みわ はるか

 
 

大きな喪失感に包まれている。

有限な人生の限界を真正面から突き付けられたような気がした。

 

3月下旬。

その日は休日出勤で14時頃に仕事が終わり、リュックを抱えながらおもむろに携帯を取り出した。

1件の、これまたメール嫌いな幼なじみからの連絡の様だった。

珍しいこともあるもんだなと疲れた頭で何だろうと考えていた。

階段をのろのろと降りながら中身をチェックする。

「はっ」と心の声が出ていたのかもしれない。

すれちがう人が怪訝な顔をわたしにむけていた。

わたしは、必要最低限書かれたその文面を何度も何度も繰り返し目で追った。

にわかには信じられないものであった。

「◯◯亡くなった。今日の未明。」

それ以下でもそれ以上でもなく、ただそれだけが書かれていた。

ただその文面がわたしに与える衝撃はどんな長文よりも大きいものだった。

守衛さんにいつもと変わらない笑顔をなんとか作り挨拶をし、駐車場まで歩く。

座席に座りゆっくりとメールの送信者に電話をかける。

コールの時間はものすごく長いように感じた。

彼も詳しいことは分からないようであったが、紛れもない事実であることは確かなようだった。

30代前半、働き盛り、奥さんもおり第2子妊娠中であった。

駐車場からしばらく動けなかった。

久しぶりの晴天で雲が流れるように漂っていた。

何十年かぶりの雪もやっと通り過ぎ、快適な気候がこれからやってくる。

街の人の気分も高揚し始めている。

いつもと変わらない日曜、になるはずだった。

わたしの心はぐちゃぐちゃと、せっかく積み上げたブロックが一気に崩れていくような気持ちになった。

 

彼も含めた幼なじみ3、4人でSNSでグループを作って、近況や集まって犬の散歩をしたりご飯を食べたりしていた。

お互いの結婚を祝ったり、同じ業界で働いていることもあり悩みを相談したりしていた。

住んでいる所はバラバラだったけれど、誰かの帰省に合わせてよく地元の焼肉屋さんに行った。

きれいとは言い難い所だったし、店員さんもさして愛想がいいわけでもないし、匂いや油はベトベトに服につくようなとこだけど、育った町のそこにある焼肉屋、小さいころから変わらず在り続けてくれるというだけで安全地帯だった。

わたしは知っている、遅れてきたメンバーのために、一度焼いて皿に移してあった肉をそっと網に戻して温めなおしていたことを。

急に写真を撮って、こういう何気ない瞬間を大事に保存していたことを。

みんながアルコールを飲みたいと言ったら、必ず運転手をかって出ていたことを。

うちの実家の犬を可愛がってくれたことを。

注文1年待ちの鉄のフライパンをこっそりと注文し、わたしの結婚に間に合わせようとしてくれていたことを。

 

みんなきっと知っている。

彼の家族は誰に対しても親切で、例外なく彼も親切であるということを。

 

わたしは今でも連絡できる他の幼なじみに事の顛末をゆっくりと、正確に電話で伝えた。

誰も知らずに過ぎていくのはあまりにも不憫だと思ったからだ。

みんな相当驚いていたし、中にはその日結婚式だった人もいた。

人生はむごい、そして神様は意地悪だと思った。

みんながまたそこから知りうる限りの人に連絡してくれたようだ。

最後のお別れに行ってくれた人もたくさんいたと人づてに聞いた。

わたしは、GWに伺う予定だ。

現実を突きつけられるのはかなり怖い。

しかし、行かねばと、残された人間はそれでも生きていかなければいけないのだと思っている。

 

11年前、事故で同級生を2人すでに亡くしている。

空を見ると3人の顔が思い浮かぶ時がある。

死後の世界が本当にあるのだとしたら、3人でもう何もストレスや苦労もなく穏やかに焼肉でもしてるのかな。

お酒も二日酔いを気にすることなくたらふく飲めるね。

いつかわたしもその日が来たら仲間にいれてよね。

 

グループメッセージの既読の数が1つ減った。

何日待っても既読にはならない。

アイコンの写真だけが笑っている。

 

人生は幻だ。

 

 

 

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