アメリカひじき

 

工藤冬里

 
 

足つぼから始まって、いや、どちらかというと足の裏より甲、いや、もっと上、長生きしたければ脹脛を揉みなさい、とか、兎に角腎臓を背中から揉むのが良ろし、とか、死ぬまで歩きたいならお尻を鍛えなはれ、とか
いんやこれからは足より心臓に近い手揉みマッサージや、とか、顔面筋から深層リンパに流しましょう、やとか、耳が血流の鏡、耳鳴りは耳栓して歩いたら治る、とか、矢張り歯が基本でそっからや、いや、舌こそバロメーターや、とか、違う全ての原因は第二頸椎だ、とか、奥さん今は腹揉み美腸体操でっせ、とか
一日中自分の体を触ってないとあかんくなって
困るけれども
考えてみれば
歴史にしたって
マル経や、東西や、いや南北やんか、先住でっしゃろ、辺境からやし、色マターやで、中産階級じゃちゅうに、やっぱしプレカリアートやろ、マルティチュードやねん、視点を変えてあれですわ菌ですわ、マックス怒りの石油デスロードやんけ、いやクライマトロジーでおま、とアスペクトが入れ替わって
そんなに健康になりたいのかと思ってしまう
今日読んだのは歴史の中の感情(ウーテ・フレーフェルト)という本で
考えてみれば国家などというものは感情で動いているだけだと言われればその通りなのであって
歴史の中で感情が発見されたり消えたりしているだけなのだという一本線も
新手のマッサージ本のように訴えるものがあり
しばらくは手揉みと歴史学の感情的展開で
やってみてもいいけれども
体は一つ歴史は一つなので
体と歴史を統一する語尾が欲しいところ
紅茶をひじきと誤解するところから感情が発見されていくのが戦後史であったとするならば
山本太郎なんで?といった歴史的悪感情の沸き起こりが腎臓から来るか腸からくるかで都知事選が決まるとか
健康は命より大事というネタがcorona lives matterになるのは頭のない体が経絡だけでつながっているだけだからだとか
唯物論に共感という創作物を付け加えようとした近代を
表情しなければならない

 

 

 

#poetry #rock musician

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