村岡由梨
2007年に生まれた次女に『花』と名付けたのは、
「平和」を想起させる名前にしたかったから。
『花』の漢字を分解すると、
「艹」「イ」「ヒ」となる。
「艹」は植物を、「イ」は生きている人を、「ヒ」は死んだ人を表す。
生きている人と死んだ人の上に、草花が生い茂っている。
その光景が何だかすごく自然で平和に思えて、
娘を『花』と名付けたのだった。
今、世界は平和ですか。
世界中の人々は今、まるで
空っぽの鳥かごを見て呆然としているみたいだ。
その鳥かごにはきっと、
愛とか、慈しみとか
大切で温かな生き物が入っていたはずなのに、
それがどんなものだったのか、世界は思い出せずにいる。
盗まれたのか、殺されたのか、
それを失ったことがただ悲しくて
ドクン ゴボッと ナプキンに落ちてくる
経血みたいに揺れて、
徐々にスピードを上げて汚れていくみたい。
「ママ、ここにあるナイフで手を切ったら、どうなるの?」
「すごく痛いと思うよ。血も出るだろうし。」
「ふーん」
「どうしてそんなこと聞くの?」
「いや、別に。」
いや、別に。って
何て悲しい言葉だろう。
もっと私を信じてほしい。
心を閉ざさないでほしい。
自分勝手な私がそう言う度に
君は私から遠ざかっていく。
この世界の綺麗事の一切を脱ぎ捨てて、
使い物にならない自分をビリビリに破り捨てて、
手首をナイフで切り刻むように
君の内側に、真っ赤な言葉を刻みたい。
私が死んだら、そこらへんにある原っぱに
適当に転がしておいていいよ。
ぞんざいに扱っていい。
時々思い出してくれるだけでいい。
そして偶に生きている美しい君がやってきて、
ウジのわいた私の傍に寝っ転がってくれたなら、
それが私たちの「平和」なのかもね。なのかな。
ほったらかしにして、最後に残るものが
きっと大切にしなくてはならないもの。
骨片とか。
思い出とか。
ただそれだけの、少し拗ねて書いてみたお話。
素直になれない、ただそれだけの話。
きれいな思い出の上に、
いつかきれいな花が咲くことを願って。