レ・サングロロン デ・ヴィオロン

 

駿河昌樹

 
 

詩というと
ヴェルレーヌの『秋の歌』に
やっぱり
極まっちゃうのかな

思う

近代の

の場合は

簡単
シンプル
音の粋

だれもに沁みる
嘆き節
嘆き節以外に
詩なんぞ
ある
もんか!

あきらめ悟ったうえでの
明瞭な
つぶやき

ああ、いいね
あの音

 レ・サングロロン
 デ・ヴィオロン
 ドゥ・ロトン
 ブレス・モンクー
 デュヌ・ラングー
 モノトン

 トゥ・シュフォカン
 エ・ブレーム・カン
 ソンヌ・ルー
 ジュム・スヴィヤン
 デジュー・ザンスィヤン
 エ・ジュプルー

 エ・ジュマンヴェ
 オ・ヴァンモヴェ
 キ・マンポルト
 ドゥサ
 ドゥラ
 パレイユ・アラ
 フゥユ・モルト*

「なによりも音楽を!」
と言った人の
詩だから
まずは音でしょ
カタカナを通したのでもいいから
まずは音でしょ

意味は添え物

人生の意味や意義が
いつも
添え物でしかないように

だから
訳す必要はない

 秋の何挺かのヴァイオリンの
 長いすすり泣きが
 抑揚のあまりない愁いに満ちた音色で
 私の心を傷つける

 時の鐘が鳴る時
 息苦しくなり青ざめて
 私は昔の日々を思い出し
 涙を流す

 そして私は立ち去っていく
 悪い風に
 枯葉のようにそこここに
 運ばれながら

などと
なるべく芸もなく直訳ふうに意味を取ろうとしながら
訳す必要など

 
しかし
芸もなく直訳ふうにしてみると
うまかったなあ
上田敏は

思い出す

 秋の日の
 ヰ゛オロンの
 ためいきの
 身にしみて
 ひたぶるに
 うら悲し。

 鐘のおとに
 胸ふたぎ
 色かへて
 涙ぐむ
 過ぎし日の
 おもひでや。

 げにわれは
 うらぶれて
 ここかしこ
 さだめなく
 とび散らふ
 落葉かな。

やっぱり
これも
うまかったなあ
堀口大學の
訳も

思い出す

 秋風の
 ヴィオロンの
 節ながき啜泣(すすりなき)
 もの憂き哀しみに
 わが魂を
 痛ましむ。

 時の鐘
 鳴りも出づれば
 せつなくも胸せまり
 思ひぞ出づる
 来し方に
 涙は湧く。

 落葉ならね
 身をば遣る
 われも、
 かなたこなた
 吹きまくれ
 逆風(さかかぜ)よ。

金子光晴の訳も
あったなあ
これは
すっかり口語になっていて
なるほどなあ

思い出す

 秋のヴィオロンが
 いつまでも
  すすりあげてる
 身のおきどころのない
 さびしい僕には、
  ひしひしこたえるよ。

 鐘が鳴っている
 息も止まる程はっとして、
 顔蒼ざめて、
  僕は、おもいだす
 むかしの日のこと。
  すると止途もない涙だ。

 つらい風が
 僕をさらって、
  落葉を追っかけるように、
 あっちへ、
 こっちへ、
  翻弄するがままなのだ。

そもそも
音だけでいいのだし
これだけ
訳もいろいろあるのだし
訳す必要など
ない
こんなふうには

 秋
 すすり泣く
 ヴァイオリン
 緩急なく
 ながながと
 音のびて
 愁いのしみる
 わがこころ

 時の鐘
 鳴ったりすると
 泣けてくる
 思い出すのだ!
 むかしの日々を!
 息も詰まり
 青ざめたかな?
 すこしは
 顔も

 そして
 枯葉
 まるで
 枯葉
 荒っぽく
 そこやここ
 吹き散らされて
 去るほかに
 なきわたくしと
 なりにけり

 なりにけり

 
 

*Chanson de l’Automne  Paul Verlaine (1844 – 1896)

Les sanglots longs
Des violons
  De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
  Monotone.

Tout suffocant
Et blême, quand
  Sonne l’heure,
Je me souviens
Des jours anciens
  Et je pleure;

Et je m’en vais
Au vent mauvais
  Qui m’emporte
Deçà, delà
Pareil à la
  Feuille morte.

 

 

 

炭をつぐ

 

駿河昌樹

 
 

佐藤佐太郎の
第一歌集『軽風』に

炭つげば木の葉けぶりてゐたりけりうら寒くして今日も暮れつる *

とある

「うら寒くして今日も暮れつる」
から
なんと近代は
逃げ遠ざかろうと
して
きたことか

逃げたところで
「うら寒くして今日も暮れつる」

どこまでも追ってくる
どこにでも現われる

佐藤佐太郎の主張した
純粋短歌
とは
なんだったか?

「うら寒くして今日も暮れつる」
から
逃げないことか

思われる

この世の
ひたすらな
うら寒さ
すべてのものの
暮れゆくさま

そのなかにい続けて
ただ
炭をつぐ

炭をつぐ

 

 

* 大正15年作

 

 

 

パダン、パダン

 

駿河昌樹

 
 

   Il dit : « Rappelle-toi tes amours,
   Rappelle-toi puisque c’est ton tour.
   Y a pas de raison pour que tu ne pleures pas
   Avec tes souvenirs sur les bras. »

         Edith PIAF : Padam padam
         Lyricist: CONTET HENRI ALEXANDRE 
         Composer: GLANZBERG NORBERT

 

世間のことはみな無常だ
どんどん変わっていってしまう
という
諸行無常

なにひとつ自分の思うようにはならないし
なにもかもイヤで苦しい
という
一切皆苦

じぶんのものなどどこにもないし
どこにもじぶんなんていない
という
諸法無我

これら
仏陀の説いた基本の三つを
三法印というが
これを集中的に学ばされているのが
いまのガザのひとたちだろう
いまだけでなく
何十年にもわたっている

しかし
あのさまを見て
とりあえず
こちらは関係ない
などと思っていれば
すぐにも
これらの基本法則についての確認は
抜き打ちテストのかたちで
どこの
だれにでも
襲いかかってくる

諸行無常
一切皆苦
諸法無我

まるで
エディット・ピアフの歌った
『パダン、パダン』のように

   おまえがどんな恋愛をしてきたか
   さあ
   思い出しておけ
   いよいよ年貢の納めどき
   おまえの番が来たんだからな
   泣かないで済ませられるはずはないぞ
   思い出ぜんぶ
   抱きしめたままでな

 

 

 

ステーキの後の角煮や赤ワイン煮込みのシチュー

 

駿河昌樹

 
 

物語に触れたくないときが
けっこう
いっぱいある

ステーキを食べたあとで
角煮とか
赤ワイン煮込みのシチューとか
出されるような気分

小説であれ
映画であれ
ドラマであれ
小さなお話であれ
なにか
ストーリーのあるものに
もう今は
絡みとられたくない
入り込みたくない
そんな気分

じつは
三十年ほど前から
はげしく
はげしく
そんな気分になっていて
だれかの人生にまつわるお話も
「今日こんなことがあったんだよ」的な
ちょっとしたお話も
ステーキのあとの
角煮や
赤ワイン煮込みのシチュー

それでいて
物語の最たるものである
歴史なら
どんなものでも
スポンジが水を吸うように
いくらでも
ごくごく飲み干さんばかりの
奇妙な気分

どうやら
ひとが創作したものに
拒否反応が
ひどくなっているらしい
ひとのアタマが考え出そうとした
構造とか
統一とか
効果とか
そんなものはどれも
ステーキのあとの
角煮や
赤ワイン煮込みのシチュー

 

 

 

ものを見つめる

 

駿河昌樹

 
 

けっきょく
ものをたくさん持っていても
ものをあまり持っていなくても
ものをほとんど持っていなくても
どうでもいい

ひとつのものを
よく見つめるときには
そのひとつしか見られないので
ほかにたくさん持っていても
ほかのものは
見つめられない

ものを見つめる
ということが
おのずと強いてくる
おそるべき
平等性
というものが
ある

なにも持ってないときには
きっと
指や手を
腕を
足先や
足裏まで
ほんとうに
よく
見つめるだろう

なにかひとつでも
持っているものを見つめていたら
指も手も
腕も
足先も
もちろん
足裏も
まったく見つめないだろう

 

 

 

愉快、愉快

 

駿河昌樹

 
 

―自由詩形式を使うのは
ある意味
もっとも原初的な文字の書き付けに
遡るっていうことだろうね

―そう
韻律さえ採用しない
最初期の
書きつけにね

―文章形式を採らない
というのは
すでに文章やさまざまな詩形式や
くわえて
短歌や俳句どころか
メール形式やショートメール形式や
LINE形式まで
出現してしまった後の
現代という時代においては
ひじょうに
大きな選択だと思う

―というか
自由詩形式の地点から見れば
それらすべてが
自由詩形式の枠内に
収まってしまうんだよね

―文章さえもがね
ちょっと
適切な改行の配慮やセンスのない
羅列記号伝達線として
見えるね
そういうのも
自由詩形式は包含してしまう

―ほら
欧米の定型詩を
日本語で翻訳する場合に
ほとんどの翻訳は
ちゃんと定型詩にしてないでしょ?
それ自体が
どうしようもない茶番で
許されざる蛮行なんだけれど
意味だけ伝えればいい
みたいな
ヘンな居直りが許されてちゃってる

―それでいて
形式は原詩のかたちを踏襲する
みたいなね
主語や動詞や形容詞や副詞などの配置は
まったく違っちゃってるのに
笑っちゃうよね
詩にとっては
じつは各品詞や各単語の配置そのものが
最重要で
それが動かされてしまえば
もう
まったく別のものになってしまうのに

―詩の翻訳なのに
文章の翻訳と同じでいいと
勝手に決められてしまっていて
それに従って
文章ならざる改行を施されたかたちが
提示され
詩でございます
と言われちゃうのね

―まるで
犯罪を犯した中年女性のことを報道する写真に
中学生時代の
お下げ髪の写真を使うような……

―しかも
全国放送のテレビニュースで
大々的に映しちゃう
みたいな……

―そんな粗い手つきが
共通してるよね
みたいな……

―ま
外国の詩を読む際の
いちばん正しい手順というか
所作というか
それは
やっぱり
ABCからその外国語を学んでいく
っていうことで
誰かが意味だけを伝える翻訳を
ヘンな詩のふりのかたちに並べたものを読むのとは
まったく違うと思うね
この言葉では
「花」を
こんなふうな綴りで書いて
こんなふうな音で発音するのか
なんて
そんなことに感心することのほうが
ひとつの特定の詩には
よっぽど近づいていける

―そうだろうね
文章と詩では
もう
まったくアプローチが違う

―ところで
こんな話をするつもりじゃ
なかったんだがね
つい
うっかり
つまらない話に入っちゃったね

―ま
つまらなくもなかったけれど……
それじゃ
きみの思う
「おもしろい」話に
なんとか
転じさせようじゃないか
どんなのが「おもしろい」のか
わからないけれど

―転じさせよう
って
なると
あれかな?
小津安二郎の『東京物語』みたいに
登場人物のおやじたち
三人で
「愉快、愉快」
とかいって
居酒屋で
むりに盛り上げ直そうとするみたいな
あれ?

―居酒屋で
夜も遅くなって
ずいぶん酔ってきたのに
三人で飲んでいる
あの場面ね
話が子どもの話になってさ
子どもをふたりとも戦争で亡くした
十朱久雄演じる代書屋は
笠智衆演じる平山と
東野英治郎演じる沼田の議論には参加せず
もう飲めない…と
ひとりで
ふらふらしてしまっている

―そうね
三人でいっしょに並んで飲んでいながらも
生き伸びている子どもの話には
彼は入り込みようがない
三人でいっしょに飲んでいても
彼ひとり孤独
話を合わせようとしても
ひとり孤独
座って
酔って
ひとりでゆらゆら揺れているしかない理由が
あまりに明瞭すぎて
とてもわびしい場面だよね

―十朱久雄は
むかし
テレビの子ども番組の『丸出だめ夫』で
お父さん役をやっていたよね
どうでもいいことだけど

―いや
そういうことがさ
どうでもよくないんだよ
森田拳次のマンガが原作のやつだよね
丸出だめ夫のお父さんは「丸出はげ照」といって
頭のてっぺんが禿げているが
すごい科学者なんだ
ロボットならぬ「ボロット」などを発明し
ノーベル賞を取れそうで取れないほどの天才科学者で
ちょっとおじいさんっぽく見えるが
実年齢は30代後半らしい
それでね
なぜ
十朱久雄が丸出だめ夫のお父さんを演じていたのが
どうでもよくないことか
というと
1966年から1967年にテレビ放映されていた『丸出だめ夫』を
見た子どもたちは
もちろん子ども時代に1953年制作の
大人向きの超渋い『東京物語』なんて同時代には見やしないから
『東京物語』を見るのは
だいぶ成長して大人か青年になってからに決まっている
そうして
ある時
小津のこの名作映画を見てみて
おや
この代書屋を演じているオジサンは
『丸出だめ夫』のあのお父さんじゃないか!
とrecognizeするわけよ
そうするとさ
いくら『東京物語』のこの場面が
多義的な意味性に富む「深い」場面だとしても
同時に『丸出だめ夫』のお父さんとしての十朱久雄の姿が浮かんでくるし
しかもどっちの映画の場合も
ハゲおやじだものだから
『東京物語』の中の息子ふたりを戦争で失った代書屋の
さびしい泥酔ぶりを見つつも
『丸出だめ夫』の天才科学者「丸出はげ照」が
そこにぴったり二重写しになって
こころの中ではやっぱり笑ってしまう
という内的事件が起こる
しかも
テレビ隆盛期をしっかり多量にテレビ漬けで育ってきた子なんかは
彼の娘が
映画にもテレビドラマにもCMにもいっぱい出ていた
なかなか美人の十朱幸代なのも知っていて
よくこんなオジサンから
あんな娘が生まれてくるもんだなあ
などと子ども時代に不思議に思ったりもしていたものだから
そんな疑問も
『東京物語』鑑賞中にこころに蘇ったりすると
『東京物語』の代書屋の「内なる悲劇」になんて
没入するどころではなくなる
わけだよね

―そういうのも
あれだね
間テクスト性ってやつかね

―インター・テクスチュアリティーね

―で
『東京物語』では
子どもに期待しすぎるのは親の欲だ
というところで
三人の居酒屋談義は一応の結論に達し
みんな酔いに酔って
疲れて
代書屋以外のふたりもふらふらしてきたところで
「愉快、愉快」
という言葉がくり返されるわけね

―愉快でもなさそうなのに
「愉快」
とわざわざ言うことで
無理にもこころを
「愉快」
のほうに持って行こうとしているかのようで
逆に
さびしさが出てくる……

まあ
映画紹介とかなら
ニッポンお得意のお涙頂戴路線へ
傾けていこう

する
ところ

―あの「愉快」という言葉は
映画の最初のほうでも
中学生の子どもが
「ああ愉快だね、ああ楽ちんだ」
と言うところで出てきていたけれども
もともと
学校の応援歌などで使われていたようだよね
今でも
早稲田大学や
群馬県立太田高校や
神奈川県立厚木高校の応援歌で
「愉快だね節」
というのがあって
これらは小津の映画よりも後に作られているのだけど
昔の高校などで
けっこう歌われていた元歌があったらしい

―よく知ってるじゃない?
太田高校の「愉快だね節」なんかは
こんな歌詞になってるんだよね
 

   ああ 愉快だね 愉快だね
   ああ 愉快だね 愉快だね
   ああ 愉快だね 愉快だね
   ああ 愉快だね 愉快だね
   もしも 太高が 負けたなら
   電信柱に 花が咲く
   絵にかいた ダルマさんが 踊りだす
   焼いた魚が 泳ぎだす

 
https://www.youtube.com/watch?v=3ufryMSK5Rw

 

 

 

なんという研ぎ澄まされた緻密で精妙な狂気

 

駿河昌樹

 
 

     真実とは、みずから錯覚であることを忘れた錯覚である。
     フリードリヒ・ニーチェ

 

六月二八日に
初台の新国立劇場で『ラ・ボエーム』を聴いた

指揮は大野和士
演出は粟国淳
楽しかったし見事で
他の数ある名演と比較する必要もない出来映えで
満足が行き
つまり
とてもよかった
特に第二幕の演出の楽しさは出色だった

わたしにとっては
これは生涯思い出に残る『ラ・ボエーム』となるだろう
そう思われた

難を言えば
ロドルフォ役のスティーヴン・コステロが
ときおり
楽器に負けてしまうことがあるように聞こえたところか
とはいえ
それも
好みで分かれるものかもしれない

しかし
劇場側にとっての大失策があった
第二幕のはじまりで
音楽の開始に舞台が付いて来れなくなり
いったん停止して
再開し直したことだ

照明準備が整わないうちに
音楽のほうが始まって
しばらく進んでいってしまったのだった

失策には違いないだろうが
聴衆の側にとっては
ちょっと面白いハプニングで
停止して説明が入った後
客席からはすこし笑いが湧いた
これが
逆に舞台と聴衆を引きつけることになり
その後の第二幕以降は
聴衆の側からすれば
もっと楽しく展開を受けとめていけることに
繋がった
歌舞伎で舞台と客席を繋ぐ花道の役割を
このちょっとした失策が
予定外に演じることになったようなものだった

まあ
それは
それとして。

いったん停止して
第二幕が再開されるまでの
しばらくのあいだ
わたしは
劇場内の天井や
照明のあれこれや
二階席や
三階席などを見上げて
日ごろ
それほどしげしげ見上げるわけでもない
劇場内を見直していた

昔なら
想像もつかないような
オペラ向きの立派な劇場が
25年前にこのように出来て
たまたま今夜
じぶんは1階16列35番に座って
プッチーニの最も乗りのいい『ラ・ボエーム』を
名指揮者大野和士の指揮で聴いている
と思った

しかし
こうも思ったのだ

じぶんが生まれてからの日本は
というより
祖父母や父母の世代からの日本は
結局
欧米の正確な模倣に営々と励んできただけのことで
その結果が
新国立劇場のこの立派なオペラ空間でもある
そういうことではないか?

欧米のどこの国も
国立の歌舞伎劇場や雅楽堂や能楽堂や文楽劇場を建てたりはしない
観客が高い料金を出してそれらを見に来るわけでもない
しかし日本は
ヨーロッパのものであるオペラに恋し続け
日本人の立派なオペラ歌手も育てられるようになり
欧米から優れたオペラ歌手を呼んだり楽団を呼んだりする
今では見事にオペラを我がものとし
欧米に肩を並べられるほどに成長したと言えるものの
それが見事であればあるほど
底なしにうら寂しい眺めではないのか?
どこまで自らの本性を捨て切り
どこまで欧米の模倣だけを進歩と呼んで邁進し続けるのか?

ヴェルナー・ヘルツォーク監督の映画『フィッツジェラルド』では
クラウス・キンスキー演じるオペラ狂いのアイルランド人フィッツカラルドが
アンデスに鉄道を敷設しようとして失敗し
次にはイキトスにオペラハウスを建てるべく
アマゾン奥地にゴム園を拓いて一攫千金を試みたり
インディオを酷使して巨船を山越えさせる狂気ぶりを発揮するが
日本は列島全体ではるかに底知れない狂気を演じているだけではないか?

武力と経済力を我がものとしたヨーロッパとアメリカの時代に
アジアの極東の一小国として居合わせてしまった不幸
といえばいえるのかもしれず
人類史的にはただそれだけのことかもしれないが
それにしても
なんという研ぎ澄まされた緻密で精妙な狂気
知性も感性も悟性もいっぱいに注ぎ込んで
何世代もかかって一身に欧米の模倣にのみ邁進するという喜劇
この哀しさはいったいどれほどのことか?
新国立劇場内の立派な様相を見続けながら
これを思わざるを得なかった

小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』には
三軒茶屋のトリスバー「かおる」で
かつて駆逐艦「朝風」の艦長だった平山(笠智衆)と
元一等兵曹の坂本(加東大介)が
こんな会話をする

坂本 けど艦長、これでもし日本が勝ってたら、どうなってますかねえ?
平山 さあねえ…
坂本 勝ってたら、艦長、今頃はあなたもわたしもニューヨークだよ、ニューヨーク。パチンコ屋じゃありませんよ、ほんとのニューヨーク、アメリカの。
平山 そうかねえ…
坂本 そうですよ。負けたからこそね、今の若い奴ら向こうの真似しやがって、レコードかけてケツ振って踊ってますけどね。これが勝っててごらんなさい、勝ってて。目玉の青い奴が丸髷か何か結っちゃって、チューインガムかみかみ三味線ひいてますよ、ざまあ見ろってんだい。
平山 けど負けてよかったじゃないか。
坂本 そうですかね、ウーム…そうかも知れねえな、バカな野郎が威張らなくなっただけでもねえ。艦長、あんたのことじゃありませんよ、あんたは別だ。
平山 いやいや…

大平洋戦争でカルタゴ並みの大敗戦を喫した後
日本は78年かけて
この元一等兵曹坂本の
「これが勝っててごらんなさい、勝ってて。
目玉の青い奴が丸髷か何か結っちゃって、
チューインガムかみかみ三味線ひいてますよ、
ざまあ見ろってんだい」
というセリフを
国民総出で強制自粛し必死に押し殺してきたのだった
ただそれだけの78年であり
この国に歴史と呼ぶべき歴史は
わずか一片も
存在はしなかった

こう言ったからといって
もちろん
これは大平洋戦争の称揚でもなければ
かつてナチスドイツがヨーロッパに対して行なったような
次の報復戦へのハッパ掛けの意図を持つものでもない
この国に
次の報復戦なるものはあり得ない
本当にカルタゴ化されたのであり
骨の髄まで
精神の髄の髄まで滅ぼされたからである

仮に
大平洋戦争に勝って
本当のニューヨークへ日本人が乗り込み
「目玉の青い奴が丸髷か何か結っちゃって、
チューインガムかみかみ三味線ひいて」いたとしても
日本人はやはり
新国立劇場を建て
知性も感性も悟性もいっぱいに注ぎ込んで
何世代もかかって一身に欧米の模倣にのみ邁進し続けただろう

この国の病は
太平洋戦争に勝つ程度のことで癒えるような
そんな浅いものではないのだから

もっともっと古い頃に
とうの昔に
魂を
蒸発させてしまっていたのだから

「この世は無常とは決して仏説といふ様なものではあるまい。それは幾時如何なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常といふ事がわかつてゐない。常なるものを見失ったからである。」

小林秀雄『無常といふ事』

「常なるものを見失った」のは
いつだったか?

 

 

 

「ご主人」とか「奥様」とか呼んではいけない

 

駿河昌樹

 
 

       人間は、自分の目の前を通り過ぎていく事件の
       真の原因も影響範囲も、ほとんど見抜けないものである。
               クレメンス・フォン・メッテルニヒ

 

住宅会社のPR書籍の企画・編集の話を
ときどき仄聞する
あってもなくてもいいような本を
とりあえず予算がとれたからということで
その会社の中心にない部署の人間が
なんとか本でもでっち上げて存在証明をしたい
そんな事情で右往左往しているだけなのが
傍で聞いているとよくわかる

それはいいとしても
こういう本は漠然とした世間にむけて作られるため
世の中の現状に敏感に反応する
デュルケームなら「社会的事実」と呼ぶだろうような
なんらかのリトマス紙を使ったり
巧妙適切な抽象化を用いたりして
はじめて認識できるかたちで出てくる状況が
こういう企画によって鮮やかにつかみ取れたりする

住宅を注文してそこに住むようになった顧客を
「ご主人」とか「奥様」とか呼んではいけない
という指示が会社からライターに出ているという
ではどう呼ぶのかというと
夫のことは「オーナー」と呼べというらしい

営利目的の店舗の所有者や使用者なら
「オーナー」で問題ないだろうが
一般の住宅の男性所有者を「オーナー」と呼ぶのは
やはりおかしな気がする
しかし頼まれて文章を書くライター稼業では
発注元のクライアントの意向に従う他ないので
住宅会社の要求通りに「オーナー」と書くのだろうが
日本語のふつうの使い方を平気で無視する
こうした企業の思いつき通りに作文を続けると
数年のうちに日本語は変なほうへと歪んでいく
歪み切った日本語がすでにまかり通っている

もっともこの話を耳にして
「ご主人」や「奥様」に違和感のあった私などは
これらの言い方を避けるのももっともだとも思う
男女平等で共同で暮らしているというのに
どうして男が「ご主人」で女が「奥様」なのか
歴然とした差別と身分分けが入り込んでいるではないか?
少年時代からこのようにつよく感じて
「ご主人」や「奥様」は個人的な忌み語のようになり
これらの表現を口にせざるをえない場合は
なんとなく声が低くなり不明瞭な発音になって
コミュニケーションに微妙な不都合が生じた
「旦那さん」なる言葉も非常に不愉快に感じた

「夫」はともかく「妻」という言葉さえ
刺身のツマのようなものを想起させるので
なんとなく言いづらい気がした
実際に現行の漢字表記だと「妻」と書いて
刺身のツマを表わすので露骨でもある
辞書にはちゃんと「主となるものに添えるもの」
などと説明が書いてあったりもする

私自身の中では理屈上は大いにけっこう
ようやく日本語もまともになって来つつあるか
などと思いはしながらも
これらの表現が使えなくなるとなれば
現実の運用面では非常に不便にもなるのがわかるので
コミュニケーションを取る対人面の「私」には
これはけっこう困ることになるなと思ったりする
ひとりの人間の中ではこういったことにおいて
すっきりと統一などされていないわけで
どうしようもなく内部分裂していたりする

自分の妻のことを「嫁」と呼ぶ男たちがいるが
これなどは「ご主人」や「奥様」以上に
激しく違和感のある言葉に私には聞こえる
東京の人間は絶対に妻を「嫁」とは呼ばない
地方に出かけてこういう表現を耳にするのならば
その地方の方言として聞くからいいし
女性が嫁いだ先の義父母が女性を呼ぶのに
「うちの嫁」と言うのならば正確な使用と言える
「嫁」という言葉には発話者の家系こそが主で
そこにつけ加えるのを女性に許したという認識がある
東京に出てきている地方の人からこの言葉を聞くと
東京人は怒りのようなものを感じる
ならば妻が夫をふつうに「婿」と呼んでもいいのか?
「うちの婿はこんな料理が好きだから…」などと
近所の主婦たちとふだん話していてもいいのか?
そんな疑問がふつふつと湧いてくる
東京の人間は現在は地方からの上京者に寛容だが
こうした言葉づかいを平気でされると
内心ではけっこう怒り心頭に達するところがある
田舎者だからこういうのだろうな
などと心の中で収めていこうとするので
問題はいっそう深刻になっていく
京都人などと違って東京人はなんでも受け入れるようだが
根のところでの差別意識は恐ろしいほど深い
京都人を軽蔑していない東京人はまずいないが
それをまったく顕わさないようにして持ち上げたりして
サービス上の便宜を図らせておくのが東京人である

最近の若者と話していて感じるのは
彼らが「男」や「女」という言葉を軽蔑語として認識していて
みだりに「男」や「女」などと発してはいけないと思っていることだ
「男性」や「女性」と言わなければいけない
私も青少年時代に「男」や「女」などと言うのは野卑だと感じ
「男の人」や「女の人」と言わなければいけないと思っていた
いつのまにか「男」や「女」などとも言うようになったのは
歳とともにスレて世間ずれしたからでもあれば
中上健次のようなアウトレイジ系文学にも親しんだためだろう
現代では中上健次などは完全に廃れて忘れられ
平気で「男」や「女」などと発言するのは「昭和の人」なので
ようするに時代遅れの老人としか受けとめられない
みだりにこんな言葉を口走ったりすると
「はやく介護施設に入ったら?」と思われるだけの時代になった

ことほどさように
とか
言うほかない時代の流れなのだが
とはいえ
「オーナー」っていうのはダメだろう
と思ってしまう

わざと「ダメ」などとカタカナで表記してみたが
開高健が軟エッセーで盛大に使った
こんなカタカナ書きは
1980年代や90年代にはあちこちで大流行していたが
こんなカタカナ書きを混ぜるようでは
私も「昭和の人」と呼ばれて処理されるだけの老体と見られるだけであり
それがイヤなら
いや
嫌なら
SDGsとかLGBTQとかでっち上げて未来の暴利を貪ろうとする
国際金融+軍事+製薬+マスコミの複合体
いわゆるディープステートの
完全出先機関である電通などが繰り出してくる文章やコピー文体を
積極的に真似て
その文体の中でたったひとりのレジスタンスを繰り出していくほか
この地上には
もう
策はない

というか
そんなこと
昔から
状況は同じであったか?

ね?
ブレヒトさん?
チェーホフさん?

 

 

 

ぼくら

 

駿河昌樹

 
 

いつも
はるかな…とか
遠い…とか
言ってたでしょう?
ぼくら?

それでいて
小さなカニとか
アサリとか
たまにはフグの子とか
獲ってばかりいた

あの頃が
いまは
はるかな…とか
遠い…とか
呼ぶべき
かなた

そうして
もう
「ぼくら」
とは言わない

言っても
だれにも届かない

 

 

 

文字をめぐる形而上的現象学

 

駿河昌樹

 
 

本を読むことや
なにか書きつけることについて
もっとも核心的なことを
たいていの人はわかっていない

文字は
否応なしに
人を無私にする

なにかを読んでいる人というのは
名前や履歴や肉体のある誰それではすでになく
読むということの発生場や瞬間でしかない

書いている人も同様で
おそろしいほど抽象的で
非物質的な現象そのものとなっている

文字をめぐる形而上的現象学こそ
まず考究されるべきで
いわゆる文芸的鑑賞や批評は
二の次三の次にされねばならない

文芸形而上学者の
モーリス・ブランショのような人が
いくらも必要とされる所以である