村岡由梨
あなたは今、幸せですか。不幸せですか。
って聞かれたら、何て答える?
私にはわからなくて、
何もわからなくて、不安で仕方がないから
曖昧な言葉ではぐらかさないで
まっすぐ私の目を見て答えてほしい。
ある晴れた寒い日に
工事現場から少し離れた道端で、
交通誘導員のおじいさんが
所在無さげに何度も腕を組みかえながら、
寒さから身を守るようにして縮こまっていた。
一方私の手元のスマホでは、
SNSのタイムラインに
美味しいもの、楽しいことがあふれていた。
キラキラ キラキラ
自分はこの人より、幸せか不幸せか。
比べてしまう。疲れてしまう。
世界中の争いや諍いが収束して、
飢えた子供たちや、迫害されて苦しむ人たちが
少しでも減って欲しい。
そう強く願いはするけれど、
一方で、キラキラした自分のタイムラインなんか、
真っ黒に塗りつぶしてやりたい、とも思ってしまう。
幸せで満たされた他人が、さらに幸せになることを望めない、
醜悪な自分がいる。
私には夫がいて、娘たちもいて、3匹の猫もいる。
仕事があって、住むところもある。
食べることにも困らない。
それなのに、なぜ
これ以上、何を望んでいるのか。
心療内科のクリニックがあるビルのエントランスに
小さなクリスマスツリーが飾ってあるのを見て、
軽い頭痛のような、絶望のようなものを感じてしまう。
思わず叫びたくなる。
夜20時過ぎ、仕事からの帰り道で、
民家が電球でデコレーションしてあるのを見て、
深い哀しみに沈んでしまう。
近くのコンビニの店員がサンタの帽子をかぶって働いているのを見ると、
何か良くないものを見てしまったような後ろめたさで、
足早に店を去ってしまう。
あんなにクリスマスが大好きだったのに、
子供の頃に感じたような、
体の中から溢れ出る高鳴りで目が潤む幸福感。もう手が届かない。
あの頃に戻りたいけれど、
私はもう、年をとりすぎた。
野々歩さんが右手の小指を骨折したので、
一緒にお風呂に入って、頭と体を洗ってあげる。
ある時、野々歩さんが鼻血を出して、
次から次へ、血が流れた。止まらない。
「ゆりっぺの白い背中に、俺の血がたれたら、すごくいいコントラストになるね」
私の背中に、野々歩さんの鮮血がポタポタと滴り落ちている。
決して私自身の肉眼で見られない光景が、
愛する人の鮮血で自分の体が染まる悦びの光景が、
そこにはあった。
私の財布には「お守り」がしまってあって、
どうしても苦しい時、取り出して眺める。
幼かった眠が、私にくれたメッセージだ。
「まま おたんじょうび おめでとう
ふるつけえき が すきなんだね
まま わ きれいなんだね
おりょり が うまいんだね
たたむのも うまいいんだね
かわいい おじょうさま なんだね
ねむより」
ねむ と はな は まま の たからもの
まま は しあわせだね
せかいで いちばん しあわせ だね
でも なんで なみだが とまらないんだろう
しあわせだから かな
あなたは今、幸せですか。不幸せですか。
って聞かれたら、何て答える?
花にそう聞いたら、
「幸せだよ」
と、はっきり答えた。
そう言ってくれる人が、そばにいてくれて、本当に良かったと思う。
花は、「夜の空は紫色」だという。
花の見た空は、花にしか描けない。
紫色だけでなく、黒や群青色の絵の具を用意して、
白いキャンバスに挑む花は、
自由なんだろう。幸せなんだろう。
幸せとは、無限に広がる自由なんだろう。
あと少しで、2020年が終わる。
もう少しで、新しい年の始まりだ。