塔島ひろみ

 
 

空は青いのがよいと思った
広く、晴れわたり、カモメが悠々と飛んでいる
日が暮れて、赤く輝く西空もまた、好きだ
その空は、家々の屋根も、この部屋の汚ない絨毯も、私の指も伸びた爪も、なんとも魅力的な色に染めてくれる
そして夜
大きな月と闇の中に瞬く星
たまに渡り鳥の群れが現われ、どこへともなく飛び去っていく
空を見るのが好きだった

その空は、その、どれでもなかった
電信柱と同じ色の、そこから垂れた電線にぶら下がっているような、空だった
くすんでいた

老婆は、北風が強く吹く夕暮れに、狭い路地からぬっと現われ
卑屈さと、自信とが入り混じった醜い顔で、空を指差し
「ほら、すごいわよ」
と私たちにそれを見るように促した
「あんなに」
「鳥よ」
と嬉しそうにずるそうに言った
その方向に私が見たのは、薄汚れた屋根屋根の上にだらしなくたるむ何本もの電線、
その電線に止まる数羽の、電線と同じ色の冴えない鳥
その隙間に、そこに建つ特徴のない家々の壁と同じ色の場末の、この江戸川区西小岩2丁目の空が、少しだけあった
ちょっぴり何かを期待して見上げた私はがっかりし、視線を下ろすと
この寒さに薄手のカーディガン一枚羽織るだけの老婆の そのカーディガンの紫色が、鮮やかだった
そうですね、とだけ言って踵を返し、歩き出す
「空を見なさい!」
「空見なきゃダメだろ!」
後ろから狂った女の怒声が追いかけてくる
早足で逃げた

私だって空を見るのだ
もっといい空を知っているのだ
この坂を登れば新中川にかかる橋に出る
そこには電柱も電線も邪魔しない空が一面に広がるのに
澄んだ雲が風に流れる大きな空は、いろんないやなことも忘れさせてくれるのに
どうしてあんな空を女は自慢するんだろう

カラスの鳴き声が空のどこかで遠く響いた
橋の向こうから自転車で、高校生の集団が走ってくる
気付くと 一緒に歩いていた娘がいない
振り返る

坂の下の澱んだ場所に、娘はいた
何年も前につぶれた楽器屋の看板の脇で、老婆と並んで、空を見ていた
二人は、少し笑って、電線に仕切られた西小岩の空を眺めていた
その空は、今私の上に大きく広がるこの空と同じ、何もない、ただの、空でしかない空
同じ空だ

鳥が来た
私の頭を通りすぎて、鳥は彼女たちが見ているいびつな電線に向って飛んでいく
そこに止まる

 
 

(2月某日、西小岩2丁目街道沿いで)

 

 

 

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