体験してきたのでわかる

 

駿河昌樹

 
 

空白空白すてきなことはみんないつか終わるもの
空白空白空白空白空白村上春樹『スプートニクの恋人』

 

こうして生きてるだろ?
あしたもあさっても
だいたいはこんな感じで
続いていくと思うだろ?
けれどこういうのが
ある時ぜんぶ終わるのを
ぼくはよく知っている
なんども引越しをしたので
ある日ほんとうに
ぜんぶ変わってしまうのを
体験してきたのでわかる
人が死んでその人の家を
かわりに整理したこともあって
終わるとはどういうことか
体験してきたのでわかる
悪くなかった家族なのに
ある時爆発のように壊れて
ちりぢりになって二度と
戻らなくなってしまうのも
体験してきたのでわかる
大事にしてきたものが
薄いガラス細工のように
容易に砕け散って二度と
戻らなくなってしまうのを
体験してきたのでわかる
だから大事なものは
二度と持ちたくなくなるのも
体験してきたのでわかる
みんな死んでしまえばいいのに
という綾波レイのことばが
じぶんの内奥のことばとして
ずっと共鳴し続けていくのも
体験してきたのでわかる

 

 

 

ニャ

 

駿河昌樹

 
 

ごく親しい人とは
じつは
あまりにほんごを使っていない
ニャアニャアばかり
言っている
だいたいの意思疎通は
ニャアニャア
で足りるのであるからして
ニャアニャア
なのである
ニャアニャア

以前も書いたが
ムカついた時には
ニャンたることかニャア!
と発語すると
たいてい収まる
けっこう怒った時も
ニャンともニャア!
と言えば
ほとんど収まる
このふたつで収まらない怒りや
動揺というのは
めったにないといってよい
ニャンたることかニャア!

ニャンともニャア!

かなり強力で
マントラとしてイケると思う
確信しておる

ネコだというわけではないし
ネコをマネしているのでもない
連中のもの言いは
聞いてればすぐわかるが
はるかに素っ気ない
だいたい
ニャ
ぐらいで終えている
こっちが
ニャアニャア呼びかけても
返してくるのは
ニャ
である
達人の域に達しているから
駄弁を弄さないのである

 

 

 

中古の関係

 

駿河昌樹

 
 

愛人
ということばは好きで
聞くたび
いいなぁ
と思う

なんといっても
愛シテイル人
なんだから
他者を引き立てるための
添え物の意味あいの

なんて
いうのよりも
よっぽど
いい

刺身の妻
より
刺身の愛人
のほうが
やっぱり
いい

とはいえ
愛人
と聞くと
げんなりもする
あゝ つまんない
とも思う

馴染みすぎな感じが
もう
所帯じみた
というか
なれ合い過ぎ
というか
妻でもないのに
新鮮味が
もう
消えてしまっている

愛人
をこしらえて
安住している男って
嫌だな
とまでは思わないが
つまらないな
と思う
愛人
までいかない
不安定な
心理の駆け引きの間だけが
どうにか
こうにか
面白くって
お互いに理解しあったり
大丈夫な人だと
安心してしまったり
って
つらいな
つまらないな
もう
中古の関係じゃないかサ

……と
愛人

長くやっている人の
話を聞いて
思った次第なわけです

 

 

 

小箱のでいいから

 

駿河昌樹

 
 

会わなかったけれど
もっと
もっと
それが会うことでもあったような
カトリーヌ

公園で
あたしはこれから
会うところ

ユリをきょうは
買ってくればよかった

でも
噴水の水がとまっているので
キャラメルを
きっと
買って帰るわ
空白空0(小箱ので
空白空0(いいから

 

 

 

われも静かに

 

駿河昌樹

 
 

大空を
しろい雲が
ゆく

しずかだ

しずかなことだ

あんなふうに
生きていくべきだな
わたしも

しずかに

すこぶるしずかに

 

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白相馬御風
大空を静かに白き雲は行くわれも静かに生くべかりけり

 

 

 

池でないものを

 

駿河昌樹

 
 

停滞そのものとなって
人生
などという
大それた巨視を
すっかり放棄してしまった人が
きっと
はじめて
詩のようななにかを
書き止められるのかもしれないと
思っている
いつも

思いながら
ない池の
ほとりにたたずんで
見ている

池でない
ものを

 

 

 

つけ加えない

 

駿河昌樹

 
 

あゝ あれを忘れたな
と思う
あれもあれもあれも
忘れたな
と思う

でも
いいんだ

つけ加えようか

思う

20世紀末期に流行ったように
どうであれ
それで
いいんだ
という
風味

つけ加えようか

思う

思うだけで
つけ加えない


けれど

 

 

 

メイド・イン・ジャパンの底知れない凄さだよ

 

駿河昌樹

 
 

高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉が
不可能とわかったのは
ごたごたした2020年でも
日本の息の根への最高のトドメのような気がする

液体ナトリウムで冷却する構造の「もんじゅ」は
放射能を帯びた
この冷却剤を抜き取る設計になっていないと
わかってしまったのだ

液体ナトリウムは空気に触れれば発火する
水に触れれば化学反応して爆発する
この液体ナトリウムを抜き取らないことには
その後の廃炉作業は全く進められない

最初から廃炉を一切予定に入れずに
設計し完成させたというのだから
お見事この上ない日本文化というしかない
メイド・イン・ジャパンの底知れない凄さだよ

 

 

 

ムーンショット*

 

駿河昌樹

 
 

一見
病気のお話のように見せかけてある
新型コロナによって
どんなものが準備されつつあるか

あまりにわかっていない人が多すぎて
驚いてしまう
内閣府が臆面もなく
完全なSF未来を謳っていることの
とほうもない恐ろしさを
わかっていない人が多すぎる

内閣府が書いている
謳い文句を
そのまま読んでみよう

 

ムーンショット*
2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
ターゲット
誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター基盤
2050年までに、複数の人が遠隔操作する多数のアバターとロボットを組み合わせることによって、大規模で複雑なタスクを実行するための技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
2030年までに、1つのタスクに対して、1人で10体以上のアバターを、アバター1体の場合と同等の速度、精度で操作できる技術を開発し、その運用等に必要な基盤を構築する。
注:サイバネティック・アバターは、身代わりとしてのロボットや3D映像等を示すアバターに加えて、人の身体的能力、認知能力及び知覚能力を拡張するICT技術やロボット技術を含む概念。Society 5.0時代のサイバー・フィジカル空間で自由自在に活躍するものを目指している。
サイバネティック・アバター生活
2050年までに、望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。
2030年までに、望む人は誰でも特定のタスクに対して、身体的能力、認知能力及び知覚能力を強化できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を提案する。
関連するエリアとビジョン
Area :「急進的イノベーションで少子高齢化時代を切り拓く」
Vision :「「誰もが夢を追求できる社会」の実現」、「「100歳まで健康不安なく、人生を楽しめる社会」の実現」
目標設定の背景
少子高齢化の進展により、今後、我が国では生産年齢人口が減少するが、これは同様の人口動態をたどる先進国やアジア周辺国においても共通の課題となっており、日本は課題先進国としてこの問題の解決に取り組むべきである。
さらに、人生100年時代において、様々な背景や価値観を持ったあらゆる年齢の人々が多様なライフスタイルを追求できる持続可能な社会(Society 5.0)の実現が求められている。
様々な背景や価値観を持つ人々によるライフスタイルに応じた社会参画を実現するために、身体的能力、時間や距離といった制約を、身体的能力、認知能力及び知覚能力を技術的に強化することによって解決する。
ムーンショットが目指す社会
人の能力拡張により、若者から高齢者までを含む様々な年齢や背景、価値観を持つ人々が多様なライフスタイルを追求できる社会を実現する。
サイバネティック・アバターの活用によってネットワークを介した国際的なコラボレーションを可能にするためのプラットフォームを開発し、様々な企業、組織及び個人が参加した新しいビジネスを実現する。
空間と時間の制約を超えて、企業と労働者をつなぐ新しい産業を創出する。
プラットフォームで収集された生活データに基づく新しい知識集約型産業やそれをベースとした新興企業を創出する。
人の能力拡張技術とAIロボット技術の調和の取れた活用により、通信遅延等にも対応できる様々なサービス(宇宙空間での作業等)が創出される。」

 

……いかがでしたか?
どれほど人間をわかっていない馬鹿が
チープなSFを企てているか
これだけでもよくわかるというもの

「様々な背景や価値観を持ったあらゆる年齢の人々」といった
表現を多用しているが
「様々な背景や価値観を持った」人びとが本当に集まった場合
価値観は「様々」であり得ようもないところに
まったく思考が向かっていない
恐ろしく幼い未来設計者

 

* https://www8.cao.go.jp/cstp/moonshot/sub1.html