鈴木志郎康
八月。
八月。
ああ、八月。
八月は朝だ。
庭に咲いた朝顔の花の数を数える。
花は開いて空に向かって目一杯叫んでいるみたい。
陽射しが強くなるともう萎れているんですよ。
また、明日咲く花は幾つかな。
花の数が気分の折れ線グラフを作るというわけ。
八月は夏休みの月ですね。
でも、八年前に多摩美を辞めてからそれがありません。
と、心は夏休み合宿の記憶を辿り始める。
ところが、付き合った学生たちの名前をぽろぽろ、
ぽろぽろ、忘れちゃってる。
寂しいね。
第一次世界大戦後100年の今年の八月、
日本の敗戦後69年の今年の八月、
ってことで、わたしが毎朝読む朝日新聞では、
戦争キャンペーンの記事は毎日載ってるんですね。
十二日には中日戦争からの戦争の年表が載ってた。
でも、わたしが生まれてからがすっぽり入るその活字が遠いなあ。
八月十五日の新聞では
朝日も日経も一面に「きょう終戦の日」とあった。
何で「敗戦の日」としないんだろう。
日本国は連合国軍に負けて占領されたんじゃなかったのかなあ。
わたしは家族と一緒に三月十日に米軍の焼夷弾爆撃で焼け出された。
まあ、今年の甲子園は逆転試合が多かったね。
一九四五年の八月十五日、わたしは十歳で家族と、
疎開先の福島県の小浜町というところの在の農家の薄暗い家の中で、
玉音放送を聴いた筈だが余りよく覚えてないんです。
わたしたちが住んでいた農家に戻る時に草履で歩いた
きらきら光る土が記憶に残っている。草履の足下を気にしていたから。
その年の十月、家族と共に東京に戻ったわたしは言葉と身体のいじめから解放された。
甲子園の中継は付けっぱなしです。新潟の日本文理が逆転ツーランで勝った。
ホームランを打った新井充選手の冷静な顔、期待されて期待に応えた。
投げる打つ走る身体身体、肉付きのいい身体、みんな泥だらけですばしっこいなあ、
ドン、ドン、ドン、かっせ、かっせ、かっ飛ばせ、
それをテレビで見ているわたしがここにいて、脚痛と腰痛でそろそろのろのろ、
入院している麻理を思って、さあ、昼食に支度でもするかあ。
広島で土石流による死者71人不明11人(27日現在)。
去年の十月に引っ越してきた若い夫婦の死が確定、痛ましい。
花崗岩が風化したまさ土の山崩れ、その土に記憶が蘇る。
五十年ほど前、広島でニュースカメラマンだった時に取材した。
土石流が海岸近くの校舎の一つの教室をまるごとぶち抜いた鉄砲水。
思ってもみなかった突然のバケツで水を浴びせられたような雨だったと聞いた。
思ってもいなかったことなんですね。何が起こるか分からない。
麻理のこの五月の自転車転倒による左手首の粉砕骨折。
八月、それがどうやら直ったところで、
その転倒の原因となった難病の発症を探る一週間の検査入院。
ということで、わたしは温野菜サラダとか野菜カレーの三度の食事を、
自分で作って一人で食べた。入院翌朝の麻理からの電話が嬉しかった。
八月、
八月、
ああ、八月。
今日の詩も、花が鮮やかに書きとめられています。それも、「二〇一四年の八月」の花です。鮮やか過ぎてびっくりしました。