汚れた水

 

村岡由梨

 
 

深夜、とあるマンションの屋上から
大量の薬物や、アルコールで
恐怖を紛らわせた少女たちが
手と手を繋ぎ、
「せーの」で後ろ向きに飛び降りた。
大人たちの欲望で
びしょびしょに汚れた体から

解き放たれた。

ドサッ

あともう少し待てば夜が明けるのに
朝焼けの美しさを知らないまま
少女たちは

木からリンゴが落ちるように、
物の理に従って正しく落下した。
固いアスファルトの地面に
地面よりやわらかな頭蓋がぶつかれば
頭蓋が潰れるのは自明のことで

グシャ
水分を含んだ音が飛び散った。
少女たちの時間は永遠に止まった。

自分のこれまでを肯定できない人間に、
未来なんて、ないよ。
意味はたちまち意味を成さなくなり、
これ以上不幸にならない代わりに
幸福にもならないことが保証される。

そして世界は、急速に動き始める。
「女子高生 飛び降り」
「顔」「名前」「自殺配信」
「動画」「拡散」「理由」「YouTuber」「ネグレクト」
「現場写真見たい人、手あげて」
まるで少女たちが死ぬのを
待ち望んでいたかのように。

 

夜、消灯して、
暗闇の中、スマホで何度も再生する。
「こわい」と言って
飛び降りるのを躊躇う少女たちの声を
何度も聞く。
こわい
こわい
こわい

せーの

ドサッ
グシャ
ドサッ
グシャ

17歳の少女たちに、41歳の自分を重ね合わせる。
陸橋の金網越しに、
車が行き交う環状七号線をぼんやりと見つめる私。
少女たちに「死んではダメだ」「未来は明るい」と
言う資格があるだろうか。
彼女たちから唯一の逃げ道を奪う資格が、私に

どこまで行っても噛み合わない、世界と私。
自分を取り巻く
たくさんのこわいものから逃げるために、
いっぱい薬を飲んだ。
死んでしまえと
自分を痛めつけて 痛めつけて
でも死ねなかった。
いっぱい飲んでも死ねなかった。
伝わらなかった。

どうすれば、私の中にある「ほんとう」が
あなたに伝わるの
わかってもらえるの

最後の一滴の気持ちを言葉にできずに、
どしゃぶりの中 自転車を
漕いで 漕いで
濡れた髪が顔にまとわりついて
顔中を掻きむしりたくて
涙は大雨にかき消されて、
「きれい」と「汚い」の狭間で
右往左往する私に
「自分を四捨五入してみたらどう?」と
15歳の花はアドバイスしてくれたけれど、
いつまでも割り切れない気持ちを抱えた私は

「花ちゃんなんか、死ねばいい」
そう私に言われる夢を見たと言って、花が
泣きながら起きてきた。
「そんなこと言うはずがない」
そう言って、花の
細くて柔らかい体を抱きしめた。
「ママが癌で死んじゃう夢を見た」
と言って、泣いてまた目を覚ました花を、
「そんなことない」と言って笑って励ました。
花の両眼から、きれいな水が零れ落ちる。
「どうすれば、わたしの中にある『ほんとう』が
 ママに伝わるの
 わかってもらえるの。
 苦しいのも辛いけれど、
 苦しいのを誰も判ってくれないのは
 もっと辛いんだよ。」

 

夜が明ける
「嘘つき」
朝焼けの美しさ
「嘘つき」

嘘つき
嘘つき
嘘つき

世界はどうしようもなく汚いし、私も汚い。
大量の薬物で汚れきった私の体。
糸を引き、悪臭漂う性欲に
びしょびしょにされた私の心。
耳をつんざくような痛みに、魂が引き裂かれる。
今からでも、私は
再び誰かの喉を潤せるような人間になれますか。
精神科から処方された薬を、
日に何度も飲んで、
消毒されたきれいな水になりますから。

夜が明ける前に、解き放たれたい。
彼女たちみたいに、私も死ねたらいいのにな。

陸橋の上で逡巡する私の「ほんとう」は
いつだって誰かを傷つける。

今日も花は泣いて目を覚ます。
花の両眼から、きれいな水が零れ落ちる。
「もう死なないって約束したじゃん」
「わたしたちを残して逝かないって約束したじゃん」
「ママの嘘つき」
嘘つき
嘘つき

 

 

 

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