私について

 

長尾高弘

 
 

小中高と、
場所もメンツもぜんぜん違う学校に行ったのに、
ついたあだ名はいつも「じいさん」だったな。
そう言えば、
幼稚園のお芝居でも、
おむすびころりんのおじいさん役だった。
本人は主役だと喜んでたけど、
受け取り方が間違ってたかもしれないな。

そんなおれも、
六十五歳の誕生日が来ちゃったから、
めでたく前期高齢者、本物のじいさんだぜ。
(同い年のきみたちもおめでとう)
でも鏡を見る限りでは、
そんなにじいさんになった気がしない。
子どもの頃に見た親戚のおじいさん、おばあさんは、
もっと老けてたような気がする。
顔も手足もしわしわだったし、
声の出し方がいかにもおじいさん、おばあさんで、
若いときにどうしゃべってたのかとても想像がつかなかった。
六十五歳ともなれば、
いつお迎えが来ても不思議じゃないって空気を醸し出してて、
実際、それから数年で大半が亡くなってしまった。
(あの人たちは戦中、戦後の食糧難も経験してたし、
 男は兵隊に取られてたわけだしな)。
でも自分はまだ死ぬ気は全然しないし、
声だってあんな感じじゃなくて若いときと同じだし、
顔だってしわだらけってわけでもない。
(鏡を見る限りではね)
頭が禿げてるのは三十の頃からだし、
その代わりと言ってはなんだけど、
白髪なんてあまりない。

ところが最近驚いたことがあってさ。
親戚が集まって旅行に行って、
お互い写真を撮り合って、
それぞれが写ってる写真を渡し合って、
自分が写ってる写真ももらったわけ。
その写真のなかの自分が
鏡で見てた自分よりずっと老けててさ。
なんだかまっすぐ立ってなくて傾いてるし、
目つきも悪いし、
要するにやたらとじじくさい感じがするのよ。
鏡を見たときにそんなに老けてないように思ってたのは、
なんか咄嗟に顔つきを変えてたのか、
悪いところを見ないように、
無意識のうちに見た内容を修正してたのか。
いや、過去形で言ったけどさ、
不思議なことに、
その後も鏡を見るとそんなに老けてないような気がするんだよねえ。
自分のことって自分ではわからないものなのかなあ。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です