村岡由梨

 
 

雪が降っている。
前に住んでいた家の小さな庭で
真っ赤なコートを着て
仰向けに横たわる、幼い私。
手を伸ばせば届きそうな暗い空。
庭の木々にも、芝生にも、わたしにも
やわらかい雪が降り積もっていく。
このまま
白く清らかなままで
全て消えてしまえばいいのにな。

無垢な猫の胸毛のように真っ白で、
豊かにやわらかく揺れる母の乳房に、
身を捩って苦しむ母の乳房に、
ニトログリセリンを貼って、顔を埋める。
母の胸の奥に、赤くてあたたかな光が見える。
ほんとうは
もっと早くこうしたかった。

もし、あなたが
明日消えてしまうのなら
欠点も何もかも のみ込んで
あなたのことが好きだった、と伝えたい。

もし、私が、明日消えてしまうのなら、
これまで出会った全ての人たちに
優しく出来なかったことを
泣いて激しく悔やむでしょう。

濃い霧に覆われて、
先の見えない道の半ばに立たされた
孤独な娘たち。
赤いフリースを着せて、
震えるあなたたちにそっと目隠しをする。
見たくなければ、見なくていいよ。
逃げたかったら、逃げればいい。
やがて眠りについたあなたたちのそばに、
色違いの羊のぬいぐるみを、そっと置く。

ある日、一羽のカラスが一直線に大きく翼を開き、
冬の寒さを切り裂くように
私の目の前を低空飛行した。

母の胸の奥の赤い光が爆発して、
母の乳房が、体が、こっぱみじんになった。
女の血と肉片で着飾った私は、
真っ白な雪の絨毯に、仰向けに寝転がる。
手足の指がかじかんで、赤くなって、
やがて黒くなって、壊死してしまった。
雪はいつしか女の遺灰となって、
静かに降り積もっていく。
女の遺灰に埋もれて、
遺灰を鼻から吸い込んで、私は
このまま全部消えて無くなればいい、
そう思った。

けれど、私はこのままでは終われない。
白く激しく燃えるような
辺りいっぺんを激しく焼き尽くすような
作品を作るまでは。

出し尽くす。焼き尽くす。
自分の命を最後の一滴まで絞りだす。
私は、ひとりの表現者として生き切りたいのだ。

なんて強がりを言っても、
今際の際、きっと私は、
夫と二人の娘たちの名前を叫ぶでしょう。
そして、私が自分勝手な生き方をして、
いつも良い妻・良いお母さん
でいられなかったことを、
激しく泣いて悔やむでしょう。

狂おしいほどの怒り、苦しみ、憎しみ、悲しみの
全てをのみ込んでもなお
あなたたちのことを愛していたことを
うまく伝えきれるでしょうか。

赤くてあたたかい光が、
私の胸の奥にもあったことも、
いつか、気付いてくれるでしょうか。

そんなことを考えながら、
小さな庭に横たわる私の体に
雪が、母の遺灰が、
音もなく降り積もっていく。

 

 

 

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