夢素描 18

 

西島一洋

 
 

汚泥の夢

 

あまり書きたくない。
したがって読みたくもないだろう。
しかし、夢の記憶の中で重きを置いているので、通過儀礼としても書かなければならない。

とても多い。
夢の中のかなりの比重を占めている。
したがっていろんなパターンがある。

大きく分けると、ふたつ。
ひとつは、トイレを探している。
ふたつめは、汚泥の中を泳いでいる。
筆は進まないのに、膨大な夢の記憶がある。
しょうがないので、それぞれに三つづつ書くことにしよう。
三つということに特に意味はない。

トイレを探している。
その1。
その2。
その3。

汚泥の中を泳いでいる。
その1。
川、運河、人工河川。
流されてゆく。

その2。
その3。

と、ここまでというか、後で書こうと思い、題目だけメモった。元々筆が進まないので、ぼんやりとした時間だけが進む。

ふと、たけちゃんのことを書こうと思う。

たけちゃんのうちは貧乏だった。
トイレが、うちの外にあった。
便器は大きな壺で、壺の三分の二くらいが土に埋まっていた。
扉はあったが、腰扉だった。
僕はここで用を足したことはないが、ほぼ野糞と変わらない。
田舎ではない。家の前は飯田街道、角地なのでトイレのある方も道に塩付通に面している。人の往来は多い。

たけちゃんは、僕の小学校の時の同級生、僕のうちから飯田街道を挟んで向こう三軒に住んでいた。小学校の時のと接頭語を付けたのには意味がある。たけちゃんは中学生になったのかどうか記憶が無い。たけちゃんは、その辺あたり、つまり小学生から中学生になるはざま、春休みでは無いが、小学校卒業してから中学校が始まるそのはざま、そして中学校が始まっても中学生としてのたけちゃんの記憶は無い。もうすでに中学校に通う体力が無かったのか、そしてそのはざまあたりにたけちゃんは死んだ。死因は栄養失調だった。たけちゃんは映画どですかでんに出てくる主役の少年に姿形がとても良く似ている。

計算すると、たけちゃんが死んだのは1965年くらいかな。僕がたけちゃんのうちの前に引っ越したのは、小学校に上がると同時だったから、六年間ぐらいは一緒によく遊んだ。

たけちゃんは六年生の時、突然引っ越しをした。正確にはたけちゃんの家族全員が引っ越しをした。

と、ここまで書いて、たけちゃんのことを書いたメモがあることを思い出し、iPad のメモ内をたけちゃんで検索してみると、見つかった。今回は、排便つながりで、たけちゃんのうちのトイレの記憶から、たけちゃんのことを書こうと思ったが、見つかったメモとほぼ同じなので、それをそのままコピーして貼り付けます。重複した箇所や、たけちゃんのうちの便器のことを壺と言ったり、甕と言ったりしているが、これから書こうとする内容がほぼ一致しているので。ややこしいが、こうやって、記憶を辿るという行為は、夢の記憶を辿ることと同じことだと思っている。たまたま見つかったのはiPad のメモ内だが、僕の記憶では、それとは別にさらに過去に数回は書いた記憶があるので、そのメモも探したい。単なる白紙に書いたメモや、原稿用紙のもあると思う。

以下が今回見つけた昔に書いたたけちゃんのことについてのメモです。(どうやら、この時の記憶のきっかけは、傘だったようです。)

『もちろん、僕らが学校に通う時は、番傘の子はいなかったと思う。蝙蝠傘、黒くて、厚い布の濡れるとけっこう重いやつです。
向かいのたけちゃんの家が蝙蝠傘の修理屋だった。たけちゃんとはよく遊んだ。
でも、傘を直してもらった記憶もないし、おそらく、そういうことになっていただけのような気がする。
気がするというか、大人になってみて、分かった。
たけちゃんの家は知らない男の人たちが、入れ替わり出入りしていた。
たけちゃんのお母さんは売春婦で、売春宿だったんだ。
トイレは、外に甕が埋めてあって、それだけだった。一応扉はついていたが、腰までの扉だった。
たけちゃん一家は、僕たちが12歳くらいの時、引っ越しをした。川名中学校の近くにあるアパートだった。役場が、貧困家庭用に用意した施設でもあった。
ぼくも中学生になって、川名中学校に通うようになって、たけちゃんの家に行ったこともある。小綺麗だった。
数ヶ月後に、たけちゃんは死んだ。栄養失調とのことだった。
ちょっと戻る。
たけちゃんが、引っ越ししたあと、たけちゃんの家が解体される前に、同い年の友達数人で、探検に行った。探検というより、ボロ屋に入るのは子供達にとっては単に面白い遊びだった。
腐った畳というか、土のたたきというか、あまり区別もできないほど、建物の中は荒れ果てていたが、おそらく、一家はたけちゃんを入れて5人くらい。こんなところで生活していたんだ。考えてみると、たけちゃんとはよく遊んだが、家の中に入ったことはなかった。
ただ、僕たちは、嬉々となって、探索すると、大量の注射針が見つかった。僕たちは、宝物を探し当てたように、腐った畳や土をほじくってはいっぱい集めた。
大人になって考えてみると、おそらくは、たけちゃんのお父さんとかお母さんは、ヘロインとかヒロポンの中毒者だったのだろう。』

以上が昔、たけちゃんについて書いたメモ。

相変わらず、汚泥の夢の記憶については筆が進まない。
しかし、なぜ、たけちゃんのことを思い出したのだろう。
やはり、たけちゃんのうちの便器…だろうなあ。

 

 

 

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