破調・イムジン河

 

南 椌椌

 
 


© kuukuu

 

真夜中3時半に目覚めてしまった
二度寝できないたちなので
イ・ランのイムジン河を聴いた
イ・ランのイムジン河はいいよ
ソウルで踊ったばかりのせつ子のひとこと
雪の積もるイムジン河のほとりで
イ・ランが、かそけく美しい声と手話で歌ってる
静かな映像の凛たるイ・ラン
はじめてこの歌が好きになった

半世紀のむかし、フォークルが歌った頃から
この歌に感じていた靄々が消えて
イムジン河がイムジン河として流れていた

2017年4月連翹の花も盛りを過ぎたころ
38度線近く軍の砲撃演習が時折響く
ムンサンに独居していた弟サンヨンと
イムジン河に沿って車を走らせた
大きな川にしては、水は清く、滔々と流れ
その流れの遠くないところが北の大地
ほとりに降りてイムジン河の水を掬った
4月の水はさほど冷たくはなく、柔らかかった

川べりの料理屋で鯰の鍋料理を食べた
古びた韓屋風の店を選んで入った
日本で鯰料理は食べたことがない
言葉少なに流れるイムジン河で砂や泥をかぶり
風采の上がらない鯰氏をどう料理するのか
たっぷりの芹、青菜とにんにくの効いた汁で
鯰の靄々を覆い隠しているような鍋
鍋は大きく、「あら」というほど高価だったが
やたら骨が多く名物のわりにそっけない味だった

いつもはよく喋る弟がさっきから黙っている
イムジン河の北に思いを馳せているのか
なぜかと思ったら、鯰の小骨が
喉に刺さったという可笑しな始末で
よくやるようにご飯をぐっと飲み込んだら
そのうち小骨は取れたようだった
小骨はとれたが靄々はとれなかった

イムジン河がたどった悲運の物語はよく知られている
心に響くまっすぐな言葉、メロディも抒情はるか
万感こめて歌う歌手たちがいたが
僕が感じていた靄々、そういうことではなかった
僕にはさわれるようで、さわれない詩情
イ・ランは声と手話でさわっていた
イムジン河 水清く 滔々と流れていた

  私が彼らを愛してると言いはじめた時から
  人々はおかしなものを褒めはじめた
イ・ランの抑えながらストレート語る歌に虚を突かれた
「世界中の人々が私を憎みはじめた」
イ・ランの歌にはいつもチェリストの伴奏がつき
そのチェリストはソウルの友人の友だちであり
何曲か聴き、気がつくと外は明るくなっていた

いつもの朝の食事をしてせつ子がでかけたので
思い立ってu-nextで50年ぶりに
浦山桐郎の『キューポラのある街』を見た
60年代の北朝鮮帰還運動が伏線になって
映画のなかでチョーセン、チョーセンと連呼されるのが
次元を超えてなぜか新鮮だった
キューポラのある街が公開される数年前、小学1年生のころか
父親に連れられて埼玉の朝鮮部落に行ったことがあった
川口だったのだろうか、キムチの匂いと道沿いに積まれた塵芥
野放しの子豚が走り回り、土埃が舞い
座り込んで働くオモニ以外はあまり人影もなく
新宿落合の我が家もそこそこ貧しかったが
侘びしく立ち並ぶバラックは、時が停まった異界のようで
胸がしずかに動悸を打っていた
キューポラの煙突は残念ながら記憶にない

映画のモノクロ映像と少年たちの生態は
匂いがないせいかトリュフォーのように美しい
頑固な鋳物職人東野英治郎はチョーセンを嫌い
娘のジュンはチョーセンの娘ヨシエの友である
ジュンを演じた15歳の吉永小百合には魂を抜かれた
不良たちに犯されそうになったジュンが
公園の蛇口に唇つけて思い切り洗う場面
小百合15歳にして畢生の演技
ジュンの弟の市川好郎はこれも天才子役
ヨシエの弟で天才の子分サンキチが
北に帰還するくだりには泣けた

さてこんな日だから気を取り直して
またイ・ランのイムジン河を聴いて
本棚からイ・ランの小説『アヒル命名会議』をだした
訳者の斎藤真理子さんから送られて
まだ読んでなかったのだ
とても良き日になりそうだ

 

© kuukuu

 

 

 

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