花からもしっかりと見られているのでなければ

 

駿河昌樹

 
 

桜が咲きはじめている

もう満開のようになっている木もある
まだほとんど咲いていない木もある

ひとりひとり
異なった宿命を与えられている人の世のようだとも思いながら
桜の並木づたいに歩いていく

花を見る
花を愛でる
などと
平気で言ってしまいがちだが
見ることや
愛でることは
やはり
ほんとうにむずかしい
希少な瞬間に恵まれなければ
かなわない
ことでもある

花を見るとき
花からもしっかりと見られているのでなければ
見たとはいえないのだろう

この頃はよくわかっている

花がこちらを見てくれるまでには
ずいぶんと時間がかかり
こころの沈黙もかかる

こちらのこころの沈黙だけが芳香を発して
かれらの注意を引きよせる
沈黙が底知れぬ淵を出現させ
そこから花々を惹きつける芳香がのぼる

桜に見られたことはあるか

どのくらい
あるか

あったか?

それほどまでに
どのくらい
“居ない”
ことが
できてきていたか

 

 

 

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