言った。
「やだ」
「もうママも疲れたから。一緒に行こうよ」
眠はもう一度「やだ」とはっきり言って、
先にスタスタ歩いて、家へ入っていった。
私はフラフラとした足取りで家に入ると、
そのままトイレに直行して、便座に座り、
声を押し殺して、激しく泣いた。
洗面所にいた花にすぐに見つかり、
「ママどうしたの!大丈夫?」
と訊かれ、
「絶対言っちゃいけないことを言っちゃった」
「絶対言わないって決めてたのに言っちゃったの」
泣きじゃくる私の涙を花が拭いてくれて、
居間まで連れて行ってくれた。
居間では、眠が心配そうにこちらを見ていた。
「ごめんね、ひどいこと言って」
と泣きながら眠に詫びた。
互いに涙を流して、赦し合って、きつく抱き締め合った。
いつの間にか、眠の両眼から錯乱が消えていた。
夜、添い寝をして寝かしつけた。
小さな頃から変わらない、あどけない寝顔だった。
長い一日だった。

 

【2022年12月1日 木曜日 眠17歳】
昼間、薬の影響でトロンとしている眠の頭を
ドライシャンプーして、
体を拭いて、
着替えを手伝う。
寝かしつけても、
すぐにうなされて「ママ、ママ」と呼ぶので、
その度に手を握って、抱き寄せて、頭を撫でる。
足がふらついて危ないので、
体を支えてトイレまで行く。
朝・昼・夕・就寝前に、薬を飲ませる。

 

【2022年12月2日 金曜日】
17:37、自転車で陸橋通過。行きは、心も体も鉛のように重かったのに、帰りいつもと変わらない風景を見て、心が少し楽になる。この陸橋を通る度にあれほど苦しんでいたのに不思議だ。自転車を止めて、環七に連なる車のライトを撮った。映像作家とは思えない、手ぶれのひどい、へたくそな動画が撮れた。

 

【2022年12月3日 土曜日 眠17歳】
眠に付き添って、タクシーで経堂のクリニックまで。良い天気で、眠の調子も良さそうだったので、帰りは電車で帰った。下北沢で、バナナとヨーグルトと、眠の箸を買った。箸は、えんじ色の猫柄のものを選んだ。「花さんの分も」と眠が言うので、花用に空色の猫柄の箸を選んで買った。

 

【2022年12月4日 日曜日 眠17歳 花15歳】
午前中から仕事。9:45頃、陸橋通過。ケアマネとの連絡の行き違いで、30分も終了時間がオーバーしてしまう。イライラしながら、家族皆の昼用のお弁当を買って帰る。眠用に、冷麺を作る。疲れとイライラがなかなかおさまらない。そんな時、花が甘えて抱きついて来たのを、「疲れてるから」と言って拒んでしまう。

少し時間が経ってから、花に「ママって、私のこと嫌い?」と訊かれる。

夕食後、花と近所のバーミヤンでお茶をした。その後、店を出て、緑道沿いを歩きながら話をした。花の「眠のことが好きだから、今の状況が悲しい」という、切実で優しい言葉に胸が打たれた。花が、「もう全員いったん母親の子宮に戻って、イチからやり直そうよ!」と明るく言うので、その明るさが余計悲しかった。月が綺麗だったので、二人で空を見上げて、スマホで撮った。神社の境内を通った時、不意に強い風が吹いて、黄色いイチョウの葉が、花の細い体に降り注いだ。美しかった。

私たちが帰宅すると、夕飯をあまり食べられなかった眠が1階に下りてきて、バーミヤンでテイクアウトしたごま団子と台湾カステラを食べた。眠と花が、彼女たちにしかわからない言葉で話して笑っている。久しぶりの眠の笑顔。眠と花が笑っている、ただそれだけで涙が溢れてきた。

夜、また眠が泣いていた。
「頭と体が動かない」
「苦しくなかったときのことが、思い出せない」
「頑張ってたのに全部無駄になってしまう」
「このまま学校に行けなくて、仕事にも就けなかったらどうしよう」
大丈夫だよ、と何度も繰り返して、泣き止むまでずっと背中をさすっていた。

眠を寝かしつけて、音楽を聴きながら仕事をした。
美しい音楽にまた涙が止まらなくなって、仕事がなかなか捗らなかった。

 

【2022年12月5日 月曜日 眠17歳 花15歳】
小雨の降る中、タクシーで眠と経堂のクリニックへ。
後部座席に寄りかかって、窓に雨粒がぶつかるのを、ぼんやりと眺めていた。

不意に、20年以上昔のことを思い出した。
あの日も私は、母が運転する車の後部座席に寄りかかって、
母の怒鳴り声をぼんやりと聞いていた。
何度目かの自殺未遂をして病院に担ぎ込まれ、処置を受けた、
その帰り道だった。
「もういい加減にしなさい!
そんなに死にたければ人に迷惑かけずに死になさい!!」
母はものすごく怒っていた。
けれど、その一方で、私の知らないところで
母が「由梨が死んでしまう」と取り乱して
泣きながら知人に電話をしていたことを、
随分後になって知った。
女手ひとつで姉と私と弟を育ててくれた
この世界にたった一人しかいない母親を、
こんな形で深く傷つけてしまった。
そんな自分を深く恥じた。
悔やんでも悔やみきれなかった。

クリニックに到着して、
また眠の両眼に錯乱の兆しが現れ始めた。
川畑先生が、頓服でコントミンを飲ませる。
眠の頭が上向きのまま硬直する。
首が引き攣って、眠が「痛い」と苦悶の表情を浮かべる。
眼球が不自然に向きを変え、体が強張り、
手や足が本人の意に反して動いていた。
初めて見る眠の姿だった。
先生が、アキネトンを飲ませる。
改善しない。
今度は、アキネトンを筋肉注射する。
約1時間後、ようやく落ち着いた。
もう辺りは暗かった。

家に帰ると、もうすぐ塾の時間の花が、のり弁と生春巻きを食べていた。私と野々歩さんは丼ものを、眠は消化の良さそうな月見うどんを出前して食べた。まだ物足りなそうな眠に、おしるこを作った。おしるこを作りたくて、あずきを数パック買ってあったのだ。「のどにおもちを詰まらせないようにね」と言ったら、眠は「おいしい」と言って食べていた。

夜22時近く、花が塾から帰ってきた。
雨で、全身びしょ濡れだった。

 

【2022年12月6日 火曜日 眠17歳 花15歳】
花の中学校で三者面談。いよいよ本格的な受験シーズン。
担任の先生から内申点をお聞きする。5科目オール5で9科目でも44というほぼパーフェクトな数字だった。皆で喜ぶ。そのまま意気揚々と帰られたらよかったのだけど、野々歩さんの失言で一気に雰囲気が暗転する。帰り道、ほとんど話すことも無かった。家に一人で留守番している眠からメッセージが何通か来ていた。

花の歯が痛むので、夕飯はおじやにする。豆腐・えのき・ほうれん草・長芋のおじやと、タラのムニエルと、花が修学旅行のお土産に買ってくれたお漬物。

夕飯前、花と、猫用の部屋で話す。受験生の花に、家族全員の不調のしわ寄せが来ている。誰よりも家族全員の幸せを願っている花。このままでは花が壊れてしまう。真っ暗な部屋で「死にたい」「逃げたい」「誰か助けて」とうずくまって泣いている花を見て、心がビリビリに引き裂かれそうになる。

夜、眠と話す。私たちがいなかった間、「さみしかった」「不安だった」と泣いていた。「自分はこの家の厄介者だから、居なくなった方がいい」「入院したら、パパさんもママさんも花さんも居なくなるから、さみしい。けど、治すためには入院しなきゃならない」と言って泣いていた。

「二度とさみしい思いはさせないよ」と言って、抱きしめて、背中をさすった。

眠と花が寝静まった後、階下へ。今度は落ち込む野々歩さんの隣に座る。野々歩さんのことも抱き締めて、背中をさする。「大丈夫、大丈夫」と言ったら、「ゆりっぺの舌ったらずな声聞くと安心する」と言ってくれた。私がしっかりしなければ、と自分自身に言い聞かせる。

 

私は今までに1度だけ、
母に棄てられたことがあります。
小学校中学年のお正月のことでした。
離婚した父が突然やってきて、
食卓にドカンと座って、
私たちに
「白い皿を持って来い!!」
と怒鳴りました。
言われた通り持っていくと、
父は自分の髪の毛をビリビリ引き抜いて
白い皿の上に次々と載せました。そして、
「俺がどれだけ苦労しているのか、わかってるのか!!」
と怒鳴りました。
私も姉も弟も、怖くて何も言えませんでした。
すると、出かける準備をして、目を真っ赤にした母が、
姉→私→弟の順に玄関へ呼ぶのです。
「由梨」と呼ばれて玄関へ行くと、
目を真っ赤にした母が座っていて、
私を抱き寄せて、
「由梨ちゃんはかわいいから。
誰からも愛されるから。
大丈夫。大丈夫よ。」
と言って泣いていました。
私は、直感的に
「ああ、お母さんは、いなくなるんだな。
どこかに、死にに行くんだろうな」
と思いました。
ちょうどその頃、親類にお金を騙しとられたり、
大変な出来事が次々と母に降り掛かっていたことを
私たちきょうだいも知っていましたから、
母が限界を感じて死にたくなるのも
無理はないと思っていました。
でも、母を失いたくありませんでした。
でも、なぜか「行かないで」と言えませんでした。
私は、笑顔で弟と交代しました。
弟との話が終わってから、
母が「ちょっと出かけてきます」と言って、
玄関のドアを出る音がしました。
そして、駐車場の母の車のエンジンがかかる音がしました。
私たちきょうだいは一斉に立ち上がりました。
そして、裸足のまま玄関を飛び出しました。
母の車の後を走って追いかけたけれど、
母の車は50メートル先のゴミ集積場の角を曲がって
やがて見えなくなりました。
私たちは家に戻りました。
そして、見つけたのが、
一人に1通ずつ残された、母の遺書でした。

 

今まで、私は、眠と花を何回棄てただろう。
眠と花が物心ついてからも自殺未遂を繰り返し、
「死にたい」という言葉を繰り返し、
その度に眠と花は、私という母親から棄てられたのだ。
いつ母親に棄てられるかわからない不安を抱えて
生きてきた眠と花のために、今、私ができること、
それが「甘え直し」「育て直し」なのだ。
泣きたい時には、思い切り泣かせてあげたい。
甘えたい時は、気が済むまで甘えさせてあげたい。
眠と花が幼い時に、そうさせてあげられなかったから。

綺麗な言葉を並べるだけでは、
人の心を癒すことは出来ない。
大切なのは、綺麗事の一切を脱ぎ捨てて、
本気で相手と向かい合う覚悟なのだ。
肝心な部分をはぐらかさない。
そして、いつか綺麗な言葉が溢れる日常を取り戻せたら。

 

【2022年12月8日 木曜日 眠17歳 花15歳 由梨41歳】
仕事で中野へ。17時過ぎてようやく終わり、帰途。
夕食の後、眠と一緒に薬局へ行く。
台所用のハンドソープなどを買う。
帰り、遠回りして神社の境内へ。
眠の呼吸が不規則で荒くなる。
「誰もいないからマスク外しちゃおうよ」
そう言ってマスクを外したら、
冬の夜の冷気が顔全体に広がって、気持ちが良かった。
まだ呼吸が苦しそうな眠の手を握る。
眠が一瞬、はにかむように笑った。
私はもう、自分以外の誰かと肌を触れ合うことをためらわない。

「二度とさみしい思いはさせないよ」と約束した。

私、強い母親になります。

 

 

 

陸橋を渡る

 

村岡由梨

 
 

【2022年11月15日 火曜日】
15:00頃、仕事の帰りに自転車で、
世田谷代田・宮上陸橋を渡る。

朝ポツポツと降っていた小雨は止んでいた。曇天。人も車もさほど多くない。

ふと、この陸橋を通る時の気持ちや日々のあれこれを
言葉にして記録してみようと思い立つ。

スマホでフェイスブックを見る習慣があったけれど、今は、なぜだかこわくて見られない。スマホのホーム画面にあるフェイスブックのアイコンの先に、とてつもなく巨大な、手に負えないほど深く黒い世界が広がっているような気がして、開くことができない。かろうじて、お知らせだけはチェックすることが出来る。今日は詩人の長田典子さんのお誕生日とのこと。お祝いのメッセージを送りたいけれど、出来ない。ごめんなさい。長田さん、お誕生日おめでとうございます。

帰って、風呂場やトイレ、水回りの掃除。

夕飯に、たらこスパゲティを作る。
他に、ブロッコリーのソテー、
アボカドとスモークサーモンのサラダ。
娘たちは、「おいしい」と言って完食。

私が台所に立っている隙に、花が私のスパゲティにたくさんのレモン汁をかけるというイタズラをする。

私は、花のそういうところが好き。

これから、久しぶりに自分で髪を洗おうと思う。
ここのところ、ひどい鬱で自分で洗うことが出来ず、野々歩さんが週1ペースで洗ってくれていた。

花は明日から期末テストで、懸命に勉強に励んでいる。

私のvimeoのアクセス解析をチェックするのが日課の野々歩さんから「新宿で『スキゾフレニア』が観られているよ」と聞き、絶縁状態の姉が観ているのかもしれないと、恐怖で体が震える。また見当違いのクレームをつけられて、しつこく上映妨害をされるかもしれない。

母屋でまた、母と弟が言い争っているのが聞こえた。

 

【2022年11月5日 土曜日】
上原で、旧知の仲の税理士さんや司法書士さん、草多さん、野々歩さん、私で、志郎康さんの相続の話や、今後どうするかなどの話をする。まりさんの在宅介護がこの先ずっと続くのかと思うと、絶望感で目の前が真っ暗になった。この日を境に、精神的にも身体的にも今まで以上に追い詰められ、食事も喉を通らず、まりさんの顔や話し声がずっと私の頭の中をぐるぐると回るようになった。そんな中、這いつくばるように仕事へは行く。

 

【2022年11月9日 水曜日】
12:30頃自転車で陸橋を渡る。
「自分が死んだら人に迷惑がかかる」
「自分が死んだら人に迷惑がかかる」
と念仏のように唱えながら、何とか渡りきる。

15:00頃、桜上水での仕事を終え、
駐輪場で遺書を書く。

眠と花へ
野々歩さんへ
母へ
弟へ
姉へ
鈴木真理子さんへ
後田彩乃さんへ
さとう三千魚さんへ
さとうさんのおかげで、画家の一条美由紀さんや、詩人の長田典子さんなど、素晴らしい才能を持った方々との交流がうまれた。さとうさん、ありがとうございました。

遺書を書き終え、やっとの思いで自転車を漕ぎ出す。涙が止まらず、嗚咽が止まらない。
近くの日大の学生たちがびっくりしてこちらを見る。

名前のない大通りに出る。
どこまでも一直線にのびた道路。
終点の見えない不安で、
足がすくむ。
人もいない。
車もない。

私ひとりだった。

自転車を漕ぎながら、
子供のように声をあげて泣いた。
もう1ミリも先に進めない。
何度も立ち止まり、嗚咽する。

それでも何とか経堂のクリニックに着いて、
野々歩さんと川畑先生の顔を見て
また涙が止まらなくなる。

野々歩さんが、その場でまりさんのケアマネに電話して、私の代わりに月・木・土の夜の排泄介助に行ける人を探してほしいと伝える。見つかるまでは、野々歩さんが毎回付き添ってくれることになった。

川畑先生に入院を勧められる。
仕事の都合もあり、
入院はひとまず保留。
寝る前の薬が1種類増える。

帰宅後、国保連へのレセプト請求の仕事をする。

 

【2022年11月10日 木曜日】
いちいち夜の上原へ付き添わなければならなくなった野々歩さんがイライラしている。

 

【2022年11月12日 土曜日】
午前中、花の中学校で学芸作品発表会。

3年生の合唱『大地讃頌』を聴いて胸が詰まる。

花がポスターコンクールで金賞をもらって、表彰される。

午後、体調の良くない眠に付き添って経堂のクリニックへ。

帰り、眠も私も少し気分が晴れて、
電車に乗って歩いて帰宅する。
時々、眠の手が私の手に触れる。
気持ちの良い天気だった。

多摩美の有志の方々が志郎康さんを偲ぶ会を企画して下さったが、どうしても参加する気分になれなかった。私が長年まりさんとの関係に苦しんでいることを知らない人達ばかりがいるところに行って、さらに苦しむ勇気などなかった。まだ髪の黒い若いまりさんが映った映像を観るだけで、まりさんが怖かった頃のことを思いだし、動悸が激しくなる。

19時からはzoomで詩の合評会。
今回提出した作品が思いの外ダメ出しを食らい、落ち込む。

その後、野々歩さんと上原へ。

突然まりさんに「志郎康さんが亡くなって、由梨さんにとってわたしはどうでもいい存在なんでしょ」と言われ、混乱し、返答に困り、精神的に追い詰められる。

 

【2022年11月13日 日曜日】
午前中東松原の仕事で行き帰り陸橋を渡る。

私がもし、今よりもっと、誰に対しても優しく思いやりの持てる人間だったなら、私の周りの人たちは(きっと私自身も)苦しまずにすんだのにと思う。

今日の夕飯は、眠のリクエストでカレイの煮付けを作った。私の隣に座っていた花は、一生懸命小骨を取って食べていた。猫たちは気ままに過ごしていた。昨日今日と、取り立てて何かあったわけではないけれど、家族4人で過ごしたという、ただそれだけの束の間の幸せを、私は死ぬまで忘れないと思う。

 

【2022年11月14日 月曜日】
午前中桜上水の仕事で行き帰り陸橋を渡る。

陸橋下の環七を
何台もの車が走っているのを
ぼんやりと見る。

野々歩さんが、
帰りが遅い私を心配して
何度も電話やメールをくれた。
その度に
「だいじょうぶだよ」
「もうすぐ家に着くよ」
とロボットのように繰り返した。

夕飯に、きつねそばを作った。
大根菜とお揚げと
ちくわの磯辺揚げをのせた。
ねむはな完食。

私の中の不穏を察知してか、
花が何度もハグしてくる。

私もその細くてやわらかい体をきつく抱き締める。

いつまでこうして抱き締めることが出来るのだろう。

冷蔵庫の野菜室にある、きゅうり・玉ねぎ・にんじん・ピーマン・大根・生姜。

今、私が死んだら、
野々歩さんはきっと料理をしないだろうから
この野菜たちは誰にも使われず、
腐っていくんだろうな。

 

【2022年11月16日 水曜日】
川畑先生のカウンセリング。
私にとって、自殺は唯一の逃げ道で、
そのおかげで今、
何とか自分を保っている、
精神病院に入れば
その自由を奪われてしまう
という話。

 

【2022年11月17日 木曜日】
9:07 陸橋通過 快晴
雪をかぶった白い富士山がきれいに見れた。

15:07 陸橋通過
くもっていたので、富士山は見えないかなと思ったけれど、振り返ってみたらはっきり見えた。若い女たちがスマホでお互いを撮りあっているのを見て、激しく気落ちする。

激しい希死念慮を抱えているのに、自転車の荷台に、その日の夕飯の食材をのっけているという矛盾。豆腐と根菜類をたっぷり入れたすまし汁とピーマンの肉詰めを作ろうとして。

あと、仕事用のカバンからヘアゴムが3つも見つかった。我が家は皆、髪の量がものすごく多いので、ヘアゴムをすぐにだめにしてしまう。

 

【2022年11月18日 金曜日】
17:07 陸橋通過。日が暮れて、汚れたオレンジ色の昼空の名残に富士山の稜線がくっきりと浮かび上がっている。心身の不調が著しい。心も体もまるで借り物のような感覚。けれど胃の痛みはおさまらない。私が生きているという証?これからまた陸橋を渡って帰る。

 

【2022年11月20日 日曜日】
深夜、母屋で母と弟が激しく言い争っているのが聞こえる。その後、母から私に電話があり、今度は私が怒声を浴びせられる。つらい時間を、ただただじっと耐えるしかなかった。

 

【2022年11月21日 月曜日】
午前中の仕事を休む。母からのメールに打ちのめされる。午後臨時で、すがるような気持ちで川畑先生のカウンセリングを受ける。

 

【2022年11月22日 火曜日】
ふと、近頃母ときちんと話してないな、と思い母屋へ。30分ほどおしゃべりする。重い悩みでも、母と話すといつのまにか大笑いしてしまう。いっぱい喋って、いっぱい笑った。胸に重くのしかかっていた不安が少し晴れた。

 

【2022年11月23日 水曜日】
雨。仕事で桜上水へ。ひどい目眩で吐き気もするけれど休むわけにはいかない。早めに時間を切り上げさせて頂いて、帰宅後倒れるようにベッドへ。目を閉じて、雨の音に耳を澄ます。ふと、家の屋根が、私達を雨から守ってくれている事に気が付く。そう、いつも私達は何かに守られている。

 

【2022年11月25日 金曜日】
18:00頃、自転車で陸橋を渡る。陸橋下の環七に連なる車のライトがきれいだった。立ち止まってスマホで写真か動画を撮ろうと思ったけれど、撮らなかった。今日は立ち止まりたくなかった。流れを止めたくなかった。今日はそんな気持ちだったことを、早く帰って大切な人達に伝えたかった。

 

【2022年11月27日 日曜日】
11:22、陸橋通過。苦しい日が続いている。晴れた空や楽しそうに行き交う人達を見て、一方的に孤独を募らせる。「今も昔も平気で人を傷付けて周りを不幸に巻き込みながら、 現在進行形で私は生きている。そう言いながら、『あなたは悪くない』という言葉をどこかで期待していた 狡い私」