塔島ひろみ
キツネはレモン石鹸だった
深夜
貨物列車で運ばれて
諏訪橋を渡ったところで
お腹がすいた
においが漂ってきたからだ
なんとも言えない はじめてのそのにおいに
からだじゅうがピクピクし
お腹がすいてたまらなくなったから
キツネになった
列車から飛び降りると そこは川原で
タヌキがいる!
親子でじゃれあって 遊んでいる
においは向こう岸からだ
川に飛び込む
月のない夜 川はどこまでも黒く
水はなま温かく キツネを包む
ザッツ、ザッツと 水をかく音だけが耳に響き
岸に着く ムササビと イヌワシと ヒョウと
カッパと ドブネズミが
寝転がって星を見ていた
そこはニセモノの町だった
キツネはにおいのもとを目指して土手を下りる
ぼうっと 白い薄明かりが漏れている一軒の家
隙間から覗くと ドロボウが大きなお鍋でカレーを煮ている
ぐつぐつ ぐつぐつ 茶色いどろどろが
ボコッ ボコッと出っ張ったり 引っ込んだり
暑くて ドロボウは汗をかいて 時々タオルで顔を拭いて
キツネのお腹がグウッ と鳴った
いらっしゃい、よく来たね
キツネはドロボウの子どもになった
ドロボウは夜が明けるとヒトになり
キッチンカーにカレーを積んで売りに出る
キツネは少女になりお客さんの応対をする
おいしいカレー 毎日違う味のカレー ドロボウカレーに
レモンスパイスが加わった
世界のどこにもないカレー 世界で一番おいしいカレー
川原で寝そべっていた動物たちが買いに来る
みんなヒトに化けてお金を持って
夜、川原においで とタヌキがキツネに耳打ちした
ニセモノが集結する川原においで
夜の川原 ススキが群生する湿った場所で
キツネは思い切り走ったり笑ったり つかまえたり転げたり 時々川に飛び込んで
くたくたになった
キツネ! キツネ! ここだよ! ここだよ!
ニセモノたちがからかって笑う
そのあいだにドロボウはカレーを仕込む
ガタン、ガタン
深夜 貨物列車が橋を渡る
レモン石鹸の箱を積んでいる
川原に来ないキツネを迎えにタヌキが行くと
ドロボウの家は灯りがなく 鍵がしまり
キッチンカーが放置され
カレーのにおいがしなかった
キツネ! キツネ!
タヌキが呼ぶ
ドロボウがつかまった! ドロボウがつかまった!
ニセモノたちは泣きながら呼ぶ
空に向かって 助けを求めて
キツネを呼ぶ
キツネ! キツネ! ここだよ! ここだよ!
ニセモノの町に雨が降る
来る日も来る日も 降り続く
水かさが増し 河川敷は浸水し ニセモノたちは下流へと流れる
恨めしそうに 仰向けに 黒い黒い空を見ながら 流される
カッパのお腹がグゥと鳴った
ネズミのお腹がクーと鳴った
タヌキのお腹がゴーと鳴った
においが漂ってきたからだ
おいしいにおい カレーのにおい
レモンカレーのにおいがする!
あそこからだ!
近づいて来る貨物列車を ムササビが差した
ガタンゴトン 貨物列車が 今にもあふれそうな川沿いを進む
おいしいにおいを
レモンスパイスのカレーのにおいをまき散らして
海へ 海へと 走っていく
ニセモノたちはそれを追うように流れていった
(6月某日、高砂諏訪橋たもとで)