塔島ひろみ
橋は鮮やかな水色に塗られている。それは空と雪を混ぜたようなきれいな色だ。その下の川にはおそらく本物の水が流れるがこれは水色とは似ても似つかない淀んだ暗い、夜の戦車のような色をしている。川はたっぷりとそんな水をたたえながらダイナミックにここで曲がり左方向に逸れていく。小刻みに水面が揺れている。
川の生命を感じさせるこの曲線はしかし人工のものでかつて川は男が今立つこの場所の後方に広がる総合グランドの位置にあった。
グランドでは少年の野球チームが練習していて横の児童広場では年寄りが1人備え付けの器具を使って体操をしている。肩から黄色いタオルをぶら下げている。
その脇にかつて土手だった道に沿って神社がある。そこは水神ー水波能売神を祀る水神社で「水は万物生成の根源であり一日片時も欠くことのできないものであると共に、この水を飲むと邪気を払って下さる」と塀に神徳が書かれていたが水は男の手の届かないところにあった。整備された護岸から川は遠く男はこの水色でない物体が果たして本当に水であるか手を差し入れて確かめることもできない。公園の水道の蛇口をひねると他の川で採取・浄水された水が出てくる。透き通っているが生あたたかく男はグランド付近をうろちょろして自販機を探しそこで富士山麓のおいしい水を2本買った。
堤防を兼ねてグランドは高台になっている。急坂を斜めに下りていく。角地に壊された2階屋の残骸があった。HITACHIと書かれたオレンジ色の重機が1台コンクリートをくわえたままのショベルを下に向けてかつて家だった場所に乗っかっている。枯れた木の枝や幹が横倒しになって1か所にまとめられ家財らしきものは残っておらずコンクリート片がいくつか散らばっているだけで荒涼としていた。基礎部のコンクリートがそのままのため土も見えない。
そのすぐ横にトラックが1台停まっている。荷台にはパンパンに膨れたうす茶色の袋がいくつも積まれ今にも落ちそうなのを無理に紐でしばっている。袋は特殊加工のプラスチック製で中には壊された家の天井や壁、屋根板なんかが無造作に詰まる。そのすべてがアスベストを含んでいた。
灰色の作業服を着た男がトラックの運転席にすわりアスベスト袋のミニチュアのような色も形もそっくりな物体を手に持ちむしゃむしゃ食べていた。
川の方から下りてきた男はドアを開けてトラックの助手席に上がり座った。中はエアコンがきいていて涼しい。運転席の男に今買ってきた水を渡し自分もキャップをねじって一口飲み袋からうす茶色の物体を取り出し口に運んだ。中にはぬっちゃりとした少し甘いやわらかいものが入っていた。
運転席の男は先に食べ終わると外に出て「あちーー!」と言いながら小便をした。かつて川べりのヨシ原だった場所かつて2階家が建ってた場所今はコンクリートでおおわれただけのその上にサンサン照りつける太陽の下小便は弱弱しい弧を描いてコンクリートのがれきを濡らしちょろちょろの筋になって低い方低い方へ流れていく。
男は助手席でくちゃくちゃ口を動かしながらそれを見ていた。富士山麓の透き通った冷たい水を飲む。男の粉じんだらけの体内で水はただちに戦車のような色に変わる。
おしっこという声がした。
振り向くと後ろの方の席でMが半ズボンから汚い細長いチンチンを引っ張り出し、と思ったらそこから噴水のように小便が飛び出た。
小便はホームランの打球まがいの見事な弧を描きながら男の席を通り越し、ずっと離れた前から2番目の女子のイスの後ろに着陸した。しぶきを浴びながらも驚きのあまりクラス全員が息をのみ、静まり返った4年2組の教室で普段おとなしくて目立たない、やせて不健康に浅黒いMの股間からほとばしり出る金色の、生きもののような水のワンマンショーを見守った。それは数十秒のことだったかもしれないが男には、おそらくMにもクラス全員にとってももっと全然ながい、永遠の時間のように感じられた。
女子のイスの後ろにはこんもりとした水たまりができた。Mは保健室へ行ったきり戻って来ず誰も手をつけようとしないそれは時間とともにつぶれ板張りの床にしみ込んでいき放課後には床の模様としてその存在を示すのみとなったがそのしみを雑巾で拭くように男は「ボス」から命じられた。
男は床に膝をつき濡れ雑巾でしみを拭いた。しみはまだ生々しい水気を含んでいてバケツで雑巾を洗うとムッとアンモニア臭が鼻をつく。「まだだ、まだだぞ」と笑いながら「ボス」は言った。確かに一度拭いただけでは臭い小便のしみはとれない。「リンチ」が恐いから男はまた四つん這いになって犬のように四つん這いになって豚のように四つん這いになってゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシMの小便がしみ込んだ床を雑巾で拭いた。いびつなしみは拭けば拭くほど大きくなっていくようだった。
下着まで汗びっしょりになった。泣いてしまったので顔を上げられず気づくと「ボス」はいなくなっていた。男はバケツの水を誰もいない暗い廊下の水道に流し雑巾を水道の水でじゃぶじゃぶ洗った。水は低い方へ低い方へ流れていって排水溝に飲みこまれた。Mの小便はどこか男の知らないところMも「ボス」も知らないところへ水やゴミと混じって流れていった。
そんなことを思い出しながら男はトラックを下り、運転席の男の皺だらけのチンポコから出た小便が重機なしでは太刀打ちできない頑強なコンクリートに描いたしみを見に行った。その形を、見たいと思った。
(奥戸2丁目、水神社近くで)