佐々木 眞
題名がなぞなぞのようなので、ちょっと調べてみたら、「ははそ」はドングリの実がなる木の総称である柞の葉っぱで、「ははそはの」は母にかかる枕詞らしい。万葉集の他三好達治の詩集「花筺」にその引用があるというので、岩波文庫を探してみたらありました。
いにしへの日はなつかしや/すがの根のながき春日を/野にいでてげんげつませし/ははそはの母もその子も/そこばくの夢を夢みし、で始まり、ははそはのははもそのこも/はるののにあそぶあそびを/ふあたびはせず、で終わる「いにしへの日は」という全部で21行のみやびやかな詩でした。
ちょっと驚いたのは、三好達治の最終連である
ははそはのははもそのこも
はるののにあそぶあそびを
ふたたびはせず
という3行のひらかなが、今回の母子二人の長いようで短い道行きをうたい上げた薦田さんの第4詩集の、すべてを象徴するように印象的なエンディングになっていることでした。
それで、この詩集における作者の語り口はというと、本書の題名や詩の凝った表題の付け方にみられる古語、古典文学の広くて深い素養と、平明な現代日本語とが自然に融合したユニークな修辞によってさりげなく彩られ、現代を生きる大人の詩篇として興趣が尽きないものとなっています。
巻頭から母子は、鳥羽、河津、新宮、茅野、長崎、犬山、尾道と、全国各地に同行二人の旅に出ます。
女ふたりで「夫婦岩なんてえね、と/鼻をかむ/だって/縁結びを祈る女子旅ではなくて/恋のアルバム作成中のふたりでみなくて/父つまり夫を送って三十年の母との旅だ」(「ふたみ、夕暮れの」より)
どうやら母親は高齢であるにも関わらず、桜をカメラに収めるのが趣味で、そのために桜前線の北上を追って全国の桜名所の寺社や名城に出かけるらしいのですが、母子とも結構うっかりもので、時間に遅れたり、大事な忘れ物をしたり、旅の失敗談がいくつも出てきて微苦笑させられます。
けれども世間の母子の大方が表向きは仲睦まじくとも、一皮めくればいろいろあるように、詩集の主人公である私とその母との間にも、ある日亀裂が走ります。私と恋人との3人暮らしに軋轢があったのか、母が突然家出して、東京から故郷の四国に戻ってしまったのです。
長く暮らした東京をはなれ/戻らないと言っていた土地へ戻ったひと/はは/母という/ばっこばっこ/はは ばっこ/その母/舜動する(「ばっこばっこ、ははは」より)
そしてその道行の掉尾は、子が母に成り代わって事態の全貌を序破急の急で歌い上げる物語第3篇≪参≫のにあり、それが≪壱≫、≪弐≫と続いた人世の一大事の荘厳なコーダとなって、私たち読者の胸をしたたかに打つのです。
あな、恥ずかしの身の上かな/おうおう と/聲あぐるはいと易けれど/おしころし押し殺す底ひより/たぎりたちくるもののさうらいて/あの/あの子/あの子の名 を/こゑ に/こゑ に出ださず/聲 にせむ(「ものぐるひ」より)
なお、本書のあとがき「後記、そのいきさつの」によれば、「母は郷里の街で、老境を生きている」そうであります。
・浜風文庫の本
https://beachwind-lib.net/?page_id=4694