長田典子『ふづくら幻影』読書メモ

 

長尾高弘

 
 

 

『ふづくら幻影』は、作者が幼少時に暮らし、人造のダム湖である津久井湖の底に沈んだ旧神奈川県津久井郡中野町不津倉にまつわる詩作品を集めた詩集である。以下は、個々の作品の感想。まだ詩集を読まれていない方は、先に詩集を読んだ方がよいかもしれない。

「祈り」。「涙」という縦の動きが「水位」という言葉で横に広がる「湖面」という境界となり、その下に沈んだ祖先との間に長い距離ができる。この場合、水は必然的に冷たいものになるだろう。最後の「永遠に結露する」が見事。

「夏の終わり」。湖が渇れて地上に現れたかつての村の絵が二度描かれる。おじおばが若かった頃はまだどこがどこだったかわかるが、「新しく家族となった男」と数十年後に来たときにはもうどこがどこだかわからない。湖底というふだん見えないものが見えたときに数十年という時間が重層化される。「男」という言葉がちょっと冷たく感じられて気になる。

「上を向いて歩こう」。「幼すぎた私の涙」の5行と坂本九の歌で工場にいた家族、親戚、奉公人の思いを描いている。天井が夜空になって星が輝くことから、決して辛い涙ばかりではないのだろう。

「バャリースのオレンヂジュース」。働く人々の褻の日々を描いたあとで晴れの日が描かれる。ふたつの詩で高度経済成長期の空気をよく伝えていると思う(私も長田さんよりさらに幼いながらその時代を生きたので、ぼんやり思い出すものがある)。

「セドリックとダイナマイト」。タイトルのふたつはセットであることが明かされる。でも、補償金はまだ入っていないのだ。このセドリックの種明かしの1行が初読のときから印象に残った。火消しの場面は、この詩集では書かれていない家族の運命の伏線になっているようだ。最後から2番目の連はひょっとするとなくてもよかったのかもしれない。

「しらんぷり」。「大きな魚」が効いている。日常と非日常。外から来た人の死が明らかになったところで繰り返される「いつも通り」も効いている。最後の連を読むと、遠くから見ると光っているのに近づくとただの石になってしまう川の石の連が自然の恐ろしさの伏線になっていたのかと気づく。

「蛍」。50年前は私が住んでいた柏市でも行くべきところに行けば蛍が見られた。20代の頃、越後湯沢で見たのが最後だなあ、と蛍がいた頃のことを思い出す。すごい技を持っているおじさんというのも、ごくわずかになっただろう。その時代を知っている者には、時代が変わったことがよく伝わってくる。

「水のひと」。過去には夢ではなく現実だったはずの野辺送りの行列が夢のように美しく描かれている。とりどりの色とひらひら、ゆらゆらといった畳語(ひとびとというのもある)がそのような効果を盛り上げていると思う。最後の「商店街のある町で/溺れたひともいるそうです」の2行が、村を失ったことの後悔を問わず語りに示していてうまいと思う。

「お祭り」。過去の村の生活を美化しているだけではなく、男の子は神輿をかつげるのに女の子はかつがせてもらえないというジェンダーの問題を告発口調ではなくそっと示している。「黒曜石」は、「ツリーハウス」や「空は細長く」でも何食わぬ顔をして再登場する。

「かーん、かーん、キラキラ」。ジェンダーでは差別される側だったが、民族では差別している側に立っている。食べもののなかに砂が混ざり込んでいたときのような苦さがある。でも、この作品が入っていることによって、この詩集が描く村の生活は深みが増したと思う。

「川は流れる」。これを読んで改めて地図を見た。相模川の源流が山中湖にあることを初めて知った。川をせき止めて作った湖の詩集に川の源流の話は欠かせないだろう。最後の「めだかに遊んでもらっていたのも気づかずに/川がお母さんのようだったのも気づかずに」の2行が効いている。

「ツリーハウス」。村が湖底に沈んだあとの再訪の詩であり、「夏の終わり」と対応している。このふたつの詩の間に過去の村の絵が入っている。「蛍」からの3作が、開発と無関係だった頃の村の生活を活写していて、それが詩集のちょうど中央あたりになっており、時間をU字形にたどっている。山羊の黒曜石と「わたし」のうんこの対比が面白い。

「午前四時」。亡くなったご両親が夢に現れる。浜風文庫で故郷を離れたあとのお父上との激しい対立関係についての作品をすでに読んでいるので、「もう借金取りに追いかけられるのはいやだからね/こんどこそ儲かるといいね」という2行をいずれまとめられるだろうその詩集の予告編のように受け取ってしまった。でも、ここでは「もっともっと たくさん/いろんな ありがとうを 言わなくちゃ」といった行に救われる。

「黄浦江」。メアンダーはmeanderで蛇行という意味の英語。前作『ニューヨーク・ディグ・ダグ』を思い出させる。国境を越えて蛇行という共通点を持つ中国の川と外国の人が登場することによって詩集の風通しがよくなっている。

「空は細長く」。今という時間から過去を振り返っている。スサノオが退治したヤマタノオロチなるものもおそらく川であり、彼は治水の力によって権力を獲得したのだろう、というようなことを思い出す。詩集内の位置からも、湖の底に沈んだ川沿いの村へのレクイエムのような響きを感じる。

「巡礼」。ユーラシア大陸の西の果てで東の果ての故郷を思う。時間も戦国から現代までをたどり、「セシウム」が効いている。スケールが大きくて、詩集の締めくくりの詩にふさわしい。

途中で少々文句もつけてしまったが、時代と人が見事に描かれていて、構成がよく練られているすばらしい詩集だと思う。最後にもうひとつ文句を言ってしまうと、製紐工場の最後を見たかった。それは次の詩集で明らかにされるのかもしれないけど。

 

 

 

井手綾香の選曲によるメッセージ?

 

長尾高弘

 
 

去年(2020年)の春先に人に教わって井手綾香というシンガーソングライターのことを知った。私も00年代にはそれなりにJ-POPも聞いていて、当時まだ潰れていなかった地元のCDショップでMONGOL800の『Message』を買い(沖縄のインディーズのCDが横浜で買えたのだからいい時代だった)、BUMP OF CHICKENの「天体観測」の歌詞をとても気に入っていた(CDどこ行っちゃったんだろう?)。女性シンガーでは椎名林檎、鬼束ちひろ、CoccoのCDを買っていて、最終的にはCoccoに落ち着いた(最近になって、「練炭自殺する人は最初に椎名林檎を聴き、次にCoccoを聴いて、最後に鬼束ちひろの曲を聴いてから死ぬ」などと言われていたことを知って驚いた)。しかし、00年代終わり頃から翻訳仕事のBGMはすっかりクラシックに落ち着いてしまい(耳から歌詞が入ってくると仕事にならないのだ)、新しいJ-POPはテレビなどでたまたま耳にしたものしか知らなくなってしまった。安倍政権になった頃あたりから、テレビの歌番組はどんどん縮小され、出演者もジャニーズとAKB、坂道が半分以上を占めるようになったので、J-POPはごく一部しか耳に入らなくなっていたようだ。

で、井手綾香に話を戻すと、最初からすごいと思ったわけではなかった。CDを出しているビクターエンターテインメントによる公式ユーチューブチャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCQ3rWvbZThf0ihnRnHP0oug)でPV(プロモーションビデオ)をいくつか見て、たしかに聞き覚えがある曲があることはわかったものの、そのときは特にそれ以上の興味はわかなかった。それからしばらくの間、井手綾香というアーティストのことはすっかり忘れていた。

そうこうするうちに新型コロナが世界的な大問題になり、日本でも緊急事態宣言が出されて、街からすっかり人が消えた。ライブスポットはコロナのクラスター発生源と見なされ、ミュージシャンには辛い日々が始まった。井手が3月に予定していた3人ライブも延期になったらしい。そのような時期に、最初に井手のことを教えてくれた人から、彼女が新しいホームページとユーチューブチャンネルを作ったという話を聞き、ちょっと覗きに行った。ライブ活動の場を失ったミュージシャンたちがインターネット経由で無観客のライブ演奏を聞かせる配信ライブというのを始めたことが話題になり始めた頃だ。ホームページによると、活動名をひらがな表記の「いであやか」から本名の「井手綾香」に変えたらしい。デビューしたときには「井手綾香」だったが、途中で「いであやか」になり、今回また戻ったということだそうだ。先ほどのユーチューブチャンネルが「いであやか」のチャンネルであるのに対し、新しい方は「井手綾香」のチャンネルである(https://www.youtube.com/channel/UCGbgXnr75_H-_24WTRaJxJw)。

開設したばかりだからなのだろう、見られる動画は数本しかなかった。どれも自作曲ではなく、内外の有名楽曲を歌い直すいわゆるカバーだった。しかし、その歌を聞いて本当にびっくりした。とてつもなくうまいのである。たとえば、宇多田ヒカルの「Automatic」が元の曲とはまったく別の曲のように聞こえる(https://www.youtube.com/watch?v=pvlVoEh0Lk4)。他の曲も、ユーチューブで検索すればオリジナルのアーティストの演奏が聞けるが、どれも自分の解釈で自分の曲にしていることがわかる。

そもそも、日本のポップスのボーカリストは、CDで聴いてよいと思っても、テレビの生放送などで歌っているところを聞くと、なんでこんなに音を外すんだろうと思わされることが多い。CDにしたり配信販売したりする音源の製作では、何度も録音して音が外れていないよい部分を絶妙な編集作業でつないでいって上手な演奏に仕立て上げるという話を聞く。歌が下手なことで有名だったが人気絶頂でセールスも好調なアイドルグループのCDでも、たしかにあまり音が外れているようには聞こえなかった。つまり、CD、配信、ラジオ、店で流れている有線放送などでは歌の上手下手があまりわからないのである。そういうところで人気をつかんだ歌い手だけがテレビに出てきて、音を外しても素知らぬ顔で歌を歌い、ファンも素知らぬ顔をして声援を送る。本当に歌のうまいアーティストには気の毒なシステムだ。

自分が音痴なものだから、外していないところでも外していると思っているようなところがあるのかもしれないが、アメリカのボーカリストがライブで歌っているところなどを見るとたいていは本当にうまいもので(外さないだけでなく、声にパンチがあり、説得力がある)、日本の市場全体のレベルの低さを感じてしまう。井手の歌は、アメリカの多くのボーカリストをはるかに越えると言えるかどうかまではわからないが、少なくとも日本の多くのボーカリストをはるかに凌駕するレベルだと感じた。ただ外さないというだけでなく、発声に無理がなく(無理な発声だと聴いている方も疲れてくるような気がする)、声に透明感があり(特に高音の裏声が美しい)、歌の感情に合わせて声の表情を変えてくる。だからこそ、独自の解釈と感じられるのだと思う。

そういうわけで、初めて知ってから3、4か月後、私のなかで井手綾香はまずシンガーとして気になる存在になった。なにしろ、音源として作られた音に絵を被せているPVよりも、自室で絵と音をぱっと同時に撮った動画の方が歌としてすっと入ってきたのだ。なかなかあることではない。ユーチューブ井手綾香チャンネルのカバー曲の動画は何度も繰り返し見た。最初のうちはひんぱんに更新されていたが、5月半ばで新しいカバー曲の動画はしばらく追加されなくなった。代わってインテリアアートの動画が2つ追加されたので、それらも見た。特に2本目は、絵を製作するところを早回しで見せているのだが、迷いなくすすっと進む鉛筆が見事な線を描いていくことに驚いた。ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%84%E3%81%8B)を見て、高校は芸術学科で絵を学んでいたことを知り、なるほどと思った。絵に舌を巻きはしたが、見たいのはやはり歌っている動画である。7月に1本追加されたが、またしばらく更新が止まった。

そうこうするうちに夏は過ぎていった。そして、9月に入ったところで新しい方のユーチューブチャンネルに新しい動画(https://www.youtube.com/watch?v=bhNb-b2F_Pg)が追加された。今度のものはカバーではなく、自室での自撮りでもない。バンドを従えた無観客配信ライブで音源になっていない自作曲を歌ったものである。タイトルは「チキン南蛮のうた」。井手の地元である宮崎のことを宮崎弁で軽く自虐しながら(知らなかったがチキン南蛮は宮崎名物らしい)、むしろ宮崎の人が喜びそうな内容の歌にしている。クスッという笑いはあるが、決してコミックソングではなく、ノリのよいポップな曲だ。曲の〆で井手がふらついて「こけるとこやった」と言うところまで入っているのだが、そのイントネーションはおそらく宮崎弁のものなのだろう。ひょっとすると、そのイントネーションが曲にも生かされてるのかもしれない。

驚いたのは、ビクターのユーチューブに入っている数々の曲とはテイストがまったく違っていたことだ。たいがいのアーティストにはその人のカラーというものがあって、同じような感じの曲を量産していく。カラーがまったくないのも個性がないということで問題なのかもしれないが、同じパターンではだんだん縮小再生産になってしまう。私には曲を作るというところがもう想像を絶する謎の作業なのだが、そういう私でも井手には普通のアーティストよりも作曲の引き出しがたくさんありそうだと思った。かくして、井手綾香はソングライターとしても気になる存在になった。

彼女が作った曲について知りたければ、やはりCDを買うということになる。ウィキペディアによると、フルアルバムは『atelier』(2012年)、『ワタシプラス』(2014年)、『A.I. ayaka ide』(2017年)の3枚があるらしい。大人買いではなく、古いものから2週間置きに1枚ずつ買ってじっくり聴くことにした。それも今まで買ったことのない初回限定DVD付きというやつである。最初のPVの印象が薄かったのに対し、ライブを見てこの人はすごいと思ったので、DVDにライブ映像が入っていることを期待したのである。『atelier』のDVDはすべてPVだったが(それまでに発売されたシングルやミニアルバムのために作られているものも含まれているらしく、アレンジが違う曲もあるということにはあとで気づいた)、『ワタシプラス』には『atelier』発売時の全国ツアーのライブ映像、『A.I. ayaka ide』には、PVのほかにピアノ(井手本人が弾いている)とチェロをバックに歌うアコースティックなスタジオライブが入っていた。井手の歌唱の魅力を存分に味わえる後者には特に満足した。その後、アマゾンでメジャーデビュー前の『Toy』というインディーズ盤も中古で入手できることがわかって買った。

これでばっちりだと思っていたところ、偶然スポティファイ(Spotify)というネットの音楽配信サービスがあることを知った。無料と有料の2種類の契約があり、無料サービスだとあれこれ制限があるが、CDや配信でメジャーレーベルから公式にリリースされた曲ならすべて、無料サービスでもフルコーラスで聞ける。このスポティファイで井手綾香といであやかのページを見ると、ミニアルバムやシングルに入っているのにフルアルバムには入っていない曲がけっこうあることがわかった。最初は無料サービスの制限のことをよく知らず、買ったCDで聞けるものを含めてPCアプリでいろいろな曲を聴きまくっていたら、あっという間に1か月間に自由に聴ける曲数の上限に達してPCでは何も聴けなくなった。それでもスマホのアプリではプレイリストに登録した曲を聞けるので、プレイリストを作り、ブルートゥースでスマホをカーオーディオにつないで聴いていた。ただし、無料サービスのスマホアプリでは曲順を指定できないので、聴きたい曲をすぐに聴くことはできない。そういう制約はあったが、リリースされた大半の曲は聴けるようになった。スポティファイにはなぜか最初のミニアルバムである『Portrait』(2011年)が入っていなかったので、しばらくしてそれを買ったらCDか配信でリリースされた曲は全部聞けるようになった。次のミニアルバム『Portfolio』(2011年)はスポティファイで聞けるけれどもそれも買った。

シンガーソングライターには、歌唱と作曲と作詞の3つの要素がある。もちろん、それらがひとつにまとまってシンガーソングライターのパフォーマンスになるわけだから、バラバラに切り離してあれこれあげつらうのは無粋というものかもしれない。しかし、今まで書いてきたように、私はまず井手の歌唱に引き込まれ、あれ、曲もいいぞと思うようになってきたところだった。CDを買うと歌詞カードが入っている。そこで、必然的に歌詞もちょっと見てみようかということになる。

私が普段接している現代詩は曲がつくことを想定していないが、歌詞は曲がつくことが前提となっており、その分制約があると考えられる。ポップミュージックには、おおよそAメロ、Bメロ、サビという3種類のメロディが入り、Aメロが起承転結の起でBメロが承、Bメロの最後に転を感じさせる小節が入って、サビで結というか、一番の思い(叙情の情の部分)をどんと打ち出すという形があるようだ。このAメロ、Bメロ、サビをだいたい2回は繰り返す。ただの繰り返しではなく、Aメロ、Bメロの繰り返し方を加減したり、順番を変えたり(たとえば、最初にサビを持ってくることもある)、一部を省略したりすることが多いが、その繰り返しの部分では、同じ歌詞を繰り返したり、少し変えたものにしたりすることが多い。字数は短歌や俳句などと比べれば自由だが、曲につける以上、曲がつかない自由詩と比べれば自由ではない。だいたい、ひとつの曲はせいぜい5、6分までなのだから、だらだらと長い歌詞を作るわけにはいかない。そういう意味で、歌詞には定型詩的な部分があるはずで、そのような部分が歌詞の作りや発想にも影響を与えていると思う。

さらに、曲を聴いて楽しむ側は、一般に歌詞の全貌には触れない。CMなどで曲が使われる場合、サビのそのまた一部ぐらいしか流れないわけで、歌詞の全体像などとてもわからない。ドラマの主題歌になればもう少し長く使われるが、2番以降の部分が省略されることが大半だ。テレビの音楽番組などでワンコーラス分、あるいはフルコーラスで聞ける場合でも、かならずよく聞き取れない部分が出てくる。むしろ、インパクトの強いワンフレーズを入れられるかどうかが勝負のような感じもする。しかし、カラオケで歌おうという人は(私はカラオケは大嫌いで、やむなく行ってもできる限り歌わずに済ませようとするけど)歌詞をなめるように読むはずであり、そうでなくてもCDには歌詞カードも付けるわけで、全体としての完成度もおざなりにはできないだろう。

一応素人なりにそのような考えの枠組みを準備して、曲を聴きながら歌詞を聞き取ろうとしたり、歌詞カードを読んだりしてみた。最初に買った『atelier』を聴いていると、曲の境界を越えて、夢を実現するために頑張るというメッセージが入ってくる。自分を曲げないという意思の強さや容易に自分の思い通りにはならない現実の厳しさを感じていることも伝わってくる。恋愛や失恋の曲は意外と少ない。かつて好んで聴いていた生きづらさを前面に出したアーティストたちとはまったく違うが、まっすぐな気持ちが伝わってきてよいと思った。

最初はそれだけで満足していた。失礼ながら、それ以上のものを期待していたわけではなかった。ところが、ある日『ワタシプラス』に入っている「青いバス」(https://www.uta-net.com/song/161777/)という曲を聴いていて、おやと思った。冒頭のAメロは「今日も」という言葉でいつもと同じということを強調している一方で、次のフレーズでは「珍しく優しい」といつもよりよい方に違うということを言っている。さてはいつもとは違う何か(たぶん、嫌なこと)があったなということをここで予告しているようだ。果たしてサビの後半で彼氏が出ていったという種明かしがある。そういえば、Bメロでは運転手の優しさに続いて、ちょっとよいこと(とてつもなくよいことではなく、ほんのちょっとよいこと)を強調していたなということが思い出され、サビの冒頭で「幸せだらけ」とちょっとやけっぱちな言い方をしていることも思い出される。強がりを言っているけれどもへこんでいることがよくわかる。それでもなんとか自分を保とうとしているところに好感が持てる。そして、この歌詞を乗せている曲が能天気というぐらいに明るいのだ(https://www.youtube.com/watch?v=KjmZFgpiFyQ)。

先ほど、歌詞の世界ではインパクトの強いワンフレーズが勝負になっているのではないかと言ったが、「青いバス」の歌詞に感じるのは作りのよさだ。小さな部品がうまく噛み合わさって全体として大きな効果を上げているように感じる。ただ、ぼんやり聞いていたら、そういう作りになっていることがわからないのがちょっと不利なのかなとも思う(実際、私はぼんやり聞いていたので、何度か聞くまでこの曲の歌詞の構造に気づかなかった)。

そのうち、そのような歌詞の作りのよさを感じる曲がほかにもあることに気づいた。たとえば、『atelier』に入っている「ひだり手」(https://www.uta-net.com/song/128721/)だ。これもうっかりしていて最初は「抱き締めて」、「キスをして」と言っている相手を恋人だと思っていたが、『ワタシプラス』のDVDに収められているライブでトロンボーン奏者でもある「アメリカのおじいさん」だということを知った(「ひだり手」のトロンボーンはこの祖父、井手の母の父であるビル・ワトラスが吹いており、PVでは井手がビルの肖像画を描いている。PVの一部はユーチューブいであやかチャンネルに入っている。https://www.youtube.com/watch?v=rDJK9yaVwaQ)。確かに歌詞をじっくり読めば、愛の形が恋人のものではなく、家族のものだということがわかる。

この曲の歌詞でまずうまいなと思ったのは、冒頭のAメロで「あの雨を降らせた 大きな雨雲は/遠い空に浮かんでる」と言っているところだ。ここで「雨」はすでに過去の話になっており、「遠い空」ということから無害で小さなものになっていることがわかる。危険はもう終わっているということで聞いている側としてはほっとするし、あとの部分で語られる「愛」が単なる約束ではなく、実際に注いでくれたものだということがはっきりする。その分、愛は確かで強く大きいものとして受け取られるのだ。歌詞は「何気ない言葉ひとつで/晴れてゆく 涙の粒/手のひらには愛が見える」と続いており、「雨」は涙の原因、または涙そのものを指す比喩だとわかる。祖父は何気ない言葉をかけ、手を差し出してくれた。その愛で苦しさから救われる。こうやって散文化して書くと味気ないが、歌詞は限られた数の言葉でこれだけの情報をしっかり伝えてくる。

1番のサビが終わると、2番のAメロ、「あの日私はまだ 背伸びした子供で…」が続く。1番で「遠い空」という空間的な距離があることを示したのに対し、今度は時間的な距離があることを示していて、さらに雨が遠ざかる。1番では「雨」は比喩として描かれていたが、2番では傘や濡れた肩の具体的な描写をしている。大きな祖父に守られている小さな孫娘のイメージがくっきりと見えてくる。しかし、1番で「雨」が比喩的なものとして扱われているので、この雨から孫娘を守る祖父のイメージは、愛のひとつの形として比喩的に受け取られる。1回雨から守ってくれたというだけではなく、さまざまな形で守ってくれたことが何度もあったという広がりが出てくるのだ。

片思いしている彼のいるところに出かけたけれども、何もなくひとりで帰ってくるという『ワタシプラス』の「ストール」(https://www.uta-net.com/song/161781/https://www.youtube.com/watch?v=mdHUS5H6Uh8)も作りがしっかりしていると思う。「君」のためにいろいろ揃えたけれどもストールが足りないという一見単純な歌詞だが(「ストールが足りない」の部分がサビになっていて強く押し出されてくるので、この作りが非常にはっきりわかる)、「ストール」がなければ首筋が寒いわけで、寒々とした気持ちだということが伝わってくるし、それは最後に出てくるように「君」が足りないということでもあるだろうが、自分には愛されるために必要な何かがどうにも足りないと感じているのではないかとも想像させられる。そして、「春の匂いはまだしない」などと言って、季節の上でもまだ恋愛に届いていないことを暗示している(「夜風は冷たい」とか「白い溜め息」といった言葉も冬を強調している)。たまたま冬にそういうことがあったと解釈するよりも、季節も動員して恋がうまくいかないことが強く伝わるように作り込んでいると解釈する方が自然だろう。

ネットに残っているメジャーデビューから数か月後のインタビュー(https://natalie.mu/music/pp/ideayaka/page/1)に面白い発言がある。歌詞を言葉の響きとして捉えていたので、初めて書いた歌詞はひどい内容だった、今(2011年現在)でも歌詞は苦戦しているというのだ。これについては、メジャーデビュー前のインディーズアルバム(と言っても、製造販売はメジャーデビュー時と同じビクターである)『Toy』の各曲の歌詞に手がかりがある。『Toy』には、ビートルズの「Let It Be」のカバーのほか、オリジナル曲として「愛をつなごう」、「まっすぐに」、「あのね」、「ありがとう」の4曲が収録されているが、これらはメジャーデビュー後のミニアルバム『Portrait』と『Portfolio』にも収録され(それぞれに2曲ずつという形で)、「あのね」と「愛をつなごう」はフルアルバムの『atelier』にも収録されている。これらのCDを買ってしばらくたってから気づいたのだが、吉田珠奈との合作とクレジットされている「ありがとう」以外の3曲の作詞者は井手綾香単独から井手綾香、MIZUEの共作になっている。

そして、どれも歌詞の内容が大幅に変わっている。「あのね」(https://www.uta-net.com/song/108172/)はストーリーが大きく変わった。オリジナルでは、1番(AメロふたつとBメロ、サビ)から2番のAメロ、Bメロ、サビ1までは主語が「ぼく」であり、おそらく男の子だと思われる。それに対し、2番のサビ2は主語が「私」であり、こちらは男の子の思いを聞いた女の子だと思われる。最後の〆の部分はふたりのうちのどちらとも取れるし、両方だとしてもよいのかもしれない。1番では仲直りしようとして苦しむ男の子の姿が描かれるが、2番では一転して「いつのまにか笑いあってい」る。リアルではある(現実の生活はそんなもんだろう)が、ここでちょっと話が白ける感じになるのは否めない。しかも、終わった話をまた蒸し返して「思い出となって」「隠れている」「あの日の思い」を打ち明け、互いに相手を「my best friend」と認め合うというのだから、ちょっと盛り上がりに欠ける(不和になる前には少なくとも淡い恋愛の予感ぐらいはあるが、ここで「my best friend」と言うことによって恋愛の芽は完全になくなっているように思う)。

改作後は、1番と2番の間に時間的距離はない。最初に出てきた手紙を書くに至った気持ちを縷縷述べている。主語は一切出てこないので、この思いの主が男の子か女の子かまったくわからないし、「手をつなぎたい」という部分もなくなっているので、相手が恋愛対象なのか単なる友だちなのかもわかりにくくなっている。不和の原因が書かれていないのは両作で同じだが、改作前の思いの主にはその原因がわかっているらしいのに対し、改作後は思いの主にも原因がわからず、その分困惑が強くなっている。また、その困惑の様子が「廊下に向かう君に/声かけることできずに」のように具体的に描かれているのではっきりとした印象が残る。そして、改作後の歌詞では、相手が許してくれるのかどうかわからないにもかかわらず、「どんな事があっても/君はMy Best Friend」と言い切って終わることにより、思いの主が困惑状態から1歩前に踏み出していることがはっきりし、高揚感がある。話を単純化し、描写を具体的にしている分、よくなっているし、最後の同じ「君はMy Best Friend」という歌詞が改作前とはまったく違う響きになって曲を締めている。

「愛をつなごう」(https://www.uta-net.com/song/116577/)は、1番の内容はほぼ同じままにしつつ、2番を大きく変えている。改作前の2番は「帰り道 離れていく youの背中を見て/ちょっと寂しいような oh ホッとするような」と始まることからもわかるように、1番から前進していない。しかも「本当の気持ち」を「言えてない」のだ。なのに改作後と同じように、「私」は「変われた」と言っている。それに対し、改作後の2番はひとりがふたりになって「モノトーンの世界を」「君と僕の色で」「塗ってみようよ」とさらに大きく前に踏み出す。美術科の高校に通う井手に合わせるかのように、絵の用語が入ってきたのも改作の特徴で、1番では「ひとりきりで」「未来」を「デッサンするように」「夢」を「描いてる」という内容になっている。「デッサン」のときはまだ「モノトーン」なのだ。

1番の内容はほぼ同じだと言ったが、表現は大きく変わっている。そもそも改作前の歌詞は、英語が多すぎる。「please do’t go行かないで」とか「I See分かってる」というのではまるで英単語帳のようだ。こういったものは取り除かれ、横文字はOhとyeahが散発的に入るだけになった。そして、日本語の歌詞では、まったく逆の言葉が使われている部分がある。「気づかれないように」が「いつか誰かに 気づかれたいのに」になり、「ぐちゃぐちゃな髪を直して」が「ぐちゃぐちゃな髪も気にしない」になっているのである。臆病な女の子がちょっと大胆でしっかりとした自我を持った子になっている。この改作も、歌詞を前向きで強いものに変えている。

先ほど引用したインタビューには、恋愛ものの歌詞は、自分にはあまり経験がないので、友人から聞いた話や他人の観察から作っているという箇所もある。あまり真に受けない方がよい発言かもしれないが、学校で教わる嘘ではない本当のことを書いた詩というのとはちょっと違って、歌詞は作りものだという意識が窺える(現代詩に関わる人間なら、みな評価するところだ。詩でも短歌、俳句でも歌詞でも作為なしで作れるわけがない)。「愛をつなごう」の改作の過程で歌詞をまったく反対の意味に変えていること(または変えることを受け入れていること)は、そういう意識とつながっているのではないかと思う。

このMIZUEという人が共作者としてどのように関わったのかはわからない。送られてきた歌詞にどんどん赤字を入れていったのか、それとも井手にヒントを与えて自分で答えを出させるようにしたのか。いずれにしても、井手が高校3年生だった2011年に出た2枚のミニアルバム、『Portrait』と『Portfolio』のオリジナル11曲は、井手が一躍注目されるきっかけとなった「雲の向こう」(413曲のなかからエスエス製薬ハイチオールCのCMに採用されて、この歌を歌っているのはどういう人なのかという問い合わせが殺到したという)を除き、全部MIZUEとの共作とクレジットされている。

2枚目のフルアルバムである『ワタシプラス』(2014年)でも、15曲中3曲にはMIZUEのクレジットがある。しかし、2012年、高校卒業とほぼ同時に発売された最初のフルアルバム『atelier』では、すでに13曲中10曲が井手単独の作詞となっており、共作3曲のうちの2曲は上記の「あのね」と「愛をつなごう」なので、わずか1年で作詞の方も独り立ちしたと考えてよいと思う。しかも、そのなかに先ほど取り上げた「ひだり手」も含まれている。2009年から2012年までのわずかな間に驚くほどの成長を遂げたと考えられる。先ほど、改作の特徴として単純化と具体的な描写を挙げたが、そういったテクニックもしっかりと身に着けているようだ。「ストール」は単純化のよい例だし、「青いバス」、「ひだり手」は具体的な描写のよい例である。さらに、「ストール」や「ひだり手」では、素材がただの素材としてそれだけの意味で閉じてしまうのではなく、自分に足りないものや自分を包み込んでくれる愛というもっと大きな意味を比喩的に表すようにまでなっている。

さて、「チキン南蛮のうた」を歌った8月末の配信ライブは、「週末のおと」(https://www.youtube.com/channel/UCn0xIgyGabsBYyVD5sA4_8w)という配信企画の第2回で、「チキン南蛮のうた」以外に「雲の向こう」、「さがしもの」、「飾らない愛」、キャロル・キングの「I feel the earth move」、「消えてなくなれ、夕暮れ」も歌っていた。配信ライブ自体は有料のイベントで、ユーチューブに無料で見られるダイジェストが掲載されているが(https://www.youtube.com/watch?v=YPdgMzrB0pI)、全曲が聴けるのはユーチューブ井手綾香チャンネルで公開されている「チキン南蛮のうた」だけで、ほかの曲はフルでは聴けない。聴けず仕舞いになってしまった。これは痛恨のミスできわめて残念なことだ。ユーチューブばかりチェックしていてはだめで、ツイッター(https://twitter.com/ide_ayaka)を見なければいけないということを学習した。

この学習のおかげで、10月始めの真空ホロウというユニットの無観客配信ライブにゲスト出演した動画(https://www.youtube.com/watch?v=InuRuEl7dtw)は、配信開始時には間に合わなかったもののしっかりチェックできた。これはユーチューブの真空ホロウチャンネルに掲載されているものなので、井手綾香チャンネルだけをチェックしているだけでは見逃すところだったのである。動画の冒頭でディズニー映画『アラジン』の「ホール・ニュー・ワールド」を歌っているが(ほかに3人のシンガーソングライターがゲスト出演しており、井出の出番はこれ以外では8分過ぎの全員で歌う曲しかない)、「おおぞら」という歌い出しのところで本当に空に飛び上がったかのような開放感がある。一時は毎朝かならず聴いていた。

そして、10月24、25日に「週末のおと」の第6、7回に出演することも知った。もっとも、これは第1回から第3回に出演したnikiie、井手綾香、立花綾香の3人が2回にまたがって出演するという形なので、それぞれが歌う曲数は少ない。そして、この第7回で「週末のおと」という企画は最終回ということだった。第2回のときに懲りているので、配信ライブのチケットを初めて買うことにした。歌舞伎は見に行くが、コンサートやライブに行ったことはほとんどないので、私にとっては何やら新鮮なことだった。と言っても、まず24日の分を見てから25日の分を買うかどうかを決めようというのだから優柔不断なことでもあった。24日は「ルーツのおと」と題し、影響を受けた他人の曲を歌う回(https://www.youtube.com/watch?v=yPTyGdBBnRY)で、悪くはなかったがもちろんそれだけでは物足りない。急いで25日のチケットも買った。

25日は「さいごのおと」でそれぞれが持ち歌を2曲ずつ歌った(https://www.youtube.com/watch?v=-lRDURKT8E0)。井手は『ワタシプラス』に入っている「消えてなくなれ、夕暮れ」(https://www.youtube.com/watch?v=FXucbDcWpPc)のほか、CDや配信の形ではリリースされておらず、ファンの間では幻の曲とされているらしい「マリーゴールド」を歌った。この曲はENEOSのオイルのCM曲として使われたものの、この日の井手が言ったところによると、CMで使われた部分しか録音されなかったという。今、「マリーゴールド」と言えば2018年リリースのあいみょんの曲が有名だが、これはそれとは別の井手が作詞作曲した曲で、CMは2014年に流されている。オイルとマリーゴールドがオレンジ色つながりになっているのはさすがだ。ただ、この日は声を張らない低音の部分がうまく出なかった感じに聞こえた。本人も納得がいかなかったのか、ユーチューブ井手綾香ページで公開されたのは「消えてなくなれ、夕暮れ」の方だった。「さいごのおと」は31日までアーカイブ(配信した内容そのものの記録。最初の配信のときはライブだったが、当然ながらアーカイブを見るときにはライブの録画を見ることになる)が残っていたので、毎日見た。

そして、「週末のおと」のアーカイブが消えてしまったのとほぼ同時に、「HEY! LOOK AT ME NOW!」(https://heylookatmenow.themedia.jp/)という新しい配信企画の第1回に井手がゲスト出演することが発表された(11月30日配信)。先ほど触れた真空ホロウの配信ライブにも参加していたみきなつみがホストで、ゲストとしてもうひとり果歩が出演するというものである。今度は迷わずチケットを買い、あとは11月30日を待つだけだと思っていたが、27日にユーチューブでライブ配信が行われたのを見損ねた。気づいたのは翌日だった。夜の7時頃に思いついて9時から始めたのだそうだ。もっとも、アーカイブ(https://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA)はあったので(本稿執筆時点も残っている)、生配信でチャットすることはできなかったが(まあ、間に合ってもそんなことはしなかっただろうけど。ちなみに、チャットの内容もアーカイブに残っている)何が配信されたのかはわかった。30日のライブの宣伝という意味合いがあったようで、実際にユーチューブでライブの存在を知ってチケットを買った人もいたようだ。チャットで「みきなつを助けてあげてくださいね」と言っていた人がいたが、たぶん「HEY! LOOK AT ME NOW!」の関係者なのだろう。2時間余りの配信の大半はおしゃべりだったが、アカペラで何曲か歌も歌ってくれた(たとえばhttps://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA&t=1422では「愛をつなごう」が聴ける)。でも、それは本番の1/6ぐらいの声なのだという。30日のライブでは30分で5曲ぐらい歌うということは明かし、すでに何を歌うかは決めてあるとも言ったが、何を歌うかは内緒だった。今は練習に励んでいるということで、30日のライブはユーチューブチャンネルの配信とは力の入れ方が全然違うようだということはわかった。

そして、30日。最初は果歩のライブ、引き続きみきと果歩のおしゃべりがあり、1時間近くたってから井手の出番が始まった。「おしゃべりが盛り上がってきたところですが、次の方の時間が来てしまいました~」というような感じだったが、しっとりとした「ステーション」(『A.I. ayaka ide』、 https://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA&t=3520s)が始まると、配信はすっかり井手の歌とピアノが支配する世界になった。あとは「琥珀花火」、「消えてなくなれ、夕暮れ」、「弱虫トラベラー」、「飾らない愛」が続いた。「琥珀花火」は音源になっていない曲でもっとも新しい。ほかの3曲はすべて『ワタシプラス』である。

このライブも期限付きでアーカイブを何度も見られるようになっていた。ほかのふたりには申し訳ないが、井手がひとりで歌った30分だけを何度も繰り返し聴いた。井手が曲の感情に合わせて歌い方を変えているということは前にも書いたが、どうしたものか私には悲しい曲を歌うときの声がとりわけきれいだと感じられる。音源になっているものでは、YUIの曲を13組がカバーしている『SHE LOVES YOU』(2012年)で井手が歌っている「Namidairo」などがそうだが、このライブでは断然「琥珀花火」(https://www.instagram.com/p/BzSwJf_gzMN/?utm_source=ig_web_copy_link)だった。この曲はCDや配信になっていないので歌詞サイトを見ても歌詞は載っていないが、「あの日の少女が描いた夢は打ち上げる花火のように咲いて絵空事散る花の行方を探してた」と歌っていたように聞こえた。この歌詞だけでも悲しい曲だが、井手が夢を実現するために頑張る、みんなも頑張ってという内容の曲をたびたび書いて歌っていたことを考えると、さらに悲しく感じる。それでまた、リンクしているインスタからもわかっていただけると思うが、透明感のある声が染み通ってくるのだ。一時は、井手の30分のなかでもこの曲だけを何度も繰り返し聴いていた。

しかし、そのうちに27日のユーチューブライブで5曲の選択に思い入れがあるような話しっぷりだったことが思い出され、「琥珀花火」だけでなくまた全体を聴くようになった。そこでようやくこの文章の本題にぶつかることになったのである。つまり、この5曲の選択には何か意味があるのではないかということだ。それも、この5曲を歌う順番に意味がある。ストーリーがあるのだ。

一見したところ、この5曲にはあまり共通性はない。「ステーション」と「消えてなくなれ、夕暮れ」は失恋の曲だが、「弱虫トラベラー」はライブのなかで進路に迷っていた妹さんを励ますために書いた曲だと紹介し(書いているうちに自分を鼓舞するような感じになったとも言っていたような気がする)、「飾らない愛」はお母さんを思って書いた曲だと紹介していた。実際、「飾らない愛」は、母と子の関係を描いたNHKドラマの主題曲になっていたはずだ。それでも、この4曲には「あなた」や「君」といった二人称が入っている(「琥珀花火」は歌詞を確かめられないが、二人称はなかったような気がする)。この4曲の二人称を恋人や家族ではなく「音楽」に置き換えると、全体がひとつのメッセージを形成しているような感じがしてくる。

「ステーション」(https://www.uta-net.com/song/227524/)は、「あなたの答えは分かっていたけれど」と言うのだから、本来は恋人にやり直そうと言ったけど断られたというような状況なのだろう。しかし、「あなた」が音楽だとすると、先ほどの「琥珀花火」の歌詞と似た状況になってくる。音楽を愛し、音楽のなかにどんどん入っていったのに跳ね返されたというような意味に取れる。そう思いながら聴いていると、「ベンチに残った小さな気配に胸が張り裂けそうよ」、「甘い記憶は 染み付いたまま」、「忘れないでね 愛した事を」といった歌詞が印象に残る。そして「琥珀花火」が続くわけだから確かに話が続いている。「琥珀花火」で歌われているのは、夢破れて故郷に帰ってくるという風景であり、さらに悲しい。なにしろ二人称がないので、音楽の出番さえないのだ。

次の「消えてなくなれ、夕暮れ」(https://www.uta-net.com/song/149481/)は、ビクターの販売サイト(https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A022673/VICL-36796.html)に行くと、「20歳を迎える井手綾香が、初めて描いた自身の失恋「消えてなくなれ、夕暮れ」」などと書いてあって驚いてしまうのだが(PVでも最後は海に向かってなんか叫んでいる)、実際の失恋を描いたのだとしても、感情に任せて書き飛ばしたのではなくよく考えて作られているように思う(そうでなければ、歌える曲の数が限られている配信ライブで毎回のように取り上げないのではないか)。かはたれ(彼は誰)どきとも言われる夕暮れを舞台背景としているので、私からはあなたが見えるけれどもあなたからは私は見えないという状況がとてもリアルに目に浮かぶ。別の女性と歩いている「あなた」を見つけてしまった場所が「交差点」だというのもうまくできていて、「あなた」とは出会ってもすぐに離れてしまうということを暗示しているように感じる。もちろん、片思いではないのだ。「抱きしめてくれた あなたの温もり」、「何度も呼びあったふざけた名前」、「肩幅大きなシャツの着心地」といった短いフレーズで決して浅い仲だったわけではないことをしっかりと暗示している。シャツなどの具体的なイメージが非常に効果的だ。そして、「あなた」への思いがどうしても消えないということを強調しつつ、「誰にも聞こえないさよなら」と自分の存在が消えてしまうような思いで締めくくる。ほかの女と歩いている男を見つけたところで修羅場を演じるのではなく、自分だけが身を引いてしまうというストーリーには、え、ホントにそれでいいの? と思わないでもないが、大きなお世話というものだろう。

で、5曲のストーリーにどうつながるのかと言えば、言うまでもなく、一番耳に残る「でもあなた(音楽)の事は 忘れられていないみたい」である。「週末のおと」第7回のパフォーマンス(https://www.youtube.com/watch?v=FXucbDcWpPc)では、ここでちょっと笑みがこぼれるのが印象的で、失礼ながら能で「嫉妬や恨みの篭る女の顔」とされている「般若の面」(ウィキペディア https://bit.ly/3soFzhh 参照)のことを思い出してしまう。「嫉妬や恨み」というよりはただ強い思い(音楽への?)を感じるだけだが、その思いの強さに圧倒されるのだ。

次の「弱虫トラベラー」(https://www.uta-net.com/song/161779/https://www.youtube.com/watch?v=Vt9h-9db1Zg)は、先ほども触れたように、ライブのなかで妹さんのために書いたというコメントがついていた曲だが、「軽すぎる足どりでは/足跡さえつけられない」、「私は、私/操りモノじゃない」、「バトンを繋ぐ気はない/真新しいレーンを行く」といった強いメッセージを含んだ歌詞が印象的だ。歌詞の話題に入るところで、多くの曲のメッセージがよいと言ったが、そのなかでもこの曲のメッセージは特によいし、J-POPの歌詞ではあまり聞かないメッセージのようにも思う。ほかのアーティストの歌詞にも、自分を貫きたいというメッセージがないわけではないが(むしろ、普通はそういう部分を持っているものだろう)、ここまでそういう思いの強さを感じさせるものは珍しいような気がする。借り物ではない本物の自分というものがあることを感じる。

5曲のストーリーとの関わりということでは、言うまでもなく、この曲でもっとも耳に残る「終わらない 終われない このまま」という部分だ。このフレーズは2回出てくるが、特に2度目は「離さない 譲れない夢 抱きしめたんだ/私は弱虫トラベラー/それでも 変われたんだよ/君(音楽)がいるから」と続く。まるで音楽への思いの強さを歌っているかのようだ。

最後は、ライブのなかでお母さんのために書いたと紹介した「飾らない愛」(https://www.uta-net.com/song/161774/https://www.youtube.com/watch?v=a2PIejZnCfQ)である。これは愛しているという歌ではなく、愛してもらっているという歌なので、このストーリーとは関係なさそうに見えるかもしれない。しかし、自分が音楽を愛していたというよりも、音楽が自分を愛してくれていたんだ、音楽はそれだけ大きいものなんだという発見によって、自分にとって音楽がいかに大切かを再認識したということがあってもおかしくないと思う。音楽が自分を愛してくれていると言っても、それは特権的な、自分だけがというようなものではないだろう。「飾らない愛で」「包」まれているという感じのものではないだろうか。そして「壊れない愛」でもあるのだ。音楽からは絶対に離れられないということをしっかりと自覚したという感じに聞き取れる。

これらはもともとがそのような目的で書かれている曲ではないので、こじつけが過ぎると言われればそうだと認めるしかない。井手はきっとこういうことを考えていたはずだと強く主張するつもりもない。そもそも、井手自身はライブ直前のユーチューブライブでも、直後のnikiieとのポッドキャスト (https://bit.ly/32oGLHc)でもそんなことは言っていないし、「HEY! LOOK AT ME NOW!」のライブレポート(https://spice.eplus.jp/articles/279559)にもそんなことは書かれていない。

ただ、そのポッドキャストによると、最近は生計を立てるために音楽だけではなくインテリアデザインの仕事もしているのだという。特に、2020年は新型コロナの影響もあったはずだが、インテリアの仕事で忙しかったらしい。そして、「このままだと音楽から離れ過ぎそうで怖い、受けてよかったと今でも思っている」、「ライブを通してもうちょっと音楽を頑張りたいなと思った。二度と私のことを見ないでってな感じだったら、アーカイブ速攻消してみたいな感じだったら、終わったあってなってたかもしれない」というような内容のことを言っている。選曲から感じ取れたストーリーは、この発言とだいたい符合しているのではないだろうか。そして、11月の配信ライブは音楽を続けるか止めるかぐらいの切羽詰まった気持ちでしていたらしいことがわかる。パフォーマンスから張り詰めた気持ちのようなものは確かに感じた。今までに聞いたどの演奏よりも心が揺さぶられるものだった。

選曲の解釈が井手の意図と合っているかどうかはどうでもよいことだ。受け取り方は聞く方の勝手である。ただ、こういう読み方ができるというのは面白いことだと思う。失恋が大切なものを失ったことの比喩にもなれるのだ。そのようなことが可能なのは、やはり曲の作りがしっかりしているからだろう。井手綾香の歌詞からは多くのことを教えてもらったような気がする。

 

(追記)
1月に書き始めたのに4月の終わり近くまでかかってしまった。もともとは11月の配信ライブで感じたことを書こうとしたものなので、そこまでで終わりとしたが、11月からはもう半年近くたつ。その後のことも少し書き加えておこう。

配信ライブ直前のユーチューブライブで公約した月1回のユーチューブへのアップロードは1月まで続いた。2月終わりにメジャーデビュー10周年記念のアコースティックセッション「Next Decade」の配信が発表されたので、すぐにチケットを買った。今度は井手自身の企画で、11月のような弾き語りではなく、ピアノとギターのサポートが付く。そして、すでに録画を済ませているということも公表された。配信1週間前の3月5日には、11月以来のユーチューブライブ(https://www.youtube.com/watch?v=y3GQajBOIx4)があった。インテリアの仕事がやはり大変らしく、2月のアップロードはこのユーチューブライブで代えさせてくれということだった。

10年前の3月11日は言うまでもなく東日本大震災が発生した日である。私の場合、家人が10日に北海道旅行に出かけたので、その夜はひとりで近所のステーキ屋さんに行ってカウンターで腹いっぱい飲み食いし、翌日は新宿の寄席にでも行こうかなと思っていたが、なんとなく諦めて横浜の仕事場で翻訳仕事をしていた。午後2時46分、東北地方ほどではないにしても、私としては生まれて50年で初めてという揺れに驚き、両手で仕事場の2本の本棚を上から押さえていた。その日が金曜日だったことは、なぜか鮮明に覚えている。

CDは、ランキングの集計で有利になるようにほぼかならず水曜日に発売される。井手のデビュー盤、ミニアルバムの『Portrait』は、そのときにはすでに大量にプレスされて倉庫に眠っていたのだろう。発売予定日だった3月16日は、3月11日のあとの最初の水曜日である。たぶん、発売日のお祝いムードはまったくなかっただろう。イベントどころではなかったはずだ。

井手のデビュー10周年記念のセッションは、11日を外して12日に配信された。いきなり11月と同じ「ステーション」、「消えてなくなれ、夕暮れ」が歌われる。メンバー紹介の短いMCのあと、3曲目として高梨沙羅が出演するクラレのCMのために書かれた「さがしもの」(2015年配信、https://www.uta-net.com/song/192073/)が歌われた。「この目で見たい たどり着きたい/ここではないどこかへ」とか「自分を信じて 風をあつめるわ」といった歌詞には、スキージャンプを意識した語彙が含まれているが、最後の「踏み出した心にそっと手を当てて明日へ」というフレーズともども、「Next Decade」、すなわち次の10年に向かっての決意表明のようにも聞こえる。

次に、H.E.R.の「Best Part」(https://www.google.com/search?q=H.E.R.+Best+part)、宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」(https://www.google.com/search?q=%E7%9C%9F%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%9B%A8)と2曲のカバーが続いた。どちらも初めて聞く曲だったが、例によってアーカイブ(16日まで残っていた)を何度も聴いて耳になじませた。「Best Part」は幸せを一身に表したような曲で高音の鳥のさえずりのような部分の美しさがなんとも心地よかったが、「真夏の通り雨」は一転してとても暗く悲しい曲だった。でも、この日一番印象に残ったのはこの曲で、歌詞もじっくり読んだ。明示されていないが、ここに出てくる「あなた」は間違いなく死んでおり、もう夢のなかでしか会えない。だから、「通り雨」なのに「ずっと止まない」し、雨が止まないのに「渇き」が「癒えない」。これは隅々まで本当にすごい歌詞で¶、ちょっとうまく歌ったぐらいでは曲に負けてしまうが、井手の歌唱はこの曲が発しているものをすべて表現していたと思う。

「さがしもの」から3曲続けて歌ったあとでまた短いMCが入った。2曲のアーティスト名と曲名を紹介してから、メジャーデビューして10年なのでこのライブをしているということを何やら申し訳なさそうに話した。その様子はやはり東日本大震災から10年でもあるということを意識してのものだったのではないかと思った。そして、「真夏の通り雨」は、震災と原発事故で亡くなった近親者を持つ人たちへの挨拶として歌われたような気がした。まあ、気がしただけである。ここでも井手本人がそういったことを言うことはなかった。

そして、最後の曲として本文でも触れた「雲の向こう」(https://www.youtube.com/watch?v=hCrTzoXeY7I)が歌われた。「真夏の通り雨」と比べればなんとも初々しい曲だが、「来年(あした)の今頃 どこで何してるかな?/わらってたって 泣いてたって 煌めいてほしい」とまるで10年後の今の井手自身に語りかけるような歌詞が含まれている(https://www.uta-net.com/song/108170/)。そして今の井手が10年後の井手に語りかけるという意味もあるだろう。10歳年上の宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」のように、生きてきた年輪を感じさせる井手綾香の曲を聴いてみたいものだ。

 

「勝てぬ戦に息切らし」の一つひとつの言葉の選択や「忘れちゃったら」の「ちゃったら」は絶妙だし、「揺れる若葉に手を伸ばし/あなたに思い馳せる時」のバリエーションとしてぬけぬけと「誰かに手を伸ばし/あなたに思い馳せる時」というフレーズを滑り込ませるところには息を飲む。生きながら心は死んでいるということをこれ以上しっかりと描くことはなかなかできるものではないだろう。

 

 

 

イノベーション

 

長尾高弘

 
 

無症状なのに感染させられるようにするとは
うまいやり方を考えたもんだ。
疫病で苦しんでるのは遅れてる国だよね、
とかうそぶいて
そういった国の人々からうまい汁吸ってる
先進国とか言ってるところの連中に
疫病で苦しむってのがどういうことなのか
教えてやれたわけだからさ。
でもうまくいかなかったことがひとつ。
あいつらまだ気づいてないんだ。
自分たちが南の人々に苦しみを押し付けてきたこと、
この疫病でも相変わらずそうだってこと。

 

 

 

新井知次さんの詩

 

長尾高弘

 
 

新井さんと知り合ったのは4年前の2016年、洲史さんに誘われてつづき詩の会に参加したときだ。洲さんとは前の年に尾内達也さんが主催された都内の朗読会で初めて会って、住所が近所だということを知ってお互いに驚いたのだった。私と洲さんが住む横浜市都筑区では毎年1月に都筑区民文化祭というものがあって、つづき詩の会は、そこに詩のパネルを出品することを主目的とする会として始まった。最初は関中子、新井知次、若林圭子、洲史の各氏と私の5人で、年に1度の活動では寂しすぎるので、2か月に1回ずつ集まって詩の話をすることになった。

例会を何度か重ねるうちに、発表者を決め、その発表者が取り上げたい詩人の作品をいくつかコピーしてきて、ほかの参加者は会に出てきて初めてそれを読み、感想を言い合うという形ができあがってきた。また、原田もも代、植木肖太郎、黒田佳子、柿田安子の各氏らが新たに参加してにぎやかになってきた(このほかにも一時参加して発表もされたが例会には定着しなかった方が何人かおられる。例会には出なくても本来の目的である1月の文化祭に出品される会員もおられる)。関さんのていねいなフォロー(たとえば、例会前にはかならず連絡を入れてくださる)はもちろんだが、しっかりとした読みを見せられる会員が多く、例会が楽しい時間になったので続いてきたように思う。新井さんはそういった会員のなかでも特に鋭い(そして厳しい)読みを示され、一目置かれる存在だった。

2018年頃からは会員が出した詩集をほかの会員にも配り、それを読んできて自分がいいと思ったものを朗読して感想を言い、それについてほかの会員が感想を返すという形が増えてきた。原田もも代『御馳走一皿』、関中子『沈水』、若林圭子『窓明かり』を取り上げ、拙著『抒情詩試論』(厳密には詩集ではないが)も取り上げていただいた。ところが、どうしたものか、新井さんの詩集は後回しになってしまった。新井さんの新作が載っている詩誌「獣」も例会のときに何冊かいただいていたが、それも取り上げ損なってしまった。2019年になって新井さんが何度か例会に出席されなくなり、体調が悪いらしいということを聞いた。2020年の都筑区民文化祭で久しぶりにお会いできたが、それがお会いした最期になってしまった。6月28日に84歳で亡くなられたということを関さんから聞いた。

遅ればせながら、つづき詩の会では、7月と9月の例会で新井さんの詩を取り上げることになった。7月は新井さんが参加していた同人誌「獣」(と言っても同人が次々に亡くなって最後は新井さんだけになっていたが)の63号から66号(これが最終号になるのだろう)までに掲載された新井さんの詩をその場で初めて読み(もらっても読んでなければ初めてになる。私は一応「予習」していったが、新井さんには本当に申し訳ないことに、生前には本腰を入れて読んでなかった)、その7月の例会で奥様から提供していただいた2007年の詩集『丸くない丸』を持ち帰って9月に気に入った詩を朗読して感想を言うことになった。9月の例会には奥様も参加して下さった。

詩集『丸くない丸』(京浜文学会出版部、2007年11月発行)は3部構成になっている。あとがきによれば、1、3部は2007年までの10年間に書かれた作品だが、「パネルルーム」と題された2部の大部分は1970年代に書かれているという。ただし、〈小説がうまくいかなかったので、えい! とばかりドラマ仕立てで書いたものなので、結果として散文詩となってしまったようです〉というあとがきの言葉は額面通りに受け取らない方がよいように思う。新井さんは東京電力で働いていたことを隠されなかったが、2部には東電での仕事と定年(本人の意思とは無関係に辞めさせられるという意味が強く感じられる「停年」という表記が使われている)に取材した作品が集められている。3部は義母の方の介護にまつわる作品、1部はその他さまざまな作品が入っている。

読みたい作品を朗読するといういつもの流れで会は始まった。私は真っ先に手を上げて詩集でもっとも長い作品を読んだ。

 

空白空白空0魚の骨

空0魚の骨が喉にひっかかっている 思いを飲み込むと
痛みがチクチクと 紫色に感電死した事故速報の男の顔
になって長い尾をひいている どうしてそういう事にな
ったのか 事故現場のポンチ絵の中で男は最早感情のな
い記号となって横たわっている だからぼくたちは誰も
悲しまない ただ読み流して 自分ではなかった幸せを
さりげなく懐にしまって 高圧電線と隣り合わせた機械
の保守に駆けずりまわっている
空0そしてまた隣の誰か 隣のとなりの誰か の事故報告
が素知らぬ顔で流れてくる
空0悲しみではない痛み 痛みではない恐れ 恐れではな
い日々が連なって 糧を得ている自分がいる

空0ブレーン・ストーミング 糧をばらまいている背広は
横文字と号令をかけるのが好きだ コップの中の嵐 で
は様にならないのか
空0「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」
空0テンション高く 安全検討会をせよと現場にラッパを
吹きならす
空0「C」はなぜ事故ったか なぜ なぜの嵐をコップに
吹き込むのだ
空0Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中
なぜ「C」が感電したか ポンチ絵を囲んでぼくたちが
重い口をひらくと ひらひら記号たちが躍り出でくる

空0錯覚 監視不良 安全区画が悪い 教育不足 体調が
悪かった という嵐 おいおい本当かよ 隠蔽している
ものはないのかよ だが記号たちに口はない 安全検討
の慣用句だけが飛び出るのをみているだけだ こんな時
労基署の立ち入りがある筈 だが調査結果は決してぼく
ら現場もんには流れてこない
空0怪我と弁当は自分持ち それしか吹かない嵐なのか
魚の骨がポンチ絵の中で泳いでいる 嵐の意見を整理
しよう これが知恵袋で アメリカはミサイルを飛ばし
た手法だというのだ 食べ飽きたメリケンから骨だけが
泳いで日本へ来たのか
空0事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽま
で繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状
に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭
をひきおこしてしまったという訳だ 人 物 設備 環
境 みんな悪かったという結果論は 集約すれば「C」
の錯覚が第一級戦犯となっていく
空0そうなのか なぜ夜間作業になってしまうのか まだ
ある A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売
の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記
号に見えてくる

空0魚の骨で解明された これでミサイルが飛び 事故が
無くなる めでたしめでたし 検討会の打ち上げは飲屋
へ直行 厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄さ
れていく
空0真実事故はこれで無くなるのか Aの側であったぼく
らが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだ
ろうか 親会社の指示書を読み上げる姿だけが見えてく

空0見上げると二重に雲が流れ 上の白い雲に肉のない魚
がくねり 下の雨雲には何やら記号らしきものが浮かん
で ぼくの頭に落ちてきそうだった

 

これは「あとがき」が言うように70年代に書かれた作品なのだろう。アメリカが〈ミサイルを飛ばした手法〉というところにベトナム戦争の影を感じる(ベトナム戦争ではミサイルにやられたのは米軍の方だったが)。

すっと読めるわけではないのは、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられているからだろう。特に目立つのは「記号」という言葉だ。最初は感電事故で死んだ作業員を〈感情のない記号〉と呼んでおり、その後この死者は実際に「C」という記号で呼ばれている。しかも、A、Bとは異なり、「C」だけが棺桶に入れられたように鉤括弧つきだ。そして〈背広〉(幹部社員)が〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉と言う。もちろん、本当に〈記号〉と言うはずはなく、ほかの言葉を使ったのだろうが、その言葉は何だったのだろうか。〈死者〉かそれとも〈死亡事故〉か。そして検討会の出席者である社員たちも、社員たちが口にした言葉もすべて〈記号〉と呼ばれている。〈記号〉は、自分を生きていないという意味での死を含めた死の象徴のようにも見える。

多義的な言葉という点では、タイトルの〈魚の骨〉もそうだ。〈魚の骨〉は、最初はのどに引っかかっている。のどに引っかかるというのは、「魚の骨」という単語を聞いたときにまず頭に思い浮かぶことだ。しかし、しばらくして次に出てきた〈魚の骨〉は〈ポンチ絵の中で泳いでいる〉。これはかなりぶっ飛んだ風景である。そもそも骨になった魚は泳がないし、それも絵の中だという。ポンチ絵というのは、明治時代の『ジャパン・パンチ』という漫画雑誌に由来する言葉で、要するに風刺漫画ということだ。ちなみに、フルーツポンチも、もとはフルーツパンチらしい。しかし、ポンチではパンチがなく、むしろ滑稽に感じてしまうのは私だけではないだろう。〈魚の骨〉は〈ブレーン・ストーミング〉と呼ばれる〈コップの中の嵐〉が吹いているそのコップのなかで泳いでいる。異様で滑稽な風景だ。そして、〈魚の骨〉とはまさに先ほど取り上げた死の象徴としての〈記号〉にほかならない。

〈事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽまで繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭をひきおこしてしまったという訳だ〉頭から小骨に行って小骨から頭に戻る過程で〈なぜ夜間作業〉か、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ〉といった問いが抜け落ちる。なぜ抜け落ちるのかと言えば、〈魚の骨〉、すなわち〈記号〉は骨だけなのに泳げてしまうからだ。

〈頭をひきおこしてしまった〉というのは「死亡事故をひきおこしてしまった」ということなのだろうが、人が死ぬことよりも死亡事故の不都合さに困っている様子が伝わってくる。だからこそ、〈「C」の錯覚が第一級戦犯〉になってしまうのだ。先ほどの〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉もそうだが、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられている一方で、ここでは普通は使わない意味のために言葉が置き換えられてもいる。このように言葉が複雑に操作されているものを小説になりそこなった散文詩と呼んでよいものだろうか。最初から詩になるしかない言葉だと言うべきではないか。

しかし、私がこの詩を誰にも取られないうちに自分で読みたいと思ったのは、単に言葉の詩的な扱い方の巧みさに舌をまいたからではない。〈Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中〉、〈A以外はみんな社外工〉という関係性のなかで、〈ぼく〉が〈Aの側であったぼくらが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだろうか〉と自らの立場を明示しているからだ。Aは「C」と同じ立場ではなく、「C」から見れば会社そのものである。死者を出した事故を〈コップの中の嵐〉で処理してしまう存在だ。ここで新井さんは「C」に成り代わって、あるいは天の声のような無人称的存在となって、正義の側から悪を告発するのではなく、告発されても仕方がない側の人間として、目に映ったことを包み隠さず書いている。抵抗詩、プロレタリアート詩などと呼ばれている作品には、まさに正義の側から悪を告発する形のものがたくさんあると思うが、そのような作品はとかく自分のことを棚に上げてしまいがちだ。この作品はそうではない。被害者であると同時に加害者でもある苦しさから目を逸らさずに会社とA、B、「C」の関係を誠実に描ききっている。その誠実さ(と意志の力)に心を打たれるのだ。詩に心を打たれるというのは、やはり詩から読み取れる思想に心を打たれるということなのではないだろうか。

70年代と言えば、自己否定論で知られる全共闘運動を経たばかりの時代であり、『丸くない丸』のなかにも〈パネルルームに 公安直通電話が接ながり(中略)資本はバブドワイヤーを一米ばかり嵩上げし 看板をペンキで塗りつぶし 攻撃目標がインペイされ 全共闘 デモ日程 デモルート ゲバルトゲバゲバ(中略)寡黙になったぼくらのパネルルームからアンポ条約はこれでもかと皮膚に擦過して 七0年代 電源確保の幕開き〉という印象的な詩句が連なる「幕開き」という作品がある。当時の学生が新井さんのこれらの詩を読んでいて、電力労働者に同志がいることを知っていたら、いやただ知っているだけでなく学生と労働者が連携し、そのような連携の糸が無数に張り巡らされていたら、時代は大きく変わっていたのではないだろうか、などとつい夢想してしまう。

70年代はまだ出稼ぎが行われていた時代でもあって、〈災害記録 零 のからくり 深夜作業で落下するのは下請工〉〈「あんたらは 糸を吐く直前の 蚕のような手だ」/なでまはす 異形の 東北弁の 笑い〉という詩句を含む「陰」という作品では、「魚の骨」にも書かれていた東電の現場の関係性が「東北」として可視化されていた時代のことが活写されている。今は、東北に限らず、4次、5次の下請けに雇われた全国の労働者たちが福島第一原発の現場に集まって被曝しながら事故処理をしているという違いがあるが、大筋では同じ構造がずっと前からあり、今も生き続けていることがわかる。その構造のなかで、〈おいおい本当かよ 隠蔽しているものはないのかよ〉、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記号に見えてくる〉とつぶやいている「ぼく」は、まるでF1の事故を予言していたかのように見える。その一方で、〈厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄されていく〉のは「ぼく」も同じなのだ。とても苦い詩だと思う。

2部の終わりの方には「停年の風」、「停年」といった明らかに定年後に書かれた作品が並んでいて、どちらも9月の例会で取り上げられたが、全員がひと通り作品を読んでから、また手を挙げて「停年の風」のひとつ前に面白い作品がありますと言って「廊下トンビ」という作品を読んだ。

 

空白空白廊下トンビ

肥えたトンビが
悠々と廊下を徘徊している
終業まじかの事務所
鶏たちが行儀良く首を揃えて
ペンをはしらせている

赤提灯に付き合えよ
羽根が柔らかく鶏を包むと
もう誰だって逃れられない
懐の暖かそうな鶏よ
しかし獲物はするりと逃げていく

鶏の秩序を変えようと
ハタを振った奴がいた
尻馬でトンビは強く羽ばたいたが
馬が速く走りすぎたのか
ほとんどの鶏が落馬していった
気が付くとトンビの机は窓際に移され
あろうことか馬が骨折していた
それならそれで俺はオレ 気楽に行けやと
廊下の囁きがなぜか耳にとどいて
徘徊する羽根の揺らぎに鼻唄さえもれた

 

このトンビ、最初はむかつく上司のことを書いたのかなと思った。実際、例会でも誰のことかちょっと議論になった。しかし、〈尻馬でトンビは強く羽ばたいたが〉とあるから、非組合員ではない。実際、その後ネットを見ていたらこの詩の先駆形をたまたま知ったのだが、そこには詩集で削除された〈鼻唄はだが時にエレジーとなった/かつて手取り足取り教えた鶏たちが/今はトンビの頭に座っている/全てに喉の渇く重さがずんときて/酒でも飲まなければ脱水してしまう//気楽さはしかし後戻りなんかない/ひっかけられた鶏糞を払いのけ/酒に焼けた赤い鼻のトンビが/今日も鼻唄まじり/磨きぬかれた廊下を俳桐している〉という4、5連があった(鶏がトンビの頭に座って鶏糞をひっかけるというところは惜しい感じもするが、詩集の形のようにここを省略したのはよかったように思う)。ご自身をトンビにたとえているのは間違いないと思う。例会では、奥様に「会社では言いたいことを飲み込んでおられたのですか?」と尋ねたが、組合活動では言いたいことを言われていたとのこと。愚問だったなと思った。

鶏といえば、人間に飼われ狭いところで卵を産む機械として扱われているイメージがある。一方、トンビは諺に「トンビが鷹を生む」と言われるように凡庸な存在のように扱われているが、以前ニュースになったように、急降下して人が食べているものをかっさらっていく荒々しさも持っている。何しろ鷲鷹類なのだから。そのようなトンビを自分の比喩として使うところが新井さんらしい感じがする。〈赤提灯に付き合えよ/羽が柔らかく鶏を包む〉というところが絶妙だ。

順番が逆になったが、7月の例会ではこの詩集から10年前後たった詩誌「獣」掲載の近作から、会員それぞれが読みたい作品を読んだ。私が読んだのは63号の次の作品だ。

 

空白空白鉄の匂い

畑では食っていけなかった
日清・日露の戦勝踊りが輪になって
日いずる国の鉄の会社の産業革命
親が死んで四人の兄弟は畑を捨てた
小才のきいた長兄がまず川崎へ
金と命の鋼管会社とはよく言ったものだ
兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ
畑で鍛えた体に汗がよく似合った

昭和の戦争を乗りきって
退職金はたいて庭付きの家を手にした
親父は毎朝早く庭木と会話し
片隅の菜園に故郷を手入れして
小さな庭に朝日を迎える
そんな朝いつまでも顔をみせない親父に
部屋を覗くとベッドで息がなかった
他殺か自殺か医者から警察へ

司法解剖から帰ってきた親父の
大きく武骨な手から
鉄の匂いが立ちのぼり
ぼくの胸にしみ入った

 

学校の歴史の授業では、産業革命期の人の動きをここまでわかりやすく教えてくれなかったと思う。試しに、たまたま持っていたちょっと前の高校日本史の教科書を読んでみたが、松方デフレ財政で下層農民が小作に転落したということや繊維産業の担い手が小作農の娘たちだったということは書かれていたが、農民はあくまでも農民であるという印象を持ちそうな書きぶりであり、労働者はどこからともなく増えたような書き方だった。この詩には、〈畑では食っていけなかった〉ので労働者になった(マルクスの言う本源的蓄積)という教科書に書かれていない歴史のダイナミズムが書かれている。〈金と命の鋼管会社〉は〈金と命の〉「交換」〈会社〉でもあった。死と隣り合わせで働いていたのだ(私も学習塾で小学生にこの時期の日本の歴史を教えたことがあるが、教科書と同じような説明しかできなかったのが残念だ)。

しかし、〈親父は毎朝早く庭木と会話し/片隅の菜園に故郷を手入れして〉の2行を読むと、好きこのんで都会に出てきたわけではないことが実感として伝わってくる。それに対し、息子である〈ぼく〉は〈大きく武骨な手から/鉄の匂いが立ちのぼり/ぼくの胸にしみ入った〉と言っている。〈ぼく〉にとってお父さんは鉄の人だったのだ。〈匂い〉は「臭い」ではない。漢字ひとつで「いやなにおい」ではなく「いいにおい」という意味になる。嗅覚はもっとも身体的な感覚だとも言われる。ここに父を悼む気持ちがきれいに昇華していると思う。

と言っても、父をただ無条件に賛美しているわけではないのが新井さんらしいところで、1連の〈小才のきいた長兄〉、〈兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ〉といった詩句には、父とその兄弟たちに対する批判的な目を感じる。そのような意味で微妙な響きを感じさせるのが2連の冒頭の〈昭和の戦争を乗りきって〉という1行だ。好んで戦争したわけではないにしても、反対したわけでもない。いわば、天災のように降ってきた戦争は、避けがたい不幸であり、〈乗りき〉るしかなかったのだ。しかし、無責任に戦争を始めた人間は確かにいるのであって、戦争は人災である。戦争が人災だったことに気づかなければ、また同じように天災を装った人災に見舞われることになるだろう。〈乗りきって〉からここまで読み取るのはいささか強引かもしれないが、少なくともそういう思考を誘い出さずにはいられない詩句になっていると思う。

例会では読めなかったが、63号には次の作品もある。

 

空白空白空の箱

肥桶かついで
生の大根まる齧り
筋肉隆々の青年よ
指揮棒が天から振られた
鎮守の神が軍歌を歌い出し
一夜明ければ立派な兵士だった

満州ではジンギス汗に会えたか
沖縄では鬼畜めがけて軍刀振り上げ
母の写真がちぎれ砕けた
雲から神が落ちたので
空っぽの箱で肥桶の村へ帰還
あまりに軽い箱だったので開けると
沖縄で戦死・ご冥福を祈る
紙切れ一枚に嗚咽がひろがった
祖母が仏壇から紙包みをとりだし
「ほら兵の爪と髪の毛だよ」
箱に入れて皆で手を合わせた
鎮守の神は無言だった
こんな寂しい死者との出会いは
その後一度もない

疎開児だった僕に貼りついた映像
倅が孫と遊びにきたので
こんな事があったと
兵叔父サンの話をしだすと
やめなよと倅が眉をしかめたので
皆で回転寿司を食べにいった

 

「鉄の匂い」では〈昭和の戦争を乗りきって〉1行で済ませた〈昭和の戦争〉のことである。「鎮守の神」、つまり人々がただ豊作を祈って崇めていた村々の神社が明治の天皇制と靖国によって軍事的に再編され、兵士供給装置となり、無数の戦死者を生み出したことが見事に描かれていると思う。宗教は恐ろしい。日本軍に殺された民衆も、宗教こそ異なれ、日本軍兵士と同じような農民や労働者だったのだ。

64号の「一揆物語り」という散文詩には、次のような部分が含まれている。

 

……
空0時が流れて、僕の兄弟が正月に顔を揃えた。何かの拍子に「秩
父困民党」の話がでた。権力は弱者を切り捨てる。概ね同意の酒
杯に母の実家の話が注がれる。
「秩父は神流川を挟んだ隣村だ。日照りは同じ苦しみ。一揆に加
勢したのか」
「ところがどっこい、曾祖父たちは竹槍担いで国賊退治だった」
空0皆はがっかりして、それから大笑い。曾祖父よ許せ。
……

 

大戦中、母の実家に疎開したときに、曽祖父が冬場の炬燵話で国賊退治を自慢した場面を受けたあとの連の一部である。

「鉄の匂い」や「空の箱」に描かれた父や叔父にも同じような視線が注がれているのではないだろうか。たとえば、「鉄の匂い」には書かれていないが、日本が植民地支配していた朝鮮で行った朝鮮土地調査事業で土地を奪われた人々(捨てたわけではなく奪われたのである)も、大挙して日本にやってきて〈金と命の交換会社〉に吸い込まれていっている。その運命が日本人労働者よりもさらに過酷だったことは言うまでもない。〈戦争を乗りきっ〉た日本人労働者は彼らのことをどう見ていたのだろうか。

詩誌「獣」には新井さんのエッセイも載っていて、そのときどきの関心事が書かれているが、それらのエッセイと同じ号の詩が見事につながっていて、つづき詩の会の例会が終わったあとの酒席で新井さんが控えめに話されたことにもつながっている。たとえば、66号には宗左近の縄文のことが書かれているが、新井さんが「長尾さん、宗左近についてはどう思ってますか。縄文のこと書いてますよね」と話しかけてこられたことを覚えている。本当のことではあるが「いやあ、あまり読んでなくて」とそっけなく答えてしまったが、66号の「宗左近の史的感性」という文章には、次のような印象的な言葉が書かれている。

 

空0ところで、古代史家の多くは渡来人が縄文人を滅ぼし
たのだ、とは決して言わない。混血などにより現在へと続
く日本人のルーツになったと論証する。しかし、この歴史
観からは宗左近の文学は成立しない。殺して滅ぼしたので
ある。それが、詩人の史的感性なのであると考える。

 

最近は、まるで日本の歴史を2600年ちょっとまで引き伸ばすためであるかのように、右から縄文を褒めそやす論調が目立っているが、それとはまったく反対のことが書かれている。そもそも、古事記/日本書紀のアマテラスの宮殿では、田んぼを耕し、機織りをしていたのだ。どこから見ても弥生以降の文化である。古事記/日本書紀は征服者の神話だと受け取るのが自然だろう。

新井さんに話しかけられたとき、記紀が弥生以降の文化だということにはちょっと触れた記憶があるが、新井さんがこのような見方から宗左近を話題にされていたことにはまったく思いが寄らなかった。ちょっと飛躍しすぎだと言われてしまうかもしれないが、渡来人(弥生人)が縄文人を殺したという見方は、近代日本が朝鮮半島から中国、東南アジアに侵略していって、現地の人々を人として扱わず、こき使ったり、犯したり、殺したりしたことを直視する見方に通じていくと思う。それに対し、弥生人の神話を崇めながら、縄文人は自分たちの祖先だなどと言うことは、日本国と日本人が犯してきた犯罪をなかったことにして、侵略を正当化してしまう見方に通じている。混血は間違いなく起きているだろうが、だからといって殺戮の歴史は消えない。先ほど触れた見たくないものを直視するという新井さんらしさがここにも現れていると思う。

自分の怠惰のために新井さんとそういう話をすることができなかったこと、そして新井さんの詩にしっかりと向き合ってここに書いたような感想を伝えられなかったことを後悔している。

 

 

 

遠近法

 

長尾高弘

 
 

遠くに子どもがいるよと思ったら、
近づいてみるとおばさんだったり、
遠くからおじさんが来るよと思ったら、
女子高生とすれ違ったりする。
昔からこんなだったかな?
ちょっと前のことでも覚えてないよ。
歳を取るってこういうことなのかな?

 

 

 

緊急事態

 

長尾高弘

 
 

いい感じで弾丸が入ってるロシアンルーレット。
ひとつかと思ったらふたつある。
王冠のマークが付いたのと、
コインのマークが付いたのと。
金持ちが持たされるのは王冠マークの方だけ。
そうじゃない人は両方。
入ってる弾丸の数も違うって噂だよ。
少なくとも
コインマークの方はなしにしてくんないかなあ。

 

 

 

かの字

 

長尾高弘

 
 

バクチってのはさ、
客さえいれば胴元はかならず儲かるもんでしょ。
客のなかには得するのもいれば損するのもいるけど、
胴元はかならず何割かを取ってくわけだから負けなし。
逆に客全体で見ればかならず損するわけだよね。
イカサマなしなら、
やればやるだけ実際の結果が理論的な確率に近づいてくから、
かならず損するわけ。
まして、イカサマがあるなら、
得させる客がいる分ほかの客は損するわけだから、
イカサマなしのときより損するわけでしょ。
最高裁判所の一九五〇年の判決でも、

賭場開張図利罪は自ら財物を喪失する危険を負担することなく、専ら他人の行う賭博を開催して利を図るものであるから、単純賭博を罰しない外国の立法例においてもこれを禁止するを普通とする。

って言ってるわけ。
ない方からある方にカネが動くだけさ。
でも、そういう法律がある一方で国やら都道府県やらが
競馬、競輪なんかを主催してるんだよね。
さっきの裁判で負けた被告の弁護人もそれを主張してる。
国も公認してるんだから、
刑法一八六条二項(賭博場開張図利罪)は
新憲法では無効だって。
(何しろ日本国憲法施行から三年しかたってなかった頃の話だから
「新憲法」なのよ)
でも裁判所は、
国などが賭博場開帳図利と本質的に同じことをしているからといって、
賭博一般を認めているわけじゃないでしょって一蹴しちゃってるんだな。
論理は通ってると思うよ。
ただちょっとすっきりしないよね。
そもそもこの判決は賭博自体について、

勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。

ってな風に格調高く非難してるわけだから
なおさらすっきりしないと思うんだよね。
まあ、三権分立ってのがあるからさ、
裁判の争点にもなってないことについて、
裁判所が国や都道府県に口出しするわけにもいかないから、
それ以上踏み込んでいないんだろうってことにしとこうか。
ここからは法律の専門家でもなんでもないおいらの考えだけどさ、
国や都道府県が胴元になって客から巻き上げたお金は、
理論的には税金の一部になって広く納税者に還元されるはずだよね
(実際には国とかいうやつは社会保障をけちって
軍事費や政権関係者の集票のための宴会に税金を使うみたいだけどさ)。
たぶん、国営、公営のバクチを容認できるとすれば、
結構無理があると思うけどそれ以外の理由はないと思うよ。
国や都道府県がコントロールして過熱しないようにしてる、
とかいうような理屈があったとしても、それは嘘だと思うね。
すでに国営でも公営でもないパチンコ屋ってのがあるでしょ。
風営法ってのがあって許可をもらわないと営業できないから、
行政のコントロールが効いてるんだって理屈なんじゃないかな。
でも、パチンコ屋って警察から天下りするんだよね。
え、警察って規制当局なんだからパチンコ屋からしたら敵なんじゃないの?
って感じがするかもしれないけどさ、
パチンコ屋からすりゃあ、警察OBなら警察の手のうちを知ってるし、
かつての部下に睨みを効かせてくれんだろうって期待があるから
大歓迎でしょ。
そういう自分の商品価値を知ってる警察OBからすれば、
高く売って左うちわの老後を過ごそうって思うのが自然じゃない?
規制当局ってのは理研のわかめちゃんじゃなくて利権の塊だと思うよ。
ほかの業界でもさ、ヤメ検とか言って、検事を辞めて弁護士になると
依頼が殺到するっていうよね。
それと同じなんじゃないかな。
で、横浜市長が選挙のときだけ「白紙」にした「かの字」のことだけどさ、
収賄容疑で国会議員が逮捕されるってな展開になってるでしょ。
語るに落ちたって感じだよね。
今まで「かの字」が公認されてなかった日本に
「かの字」ができるってことになれば、
「かの字」のノウハウがある外国企業が目をつけるに決まってるよね。
でも、そういう企業には「日本」のノウハウがないから、
なんとか食い込もうとして、
「かの字」解禁に熱心な国会議員に接近したわけでしょ。
結局、「かの字」解禁の理由は経済振興だの観光立国だのじゃなくて、
政治家たちの金儲けだったんだなって思ったよ。
業者は三割の税金を払うだけで、
あとの儲けは全部国外に持ち出してっちゃうのに、ウェルカムしてんだから。
でも、この国では法の下の平等なんて絵に描いた餅らしいからさ、
検察は「したっぱ」をつかまえて仕事してるふりをしてるだけで、
大物は涼しい顔してボロ儲けしてるんだと思うよ。
だってこの話、トランプがアベにじきじきによろしく頼むぜって言ったという
アメリカの業者は絡んでないんだもん。
で、「かの字」が続く限り、大物には金が入り続けるってことなんだろうね。
ひとり殺せば犯罪者だけど、たくさん殺せば英雄、神だって言うけどさ、
詐欺師や泥棒の世界でも同じってことなんだろうねえ。

 

 

 

二〇一九年十月二二日

 

長尾高弘

 
 

もう三年前になるけど、
天皇が天皇制終了を宣言すれば、
アベシンゾーの改憲案なんて吹っ飛ぶ、
ってなことを書いたことがあるんだよね。*1
それから二、三か月たったときに、
天皇が退位したいとか言い出して
びっくりしたよ。
おいら、預言者になっちゃったぜ、なんてね。
でも、退位したいってのと、
天皇制を止めたいってのとでは、
月とスッポンくらい違うんだなあ。
「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」(ママ)とかいうやつ、
よーく読んでみればわかるよ。
〈これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。〉*2
天皇制をずっと続けるために退位したいと言ったんだよ。
この人たちにとって何よりも大切なのが天皇制だってことがよーくわかった。

 
天皇制を続けるためになかなか降参しなかった。
天皇制を続けるために沖縄を見殺しにした。
天皇制を続けるために指をくわえて原爆が落とされているのを見ていた。
天皇制を続けるためにマッカーサーに会いに行った。
天皇制を続けるために新憲法に戦争放棄、戦力放棄の条項を入れた。
天皇制を続けるために東條に全部罪をなすりつける言い訳の文書を作った。
天皇制を続けるために総理大臣の頭越しにアメリカに沖縄を差し出した。
天皇制を続けるために何でもするからアメリカの軍隊を残してくれえと言った。*3.
天皇制を続けるために原爆投下はやむをえないことと私は思ってますと本音をぽろっともらした。*4.
それは前の前の天皇のことだって?
前の天皇だって同じさ。
天皇制を続けるために退位したいって言ったんだからさ。
天皇制を続けるためなら
戦争でも平和主義者でも慰霊の旅でも何だってやるんだよ。
今度の天皇だってそこは変わらないさ。
どこまでやれるかはわからないけどね。

 
で、想定外の天皇やめたい宣言ですったもんだした挙げ句、
今年の四月末日で前の天皇は終わって、
五月一日から次の天皇になります、
ってことになって、そうなったわけ。
もうそれで十分、おなかいっぱいだと思うけど、
即位の礼とかいうものもやることになって、
勝手に国民の祝日とやらにされちまったわけよ。
その日が二〇一九年十月二二日ってことです。

 
預言者になりかけた身として、
何か言ってやろうと思ってたんだけどさ、
言葉ってのは身構えていると出てこないもんだねえ。
でも、いざその日になってみると、
次から次からへらへら出てくるわけ。
不思議なもんだね。

 
天皇制への反対がタブー視される空気があるのは、
天皇なるものが宗教だからなんだよね。*5

 
消えたので再投稿。
フェイスブックがこの程度の投稿でも検閲するのだとすると、
それは天皇なるものが宗教だからだよね。

 
Kさん、今日はいっぱい消されましたよ。

 
タブー視されるというのと宗教であるというのは同語反復のようなものです。
いや、宗教などというほど高尚なものではなく、
迷信のようなものと言った方がいいかもしれません。
しかし、迷信よりも拘束力が強いですよね。
夜爪を切っちゃいけないと言われても、
今どきそんなことは気にしないのが普通でしょうが、
天皇の写真を焼くと過剰に反応する人が山ほど出てくるんですから。
非合理的で無言ながらむき出しの暴力がイメージされます。
実際、風流夢譚事件のように人が殺されるようなことさえあります。
あいちトリエンナーレでも、
ガソリンまいて火をつけると脅迫した人間が出ましたね。
敗戦から七四年もたつのに、まだそんなもん、
いやどんどんひどくなっているんですよね。
テレビでは反天皇の言説は締め出され、
新聞でも今日(二三日)の東京新聞はなんとか反天皇の考えを紹介していましたが、
ちょっと変わった人たちがいるけど、
その人たちの意見も聞いてみようよ、
というようなスタンスでした。
もし、天皇が民主主義の価値を何よりも大切に思うなら、
天皇制を止めると宣言するのがもっとも効果的ですよ。
日本におけるあらゆる非合理の根源なんですから。

 
右側の人たちは放っておいても天皇制を支持するので、
天皇がちょっとリベラルっぽくしておくと、
そっちの方の人たちからも支持してもらえて、
天皇制は安泰になるんじゃないかねえ。
手下に極右に突っ走られると天皇制の危機を招くし(前の戦争の教訓)。
でも、現天皇の顔はまだ見えないな。

 
天皇教が迷信であることを誰よりもよく知る天皇は、
天皇教の信者、背教者の誰よりも合理的に行動できる。

 
祝日にしなかったので、テレビは見なかったよ。
夜は家族で木曽路のしゃぶしゃぶ祭りに行ったけどね。
いつもの半額でしゃぶしゃぶが食えるのは大きいよ。
レイワ初のしゃぶしゃぶ祭りって書いてあったなあ。
二二日から二四日までって、
即位礼のこと意識してたのかねえ。
そういやヘイセイ最後のしゃぶしゃぶ祭りにも行ったよ。
増税前最後のしゃぶしゃぶ祭り、
増税後最初のしゃぶしゃぶ祭り、
でよかったのにな。

 
 

*1. https://beachwind-lib.net/?p=11176
*2. 宮内庁ホームページからコピペ
*3. 豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本』(2015年、岩波書店)参照。
*4. 1975年10月31日
*5. ここからしばらく実際にフェイスブックに投稿した内容。微修正済み。

 

 

 

包丁

 

長尾高弘

 
 

目の前に包丁があるんだけどさ、
つい今さっき洗ったところなんだけどさ、
昼めしのときに、
キャベツを切るために使ったんだよね、
水を拭いてないから、
水がついててさ、
電球の光を反射して、
キラキラ光っちゃってるけどさ、
落っこってきたら怖いな、
足にブスッと刺さったりして、
いや、
この柄をしっかり握って、
心臓にグサッと刺せば、
おれは今日死んじゃうんだよな、
ここにはほかに誰もいないから、
そんなことするやつは、
おれしかいないけどさ、
おれがここで死んじゃっても、
当分誰も気づかないんだろうな、
おれしかいないんだもんな。