塔島ひろみ
その木が何のために植わっているのか、私は知らない
誰が植えたのかも、私のものなのかすら、忘れてしまった
けれど私の家の庭にそのミカンの木はあり、毎年実をつけた
いつからかその実を私は、取らなくなった
木は高くて手が届かなかったし そのまま食べるには酸っぱかった
時々道に実が落ちてつぶれていた
ミカンはライフのがいつも甘く、その方がよかった
毛糸の帽子を深めにかぶり、雨でもないのに傘を持ち、
薄汚い白っぽいジャンパーを着て
男が、少し傾斜のある細いこの裏道を歩いていた
角の家には大きなミカンがなっている
それを知っていたから、傘を持って歩いていた
ミカンの家はいつも陰気くさくて若いのはいない
通りすぎざま、傘をひゅっと高く持ち上げて、果実をもぐ
次の瞬間ミカンは彼の左手の中にあり、次いでジャンパーのポケットに突っ込まれた
ミカンは男のものになった
立ち止まることなく男はその妙技をやってのけ、振り向きもせずに歩き去る
それを、2階から見た
みじめな男がミカンを食糧にするさまを、見下ろした
ゾクリと気持ちよい感覚が首筋をくすぐる
どうでもよかったミカンの木は、はじめて「私の木」になった
男は新鮮なそれを、私のミカンを、神社の公園でガツガツとうまそうに食うのだろうか
今日は私の誕生日だ
雨戸を閉め、今日は早めに
残酷に眠る
(1月某日、立石8丁目で)