今日のナゾメキ Ⅲ

 

南 椌椌

 
 

まだ仄暗いなか散歩した
坂を下りて踏切渡って
武蔵関公園に入った
ゴイサギのギー君
いるのかいないのか
空気の居場所が定まらない
早朝気分の不安数値が
厭戦的に漂っている

靄にかすむ池をまわると
渡るひともない中橋のたもとに
見慣れぬやぐらがたっている
高飛び込み競技のやぐら
危うげなはしごが誘っている
いぶかしいではないか

木組みゆれる十二段昇って
飛び込み用の跳ね板の先端に立った
当然逡巡したわけだ
高さ五Mくらいでも充分に怖い
だれがこんなもの作ったのか
飛び込み台に立った選手は
飛び込まなければならない
それが暗黙のルールというものだ
ふくらはぎが微妙に痙攣してきた

飛び込みたいわけではないが
ルール上棄権は許されない
おかえりただいま
相米慎二の台風クラブを思い出す
池の対岸では採点ボードを持ち
ハンチングを目深にかぶった
スラブ系と思しき男がひとり
鋭くも遠い視線を
こちらに向けている
だから飛び込んだ勇気出して
池の中アタマからまっすぐ
水しぶき小さく着水
高得点は間違いないだろう

採点ボードを持った
遠い視線のスラブ系ハンチングは
「採点不能」の表示を出して
なぜか夢のように薄い笑いを浮かべ
闘いは終わったと暗号を打ってきた
なんてことだ台風クラブ
つまりぼくは今日
水底で見たことを書いておきたい

水底に散らばっているのは
不揃いの小石に刻まれた名前
切なく胸に来る友人たちだ
この十年くらいに旅立った友人たち

名前が刻まれた小石をつかって
ふたりの子どもがチェスをしている
禁じられた遊びが聞こえる
友人たちの名前を読みながら
こみ上げる懐かしさに慄えた

なんでこんな池のなかで
チェスの駒になってるんだ
ギー君のような黒騎士Kに聞くと
なじみの蕎麦屋を出たところで
巨体にいつもの麻シャツまとった
黒ビショップAに誘われたからだという
酒を飲まないのっぽの白騎士Mは
タリーズの珈琲飲んでたら
白ビショップDに誘われたという
Dに聞くと会社から銭湯に寄り
天使の餌を探しあるいてるうちに
気がつくとここにいたという

ぼくはチェスを知らないけど
親しかった友人たちが
楽しい来世を送っているのが嬉しい

池から出てまた歩いた
なつかしい百済の市がたっている
白衣のオモニたちが騒々しく
大きな茶色のたらいに
泥のついた野菜や薬草を
山盛りにして売っている
忘れん坊に効くという薬草
それはぜひともお願いしたい
噛んでみると苦味の境地も
まんざらでもなく
手にそっと吐いて揉みしだき
また噛んでみるとすでに発酵して
やけに甘いのだいいじゃないか

かすかな酔いに染まって
白木蓮が咲いている
この世の証のようであり
あの世の証のようでもあり
モクレン ノハナ
ナハノン レクモ
それが夢かうつつか
さっぱりわからない
すでに夕暮れだよ影が長い
なぞめいた気分で家に帰ると

庭の縁台に見たことのない
青い亀が首を長くしていた

 


© kuukuu

 

 

 

ソシラヌふりはできない

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

庭の枯れ葉を掃いてゴミ袋に詰めて
ふたつみっつ重ねてるうちに
もうなにも言わずに過ごしたいという思いが
大きくなったのは本当です

10月18日から30日までは喋りすぎた
個展「ソシラヌ広場」を開催中であり
コロナ感染激減の朗報もあってか
連日、多くの旧友知人が
ギャラリーに甘い蜜をそそいでくれて
ワタクシは蜜をくらって喉をうるおし
元気そうだね お互いによかった
テラコッタコラージュのこと
飲食店の危機 まめ蔵大丈夫だったか
健勝の友の噂 死んでしまった友のこと
これからどんな作品に向かうの 
次から次に話題がころがり
おしゃべりは掠れ掠れてよどみつつも
途切れては また果てしない

旧交を温めるというのは大切なことだが
毎日温めすぎると おまえはいったい誰だ?
ギャラリーを出て 火照ったワタクシに
吹きすぎる秋風がささやいたりする

昔、明石の蔵元を出たところで
おまえは友だち作るために生きてると
ほろ酔いの悪友に半分は図星
愛をこめて馬鹿にされたことを思い出す
また別の悪友の幼かった息子に
そんなこたあどうだっていいだろ!と
あらゆる局面で使いたくなる卓見を戴いたことも思い出す

喋りたいことがあるうちは喋る
喋るうちに思い出すことの量
喋るうちに破棄される思い出の量
喋るうちに先送りされる老いの暗証
そんなこたあどうだっていいだろ!と
幼かった彼に叱責されるのがオチだけど
ソシラヌふりなど出来るわけがない

庭の枯れ葉を掃いてゴミ袋に詰めて
ふたつみっつ重ねてるうちに
なにも言わずに過ごしたいという思いが
大きくなったのは本当です

 

 

 

ソシラヌ広場ーアンモナイトの見た夢 Ⅱ

 

南 椌椌

 
 

10月18日から青山ギャラリーハウスMAYAにて個展『ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢』を開催いたします。
個展に合わせて刊行の同名作品集より4点を「浜風文庫」に公開いたします。

 


 

猫とレインボー

 
猫の気持ちは わからないという人
猫の気持ちは よくわかるという人
ボクは猫だけど ボクの気持ちは
わかるようで わからない
それはどうでもいいでしょ
ボクは生まれてこのかた 猫だから

ボクのルームメイトはレインボー
なにが楽しいのか 虹の絵と歌ばかり
恋人もいないのに 恋の歌ばかり
レインボーの気持ちは よくわからない
それはどうでもいいでしょ
ボクは生まれてこのかた 猫だから

 
 


 

トンピナチョのはなし

 
農夫トンピナチョが 豊作のもろこしをロバに積み
千年伝えの 聖アルバンの森で  
ヤブに隠れて シッコロしてると
いにしえ絶滅したとされる マヤの聖獣トビハネマヤネズミが
怒り狂って トンピナチョめがけて 跳びかかってきたのだ
「聖獣のオレさまに シッコロかけるなんて このウンチョロたれが!」
「なにいうだ!シッコロかけても ウンチョロはたれてねえだ!」

  語るに落ちるとはこのこと
  てんやわんや アホらしい その後の委細は省きます

  (知りたい方には耳打ちします)

トビハネマヤネズミの正体は ウソかマコトか
組んずほぐれつ ほぐれつ組んず
聖アルバンの神々さえも 笑って見守るばかり
太陽なんか 膝をかかえて おねむの時間
もろこし積んだロバさえ トボトボ帰路につき
いつまでやるんだ トンピナチョ
「やってられねえ!」
トビハネマヤネズミは 我にかえって
聖アルバンの闇の彼方へ 消え去ったということだ

 
 


 

プラテーロの思い出

 
ヒメネスの「プラテーロとわたし」の舞台
アンダルシアのモゲールを訪ねたことがある
ポルトガルに近い ウェルバ駅からヒッチハイク
丘の上に白い宝石と 謳われた町並みがみえ
さっそく ひげたっぷりの爺さんと ロバがお出迎え

ヒメネスは快癒の日々を ここモゲールで
ロバのプラテーロとともに過ごし
詩人のことばで「プラテーロとわたし」を書いた

夢よりも 昔になってしまった
眩く光る広場から 花咲く小路を幾つも抜けて
日がな一日シエスタのような村
古い葡萄酒の酒蔵で一杯やってると
寡黙なプラテーロがウインクする

村はずれのモンテ・マヨールの丘に行った
ヒメネスとプラテーロがよく歩いた道だ
ふくろうのホーホーと啼く声を聞いた
丘をめぐって ホーホー探したが 姿は見えなかった

村の広場にもどって来ると
三角屋根の ソシラヌ移動遊園地が立っていた
塗りの剥げた さびしい回転木馬
オモチャのような観覧車が 空回りしていた

遠くから ほらホーホーという声が 聞こえてきた
そうだな もう酔うしかなかった
ホーホー ホーホー
        
 ✶ ファン・ラモン・ヒメネス作『プラテーロとわたし』理論社・初版1965年
  伊藤武好、伊藤百合子訳 理論社版の長新太の挿絵がたまらなかった。
  作品背景の写真はアンダルシアのフリヒリアナという町。

 
 


 

ハゴロモ

 
半島の舞姫がつま先あげて 肩で長短(チャンダン)
思い出したように ときめきの心躍りを
踊りましたね ありがとう
哀しみは 腰をおとして たひらかに
水の上から音もなく 舞いたつ
羽衣は 白いチョゴリのことだった
鹿の角生やした姉さんが
涙こらえて 頬染めている
どこから来たのか オアシスの仔象
長い鼻 ふりふり ダイジョブ ダイジョブ

✶ 長短(チャンダン) 韓国舞踊特有の調子のとり方。原マスミは「ハゴロモ」という曲で 「チョゴリよ チョゴリ わたしのハゴロモ」と歌っている。イ・チャンドンの映画「オアシス」には、壁のポスターの仔象が、ソウルの安アパートの部屋に出現する美しいシーンがある。

 
 

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2021年10/18(月)〜10/30(土)

南 椌椌 個展「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

開廊時間:11:30am〜7:00pm(日曜日休廊 土曜日5:00pm迄)

〒107-0061 東京都港区北青山2-10-26
(地下鉄外苑前駅徒歩5分)
tel : 03-3402-9849
fax : 03-3423-8622


e-mail : galleryhousemaya@gmail.com


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南 椌椌 個展
「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

 

南 椌椌

 
 

10月18日から青山ギャラリーハウスMayaにて久しぶりの個展「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢―」を予定しています。半立体のテラコッタを平面作品にコラージュした作品が中心となります。作品画像に短詩を添えた作品集を発行するため、現在、編集作業中です。今回の「浜風文庫」にはその中から、4点をプレミアム公開?させていただきます。さとう三千魚さん、いつもながら、ご好意ありがとうございます。作品写真撮影は上山知代子さんにお願いしました。

 

ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢―より

 


 

林檎のブランデー

 
人生最良の日々と言っておきます
エレファンとウーサ
日の暮れるまでひたすら遊ぶ
夏のなごり やかましいな 蟬のレクイエム
コドモでも飲める 林檎のブランデー
祝杯いただきます 二杯まで

歌は空の深みに いつしか消えて
たそがれの合図は カササギの声 
コドモだもの 酔えば裸になるだけさ
いっとう 飛び切りの時間
胸にひそめて さてどこに帰ろうか

✶ イヴ・ロベールの映画「わんぱく戦争」で、
小さな子供が林檎のブランデーを2杯飲んで酔っ払っていた。

 


 

ミハテヌ遊園地

 
赤と黄いろはお好みの色
コドモそっくり 3人さらって
ソシラヌ広場にやって来た

そこは ミハテヌ移動遊園地
赤と黄いろのガラクタ遊具
客もまばらな 閑散閑古

トロい木馬はガタピシ揺れて
気ままに停まる午後3時
遊び疲れて コドモはどこへ?
どこかで 大人になるのでしょう

ソシラヌ広場で ソラシド ウタフ
アンモナイトの見た夢は
赤と黄いろの ミハテヌ遊園地

 


 

ソシラヌ村の三兄弟

 
ユカタン半島 マヤ遺跡
ウシュマル近郊 ソシラヌ村の三兄弟

ひとりは トラクァチェロ
気はやさしくて 忘れん坊のお人好し
隣の村のクロサギさんから カモにされ

ひとりは リベロテス
奔放な性格で 落ち着きないが
時に村長 時に芸人 酔っ払って時々失踪

ひとりは マルクェラス
コドモの頃から モノシリ博士 本の虫
樹上の人で 人付き合いは苦手のご様子

ユカタン半島 マヤ遺跡
ウシュマル近郊 ソシラヌ村の三兄弟
喜びも哀しみも みんな化石になっちまった

 


 

こそばゆいとき

 
キミの手のひらに アンモナイトが棲んで
キミの足元に 仔象のエレファンがいて
キミの口もとには 可能性のエクボがあって
ここはアノソノ ソシラヌ広場

正午過ぎたら 蛇口ひねって水を飲む
異国の人に こんにちはと言えるかな
その人がやさしい顔したネパール人で
”ナマステ” って返してきたら
ネパールでは “こそばゆい” ってどう言いますかって
その人の目をみて しっかり言えるかな

✶ ネパール語で、こそばゆい=くすぐったいはGudagudī グダグジだそうです。

 
 
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南 椌椌 個展

「ソシラヌ広場―アンモナイトの見た夢」

2021年10/18(月)〜10/30(土) 日曜休廊
11:30〜19:00 (土曜は17:00まで)
ギャラリーハウスMAYA
東京都港区北青山2-10-26 (地下鉄外苑前駅徒歩5分)
tel 03-3402-9849

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アンモナイトの見た夢

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

ワレヲワスレテミルト
こんなコトバが帰ってきた
ソシテ ソノヒトカヘラズ
ソシテマタ ソノヒトカヘラズ
ソシテマタ1000日が過ぎて
「アンモナイトの見た夢」
どこかで誰かがつぶやいたようだ
大仰だな 数億年の古層に
降りそそいだ夢のことなんか

土と火と藁と炭そして灰
炎上の窯はもうひとつのオーロラ
帰って来なかったその人の
偏愛の一挙手一投足が躍っている

 ワタシノミミハ カイノカラ
 ウミノヒビキヲ ナツカシム   ✶1
思い出さないわけにはいかない
アンモナイトの反時計回りの螺旋
海の響きと母なるイメージが交接する
洟垂れのころ最初に覚えた詩の王道

鼻の形が美しい反ダダの詩人と
鼻のつぶれた老ボクサーが
地中海の夏のジュラの幻影のなか
浮遊する玉虫色の巨大巻貝に嚥みこまれ
永遠をありがとう 黄昏をありがとう
絡み合う白い絹の言葉を吐き続けた

ワレヲワスレテミルト
さていつか来るさようなら
さて僕は小さなアンモナイトだとしよう
さてどこをどう旅してきたのか
ワレヲワスレテミルト 
ソノヒトカヘラズが幾重にも
さらにはるかな永遠日和を旅して
エーゲ海デロスの獅子吹く夕べ   ✶2

日帰り小舟が停まる船着場の
粗末な小屋に泊めてもらった翌朝
黒光りする石窯でパンを焼く
腰の曲がった老夫婦の呟きは無限悲歌
アポロンが生まれたという島で   
僕は25歳喉の渇きこそが存在理由

八月の獅子たちは身じろぎもしない
ピレウスから帰還した次男は
腰巻きひとつ半裸の含羞の男
コツコツと岩を削り 太陽が傾いて沈むまで
残酷に美しいアポロン像をひとつ
ささやかなドラクマに替える   
   
アンモナイトが見た夢のこと

 

✶1 ジャン・コクトーの詩「耳」を堀口大學が訳した余りにも有名な一行詩、ここではカタカナにて表記。
✶2 デロス島はエーゲ海に浮かぶ小さな島。アポロンとアルテミス双子兄妹生誕の地とされ、古代ギリシャ文化中心の聖地だが、筆者が訪れた1976年当時は無人島で観光客もまばら、船着場に住む老夫婦が管理していた。アポロン神殿を護るように立つ五頭のライオン・獅子像はレプリカだったが、印象は揺るぎなかった。

 

 

 

ジョルジュ・エネスク

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら、差し出される手
その手で柔らかく放たれる音楽
ルーマニアのヴァイオリニスト
ジョルジュ・エネスクの弾くバッハ
その音はルーマニアの土や水をこねて
小さな器や土偶をつくり続けた陶工の手
サクサクとザラついていて大きい
陶器の瓷で白インゲンを煮る老婆
古い木の門や墓に添えられた土偶
ユーラシアの歴史を往還する風が
アンモナイトの渦巻きを独楽のように回す

J.S.バッハ作曲ヴァイオリンのための
無伴奏ソナタとパルティータ
その曲が鳴り出したとたん
胸襟が謎めいて内側に泡立ち、ひらく
J.S.バッハが野を踏んで後ずさりする
後ずさりしながら差し出される手
どこにもいなかったバッハがいる
白いカールのカツラをとったバッハ
恰幅のいいどこかのラマ僧だっていい
時空を超えたバッハが闊歩している
聖トーマス教会から怒りのメールが来る

クラシックに限らず音楽は手放せないが
いまはエネスクのヴァイオリンに拍手する
そこには他郷の老いた人々のしわぶきと
気管を通る掠れてちょっと淋しい呼吸がある

ジョルジュ・エネスクは1881年8月19日
ルーマニアの北東部リヴィニ村に生まれた
モルドヴァ、ウクライナに接するボドシャニ県
シトレ川とプルト川に挟まれた高原
わずかにロマも住んでいるという
辺境の小さな村に生まれエネスク少年
7歳でウイーンの音楽院に学んだほどだから
土器つくりのザラついた手とは無縁だろう

音楽というのは不思議なものだ 
演奏によって見える風景というものが確かにある
ひろがる麦畑、舞う柳絮、群れを追う孤鳥
ざわざわと森が広がり音楽が湧き立ち
ロマが煙を立てる、素足で子供らが舞う
憧れもしたトランシルヴァニアの風景だ

今日届いたアムネスティのニューズレター
ルーマニアでもコロナの流行で
ロマの人々へのヘイトクライムが増えている
このザラついた空気は忍び足のように
胸の奥の厄介な悪意をあぶり出す
この世紀をまたぐ悪意を反転させるには
いつものように歌うしかない
目を深層水で洗い、喉を火の酒ツィカで洗い
脳にこびりつく灰汁(アク)を風の手で洗い
ジョルジュ・エネスクをエンドレスにして


 

 

 

クルギ・タ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

今日の謎めきに入ってゆきたい
とりわけて謎というのでもない
「詩が」「詩のようなもの」が離れてゆく
言葉が孑孑(ぼうふり)のように
重力をすてて泳ぎまわるのだ
だがしかしながらささとさすれば
西多摩郡日の出町の陶房に行くと
面白いようにテラコッタの仮面が出来る

青梅駅までの車中で読む本は
毎回本棚からほぼ無作為に引っ張り出した本
今日の無作為がこれだ
思潮社現代詩文庫82『犬塚堯詩集』
1985年発行当時に買った記憶はあるが
いつか読もうと詩の書棚に押し入れて
これまで35年間読んだことがなかった
出かける前に本を開くと64ページ
「河との婚姻」という詩が目に入った
 
空0ある日 哈爾濱の私の家をたずねてきた
空0クルギ・タと名乗る巨きな女を
空0私はすぐに河だと気づいたのだ

この三行で始まる詩に息をとめた
西武新宿線東伏見駅から拝島まで
また本をあけると哈爾濱のクルギ・タ
途中本を閉じてまたあけると
哈爾濱のクルギ・タ
犬塚堯という詩人が住んだ哈爾濱

クルギ・タという名前がすごく気になる
クルギ・タがどの国のどの民族かなど
類推するしかない茫茫としている
その河が「北満州の広野でみた一本の河」
さらに魅力的な料理と食事の場面

空0私は幕をおろして灯をつけて
空0うつむくクルギと食事する
空0彼女の瞼の上に浮ぶ月
空0煙を上げる酒 酔い痴れる大地
空0女の白皙の宏い胸に手を置いて
空0百里先の山脈の熱さを感ずる

男とクルギ・タは密語で交情し
女は歯を食いしばって
伝承と曙のゆりかごの中に子供を生み
さらに風は興安嶺を越え アロン湖を越え
とあれば東シベリア酷寒の
荒涼とした大地に想像が及ぶ
ツングース、タタール、ウリャンカイ
闇と光の巨大な迷路に
吹き荒ぶ砂嵐の航跡が浮かび上がり
確信の風景が眼前に下りてくる

クルギ・タは僕たちの姉に違いない
巨きな乳と肥沃な三角州をもち
ヘラジカの舐める蜜のような無限の交接
シベリアの深く単調な子守唄を歌う
それは延々と低くつぶやくような

犬塚堯さん謎めきの詩行に誘われました
あなたのような詩人が
南極越冬隊従軍記者として
何年にも渡って越冬の記事と詩を書いた
仲間の隊員を氷雪の嵐に失いながら
哈爾濱のクルギ・タを思い起こしただろうか
哈爾濱と南極ブリザード荒ぶ
極寒の円環閉じることなく
凍らない乳の河は透明に乳濁して
悠々と泳ぎつづけるクルギ・タ

僕はぼくのクルギ・タを思い出している
この世の人類の姉たるクルギ・タ

 
 

✶ 浜風文庫、三ヶ月間お休みさせていただきました。今回は犬塚堯さんの詩に深く曳かれて、「河との婚姻」からの引用を含め、このような形になりました。未完のエチュードです。テラコッタの写真は、哈爾濱・ハルピンのクルギ・タを想起しながら作った仮面です。

 

 

 

茄子の夢

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

今年の初夢は茄子の夢だった
いちふじ、にたか、さんなすび
まさか、縁起物の夢を見るとは!

まめ蔵厨房でのできごと
2021年最初のやさいカレー
清新比類なき味をたのむよ!

出てきたやさいカレーを見て
椅子から転げ落ちそうになった

黒々とした大きめの茄子が
まるごと一本どどんと
マスター絵付大皿の真ん中に
あたりまえのように鎮座している

この茄子、カットしてないけど
これお客さんに出すつもりなのか

ブルーハーツ/クロマニヨンズの
マーシーTシャツを着て
険しい顔で下向いている厨房チーフ

拳をわなわな震わせて
なにかを必死に堪えている風

43年目に入ったまめ蔵で
こんなことは初めてのこと
さてどう対応したらいいのか
正月休みのあいだに
理不尽な事態が発生したのか

俯いたまま唇を噛んでいた
マーシーTシャツのチーフは
ツッと店の裏に出てしまい
いくら待っても戻ってこない

通路に出て探してみたが
チーフはお帰りになりましたとの声

拳握ってコロナの所為とは言うまいが
客が入ろうとするそのとき
すでにお帰りになられたというのか

2021年の前途が茄子の黒光りで覆われ
あたまは真っ白になって来た
コロナの災厄に茄子一本がかさなって
大丈夫か、まめ蔵!

そのとき、にゃあ
せつ子さんが寝返りを打って
小さくエマちゃん!と呼ぶ声

夢から覚めたというわけだ

42年以上のまめ蔵の歴史で
何本の茄子をカット調理してきたか
1日平均30本として1年で10,800本!
42年で453,600本!

気が遠くなるのも無理はない
そこで気を取り直した

453,600本のうちのたった1本が
まるごと入ってたからって
どうってことじゃないないか
むしろ寿ぐべき椿事じゃないか

夢の中とはいえ
貪り喰ってみればよかった
きっと目からウロコの旨さだったろう

古稀にして学習、学習
お陰様で茄子という野菜について
いろいろ調べることができた
茄子はただものではないということ

インドで有史以前に現れて
西へ向かってペルシャからアラビア半島へ
東へ向かってチベットから中国へ
やがて世界にあまねく広がり
いまでは1000種の茄子が存在するという
トマト、じゃがいも、ピーマン
茄子科の弟子たちだ

日本では奈良時代に栽培されはじめ
江戸の頃には余りに高価になったため
茄子禁止令が発布されたという
茄子には何の罪もありゃしないだろうに

色、形、料理法、さまざまあって
早生真黒茄子、蔓細千成茄子、高月丸茄子、
深雪茄子、奥三河天狗茄子、萩たまげ茄子
十市茄子、黒びかり博多茄子、薩摩白丸茄子
変わったところでは、ありがとなす、ごめんなす

薬用としては鎮静、消炎、解熱作用があり
疫病退散効果はさだかではないが
含有されるコリンやナスニンには
動脈硬化を防ぐ効果があるとされる
なかなかの優れものではないか
薄皮を上手に剥いで禿(かむろ)に貼れば
ウィッグの代わりになるだろう

上州名物茄子の蒲焼きは
浜松の鰻も棒立ちになるほどの
意外性に富んだ絶景的美味とか

盂蘭盆の供えの茄子でつくる牛は
ご先祖さまが牛にのって
ゆっくりお帰りになられますよう
そんな願いや祈りもこめて
選ばれし453,600分の1

2021年丑歳の初夢は
まめ蔵縁起
誇らしい茄子の夢だった

 

*「まめ蔵」は南椌椌が経営する吉祥寺のカレー専門店。1978年10月オープン以来43年目になる。

 

 

 

ハナモモの庭

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

2020年12月11日、今日はいつものように、あてどなくめぐり転ぶのではなく、練馬の関町の庭から一歩も出ずに、書き始め、書き終えてみたい。モリカズさんのようにというのは笑止のごとく烏滸がましいけどね。ところで、さっそく寄り道ですが、烏滸がましい、おこがましいの「烏滸」は水際でカーカー鳴き騒ぐ烏の意味から来ているそうです。言わずもがなのことを謙遜ぶってカースカ言う輩のことでしょうか。

それはさておき、数ヶ月を遡る、まめ蔵コロナ休業の卯月はじめ、吉祥寺視察自転車周遊を終えて、庭に帰ると、いきなりハナモモが満開であり、箒状の幹に零れるように咲く純白の花群がそれは眩いのだった。このハナモモの種類は「照手白」てるてしろという。歌舞伎や浄瑠璃の演目として伝わる小栗判官照手姫伝説由来の花桃で、花の色の赤は照手紅、ピンクは照手桃、白は照手白である。

我が家の照手白はまだ樹齢20年そこそこだが、そのひび割れた幹から松脂みたいなゼリー状の樹液がそこかしこに吹き出し、それはそれで好ましいのだ。というのも、いつからか、照手白には亡き母の儚く華やいだ精気が宿るようになり、その樹液は母の乳の匂いがしてあまやかで、さらに母の兄さん、つまり伯父の吐く紫煙の脂が混ざり合って、どこか馥郁たる妄想の芳香を放つようになったのだ。小栗、照手姫とはなんの関係もないが、ときに白く咲く花は、死者の息を吸って育つと聞いたことがある。

伯父といえば生前は清貧寡黙子宝高潔の人で、傾いたようなぼろ屋の門柱の裏には、隠れたように菊の紋が彫ってあった。段ボール専門の回収業、時代風に言えばバタヤさん稼業で、貧しくも高潔というのは圓朝の人情噺めいている。ダンボールうず高く積んだ自転車リヤカー、飄々の咥え煙草の伯父さん、不思議な人だった。生きていれば115歳になんなん。

庭の照手白には、妄想香求めて界隈徘徊する黒白チャップリン、サビのゲンシュウ、茶トラのココア、その名も北の国からクロイタゴロコなんかが、妖し気に擦り寄って来て、媚態にやあにやあとまあ愛らしいこと。

桜散る頃ともなれば、ぽつぽつと乙女の粟粒のような花芽が吹き出し、日ごと夜ごと膨らむつぼみが、我慢出来ずに八重九重の白い花群となって、それは美しいことである。そもそもこの照手白は22年前父の遺した古家を解体して建て直した折、近所の園芸店で6、70センチの苗木を求め植えたもの。今となっては南家小庭で樹高7メートル、帚状のシンボルツリーのようだが、そもそもハナモモはバラ目バラ科モモ属に属するだけあって、生育が早く、3、4年のうちに、小さいながら桃の実を撓わにつけて、あまた熟れて落果するのも早い。齧ってもけっして旨いことはないが、頃合いを見て、果肉を刻んでジャムに煮込むと、これが由来の照手姫らしく気品ある淡桃の芳しさ。自家発酵させたヨーグルトに混ぜ込むと、軽い懺悔の余韻のような味わいを楽しめるわけです。

後先考えずに植え込んだ、トネリコ、ムクゲ、ライラック、ヤマボウシ、レンギョウ、ドウダン、ハナミズキ、ヒュウガミズキ、雑植の木立、ときに風吹けば西向きの庭に慈悲の鳥が羽ばたき、胸騒ぎのする庭で飲むビールは格別で、そんなふうにコロナの夏が過ぎ、秋が過ぎて、さて冬来たりなば、来るべき春は?

 

 

 

ポ の 国 の ぴ

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

今日は拝島駅から青梅駅へ
そこからKuroちゃんの送迎車で
多摩川を渡り山々の紅葉を眺めながら15分
日の出町の「太陽の家日の出陶房」へ
空は晴れて、やがて秋も終わるだろう

さて、今日はこんなテラコッタを作ってみた
こいつの名前をつけることから始めた
「ぴ」
浜風文庫2020年10月「ポの国のポ」を踏襲して
ポ=ぼく、ぴ=キミ、ということにしよう
つまり、ボクの国のキミ?

「ぴ」は最初はただの粘土のかたまりだ
産地はあまねく知られる陶芸の里、信楽の赤土1号
両のてのひらに載るくらいの塊
重さを感じながら少し捏ねる
半分くらいにわけて
作業台の上でぱんぱん叩く、文字通りぱんぱんたたく
濡れタオルや軍手を押し付けて
ちょいと縄文風の文様をつけてみる
それだけで「ぴ」のイメージが近づいてくる
ほどよく平らにしたパン生地で
詩人の言葉を包むように丸める
指先でぽよぽよ押してみる戻してみるぽよぽよ
まだ「ぴ」はぴでもポでも、ぱぴぷでもない
もう半分も同じようにぱんぱん叩くぱんぱん
そして同じように丸めて撓ませ
別の詩人の言葉を包むようにつまんでみる
てのひらで揺らす、ゆらゆらぽよぽよ

ふたつのつつみを上下に重ねる(無造作が大事)
瓢箪のようないびつな物体が
手回し轆轤の上に鎮座している
こうしてキミはようやく「ぴ」にならんと身構える
これからが長年鍛えて捨ててきた即興スキル
両手で瓢箪のかたちをかるく絞るようにして
縮めてゆらしてさらに押し広げ
納得できる行き当たりばったりを目指す
どこでもいいどこかに(無造作が大事)
人差し指と中指の第二関節を丸めて押し当て
轆轤の上にトンと押し立て回してみる
なんかこりゃまだふつうだな
まだふつうの造形で「ぴ」には届いていない

おなかのあたりをぐっと平らに押し込むと
左右に堕天使の羽(イメージイメージ)が広がり
次に天使の羽二枚を頭上で出会わせる
それも途上のかたちに過ぎない
天使の羽二枚はその名残りだけで消える
しばししばし、顔らしき輪郭が生まれる

手を休めると窓の外を人が通る
「太陽の家」には天上天下の人たちが住んでいて
陶房の仕事をしたり畑しごとをしたり
不思議な声をだしてただ歩いていたり
のっぺりした遠近法ではダメ出しされる
「ポ」オノレ自身の描法を迫られる
無造作が大事、だが唯我独尊からは離れて

テラコッタ作りのほとんど唯一のツール
焼き鳥屋で使うなじみの竹串の出番だ
ここからが今日の作業の正念場
竹串のとんがりに細心の注意をはらい
両の眼窩にめんたまラインを素早く入れる
ここで迷ったりやり直したりすると
あとがこわいずるずる、信楽赤土1号の塊
もとの木阿弥にもどってしまうのだ

午後の陽射しが陰ってくると
小春の日和さんは足早に去ってゆき
山あいの陶房にも冷気が入り込んでくる
ふむふむいいでしょう、こんなところか手をとめる
いや止めないとカラダが冷える

ああ、いいかも知れない
顔立ちはちょっとお茶目な才色兼備
なぜか墨の涙を流している
死んだ友のことを思っているのか
存在の秋の終わりに涙してるのか
ピカソのゲルニカやドラ・マールの涙
「涙のわけはわからない」
清志郎と原田郁子の「銀河」を口ずさむ

ところでキミの名前は「ぴ」でしたね
こうしてこんな具合に「ぴ」が生まれました
ぽの国のぴ、まずまずのお気に入り

 
 

✶ 写真は2020年11月13日15:15、成形の終わった焼成前の「ぴ」。
テラコッタ=terracotta=土を焼く、からするとこの「ぴ」はまだテラコッタではない。