ポ の 国 の ぴ

 

南 椌椌

 
 


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今日は拝島駅から青梅駅へ
そこからKuroちゃんの送迎車で
多摩川を渡り山々の紅葉を眺めながら15分
日の出町の「太陽の家日の出陶房」へ
空は晴れて、やがて秋も終わるだろう

さて、今日はこんなテラコッタを作ってみた
こいつの名前をつけることから始めた
「ぴ」
浜風文庫2020年10月「ポの国のポ」を踏襲して
ポ=ぼく、ぴ=キミ、ということにしよう
つまり、ボクの国のキミ?

「ぴ」は最初はただの粘土のかたまりだ
産地はあまねく知られる陶芸の里、信楽の赤土1号
両のてのひらに載るくらいの塊
重さを感じながら少し捏ねる
半分くらいにわけて
作業台の上でぱんぱん叩く、文字通りぱんぱんたたく
濡れタオルや軍手を押し付けて
ちょいと縄文風の文様をつけてみる
それだけで「ぴ」のイメージが近づいてくる
ほどよく平らにしたパン生地で
詩人の言葉を包むように丸める
指先でぽよぽよ押してみる戻してみるぽよぽよ
まだ「ぴ」はぴでもポでも、ぱぴぷでもない
もう半分も同じようにぱんぱん叩くぱんぱん
そして同じように丸めて撓ませ
別の詩人の言葉を包むようにつまんでみる
てのひらで揺らす、ゆらゆらぽよぽよ

ふたつのつつみを上下に重ねる(無造作が大事)
瓢箪のようないびつな物体が
手回し轆轤の上に鎮座している
こうしてキミはようやく「ぴ」にならんと身構える
これからが長年鍛えて捨ててきた即興スキル
両手で瓢箪のかたちをかるく絞るようにして
縮めてゆらしてさらに押し広げ
納得できる行き当たりばったりを目指す
どこでもいいどこかに(無造作が大事)
人差し指と中指の第二関節を丸めて押し当て
轆轤の上にトンと押し立て回してみる
なんかこりゃまだふつうだな
まだふつうの造形で「ぴ」には届いていない

おなかのあたりをぐっと平らに押し込むと
左右に堕天使の羽(イメージイメージ)が広がり
次に天使の羽二枚を頭上で出会わせる
それも途上のかたちに過ぎない
天使の羽二枚はその名残りだけで消える
しばししばし、顔らしき輪郭が生まれる

手を休めると窓の外を人が通る
「太陽の家」には天上天下の人たちが住んでいて
陶房の仕事をしたり畑しごとをしたり
不思議な声をだしてただ歩いていたり
のっぺりした遠近法ではダメ出しされる
「ポ」オノレ自身の描法を迫られる
無造作が大事、だが唯我独尊からは離れて

テラコッタ作りのほとんど唯一のツール
焼き鳥屋で使うなじみの竹串の出番だ
ここからが今日の作業の正念場
竹串のとんがりに細心の注意をはらい
両の眼窩にめんたまラインを素早く入れる
ここで迷ったりやり直したりすると
あとがこわいずるずる、信楽赤土1号の塊
もとの木阿弥にもどってしまうのだ

午後の陽射しが陰ってくると
小春の日和さんは足早に去ってゆき
山あいの陶房にも冷気が入り込んでくる
ふむふむいいでしょう、こんなところか手をとめる
いや止めないとカラダが冷える

ああ、いいかも知れない
顔立ちはちょっとお茶目な才色兼備
なぜか墨の涙を流している
死んだ友のことを思っているのか
存在の秋の終わりに涙してるのか
ピカソのゲルニカやドラ・マールの涙
「涙のわけはわからない」
清志郎と原田郁子の「銀河」を口ずさむ

ところでキミの名前は「ぴ」でしたね
こうしてこんな具合に「ぴ」が生まれました
ぽの国のぴ、まずまずのお気に入り

 
 

✶ 写真は2020年11月13日15:15、成形の終わった焼成前の「ぴ」。
テラコッタ=terracotta=土を焼く、からするとこの「ぴ」はまだテラコッタではない。

 

 

 

ポ の 国 の ポ

 

南 椌椌

 
 


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今日は2020年9月16日
「私」を「ポ」と言い換えてみる
とくに理由はありません
ポはポの国の言葉で
私、あたい、僕、俺、小生、余か朕
これからポが徘徊酩酊するのは
70年を経た9月16日という日のこと

ポが武蔵野の秋を歩く 
独歩か かさこそさやけの音
テラコッタのポは 
リモートで浜辺を歩く
砂の音 きしむ きゅうそ 
クシュ クシャ クシャーラ

浜風しおざい ゆりかごの音
月から落ちてくる 無数の林檎
すさまじく割れる 死の擬音
水蜜は恋情か恨(ハン)か 
ほのかに好ましい思い出か 

イヌが吠えて オーボエが鳴って
遠くで潮ふく 鯨のため息
鳳仙花がはじけて 
ギターがひび割れる 子守唄
爪に血がにじむ 鳳仙花 ららばい 
庭のハナモモや トネリコに
降りしきる雨 ザクースカ!
猫が二匹低い姿勢で消えてゆく
その音の夢幻、無限、の生命秩序
みんな ポの耳に親しい

雨の中 手紙がポストに落ちる 
指で封をはがす音
2枚の紙に目をこらす

雲の上のソンソンムから 
暗号のような二行

空0コダーイはシュタルケルのチェロで
空0ショパンはリパッティのピアノで

それならいつも聴いてるよ 大好きだ
ハンガリー、ポーランド、ルーマニア
古びた写真がいちまい なぜだろう
ソンソンムが笑ってる12歳の頃

返事を書こう
ざら紙にペンを走らす 
太い鉛筆を走らす
その音のさいわい 
シュタルケルのチェロの音
シュタルケルは1923年
ハンガリーのブダペストで生まれた
1882年に同じハンガリーで生まれた
コダーイの曲を演奏するとき
シュタルケルは静かに躍動する
ハンガリーの森を大地を吹いてゆく

ポはペンを走らすことが好き
紙を走るペンは 紙の幾層を走る音
ポは半眼破顔半島の 笑みをこぼす

今日は2020年9月16日
そしてここから ポに聴こえてくるのは
ディヌ・リパッティ 最後のリサイタル
70年前の きょうの今日
1950年9月16日フランス・ブザンソン
リパッティは悪性リンパ腫の末期
主治医の懸念を押しとどめ
みずから最後と知ってピアノの前に立った
満員の聴衆もそれを知っていただろう

1917年ルーマニアのブカレストで生まれ
少年の頃からパリに出て
巨匠アルフレッド・コルトーに愛され
はばからず例えれば
天使の囀りのようなピアニズム
夭折悲劇の、ポはそういうのに弱い
フランス・ブザンソンでリパッティが
聴衆の祈りのなかで
最後のショパンのワルツを弾いた日から70年
その音源は ポにとって最愛の音楽

そして再び同じ70年前の今日
1950年9月15日から17日にかけて
ポの半分の祖国
戦火の朝鮮半島では
怒涛、破竹の進撃で半島最南部のプサンまで
占領していた北朝鮮軍を分断し
戦局の劇的な転換を期した奇襲作戦が
マッカーサー率いる米軍によって
成功裡に果たされようとしていた
ソウル西方の仁川(インチョン)上陸
占領されていたソウルは劇的に奪還された
だが、これは国を別けた戦乱の終わりではなかった

空0朝鮮戦争の死亡者の数は、韓国約240万人、北朝鮮290万人、中国90万人、
空0国連軍15万人。第二次世界大戦の日本の死亡者は約310万人と言われる。

母国に家族を残して
日本に渡ってきたオヤジは
生まれたばかりの ポを膝に抱きながら
刻々と変わる戦況を短波放送で聞いていただろう
ポの叔父 オヤジの弟は徴兵され
いまの休戦地帯 場所も時期も定かならず
戦死したことは 休戦後のずっと後に
知らされたらしい
もちろん遺骨は帰って来なかった
南北朝鮮530万人の死者のひとりだった叔父 
慟哭しただろう オヤジ
膝を叩いて哀号を連呼しただろう

1950年9月16日
米軍仁川上陸と同じ日にリパッティは
生命の灯心を燃やして
最後のピアノを弾き
同じ日に極東の半島では
戦火で多くの死者が生まれた
特別のことなのか
並べ立てることなのか

このコロナの時代に
こんなあてどない徘徊が詩になるか
コダーイのチェロソナタを聴きながら
Wordを閉じる

 

 

 

今日の謎めき Ⅱ

 

南 椌椌

 
 


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Ⅱ—1

久しぶりに身辺が謎めいている
ささいなことだが
郵便ポストに、待ち人の手紙が入ってこない
携帯もパソコンも持ってない
はるかな男、ソンソンムからの
月に一度の、愉快なハガキや封書が
もう二ヶ月届いていない
これは不吉の兆候だな、なにかがあったのだろう
ソンソンムは、遠い北の山中雲間に住んでいる
病気でもしたのか、雲から墜ちて意識を失ったままなのか
それとも、ときおり訪れる朧気(おぼろげ)の病か
いまは訪ねることも適わない
まずはこちらから、切手を選んで封書を送った
二週間経って返事がなかったら
この謎めきは、不吉の図星が当たったことになる

いやいやたぶんこうだろう
ソンソンムは雲の上で、パンソリ歌っている
彼のパンソリは無上の響き、有情の深み

空0ひがないちにち へんげんむげん
空0くものながれに たゆたいおぼれ
空0またさおさして ぱんそりうたう

空0コロナの不安は日々の衣装だな
空0ソンソンム 無事ですか 返事チョーダイ

これだけ書いて投函した
ひとまず今日の謎めきはやり過ごした
しばらくは、歌えない歌を歌って、待っていよう   ✶
 

Ⅱ—2

今日の謎めきはメヒコ
別件の郵便がポストに入っていて
カーヤのむすこのソキチが
笑顔のハガキを送ってきた
メヒコに住む父ちゃんのクーニョ真似て
恥ずかしげに笑ってる顔に、マジックで髭
ソキチは幼い頃から、厭うことなく
上州太々神楽を舞っている

コロナの不安は日々の衣装だな
ソキチは今年父ちゃんクーニョに会えない
徘徊好きの銀細工師も街に出られず
仮住まいのタオ鍼灸院の作業場で
そろそろと72歳を迎えた
フライパンで謎めきのタコスつくって
職人だから、整理整頓片付けは得意

クーニョは、小学生の父ちゃんにしては爺さんだ
でもソキチ、父ちゃん面白い人生の人だよ
メヒコの闇も光も、そこそこ知ってる
あるとき、サポテカの土偶の脇の下くすぐって
土偶が笑い転げて、粉々にになった
人生の曲がり角過ぎた大人が
そんなことするか、土偶をくすぐるなんて
あり得ないよね、クーニョあり得ない
巨人ディエゴ・リベラが見たら、あの太い手で
逆に脇の下くすぐられて、すね毛むしられて
素っ裸にされちまうだろう   ✶✶

クーニョはあきらめの達人のような顔
瀬戸なまりのスペイン語をあやつり
時が過ぎて、往々(おうおう)の喜び悲しみ
心躍りの頃合いも、来々(らいらい)過ぎて
父ちゃん80になれば、ソキチはハタチ
一緒にオアハカのメスカル飲めるだろう
オレも絶対ご相伴にあずかる
父ちゃんクーニョ、長生きしてござれ

コロナの不安は日々の衣装だな
メヒコだって、もう仕方ないの領域にさしかかって
クーニョ、小さなまなこ見開いて
謎めきの懐かしいアルチザン
練達の上ゆく、妖しいなぞめきの手つきで
いつにも増して、繊細華麗にシルバーと戯れる
トラクァチェ トラクァチェ と呟きながら   ✶✶✶
 

Ⅱ—3

コロナの不安は日々の衣装だな
今日も謎めきは揺れて
机の上では木喰上人が笑っている
ピンナップは木喰さんだ
右目つぶってウィンク、頬のまるさ
地蔵菩薩の背銘梵字は読めない
だれそれの喜捨で、季節またいで食いつないだ
だれそれに向けて、その恩を記したのか
六十六部回国聖というのだそうだ
ありがたいことだ なんまいだぶ
ひたすら山野僻邑、人の住むところを回ったひじり
誦んだお経がなんだか僕にはわからん

空0人生なるようになるさ なんまいだぶ
空0まあまあでいいだろ なんまいだぶ
空0そんなところだろう なんまいだぶ

いやいや、そんなはずない なんまいだぶ
まるで木喰上人の謎めいたウィンクに
してやられてるみたいじゃないか
 
タモの枯木の皮剥いで、仏さん彫り込んで
椎の実磨り潰して、ズタ袋にいれて
頭上に載せて飄々と、風見て夢見て歩く
昔のことだ、疫病退散祈願はつねのこと
村から村へ、哀しみの連鎖を見て歩いただろう
木喰さん、虚しさをどう慰めていたのか

100年さらっと円空さんとすれ違ったか
謎めいているなあ 大股で歩く 
幾星霜の落ち葉踏んで
仏師行脚の表裏を滑って、謎めきの川べりで
煙管吹かしてチベットの方を見ている
するとあろうかことか
雪の国からの老若僧侶が
遠い眼差しで二人、三人通り過ぎる
赤い裳裾ひるがえして
何処へ 何処へ 何処へ

コロナの不安は日々の衣装
今日もつつがなく、謎めいていた    ✶✶✶✶

 
 

✶ 後日、ソンソンムから来信あり。山中雲間のさらに奥の雲海ハウスで、甘酒とそば粉だけで独居三昧、友思いつつパンソリ歌い、stayhomeしていたとのこと。パンソリは韓国の伝統歌唱、かすれ声果てしなく吟ずる。

✶✶ クーニョ、申し訳ない、たしかにあり得ない、キミはそんな男じゃない、僕の妄想。

✶✶✶ トラクァチェ オポッサムという名でも知られる、南北アメリカ大陸に生息する有袋動物。背中に何匹もの子どもを載せて移動する。

✶✶✶✶ 木喰上人についてもあれこれ妄想するのが好き、上人ご寛恕を。

 

 

 

誰もいない海

 

南 椌椌

 
 


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夏だからか盆だからか
誕生月が古稀だからか 残余だからか
気温体温36.8度 庭の蚊々氏はスコブルだ
いやたまたまなのだろうが 来ては去る
右から左から 思い出のヒトばかり
こちらがくしゃみすると
あちらで必ずくしゃみする
呼びもしないのに 思い出の殻を破って
いつのまにかマスクの裏で呵々大笑
いっしょに酒飲んでる 稀有な男たち
懐かしいです 痩せて太っておかっぱで

詩人の昶さんはどうしてますか
反核リュックのケンちゃん八重歯は健在ですか
すみえ姉さんは55歳でしたね 若いです
やけに蝉が鳴いてます 兆億の蝉
歌おうとして 歌詞を忘れてると
鼻歌めいて歌う 誰もいない海
音がはずれてるので 本当に誰もいない

青梅の工房で粘土を捏ねてると
ぐにゃりと指先から顔をだすヤツ
泥んこ遊びが大好きな 餓鬼じゃり子ども
雨の砂場で時を忘れて何日も
なにが楽しいのか 思い出のヒト
日々是好日 死ねばあの世の好々爺
逃げ場だよね 蟻が父さんなら母さんも蟻だ
そこまで言わなくとも
十分にキミの真意は伝わるよとキミ

足の指先はちんちらするので
映画館で靴下をぬぐ
でも途中でまた履いた
襟を正して見なくてはならない
死と生の海辺の映画館に
象は静かに座っている
七時間は長いか短いか人生
オオバヤシ監督は82歳
フー・ボー監督は29歳
お互いの映画のことばで
世界の希望と生と死について語りあったか

終戦解放75年のうち我が70年の夏
2020年8月15日を前にして
ソウル西方坡州市文山僻邑独居の弟よ、
その素焼きの係累兄弟姉妹を
イムジン河に投げ捨ててくれ
川底のナマズ一家に捧げてくれ
やがて眼くらむような明るい未来
千年の堆積からどこかの坊主が拾うだろう
朝の国の無名の坊主がオレと出逢う
体感温度38度線のさてもさてもな妄想です

 

 

 

獏を繋いで

 

南 椌椌

 
 


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練馬の小さなの庭の
道端縁石にかぶるように繁茂する
無秩序な藪にいつからか
手のひらに乗るほどの獏が棲みついている

そうだ あの夢を食うという
獏だ まごうことなき あの獏だ
ほんの5cmほどの体躯だが
どこから見ても 獏としか見えない
この獏さんも世の中の獏さんと同様
まるで悪びれず 泰然自若としている

鼻面の長さうっとり 夢見てるような眼差し
夢を食うのだから当たり前か
でもね ことしはコロナ感染豪雨被害のせいか
リュウノヒゲの藪の中から
長い顔だして露に濡れて なにやらもぞもぞ
となりの柘榴の根っ瘤に棲む おばあの蝸牛に
不満そうに なにか話しかけたいのだ

なあおばあ せつなくなるなあこのご時世
おれは見ての通りの獏さん稼業の夢追いもん
長い鼻面がいのちの風体なのに
オレにも冗談のようなアベノマスクが届いたんだ
やめてくれ 鼻面想像力に蓋をされて
好物のシュルレアルはぐらかしの夢も
浮世絵風のせせらそそりの艶笑譚夢も
要するに大好物のメルヘングルメにありつけないなんて
この世界はどうなるんだ
新しい生活様式とかいっても
夢が食えない生活様式なら生活しなくていいよ

恥ずかしそうにさらに隣りの
柘榴の根っ瘤に鼻すりすり
おばあ蝸牛が獏さんに問いかける
獏さんたら さっきは何の夢を食らったんだい
なんだか 他にわけあるんじゃないのかい
ああおばあ 最近姿をみないキリちゃんの夢だよ
どこかに旅だった隣人麒麟のキリちゃん

去年の夏には柘榴の瘤の上に体長7cmほどの
麒麟のキリちゃん すっくと立って美しかったのに
今日の今日とて 霧が流れる安曇野の紫陽花の群落で
やはり首の長いキリオ君と首をからませながら
愛を語らっている いやな夢をみたんだ
獏さんは伏し目がちにこういうのだ

すると柘榴のおばあ蝸牛は頬赤らめて
カラダうねうねしながら低い声で そうよね
獏さんたらキリちゃんのこと好きだったのよね
最近見かけないと思ったら キリオ君とだったのね
仕方ないかもよ こんな胸糞わるい時代だもん
同類相憐れむとか言うじゃない ちょっとちがうか
でもきっと帰って来るわよ

キリちゃんは獏さんの夢の話聞くのが大好きだったから
獏さんのちょっとHな夢の話聴いて笑い転げて
柘榴の根っ瘤から滑り墜ちたりして 笑ったよね
あたしはふたりは結婚するって思っていたくらい
獏さんとキリちゃんは仲睦まじくしてたじゃない
だいたい麒麟の男なんて 名前だけ麒麟児とか言って
ただ長いだけの役立たずだって 蝸牛界の噂よ
キリちゃん そのうちしょんぼり帰ってくるわ

空白空白空白0

高田渡がプロデュースして作った、山之口獏の詩のトリビュートアルバム『獏』は、高田渡の盟友と言ってもよい沖縄と内地の歌唄いたちが渾身の曲を捧げた名盤だが、この中に佐渡山豊が作曲した「獏」が収録されている。生で聴いたことはないが佐渡山豊、沖縄の風わたるそうそう人生の掠れ具合がただもんじゃない、素晴らしいミュージシャンだと思います。この詩のなかの獏は豚と河馬のあいのこみたいなユーモラスな図体でのっそり飄々、動物博覧会で初見参の折、夢を食べていると思って餌箱覗いてみたら果物や人参なんかたべているじゃないか、でも夢のなかにもこもこ出てきた大きな獏は悪夢でも食べたのかと思ったら、原子爆弾や水素爆弾をぺろりと食べて地球がぱっと明るくなったんだそうだ。愉快だね、獏さんの獏、うちの藪の獏さんも、コロナや自然災厄の悪夢をぺろりしてほしいものだ。すべての詩は山之口貘、作曲に高田渡、佐渡山豊の他、つれれこ社中、大工哲弘、石垣勝治、ふちがみとふなと、嘉手苅林次、大島保克らが加わったアルバム全体が、しみじみ深くとぼけて懐かしく、文句なく椌椌愛聴盤のひとつだ。高田渡がこのアルバムを作っていた頃、渡氏とはよく会って飲んだものだった。自分のソロアルバムを作っている時より余程楽しげだったな。友情と冗句と笑顔に刻まれたあの獏の時間を思い出している。

空白空白空白0

ところで麒麟のキリちゃんはまだ帰ってこない
リュウノヒゲの藪から出たり引っ込んだり
我が家の獏さんは長い鼻面もぞもぞさせて
柘榴の根っ瘤のおばあ蝸牛と
だれにも通じない夢のお手玉なんかして過ごしている

 

 

 

ソシラヌ君

 

南 椌椌

 
 


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旅烏かすれた木喰上人の筆が
ひょいと揮毫したような
一行七文字

空0その距離を測れ

この国のどこかの空に住んでいる 
ソシラヌ君から
六十年ぶりに懐かしい手紙が届いた

ソシラヌ君は確かではないが
徐不知火と書いたような気がする
彼が有明や八代と関係があったのかどうか
徐という姓が半島由来のものだったのか
それは僕もそしらぬことだが
不知火とは肥後八代有明の海で
漁火があり得ぬほど明滅する蜃気楼
本来ないはずの無数の漁火が見えること
不知火なかなかの命名である

不知火という言葉を知ったのは
まだ学齢期前の餓鬼も餓鬼
雲龍型ではない横綱の土俵入り
第四十三代横綱吉葉山の不知火型だ
北国の美男美形不運悲劇の横綱
両手を左右に広げてせりあがる
テレビはまだ到来してなかったが
見事な土俵入のモノクロ映像は記憶にある
メンコでは鏡里や千代の山と並んで花型だった
不知火型は現在の白鵬に繋がるが
なにやら世話物めいた逸話が転がっている
相撲の世界もまた歌舞伎みたいなもんだ

さて、ソシラヌ君に戻ろう
ソシラヌ君も僕もそろそろお互い
ナナジュの誕生日が近い
「ソノキョリヲハカレ」とは謎めいた言葉だが
僕はこうして 古稀とソシラヌ君を
麻ひもでぐるぐる捲いて
僕がぼくであること
ソシラヌ君がソシラヌ君であること
その距離を測ることにした
しかし念のため僕は超絶理系音痴である

空0その距離を測れ

古稀25,550日、613,200時間 、2,452,800 km
およそ月まで歩いて3往復の距離
その 3往復の距離で
コキツカヒノワタシ 
眩しくてナニモ 見えませんが
老老男女ざわめきの声が 
嬉々として喧しくて 
そりゃそうだ みんな思い出の人だ
無数の無量大数の
古稀ナナジュの思い出の男女が
いやさ年齢なんて関係ないさ
ただただ月の道を歩きたい巡礼の人々が
くっちゃべりながら歩いてるんだから

朝鮮風の長〜い鞦韆(ぶらんこ)が月から下りて
カンガンスルレ〜カンガンスルレ〜
長い髪引っ詰め後ろお下げの娘たちが
輪になって終わりなく延々と歌い踊り
それはそれは美しい景色なんだ
徐不知火君もそれを見て
なぜかはらはら落涙しきり
不知火型の土俵入りをしたくなったそうだ

そんな出会いの絶景を見てか見なぬか
無数の生者死者たちが群がり湧いて
悪口(あっこう)雑言外郎(ういろう)売りやら駄洒落の桃源
そのうちあたりきのようにぐるぐるぐるぐる
神獣白虎のバターが九十九屯になって呵々大笑
だって可笑しいじゃないか
朝鮮と不知火の往来を測る白虎酔虎の虎の巻
貧しい餓鬼じゃら老童じゃらの姿を 
さがしてさがしてさがした
月までのゆきかへりのみちすがら 
襤褸(らんる)という美しすぎる文字をまとって
憧れの水蜜を啜っちゃ
臍のまわりに塗りたくっている
虎の子の蜜行の餓鬼なんてもんは
どこまで行ってもソシラヌもんだけど
僕は彼らを圧倒的に支持します

空0あゝ麗はしい距離〔デスタンス〕、
空0つねに遠のいてゆく風景・・・・・

吉田一穂のあまりにも有名な「母」ですね。ディスタンスなんて言ってほしくない、デスタンスなのだ!僕は卒論で吉田一穂論を書いた。論なんてものじゃない、感傷的な一穂への憧憬記だ。半世紀近く前、R大学社会学部四年の春、社会学に関心をもてず、学部長の平井隆太郎教授に「詩人論」じゃだめですか、と直談判に行ったら、教授はショートピースを燻らせながら「その詩人は知らないけど・・・やむを得ませんね」とあっけなかった。しかし、「文学部の先生で評価してくれる先生を探してください」と教授は学部長らしい注文を出した。僕は、吉田一穂が「日本のマラルメ」と称されていたのを手がかりに、仏文科のマラルメ研究家・松室三郎教授の研究室を訪ね、当時書いていた詩の束をもち、事情を話すと、松室先生は、僕は一穂という詩人を読んだことはないが、勉強したいので、ぜひ担当させてください、と受けてくださった。その後マラルメについての論文を送ってくださり、なにかと気にかけてくださった。平井学部長が江戸川乱歩のご子息だったことは知っていたが、松室先生との邂逅も含めて頭ポリポリ、面映い展開だった。そして、学部長の「やむを得ませんね」は教授由来の大人の語彙になった。

六十年ぶりの手紙を追うようにして
徐不知火君が積丹半島の古平(フルビラ) から
「柳の舞」という大ぶりの魚を送って来た
桃色風情で顎の張った庶民的な顔立ち
古平は吉田一穂が少年時代を過ごし
生涯愛惜の情をもち続けた故園の地だ
かつては鰊漁で栄華をきわめ
鰊御殿が立ち並んでいたという
だが、なぜソシラヌ君が積丹半島なのか
そういえば横綱吉葉山・池田潤之輔の出身地は
積丹半島に近い石狩厚田郡やはり没落した網元の出
だがそれはいまのところソシラヌ話ということで

僕は卒論を書き終えてから
仮面社の吉田一穂大系を抱えて
極寒の積丹半島古平を訪ねたことがあった
宇佐美圭司装丁の瀟洒な三冊本
だが、降りしきる雪のなか
小樽からの鉄道は余市までも届かず
無論古平までの陸路は到底明けぬドカ雪のなか
僕は愈々小樽から動けず
古平にたどり着くことはできなかった

そのとき柳の舞が食卓に並んだかどうか
民宿での魚尽くしのもてなしを受け
炬燵にくるまって日がなテレビと一穂大系
黒猫シャコタンの無ニャリ寝息と
教授の「やむを得ませんね」という言葉が
繰り返し聞こえてきた五日ほどのあいだ
夢幻の雲海のような吹雪で
すべてが閉ざされ
麗しいデスタンスを測ることなど
できなかったのだ

ソシラヌ君、いずれまた会おう!

 
 
   
✶カンガンスルレ〜 カンガンスルレ〜
朝鮮半島南部に伝わる、女たちが月を巡って延々と歌い踊る、郷愁を誘う芸能。

 

 

 

ザ行のことは考えている

 

南 椌椌

 
 


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夢みてそぞろ 浜風にさそわれ
ココロ ナの浜を歩いてみた
サンダル サンダイアル 砂がきしむ音
耳傾けると ことばのようなものが
きしむ きゅうそ くしゅえい くしゃっす 
貝の浜 珊瑚 サクサク 裸木流木 ボクラノラララ
ココロ ナ コロナ ロナコ コロナン ナロッコ
砂浜の砂は ナニ考えてるのか なにも
たぶん ナ行のことは 考えてない
ナンガバルバット ナムチェNamcheBaZaar ニカノールZabaleta 
ノノイエノneuedanZ ナ ナナツノホシ ナ ナナワライ 
ザ行のことは 考えている
ザバレッタ ザッキンZadkine ザンパーノZampano ザトペック 
ザジザジ メトロ ZAZIEZAZIE ギザギザノザジ
ゾルバZorba ジバゴZhivago 砂は きしみながら でも
ザジ ザザズー ザンジバル ザクースカ ザッパ ザラストラ
きしむ きゅうそ くしゅえい くしゃっす
クシュ クシャ クシャーラ クストリッツァ クロイツェルマット
ダダダン ダダダ ダカバジ ジンジン ギジギジ ダダダ
カンカン ジョンジュン カンジョンジュン
ナムノナムサン ナノネ ナムサン 
詩を詩を ザルツ ザルツ 塩 塩 書きなさい
ザルツ ザルツ ザルツブルク 詩を詩を 塩 塩
カンカン ジョンジュン カンジョンジュン
ジンジン トタントタン トリスタン ツンドラツァーラ
ココロ ナの浜には 日が沈み 月をよび
サンダル サンダイアル サンセット 
グラナダ ナダのガガ ルシア ガガガ 死んだロルカ 
ルナ ルナ ルナシー ルナティコ ルナッコ
クルッテ グルッテ ググッテ ルナッテ
きしむ きゅうそ くしゅえい くしゃっす 
きしむ きゅうそ くしゅえい くしゃっす 

 

 

 

ペッペポアゾ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

ペッペポアゾのことを語ろう
ほら はるかの岬の突端 
崖の上にゆれてるような 
ブリキで覆われた季節の番小屋だ 
ピンクのペンキが剥がれてる
そこをねぐらの ペッペポアゾ
むかし漁師だったのか
夏には 古稀を迎えるそうだ

ペッペポアゾとはだれか
ペッペポアゾ ペッペポアゾ
繰り返えすと うわごとのようだね
愛と忘却に満ちたうわごと
月の明るい夜には
ブリキ小屋の前で歌ってる 
ぴーるにるにり 口笛吹きながら ✶1
歌うのは半島のわらべ唄

空0月よ 月よ 明るい月よ
空0李太白の 遊んだ月よ
空0桂が植えてあるそうな
空0玉の手斧で 伐り出して
空0金の手斧で 仕上げをし
空0草葺三間 家建てて
空0父さん 母さん 呼び迎え
空0千万年も 暮らしたや
空0千万年も 暮らしたや。 ✶2

ペッペポアゾ ペッペポアゾ
絵に描いたような小舟で 海へ
口笛吹いて 積んできたもの
ワカメや雑魚があふれている
ヒトがよくて いつも笑っている 
友として申し分のない 哀憐の人だ
それだけのこと 本人だって知っている
その本人か 別の本人か

さて 大漁の春ともなれば
ペッペポアゾは 心して 
ご近所に気前よく配る
火を焚いて 飲んで歌って踊る
鍋にはワカメや芽かぶや青葱
蒟蒻なんてあふれるほどだ

岬の上に建てられた掘っ立て小屋
ピンクに塗られて風次第
ゆらゆらバランスをとって
巧みな柔構造の棲家で 
踊る人語が爆ぜる 呵呵呵呵
ペッペポアゾと哀憐の友は 笑う
取りそこねた蒟蒻がころころころころ

空白空白空白空✶ ✶ ✶

ペッペポアゾ ペッペポアゾ
あの泥人形の ペッペポアゾ
泥土のなかでむっくり起き上がり
まさぐるようにボックの手を掴み ✶3 
はやくはやく 練って伸ばして叩いて
ボックという神の手の中で 
早く生命を吹き込め 形代だ
こんなんじゃなくて 肌理こまかい
どこかのダビデみたいな
済んだまなざしがほしいんだ
ペッペポアゾは叫ぶ
難しいのだこの世のボック
あの世の土塊の泥人形の
ペッペポアゾ ペッペポアゾ

実は今日の今日さ
太陽輪(コロナ)の浜で 土偶の欠片が見つかった
そう思ったら おまえの泥人形じゃないか
身長5糎くらいの仏さんが 悲しげに二三体
ペッペポアゾの係累に違いない
ほぼ三頭身の安定した体躯
さりげなく胸で手を合わせ
祈ってるのか 胸が痛いのか
ボックという神が
あの日のことを思い出している

インド北部埃たつスノゥリから
陸路で明媚ネパールに入る
国境の税関は 素朴な交易役場
髭面しかつめ パスポートにドンと印を押す
ネパール人やチベットの僧侶は素通り
そばで裸足のガキらが笑っている
ここからルンビニは近い
ルンビニは釈迦が生まれた村
ゆかりの地だけど 聖地然とはしてない
ローカルな観光地のような
ゆるい早春の空気がいい
乾いた井戸のかたわらに 
乾いた天竺菩提樹
手を出してなにかねだる子どもたち
とりあえずねだるふりして どこふく風

釈迦がなんの花か 天竺薫る花の下
母親の右脇の下から 生まれたという
乾いた大地の乾いたルンビニ
お釈迦さまが産湯を浸かった池
日干し煉瓦の段々めぐらした
沐浴名勝になっている
そのなかにコトワリなく足を浸して
地球の歩き方をパラ見していた
軽率に過ぎないか ペッペポアゾ
あるいはボック

ルンビニは懐かしいなと タラさんと話す
タラさんはルンビニ生まれで
我が家からぶらり七分のところ
ネパール料理の店を開いている
穏やかで愛らしい目
タラさんとはエニシヤっていう
馴染みのカウンターで
ルンビニやポカラの話 
この国で 子どもを育てること
希望よりも 不安のまさるまなざし
タラさん 寡黙な人だけど
スピリッツ三杯呑めば すこし饒舌になる
笑顔がいいぞ 一杯おごりましょ
遠くのなにかが 見えてるような タラさん 

白状すれば なるほど タラさんも
ペッペポアゾも ボックという神も 
どこのだれだか 不在童子
ぴーるにるにり ぴーるにるにり 
ゴータマ風靡の 出自をもって
麦笛吹いて 踊りましょ

 

✶1「ぴーるにるにり」韓国の詩人・韓何雲の詩「麦笛」のなかに出てくる笛の音。
✶2 『朝鮮童謡選』金素雲訳─岩波文庫所収の朝鮮全土で謡われたというわらべ唄。
✶3空0ボックは「不在童子」地方の方言で「僕」のこと。

 

 

 

きょうのなぞめき

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

なぞめいたぞ
日がな夜がななぞめいた
嵐が吹いて木々がたおれて
隣家の伯父さんがなぞめいた声を発して
白い車ではこばれていった
ぼんやりとほっとしたような伯母さんの
なぞめきがわらっていたが
かなしみのエプロンで手を拭いて
庭のおちばをあつめていた
伯母さんさんざんくろうしたな
しんせんで古風ななぞめきのけしき

いつも来ていたなぞめいたサビの猫が
とんと来ないのはなぞではないかもしれない
むこうの街区で恋してるらしい
けさがたほほを紅潮させたようなサビ氏が
閉口したようでもあったが
なぞめいたあちらになぞめいたかたむきで
すぱいらる走っていったのを見た
うーんなぞめいているなこの界隈
なぞめくのはなぜかなぜか気持ちがはやる
サビ氏にはサビ氏の事情があるだろう

なぞめいたぞ
みじかいいちぎょうのことばがつらなる
なつかしい本のかたちのものが
ポストにつつまれてある
ホラホラこれは法螺でしょうか
なんなのかなんでしょなぞめきの詩でしょうか
むかいのせのたかいハルモニに見せると
かのじょはもじがよめないので
わからないわからないモラモラとわらうだけ
さらになぞめいてふるえるばかりのいちぎょう
それはなぞめいたかきおきだろう
これもしんせんで古風な恋の

きょうもサビ氏はこないかわりに
法螺のような貝のふえホラホラ
だれがふいているんだホラホラ
なぞめくにもほどがあるぞ
わすれるにもほどがあるぞ
クロチョロさんがまるいきんいろの瞳で
なぞめいたうったえごとをつたえにきた

たべたいというのは
本能なのでなぞめいてはいないが
あれほどたべたかったのにたべないのは
クロチョロさんクロチョロさん
まえのひたべすぎた後悔のなせることか
しんそこなぞめいているとおもった

そうそう隣家の伯父さんが
こざっぱりとかみもととのえ
にこやかななぞめきをふりまいて
あじあのみなみのいでたちでかえってきました
なますてぐっともるにんぐ〜
のんぷろぶれむ〜よかったですね

きょうのぼくのなぞめきは
なぞめきとしておさないですよね
きゅうだいてんにちかかったでしょうか
ことしなぞめいて古稀になります
またおあいしましょう!

 

 

 

不在童子 Ⅰ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

立春だ おまえらしく 
笑える詩を書いたらいいじゃないか
天国のKが ささやく
ふ〜ん 「笑門来福」かね
幼少期の曲がり角で
笑いながら 服を着替えて
一瞬 襟を正して 
すぐさま それはさておき
僕に来る 音楽の夢をみている
オーボエとかバソンとか
木管がいいな
去年は老いたホリガーの 
恥じらう笑顔に触れた  *
でも 笑える詩は むずかしいよ

散乱ということばは 美しい
積み上げられ 崩れおちて
悲鳴をあげているような
本と本のあいだには
記憶喪失の思い出が
栞のようにはさまっている
失われて 失われていないような 
ナウマン象の牙に 擦り込まれた
恩寵なのだろう 眠ったように生きている
僕に来る 未来のことを

小庭に梅の古木がある
二月になれば白梅がほころび
満開のころともなれば うっすらと
香りたなびき ここにも ゆめうつつ
また来ては去る メジロやキセキレイ
花のあいだに 不在童子が座っている
毎年この季節になると 梅の木に
ちょこなんと座っている
どこにもいないくせに  

あいつは誰だ

 

* ハインツ・ホリガー(1939〜 オーボエ奏者・作曲家) 椌椌偏愛の音楽家です。