餉々戦記(茶碗蒸し、て、みた 篇)

 

薦田愛

 
 

茶碗蒸し、て、みた
いつもしきりに食べたいああ食べたいと
唱えるほどではない
けれど好きなのだった淡いあじわいの ぷるる
と言ってすぐ食べに行ける先も思い当たらないのなら
つくるのが早い
と思えるくらいに少ぅしずつ
つくることに慣れてきた
ちょっとくやしいけれどつれあいユウキの作戦に落ちた気がする
「男でも女でも生きていく上で何でもじぶんでできれば
 困ることがないよ」
って たしかにね でも
蒸し器もあるのに仕舞いっぱなし
なぜだろう 毎日使うフライパンや片手鍋が気楽
っていうのは言い訳でたぶん
じっさい出して使ってみれば同じくらい
気楽で便利なんだろうな
新聞の小冊子や日曜版の
カラー写真つきレシピにそそられるとスイッチが入る
つくったことはなくても食べたことのあるものはなおさら
なになにフライパンに水張ってつくれちゃうの
蒸し器出さなくてもいいのなら一段と楽
茶碗蒸し、て、みた
蓋つきの器はあったはずが見当たらなかったから
百均でありあわせの白いのふたつ
新聞紙に包んでエコバッグの底へ

あれは勤め先が大手町、お濠端に移り
にょっきにょっき高さを競うオフィスビル林立するのを逃れて
大通り隔てた隣に
小さなビルや路地の多い内神田という町があるのを知ったころ
ふるびた長崎料理店をみつけた
ランチメニューのちゃんぽんや特別定食という文字と並んで
茶碗蒸し定食七百円
ちゃ ちゃわんむしですか
釘づけになったのだった食べてみた
小ぶりのどんぶりに満ちみちる
なるとだったか鶏肉に椎茸
海老も入っていたはず ああ
ゆるいめの出汁がにじみ出すクリーム色の
卵の生地 たぷったぷぐじゃあ
ふうふう冷ましながらうずめる匙をあふれる
たぷっふるっぐじゃあっ
出汁のいってきまで平らげたっけ
いったい卵いくつぶんだったろう
そういえば
タルトやミルフィーユ、シュー皮にずっしりつまったカスタードクリーム
だいこうぶつ
出汁巻き玉子にスクランブルドエッグにプリン
つまるところ卵ものが好きってことなのかな

茶碗蒸し、て、みた
その夜何度めかの
茶碗蒸し、蒸してみた
雛の節句にさむい雨いえ雪まじり

前の日もその日も出かけそびれて身もこころも屈託
日脚は日々のびているのに雲が低いと
暮れるのもなんだかはやい
紙箱にねむる小さな陶人形のお雛さまも飾りそびれ
玄関に生けた桃のはなびらかじかんでいる
ちらし寿司はハードルが高いけれどせめて
蛤のお吸い物くらいつくってみたいなと
去年みつけたレシピもファイルの紙束に埋もれたまま
せめて せめてもと
畑でとれて冷凍してあった黒枝豆を茹でて剝くむく
おおつぶの黒いうすかわやぶるなかから
あさみどり
地物の椎茸四つ割りボイル済みの小海老も
ふたつの器におさめ
卵ひとつに出汁一二〇ミリリットル
醤油とみりん小さじ一杯ずつ加えてざるで漉っすっ
のだけれど
らっらんぱくううっとスプーンにも菜ばしの先にもあらがい
ざるっううっの目をとおっらなぁいいっ
ああぁっ
ごぞごぞティースプーンでこするざるの
金属のあまいにおい
うっぐうっぐ
初めてつくったとき何げなく茶こしで漉したらぜんぜん通らなかった
ううっぐんっぐ はあ
すこし白いものがのこるけどこのくらいでいいや
そそぎ分けて蓋 あ フライパン
水は張ったまままだ沸かしてなかったよ
ぐつりぶくりぐらりぼこっ
あわのさなかへ並べて中身の半分の湯量でって
蓋したままじゃ置けないから外し
ぐらっ あつっ 並べてからかぶせて
湯気よけのキッチンペーパー畳んでのせフライパンの蓋
弱火にして十五分 タイマーをセットしてスタートし忘れることもしばしば
ああもうこんな時間
出すのずいぶん遅くなるな

百均でみつけた器は小さく
レシピどおりの量だと卵液が余るので
三分の二に減らし醤油とみりんも半量にしたらちょうどいい
濡れてあつあつなのをまた蓋を外し
落とさないように救いだしてぬぐって蓋
冷めないうちに食べたいなあ
と思っていたのに

雛の節句
さむくて身もこころも屈託
仕事帰りのつれあいユウキはバスタブに湯を張ると着替えをとりに二階へ上がる
その
すれ違いざま
なにか
なにを言ったのだったかわたし
なんと応えたのだったかユウキ
「きみの声は小さくてよく聞こえないんだよ」
ということもあったから
聞こえなくていらだったのだったか
うつむく気持ちが身体のふちをあふれて
せきあげる
声をのみ玄関わきの部屋でダウンコートと帽子
次の日からふたりで出かけるので着替えを入れてあったリュック
大きな傘と手袋も手に引き戸をあける
降っている 斜めに
みぞれまじりだ
斜めがけサコッシュには懐中電灯も入っている
鍵をかける
四方が山の町は街灯もまばら
田畑広がる集落は大通りまで真の闇
懐中電灯のちいさな明るみを差し出しさしだし
歩く
きのう家の中の急階段を踏み外して尻餅をついた
ガラス戸にぶつけた膝もかすかにいたい
躓かないように転ばないように
ああすっかりばあさんだ
雛の節句
なのに
なあ
十八分歩けばショッピングモール
路線バスは走っていない時間だけれど
家から四十五分歩けば駅
大阪に出れば宿はある
その前になにかお腹に入れよう
閉店まぎわのモスバーガーでラテに照焼バーガー
食べたかったのはこれじゃない
みぞれまじりの中へまた傘をひろげ
通りに出る 
と 
トタラトラタン トテラトラタン
握りしめていたスマホが鳴る
ユウキだ
「どこにいるの」
ゴダイの前だよ *
「ごはん食べよう 迎えにいくよ」
湯冷めするよ
「いいから ゴダイの前だね」
たちどまる
まっすぐ駅まで歩いていれば
一時間に一本の電車に乗れていた
白い車を待ちながらゴダイで
地酒と
ユウキの好きな赤ワインを買う
白い光の中を
歩く
歩きたかったんだと
独りごつ

雛の節句 
ダウンコートをぬぎリュックをおろし
ソファに並び 
ふたり
冷めた茶碗蒸しに匙をいれる
灯油ファンヒーターが音をたてる

 

 

 

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