村岡由梨
およそ二週間前に、義父が荼毘に付された。
詩人だった義父の為に、
棺に詩集を何冊か入れた。
そして今、
私は目を閉じて、
火葬炉の中で詩人の身体が焼かれていく様を
心の中で何度も反芻している。
激しい炎は、
詩人の詩集を焼き、詩人の肉も焼いた。
残ったのは、少しの骨と
金属製の人工股関節だけだった。
そんなことを思い出しながら私は、
今日も台所に立っている。
そして、焦がし過ぎないように、肉を焼く。
夕飯に肉が出ると、育ち盛りの娘達は喜ぶ。
娘達が嬉しそうに
食べる姿を見るのは気持ちが良い。
けれども私は肉を食べない。私は
肉を嬉々として食べる女が嫌いなのだ。
それなのに、次女がお腹にいた時、
無性に肉を貪りたくなった。
尖った犬歯で肉を引きちぎり、
滴る肉汁など気にせずに、
幼い頃食べた肉の味やにおいなど
遠い記憶をたぐり寄せ、
心の中で何度も何度も咀嚼したが、
結局実際に口にすることは無かった。
私は、肉を嬉々として食べる若い女が
たまらなく嫌いだったのだ。
昔、直立二足歩行をする犬によって
首に縄をかけられ、
真っ裸で地べたを這いずり回る、
という8ミリ映画を撮った。
肉を食べる・食べさせるという
優越性の転換だ。
今日も私は、
目を閉じて、
詩人の身体が燃えていく様を
ゆっくりと味わう。
幼い頃食べた肉の味やにおいを思い出し、
ゆっくりと咀嚼する。
けれどもやはり、
私は肉を食べることが出来ない。
肉は死だ。
死体は、こわい。
私はその死に
責任を持つことなど出来ないのだ。