獏を繋いで

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

練馬の小さなの庭の
道端縁石にかぶるように繁茂する
無秩序な藪にいつからか
手のひらに乗るほどの獏が棲みついている

そうだ あの夢を食うという
獏だ まごうことなき あの獏だ
ほんの5cmほどの体躯だが
どこから見ても 獏としか見えない
この獏さんも世の中の獏さんと同様
まるで悪びれず 泰然自若としている

鼻面の長さうっとり 夢見てるような眼差し
夢を食うのだから当たり前か
でもね ことしはコロナ感染豪雨被害のせいか
リュウノヒゲの藪の中から
長い顔だして露に濡れて なにやらもぞもぞ
となりの柘榴の根っ瘤に棲む おばあの蝸牛に
不満そうに なにか話しかけたいのだ

なあおばあ せつなくなるなあこのご時世
おれは見ての通りの獏さん稼業の夢追いもん
長い鼻面がいのちの風体なのに
オレにも冗談のようなアベノマスクが届いたんだ
やめてくれ 鼻面想像力に蓋をされて
好物のシュルレアルはぐらかしの夢も
浮世絵風のせせらそそりの艶笑譚夢も
要するに大好物のメルヘングルメにありつけないなんて
この世界はどうなるんだ
新しい生活様式とかいっても
夢が食えない生活様式なら生活しなくていいよ

恥ずかしそうにさらに隣りの
柘榴の根っ瘤に鼻すりすり
おばあ蝸牛が獏さんに問いかける
獏さんたら さっきは何の夢を食らったんだい
なんだか 他にわけあるんじゃないのかい
ああおばあ 最近姿をみないキリちゃんの夢だよ
どこかに旅だった隣人麒麟のキリちゃん

去年の夏には柘榴の瘤の上に体長7cmほどの
麒麟のキリちゃん すっくと立って美しかったのに
今日の今日とて 霧が流れる安曇野の紫陽花の群落で
やはり首の長いキリオ君と首をからませながら
愛を語らっている いやな夢をみたんだ
獏さんは伏し目がちにこういうのだ

すると柘榴のおばあ蝸牛は頬赤らめて
カラダうねうねしながら低い声で そうよね
獏さんたらキリちゃんのこと好きだったのよね
最近見かけないと思ったら キリオ君とだったのね
仕方ないかもよ こんな胸糞わるい時代だもん
同類相憐れむとか言うじゃない ちょっとちがうか
でもきっと帰って来るわよ

キリちゃんは獏さんの夢の話聞くのが大好きだったから
獏さんのちょっとHな夢の話聴いて笑い転げて
柘榴の根っ瘤から滑り墜ちたりして 笑ったよね
あたしはふたりは結婚するって思っていたくらい
獏さんとキリちゃんは仲睦まじくしてたじゃない
だいたい麒麟の男なんて 名前だけ麒麟児とか言って
ただ長いだけの役立たずだって 蝸牛界の噂よ
キリちゃん そのうちしょんぼり帰ってくるわ

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高田渡がプロデュースして作った、山之口獏の詩のトリビュートアルバム『獏』は、高田渡の盟友と言ってもよい沖縄と内地の歌唄いたちが渾身の曲を捧げた名盤だが、この中に佐渡山豊が作曲した「獏」が収録されている。生で聴いたことはないが佐渡山豊、沖縄の風わたるそうそう人生の掠れ具合がただもんじゃない、素晴らしいミュージシャンだと思います。この詩のなかの獏は豚と河馬のあいのこみたいなユーモラスな図体でのっそり飄々、動物博覧会で初見参の折、夢を食べていると思って餌箱覗いてみたら果物や人参なんかたべているじゃないか、でも夢のなかにもこもこ出てきた大きな獏は悪夢でも食べたのかと思ったら、原子爆弾や水素爆弾をぺろりと食べて地球がぱっと明るくなったんだそうだ。愉快だね、獏さんの獏、うちの藪の獏さんも、コロナや自然災厄の悪夢をぺろりしてほしいものだ。すべての詩は山之口貘、作曲に高田渡、佐渡山豊の他、つれれこ社中、大工哲弘、石垣勝治、ふちがみとふなと、嘉手苅林次、大島保克らが加わったアルバム全体が、しみじみ深くとぼけて懐かしく、文句なく椌椌愛聴盤のひとつだ。高田渡がこのアルバムを作っていた頃、渡氏とはよく会って飲んだものだった。自分のソロアルバムを作っている時より余程楽しげだったな。友情と冗句と笑顔に刻まれたあの獏の時間を思い出している。

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ところで麒麟のキリちゃんはまだ帰ってこない
リュウノヒゲの藪から出たり引っ込んだり
我が家の獏さんは長い鼻面もぞもぞさせて
柘榴の根っ瘤のおばあ蝸牛と
だれにも通じない夢のお手玉なんかして過ごしている

 

 

 

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