工藤冬里
瞞したのに生かしておいてくれた
太陽を止めてまで守ってくれた
燃料と水というインフラを任されるまでになった
heartquakeが起きる前
コンビニで食べ物を探したが毒ばかりで、食べられそうなものはあたりめしか無かった
最近変わったことといえば星雲星団botが嫌になったことかな
NASAの着色が嘘くさくてさ
10年前、雲の裏側が地表の惨状を 物語る、っておコメさんに朗読してもらった bonoboで
あれからずいぶん経ったねえ
北極星は分かるようになったし
星は少なくなったし
人が星になる、も最終的な決着がついたね
あゝロックも終わるんだね
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1446905562847793155/pu/vid/320×568/cUNRix3kAxTEcAx-.mp4
吉野屋で卵の質は悪く塩分過多だが目玉焼は4時から
北点はいつも小さくオリオンは今は南に回る
寒暖の気団のモデルがずれ込んで、そこにDevilが場所取りの筵を敷く
同じ花を見ていた者たちが次々とずり落ちていく
土に限界を超えた電気を与えると
唐突な日の出
啓発の光は一瞬だが夜明けは徐々に明るくなっていく
日々無罪を言い渡しているが
あと2回不利な判決が言い渡されなければならない
喜びと闘争のpoison ivyは絡み合って
近世の田園風景の型も脳に押し付けられている
一瞬の光によって進むやり方では蛇行して三日月湖に弾き出されるだけだ
工芸性の否定という中世化は
数世代前の外来種の流入による田園風景の固定化が
私たちの脳にもたらした幻影に過ぎない
断罪するために立ち上がるのはその風景の前に住んでいたニネベの人々である
新たな植生を私たちは思い描くことができない
未来と入れ替えられるべき過去は
さらに大きな過去と入れ替えられなければならないからだ
その頃は一度死んでみたいとさえ思っていたものだった
7、80年で分かるはずのないことを
一瞬の光によらず
徐々に積み上げていかなければならないのだ
石積みの技術は祭りに参集した群衆が持っていたものではない
工芸性の否定とは逆に失われた数億年単位の仕事量を想起することである
アリジゴクが巣を作り 土俵の敷かれた神社から 担ぎ出される箱の 村祭りの否定は その建築の失われた原型の 隅石を据えた時の歓声の 残響を聴くことである
馬が出馬するのは耕すためではない
その絡みつく赤青黒白の闘争を駆け抜けるためである
だててんりゅうもラジカルミキも山本太郎も馬の名前である
ただ携帯を見過ぎていただけなのに
戸籍から拭い去られる
待つことだけが
主題となる
祭囃子の間、身を低くしてやり過ごす
馬は一歩も進めない
末端は少しも動かない
動かす小指の場所もない
苗字たちの中で、名前は動けぬ馬だ
家のない名前に判決を言い渡す
heartquakeのバス停留所で
#poetry #rock musician
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