コロナのように際限のない土壺移り

 

工藤冬里

 
 

痰壷
マサチューセッツの農場に住む数学教師ハワード・シュテルツァーはカセットとカセットプレーヤーで音楽移民を作っていた
今まではドローンとテクスチャーが多かったが
ある日痰のように人声を 使いたく思った
ハワードのコロナの死骸
ハワードのハートはマインドをもはや切り離すことができない
ハートはマインドをもはや切り離すことができないゆえに心には愛情欲求動機の他に「考え方」も含まれていることが分かる
理解のないところに感動はない
理解も感動もないこころに煙は立たない
〽︎でも見てよ今の僕を
クズになったあ僕うをお
口から吐くのではない
心から考え方の死骸を吐き出すのだ
聴いたことがないと言うサトコさんに香水を聞かせたら「そう言えば息子が学校でサビが岡山弁の歌が流行ってるって、と仰る。
わしかてずっと一緒におりたかったわ
心には愛情欲求動機考え方性的不道徳恐喝贈収賄が含まれている
悪に関して同じ感覚を持つ鍋
あなた(博多)の中 人々は
ハロウィンパ
レードとルーが歌ってもう三十余年
祝祭のために女が泣くことは忌まわしい
紛れもない悪と看做す
似ても似てなくてももう月明かり
考え方によって大切な人とみなされない
サトコさんが言うには正直な歌詞が良いらしい
わしかてずっと一緒におりたかったわ

 

 

 

#poetry #rock musician

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