夏至のあとさき

 

工藤冬里

 
 

突端がふわとかもふとかいうより大魚のカマの弾性で崩れており、突くと夕空の文体が爛れた
髪は短く纏まり、服を着た胴体たちは給水栓の離れ方で離れて立っている
どっぷりと暮れ泥みまし赤を黒くし、青白のマスクは旗めく
あゝそれは角ゴシックで、始まりも終わりもない
余程のことなのだろう、猶予の時間は赤身魚の鎌のようにぷにぷにしている
desireの余韻、人生は後始末が全てだ

物事は繰り返されるが、タラの隣にタラの芽モドキが生え休耕田にイネ科が繁るような質の低下が見られる
ナタンの後、ヨアブのひと芝居は日曜夜の大河ドラマの次元に落ちている
空気の中には蜜があり常住食すに適してゐた(ゆきてかへらぬ)
「暗いニュースが日の出とともに街に降る」わけだが川には逆流してい部分が必ずあって、そうした渦溜まりを八艘飛びの要領で伝って遡上するのが人生である

子音のない夏が
憎しみに変わった愛について
合唱を始める夕暮れ
最期の蛍が落ちて
決意の光も夜気を吸い込み
弾け飛ぶ釦は頭上に貼り付く
これからは下り坂
写真に撮れない夜の母音の階調を
子音として通り抜ける
燃料も電波もなくなり
動けなくなった夏を
息を止めて通り抜ける
短くされることでやり過ごす
傾きの中で身を起こす
居なくなった光は鎌の音になる
➖〈solstice d’été夏至〉
それどころではなくなった、では何だったのか
夢以外が遂に子午線のようなものを超えてしまったのだ
夢以外は遂に、子午線のようなものを超えてしまったのだ

 

 

 

 

#poetry #rock musician

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