津軽

 

工藤冬里

 
 

2週間の檻を待ち望む
その間に殺される
フェンネルを植える
祈れないことさえ知られてしまった
一瞬で喜びを奪われる
朝忘れている間だけ
咳で破られる
それから
青森ACACに行ったのはそれからだった
波打つ行線のデザインや丸ゴシックが伝えようとする身振りは
放棄と冒険のオデッセイア(グリークヨーグルトの腐敗した記憶)であり意味ではなかった
親がないので自分で名前を付けた
伝えようとするのは名前の意味であった
原付でリンゴ畑を周った
自分が賢いとは思わないというのは大切だ
水屋にリンゴがあり
逆流する用水路の警めがあった
強制され、逆さになってソファからずり落ちている
もう半袖の大人の季節だな
逆戻りも成長である
青森は思ったより白い
道路脇の斜面に続く紫の花々はショウジョウバカマというらしかった
(じょんがらは寒いから早弾きになったそうだ)
(中嶋 幸治さんのリンゴとツバメの墓の作品は良かった)
それから
松山に戻ってきて雨粒が腕に当たったのはそれからだった
酸ヶ湯で鏡を見たら石膏デッサンのラオコーンみたいに寸胴になってた(腹筋はないけど)
どうせやめるんだからもう止めた方がいい
そう思った
あと、詩は時系列じゃないといけないのか?
そうだよ
あと、詩のために電気風呂を犠牲にしてもいいのか?
そうだよ
そう思った
いやそうでもないか
そう思った

 

 

#poetry #rock musician

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