落ちてる花

 

長尾高弘

 
 

赤い早咲き桜が満開になってたので、
ちょっと離れたところで眺めてたら、
小学校一、二年生ぐらいかな、
いかにも子どもって感じの女の子がやってきて、
「わあ、きれい」って声に出して言いながら、
花に近づいてったわけ。
で、ちょうど一輪分の花を根本からちぎって
下に落っことしたんだよね。
そうこうするうちに、
弟らしいもっと小さな男の子と
母親も桜の木の近くにやってきたもんで、
女の子が「ねえ、見て、きれいでしょ」って
言ってるわけ。
それから視線を下に落として、
ちぎった花を拾い上げ、
「落っこってた花見いつけた」
なんて言うものだから、
男の子の方が、
「いいなあ、花取ってもいい?」
って母親に言うわけ。
母親はもちろん「だめよ」って言うよね。
「落ちてる花ならいいけど」。
でも、男の子はすぐには引き下がらないわけ。
「えー、いいでしょう」って諦められない様子でね。
母親が「だーめ」ってもう一回言って、
お姉ちゃんも「落ちてるのならいいけど、取っちゃだめよ」
って言うもんで、男の子も諦めて、
気がつくと三人ともいなくなってた。

 

 

 

2023年から2024年への年越し

 

長尾高弘

 
 

年末年始はどうも苦手。
この時期限定でやらなきゃならないことがあれこれあって、
いつものリズムが崩れるのが疲れるのよね。
でもそういったことがなんとか終わって大晦日、
ぽかんと口を開けて紅白歌合戦を見てしまったよ。
歌の合間にウクライナがどうとか平和がどうとか、
もっともらしいことを言って洗脳してくるけどさ、
なんでパレスチナって言わねえんだよ。
さすがにイスラエルとも言えなかったようだけどさ。
いつも後ろにアメリカがついてる方が善玉扱いで、
すっかりそっちばかり応援するように飼いならされちゃったけどさ、
そのうちアメリカの代わりにロシアと戦争させられてるウクライナみたいに、
日本が韓国、台湾と手と手を取り合って中国と戦争させられそうになったら
どうするのさ?
日本国憲法前文には、
《われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
  平和のうちに生存する権利を有することを確認する》
って書いてあるのに、
どうして「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ」
ってところを忘れちゃったんだろうね?

一夜明けて正月元旦。
午後からこの時期ならではの会食があって、
横浜中華街のレストランの6階にいたんだけど、
忘れもしない日が暮れかけた午後4時すぎに、
足元がぐらんぐらんと揺れだして、
天井の照明もぐるんぐるん回りだした。
言うまでもなく、
それは能登の大地震が横浜まで伝わってきたってことなんだけど、
こちらはそのときにちょっとあわてただけで、
気がついたらもとのように食事してた。
マグニチュード7.6、最大震度7は並大抵のことじゃない。
でも、最初のうちは被害があまり伝わってこなかったので、
奇跡的にあまり被害がなかったのかと思った。
本当は、被害の情報が伝えられないぐらい
ひどい被害を受けたってことだったのにね。
2日のニュースで輪島の朝市通りの大規模火災の映像を見て、
さすがにとんでもないことが起きてると思ったよ。
昨年10月から何度も見てきた
イスラエル軍のパレスチナへの無差別攻撃の映像を思い出した。
それはいかにも傍観者らしい間の抜けたものの感じ方で心苦しいけど、
どうか許していただきたい。
当事者でない人間は手順を踏まないと理解に近づけないのだ。
能登では学校と病院が自然に避難所になったって報道されてた。
それは不安だからだ。
パレスチナでは学校と病院が集中的に空爆と地上攻撃を受け、
女性や子どもを含む多くの市民が犠牲になってる。
それがいかに非人道的な攻撃かが改めてよくわかった。
逆に変なことを言うなと思われるかもしれないけど、
パレスチナには原発がなくてよかったとも思った。
ハマスに取られた人質がどこにいるのか知ってか知らずか、
イスラエルはガザならどこでもってぐらいに攻撃してるけど、
デモ隊に乱暴な日本の警察だって、
誰かが人質を取って立てこもったら一斉射撃なんかやらないぜ。
あんな攻撃してイスラエル軍は人質が巻き添えを食わないか気にならないのかねえ?
そんなイスラエルのことだから、
もしパレスチナに原発があったら間違いなく攻撃するんじゃないかな?
原発攻撃は国際法違反だけど、病院や学校への攻撃も国際法違反だ。
パレスチナに原発があったら、ハマスの秘密基地だからとか言って攻撃しそうだよ。
能登には志賀原発がある。
最初は隠してたけど、3メートルの津波に襲われてる。
揺れは想定を越えたものだったけど、地元自治体にはすぐに報告しなかった。
そして変圧器の故障で2万リットルの油が流出したために、
外部電源の一部から電気を受けられなくなり、
完全復旧には半年かかる見通しだと言われてる。
一歩間違えば福一の再来だった。
それでも運転停止中だったからまだ救われた。
再稼働してたらどうなってただろうか?
しかも、今回激しい被害にあった珠洲にも原発計画があったのだ。
地元の反対で潰れてなかったらどうなってたのか?
想像するだけでも恐ろしい。
原子力規制委員会の山中伸介会長は、志賀原発再稼働審査について、
長期化することになるだろうと言ったそうだ。
おかしいだろ?
ただちに廃炉じゃないのか?

 

 

 

井手綾香 : stepping stonesを渡った先

 

長尾高弘

 
 

「井手綾香の選曲によるメッセージ?」という文章を書いてからもう2年もたった。その後も彼女の活動はチェックしてきた。でも、2021年3月から2022年7月までの1年4か月ほどは一気に飛んでしまってもよいだろう。この間にも彼女のライブはあったし、ネット配信されたものは見たが、私が書いているのは彼女が書いた曲の歌詞についてだ。もちろん、ひとりのファンとしては、彼女の曲のメロディ、歌詞とパフォーマンス全体を愛しているわけだが、仮に私に彼女の歌について何か言えることがあるとしたら、歌詞のこと以外にはない。新しい歌詞が出てこなければ、私には何も書けない。

2021年3月には10周年記念のセッションがあったが、2022年3月には11周年記念のセッションはなかった。それは不思議なことではないだろう。10周年は切りがいいけど、11周年はそうでもない。しかし、なんと7月になって11周年記念ライブが行われた(東京と宮崎。私は東京の配信を見た)。しかも、無観客だった上に30分で終わってしまった10周年とは異なり、観客を入れて約2時間、アンコールも入れて18曲を歌いきった。このライブで数年前にメジャーとの契約が切れ、事務所からも離れてフリーになったことや、一度は音楽を諦めかけて普通の会社に入り、インテリアの仕事をしていたことなどを公表し、このライブから本格的な活動を再開すると宣言した。そして、自主制作で新曲4曲を含むミニアルバムを作ったのでそれをその会場で販売すること、8月から翌年3月までゲストを迎えて毎月ライブを開催すること、初めてファンクラブを立ち上げて会員特別コンテンツを提供することなどを発表した。

私は配信で見ていたので、その場でミニアルバムを買うことはできなかったが、新しくオープンされた井手綾香ショップ( https://ideayaka.base.shop/ )で注文した(2023年6月8日現在、まだ買えるようだ)。カミングアウトするほどのことではないが、ファンクラブにも入った(誰のものであれ、ファンクラブというものに入ったのはこれが初めてだ)。当然ながら、CDには歌詞カードとクレジットがついている。ついに新しく話題にすべきネタが登場したわけだ。

 

アルバムのタイトルは『stepping stones』で、日本語で踏み石とか飛び石と呼ばれているもののことである。アルバムのジャケットにもS字形に並べられた踏み石の絵が描かれている。私は踏み石があるような家には住んだことがないが、妻の実家に行くと門から玄関までそういう石が並んでいるので、どうしてもそれを思い浮かべてしまう。大人でも大股で歩かないと次の石の上に乗れない。子どもなら、ぴょんぴょんと跳ねて渡るだろう。ほかの場所でも、踏み石というものはだいたいそんな感じに並べてあるのではないだろうか。stepping stonesという英語だと、このぴょんぴょんのイメージがぴったり合う。ちなみに、10周年コンサートのあと、初めて観客を入れて開く予定だったライブ(しかし、直前に緊急事態宣言が出て中止になってしまった)は、first stepというタイトルだった。アルバムタイトルには、前に進みたいという井手の気持ちが込められているような感じがした。

入っているのは、先ほども触れた新曲4曲と「ヒカリ」だが、5曲の配列からもなるほどstepping stonesなんだなと思わせるものがある。つまり、CDジャケットの絵のようにちょっと曲折したストーリーが隠されているように見えるのだ(前稿で取り上げた2020年のライブのセットリストのときと同じように)。ストーリーというよりも、芝居の幕、場のようなものの方が近いかもしれない。ただ、アルバムを買えば歌詞カードがついてくるが、歌ネット( https://www.uta-net.com/ )のようなサイトには自主制作アルバムの歌詞は掲載されていないので、ここでは一部を引用することしかできない。

1曲目は、前稿でもかなり大きく取り上げ、7月の11周年記念ライブでも歌われた「琥珀花火」である( https://www.youtube.com/watch?v=71S6zgqhu40 にPVと歌詞がある)。前稿では歌詞が完全にはわからないまま、夢破れて故郷に帰ってきた歌だと紹介したが、おおよそそういう内容であることは間違いないと思う。ただ、最後の部分で再起を誓っているという部分を聞き落としていたようだ。

 

2曲目の「オトナ」は、「報われない言い訳を/みんなでせーので言った/誰かのせい 時代のせい/誰も自分を褒めない」という冒頭からもわかるように、不遇な人々が集まって愚痴を言い合っている図である。「琥珀花火」で故郷に帰ってきた人の後日談のように感じられる。耳に残るのは、「誰も自分を褒めない」という言葉だ。「誰も自分を責めない」というのとは微妙にニュアンスが異なる。義務を果たせなかったというようなことではなくて、もっと充実した時間をつかめたはずなのに不完全燃焼に終わってしまったという後悔のことを言っているのだろうか。

3曲目の「so much to tell」では、「起きがけに映る 安らかな寝顔/それだけでこの日を 迎えたこと 奇跡のよう」というような歌詞が耳に入ってきて、一転して何か幸せを掴んだように感じられる。夢が破れて負った傷も癒えつつあるかのようだ。しかし、「あなた」は、苦しみか辛さかそのようなものをひとりで抱え込んでいて打ち明けてくれないらしい。だからか、「想い続けている」と言いつつも「この愛はまだ無力でも」という辛い言葉が入ってくる。でも、「あなたと紡ぐこの愛は/私の唯一の光」というのだから、照らしてくれる光が現れたわけで、2曲目までのどん底からは上に向いている感じがする。

4曲目の「CANDY」は、そんな「So much to tell」の安定をひっくり返す。「毎日 毎日 愛されていたい/それだけ それだけ それだけだったのに/気がつけば私は 甘いだけのCANDY/溶けてしまうよ」。これはもちろん、音楽を忘れたら自分の芯がなくなってしまうということだろう。あなたとの愛が「唯一の光」というところに留まるわけにはいかないのである。本気でものを作ろうという人は、そういうものだと思う。

そして5曲目の「ヒカリ」( https://www.uta-net.com/song/126767/ )が続くわけだが、「まぶしい未来へ/ヒカリの種(たね)をまこう 明日の夢を咲かそう」という歌詞はまるで今の再始動した彼女を予見していたかのようだ。

こうに違いないという勢いで書いてきてしまったが、もちろんこれはそういう読み方もあるというひとつの見立てに過ぎない。そもそも、今回初めて知ったのだが、「琥珀花火」の歌詞は作詞家矢作綾加の作品で、「so much to tell」も同じく矢作作品なのである。井手自身の作品として見るわけにはいかない¶。ただ、仮に私が今書いてみせたように、井手自身が歌詞の世界を使ってひとつのまとまったストーリーを組み立てようと思ったのだとすれば、すでにある歌詞はストーリーの部品に過ぎないわけで、歌詞を作ったのは誰かということはごく小さな問題になるはずだ。

8月からライブを毎月開催するということと同時にこのミニアルバムを発表し、ライブのタイトルも同じ「stepping stones」だったわけだから、ミニアルバムの曲は毎月ライブのセットリストに挙がっていた。ライブの開催形態は、8月から12月が3人のゲストを迎えて4人、2023年1、2月はゲスト1人で2人、3月は井手のワンマンという形で変わっていき、その分井手が歌う曲数もアンコールを含めて6曲程度から、共作/共演曲を入れて9曲程度に増え、最後の3月は一部だけの曲も含めて20曲になっていたが、「琥珀花火」は毎月欠かさず登場した。ほかの曲は、8月に「CANDY」、9月に「オトナ」、10月に「so much to tell」がそれぞれ初登場し、11月から1月にも1度ずつ再登場して、3月には「ヒカリ」も含めてミニアルバムの全曲が歌われた。

このように書くと、同じようなライブが毎月繰り返されたかのようだが、3月のワンマンは明らかにそれまでの月とは質が違っていた。本人も、stepping stonesの向こう側の景色をお見せしたいと言っていたが、それまでの本人によるピアノ、ギターだけではなく、パーカッションとキーボード/マニピューレーションのふたりのサポートミュージシャンが入り、毎月ライブで初登場の曲や『stepping stones』以後の新曲も多数含まれていた。同じ「雲の向こう」でも、nabeLTD(キーボード/マニピュレーション。10周年ライブの会場の経営者、ピアノ担当でもあった)の新アレンジはとても新鮮で、このバージョンの音源もほしいと思ったぐらいだ。『stepping stones』は、門のなかには入ったがまだ玄関のなかには入っていなかったということだったのである。『stepping stones』以後の新曲もすべてnabeLTDアレンジで、まず音のレベルで十分に向こう側を感じることができた。

 

アンコール前の最後の曲として「いいじゃん」という新曲が歌われたが、アンコールで再度ステージに出てきて歌う前の告知で5月5日にこの曲が配信リリースされることが発表された。ミニアルバム『stepping stones』の曲はミニアルバムを買わなければ聴けなかったが、「いいじゃん」はiMusic,Spotify、YouTube Music等々の配信サービスで購入、ダウンロードできる。もちろん、私も発売当日に購入、ダウンロードした。ありがたいことに、歌詞もネットで見られる( https://linkco.re/r01764QE/songs/2184274/lyrics 曲自体も https://www.youtube.com/watch?v=SaAowFHvaUY で聴ける)。

その歌詞を見ると、確かにstepping stonesを渡って向こう側に行ったということが感じられた。あとから振り返ると、それまでのライブでもこの曲は何度も歌われていたのだが(10、12、2月)、歌詞というのは文字で見るまではなかなかわからないものだ。

冒頭の「眼鏡外すと/テールランプもイルミネーションみたいだ」の2行がなんともうまい。これだけであまりはっきり見えすぎない方が本当はつまらない(かもしれない)ものでもすばらしいものに見えてよいというテーマがしっかり伝わってくるだけでなく、夜、恋人同士がふたりで車に乗ってどこかに向かっていることまでわかる。あとで重要な役割を果たす「眼鏡」という小道具も登場させている。

ここで情報量を稼いでいるので、あとはゆったりと進められる。3行目でこれはすごい大発見ではないのだよと軽く謙遜してみせているが、この「お茶目な思考回路」は、つい昨年の『stepping stones』までとは大きく違うことを考えている。たとえば、『stepping stones』の「so much to tell」は、「いいじゃん」とは「私」と恋人の立場が逆だが、「so much to tell」の「私」は自分が知らない恋人の苦しみを知りたがっている。それに対し、「いいじゃん」で「見せない」と言っているのは、お互いに「大切なものは見えないくらいが/ちょうどいいじゃん」ということだ。決して、「私」のことは知らせないけど相手のことは知りたいということではないのである。実際、今までの井手の歌詞は、真実とは何かを追い求めて先へ先へと突き進んでいくような感じのものが多かった。そしてそれが彼女の魅力でもあった(過去形を使ったが、今もそれが魅力であることは変わらない)。そういう意味では、「雲の向こう」も「飾らない愛」も「消えてなくなれ、夕暮れ」も『stepping stones』の各曲も共通したところがあると思う(『stepping stones』には挫折による屈折があるので、それまでとはちょっと違った色合いが出ており、だからこそstepping stonesなのだが)。

しかし、「やけに鮮明な世界は/超あっけなくなって/もう何も生まれない気がしてた」という4行目から6行目からは、そういった世界をばっさり切り捨てるかのような響きがある。そう言えば、「いいじゃん」について井手自身がなにか書いていたなということを思い出し、Facebook、Twitter、Instagramを探してみたがどうしても見つからなかった。この文章を書き始めてから、ファンクラブメッセージというものがあったことを思い出して見てみると、5月5日の「いいじゃん」発売の告知として、5月1日に投稿されたものにまさにぴったりなことが書かれていた。

《私は自分の曲に対して、言葉や背景は綺麗であるべきとか、誰もが頷くことを書くべき、と思っていたんですが、人間そんなに完璧ではいられないし、不完全なところにこそ愛らしさがあったりするなあと思ったりして》

有料会員だけが読めるものなので引用は一部だけだが、「いいじゃん」の4行目から6行目は作詞論だったのではないかとさえ感じられる。そして、曲の冒頭の比喩が意味することもここにはっきりと書かれている。

 

逆に、このファンクラブメッセージを見直したおかげで、17行目から19行目の「視界は良好?/歪な心に尋ねても意味ないよ/あれこれ悩むより揺れていたいな ah」の「歪な心」の持ち主が誰かもわかった気がする。特定の誰かではなく誰もがそうなのだということではないだろうか。「歪」という言葉からはかなり強いマイナスの力が引き出されるが、「完璧ではいられないし、不完全なところにこそ愛らしさがあったりする」人間に良好な視界を求めても確かに意味はない。「あれこれ悩むより揺れていたい」というのもいい言葉だと思う。「悩む」のは正解がほしいからだが、正解なんてないよと思えば「揺れ」を楽しめる。「鮮明な世界」を完全に捨てる必要もないということになるのではないだろうか(「鮮明な世界」だけを求めるということはなくなるだろうが)。

そしてほとんど最後のところに「ほら眼鏡外してキスしよう」という歌詞が入っているのが心憎い。夜、車に乗っている恋人同士はいつまでも車で走っているわけではない。キスをするというのはある目的地に着いたということだ。キスをするときに眼鏡を外すのは当たり前のことだが(実際、目もつぶるものだが)、冒頭の「テールランプもイルミネーションみたいだ」という歌詞の残響も聞こえてくる。つまらないかもしれない?相手がずっとすばらしく感じられ、いい時間がやってくるのである。そういう時間の流れを短い曲のなかで感じさせるのは見事な手腕だと思う。

このように見てくると、井手綾香のシンガーソングライターとしてのキャリアにおいて「いいじゃん」はかなり重要な曲だったのだろうと思われる。改めてこの1年弱に起きたことを思い出すと、3月ではなく7月(彼女の誕生月らしいが)に11周年コンサートを開き、そこで自主制作のミニアルバム『stepping stones』の発売を発表し、8月から3月まで毎月1回ずつゲストも呼びながら主催ライブを開催し、そのライブの10月の回に「いいじゃん」を発表し、ワンマンで開催した最後の3月に配信シングル「いいじゃん」のリリースを発表して、nikieeとのふたりライブをふたりで主催するとともに、その他各地のイベントに出演しているということになる。それまでの数年と比べればとても盛り沢山だ。

私たちオーディエンスは、そういう時間感覚で彼女の新曲に接してきたわけだが、井手自身の時間はおそらく違うだろう。『stepping stones』に入れた曲は、「琥珀花火」以外、おそらく2020年頃から2022年の始め頃までに書き溜められてきたはずだ†。ひょっとすると、曲は出てきても歌詞が出てこないという時期があったのかもしれない。いずれにしても、そうやって書き溜めた曲で音源を作るというところまではどうもなかなか吹っ切れないでいたのではないかという気がする。ところが、2022年3月から7月までの間に「いいじゃん」が生まれて新たな視界が開けた。「いいじゃん」までのstepping stonesを示すという形でミニアルバムを作り、3月にやらなかった11周年ライブを7月にやって、そこから始まる1年ほどのプランを立てた。何が言いたいかというと、stepping stonesという言葉は、すでに「いいじゃん」ができている時点で、それまでの過程を表すために出てきたのではないかということだ。すべては「いいじゃん」から始まり、「いいじゃん」を前面に押し出すための1年がかりの準備だったのではないかという気がする。

もちろん、こういう想像はほとんど外れるのが普通であり、当たっていたとしてもだから何? というようなものだ。しかし、あれこれ想像するのは楽しいし、そういった想像を引き出す力を持った作品に触れられるのはファンとしてうれしい。前稿の最後のところで、「生きてきた年輪を感じさせる井手綾香の曲を聴いてみたいものだ」などと生意気なことを書いたが、まるで井手がその呟きを聞いて望みをかなえてくれたような気までしてくる。昨年10月に初めて聴いたときには「いいじゃん」がどのような意味を持つ曲かということが全然わからなかったが、5月のリリースにともない、歌詞が公開されて、ようやくそれを想像できるようになった。

3月のライブでは、ほかにも新曲がいくつも披露された。私が聴きに行けていないライブでも、それら(ひょっとしてそれら以外も?)が歌われているらしい。歌詞も見られる形でそれらをじっくり聴けるときが来るのを楽しみに待っている‡。

とは言え、自主製作CDで歌っているものであり、井手自身が自分で歌詞を書いても同じような内容になるというぐらいの近さはあるはずだ。

 

 

† 「琥珀花火」はフリーになる前からライブでは歌ってきたと過去のライブのMCで彼女自身が言っていたのを聞いた記憶がある。それから、「CANDY」は「いいじゃん」ができたあとで作ったものかもしれないという見方もできると思う。

‡ この文章は最初の部分とあとの部分とで何か空気感が違うんじゃないかと思われたかもしれない。それはそう感じるのが正しい。書き始めたときには、こういう形で終わるとは想像もしていなかった。書いている途中で、気になるファンクラブメッセージを再発見してから空気が変わった。筆者としては、その揺れも含めて記録しておこうということだ。

 

 

 

共犯

 

長尾高弘

 
 

どうしたものか
おそろしく神経過敏な子に
育ってしまった。
女の子だけど、
男性を受け付けない。
夜の街でたまたま遊んだ相手は、
女だと思っていたら、
女装していた男で、
ふたりになったときに、
本性を現して襲ってきた。
なすすべもなく犯された。
帰ってきた子にその顛末を聞いた。
涙が止まらなかった。
娘は絶対に許さないと言っている。
止めても止められないことは
わかっている。
自分たちの子どもなのだから。
ひとりで刑務所に入っていくのを
見送るなんて親として忍びない。
私たちもいっしよに入ろう。
自分たちにできるのはそれだけだ。
そんな話だったのかもしれないし、
そうではなかったのかもしれない。
他人にはわからないことだ。
ここでひとつ問題がある。
親たちが手助けしようと、
妨害しようと、
結果は同じだったとする。
その場合、
幇助行為は結果に大きく寄与したとは
言えないのではないか?
(返り討ちに遭わないように
 的確な指導をしたとすれば、
 結果に影響はあるが、
 とりあえずそこは置いておいて)
それでも、
娘の殺人行為を手助けしようという
意思は明確にある。
その意思を処罰しなければ、
社会は秩序を保てないのではないか?
結果無価値か行為無価値かという
刑法理論の大きな対立点と
関係があるようなないような……
当人たちには
どうでもよいことかもしれないが、
社会としては白黒つけなければならぬ。
社会としてはね。

 

 

 

おじさんは総理大臣

 

長尾高弘

 
 

総理大臣の一族が総理公邸で忘年会をやってた。
そのときの写真が流出して世の中がもめた。
そんなことをやっていいのか悪いのかって言えば
悪いに決まってる。
でも、その前に言っときたいことがあるんだよな。
総理たるもの、
そんな状況で写真に収まってていいのかよ、
ってことだよ。
写真なんか撮ってなけりゃあ、
得意の減らず口で何とでもごまかせただろうに、
写真が流出したからぐうの音も出やしない。
コンビニのおでんの具材を口に入れて出したアルバイトとか、
回転寿司で寿司や醤油差しをペロペロなめた客とか、
わざわざ動画を公開したからバレたわけだけどさ、
その点ではそういう連中と変わらないのが
このニッポン国の総理とその親族ってことだよ。
誰かがうっかり写真を撮っちゃっても、
決してそれを流出させないってぐらいの常識が
参加者全員にあればまだいいよ。
でも、本当なら禍根のもとはもっと根本のところから取り除いておくべきだろ。
公邸に入るときに全員のスマホとカメラを取り上げろってことだよ。
それができないなら、公邸で宴会なんかするんじゃねえよ。
なのに総理が写真に写っててどうすんだよ。
危機管理ってやつの初歩中の初歩ができてないってものさ。
これはおっそろしいことだよ。
こいつが中国、朝鮮、ロシアに
何かと挑発的な態度を取ってることを考えてみろよ。
ロシアとウクライナの戦争でも、
アメリカの息がかかった遠いウクライナを絶賛大応援して、
北海道のすぐ目の前に領土があるロシアと露骨に対立してるけどさ、
なんで日本は憲法前文に書かれているとおり、
中立を守りますって言えねえんだよ。
アメリカが今度は台湾をネタに中国を叩こうと思ったら、
ウクライナがロシアに領土を取られてるのと同じように、
日本は中国にボコボコにされるんだよ。
二言目には国土防衛だの安全保障だのとわめいて、
社会保障費を削って防衛費を二倍にするんだとか息巻いてるけどさ、
この危機管理の「か」の字も「ん」の字も「り」の字も知らない
「き」の字だけのバカを総理大臣にしといて
安全が保障されんのかよ。
なんで、マスコミがそういうことを言わねえんだよ。
倫理だとか責任感だとかそういうこと以前に、
バカすぎるんだよ。
こんなやつが総理大臣で
枕を高くして寝てられるかってんだよ、べらぼうめ!

 

 

 

ある提案

 

長尾高弘

 
 

(以下は一種の文学作品のようなものとして読んでいただけると幸いです。つまり、書かれていることをあまり真に受けないようにしていただきたいということです。しかし、今問題になっていることについて考えるきっかけにしていただければ幸いです)

 

安全保障環境の悪化に対処するために、
敵基地攻撃能力を始めとする防衛力の整備・強化が不可欠だって意見が、
国民の多数を占めてるんだってさ。
そのための財源を増税に求めるか、
赤字国債のさらなる発行に求めるかでは、
争いがあるそうだけど。
要するにより小さい争いを前面に出して、
しかももっぱら政府与党関係者を画面に登場させて、
一般市民が軍拡反対を唱えるのを封じてるってわけさ。
この勢いなら、
先の大戦に負けたときの不戦の誓いなんてどっかに吹っ飛んで、
きっと、
戦争を始めるんだろうなあ。
そこでちょっと提案があるんだけど、
どうせ戦争するなら、
悔いのない戦争になるように、
ひとつ法律を作ったらどうかな。
それは、
開戦前に、
最終確認として、
自衛隊の戦争、じゃなくて防衛出動に賛成か反対かを、
国民投票してもらうってものさ。
賛成が過半数を占めたら、
そりゃあもうしょうがない。
どうぞ好きなだけ戦争、いや防衛出動だっけ、それをやってください。
ただし、
自衛隊に召集されて防衛出動に参加するのは、
国民投票で賛成した人だけとします。
だって、
戦争反対の人が戦争に行っても、
もともとやる気がないんだから、
何の役にも立たずに死ぬだけで、
それは犬死にってものでしょう。
それは憲法97条で
「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託された」
と謳われている基本的人権を侵すことであり、
絶対にやっちゃあいけません。
やる気がある人だけで戦争するのが
合理的ってものですよ。
ただ、この法律にはちょっと難点があるよね。
普通の選挙の投票なんかでは、
誰が誰に投票したかがわからないから、
投票者の自由意志が保障されるわけだけど、
この防衛出動賛否投票では、
投票内容がわからないと、
その人が防衛出動参加不適格者かどうかはわからない。
だから、
投票用紙を見ただけでは誰がどっちに投票したのかがわからないようにしつつ、
自衛隊に召集された人のうち、
防衛出動反対の人だけは、
反対投票をしたことが証明できるような手段を考え出す必要があるわけ。
たとえば、
投票時に全有権者に一意なIDを発行し、
そのIDが印刷された紙に賛否をマークして投票するとともに、
同じIDが印刷された控えを持って帰れるようにする。
もちろん、投票事務を司る人々であっても、
個々人に発行されたIDがどんな数字かはわからないようにする。
同じ投票所に類似のIDが集中しないように、
ID発行マシンはランダムな数値を発行するようにしなければならない。
投票用紙、控えとも、お札のように偽造できない紙を使う必要があるよね。
で、反対投票者が自衛隊に召集されたときには、その控えを持っていく。
投票結果は全部暗号化されたデータベースに保存してあって、
スキャンした控えのIDと投票用紙のIDを照合して、
賛否を確認する。
まあ、敗戦前の言葉で言うところの徴兵検査は必要だろうから、
その最後で照合をすればいいんじゃないかな。
で、照合をしているかどうかは誰も見られないようにする。
投票内容と身体検査等々のどちらで参加不適格になったかわからないようにするわけ。
こうすれば、投票で反対した人でも、
健康上の問題などがなくて照合をしなければ、
戦争に参加できるよ。
そして、反対投票した人の安全が保障されるような措置も必要だ。
たとえば、控えをこれ見よがしに捨てていくようなことは罰則を設けて禁止する。
戦争に積極的な人たちは、
往々にして、
戦争に反対する人たちを非国民扱いしがちだけど、
負ける戦争を無理やり始めようとする人たちの方が、
国を愛する気持ちが弱いっていうものじゃないのかねえ。
そういうときは反対するのが本物の勇気ってものだよ。
まあ、この仕組みにはきっとボロがあるだろうけど、
頭のいい人たちがよく考えたら、
一見不可能に見えるこの条件も可能にできると思うよ。
こういう制度が実現できたら、
先の大戦のように短慮で防衛出動、いや戦争を始めるようなことは少なくなるんじゃないかなあ。
だって、防衛出動の決定に対して
国民一人ひとりが責任を取ることを迫られるわけだからね。
なかなか賛成投票はできないでしょ?
もちろん、国民投票の発議に賛成した国会議員の反対投票は無効です。
誰よりも先にお国のために戦ってくださいね。

 

 

 

村岡由梨詩集『眠れる花』
詩の言葉が生まれる瞬間

 

長尾高弘

 
 

 

1

 浜風文庫で村岡さんの詩を初めて読んだのはいつだったかもう忘れてしまったし、どの作品を読んだのかも覚えていないが、これはすごいと思ったことは間違いなく覚えている。近頃なかなかない衝撃だった。今年(2021年)の春にちょっとしたきっかけでFacebookの友だちにしてもらって、6月13日に映像個展〈眠れる花〉を見に行き、そこで初めてちゃんと挨拶し(村岡さんの方から声をかけていただいたんだけど)、会場で売られていた小詩集『イデア』を買って読んだ。
 7月に刊行された詩集『眠れる花』は2部に分かれていて、1には小詩集『イデア』がそのまま収められている。2は「イデア、その後」となっているが、1の3倍ほどの分量がある。詩集を開いて目次を見たとき、このアンバランスな分け方はどういう意味なのかとちらっと思った。しかも、短いセクションには「イデア」という明確なタイトルがあるのに、長い方は「イデア、その後」という自立していない感じのタイトルになっている。もっとも、そこにこだわっていてもしょうがないので、作品を何度も読んだ。読んでみて、ちょっとわかったことがあった。
 周知のように村岡さんは映像作家として知られ、国際的な賞をいくつも受賞されているのだが、初めて映像作品を作られてから20年近くたって、なぜ詩という表現手段にも進出されたのかは、私でなくても誰もが興味を持つところだろう。驚いたことに、この詩集にはその答え、とまでは言わなくてもヒントが書かれている。それもひとつではなくふたつある(いや、3つか?)。
 ひとつ目は、「イデア」の部分にある。「しじみ と りんご」の最終連(とその前の連)だ。

   死なないで、しじみ。
   これ以上大切なものを失いたくない。
   ただそれだけなのに
   小さな赤い心臓も、グリーンの目も、白くてやわらかな胸毛も、
   いつか燃えて灰になってしまう。
   後に残るのは、始めたばかりの拙い詩だけだ。

   それでも、私が言葉を書き留めたいのは、
   決して忘れたくない光景が、
   今、ここにあるから。
   もう二度と触れることが出来ない悲しみでどうしようもなくなった時、
   私は何度もこの詩を読み返すんだろう、と思う

 その名も「イデア」という作品に〈永遠に続くと思っていた関係にも/いつか終わりの時がやってくる。〉という2行があるが、この詩集ではすべてがいずれ失われるという思いがあちこちで吹き出している。完全に取り戻せるわけではなくても、言葉はその失われたものを思い出すための手段になる。
 もっとも、作品「イデア」には、次のような行もある。

   永遠に続くものに執着して
   何かを失うことを畏れて悲しんで
   壊れてしまった家族の記憶と、壊れそうな家族と
   瀕死の飼い猫についての映画を撮った。

 つまり、失わないため、あるいは失われたものを思い出すための「映画」もあるわけだ。それでは映像だけではなく詩に進出したのはなぜかという素朴な疑問への答は再びわからなくなってしまうが、もはやそんなことはどうでもよいような気もする。あえて言えば、詩の方が適したものと映像の方が適したものがあるというようなところなのではないだろうか。
 それは、初めて詩の言葉が吹き出したとき、つまり、この詩集の冒頭の2篇を読めばなんとなくわかるような気がする。それぞれ、詩集のタイトルにもなった眠(ねむ)と花(はな)のふたりのお嬢さんのことを描いているが、冒頭の1行がどちらも波乱含みになっている。

   このところ、娘のねむとの会話がぎこちない。
           「ねむの、若くて切実な歌声」

   夫とケンカした夜のことです。
           「くるくる回る、はなの歌」

 ところが、「ねむの、若くて切実な歌声」では3連目から、「くるくる回る、はなの歌」では次の2行目から、ふたりのお嬢さんがその暗い気分を吹き飛ばしてくれる。それはやはりかけがえのない瞬間、絶対に忘れたくない瞬間だろう。冒頭の暗雲を吹き飛ばしてくれただけに、その瞬間の大切さは際立ってくる。
 その大切な瞬間を映画という形で残すにはどうすればよいだろうか。まさかもう一度その瞬間を演じ直して撮るわけにはいかないだろう。思いがけないことだったから心を動かされたわけで、脚本を作って演じたのでは、予想外だった、思いがけないことだったという大切な部分がなくなってしまう。しかし、言葉で書けば、思いがけない喜びをそのまま再現できる。言葉と映像には、そのような違いがあるような気がする。
 もっとも、最初からそういうことを意識して詩を書くことを選んだということではなさそうな気もする。というのも、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉という気持ちは、この2作では明示的には書かれていないからだ。もちろん、単に詩の流れのなかで、そういう言葉の出番がなかっただけなのかもしれないが、そういうことではないような気がする。
 そもそも、「ねむの、若くて切実な歌声」は、詩を書こうとして書かれた言葉ではないようにさえ思える。書き留めて形にしないではいられないような言葉が生まれ、それがどんどん頭に溜まっていき、悪戦苦闘してやっと書き留めたとき、初めてそれが詩だったことに気づいた、というようなことではないかという気がしてならないのである。ひとりの人のなかで初めて詩が生まれるというのは、そういうことなのではないだろうか。詩のなかに、ねむさんが歌った様子を描写した次のような4行があるが、

   最初は、はにかみながら
   途中吹っ切れたように、

   ねむが、まっすぐ前を見据える。
   歌声が、大きくなる。

これはまるで村岡さんのなかで詩が初めて生まれてこようとしているときの比喩のようにも感じられる。〈切実な歌声〉なのだ。
 それに対し、2作目の「くるくる回る、はなの歌」は、すでに詩を書こうとして書いた作品になっているように感じる。それは、先ほど引用した冒頭の1行のほか、〈よく回転する姉妹です。〉という行で、ですます文が使われているからだ。読んでいてこのふたつのですます文のところにさしかかるたびに、作者が読者としての私に語りかけてくるような錯覚に陥る。このような語りかけは、最初から作者に詩を書く、人に見せる作品を書くという意識がなければ出てこないだろう。実際、1作目以上に作者の意図(はなさんのことを書く)がはっきりと感じられる。回転寿司に側転という回転続きのエピソードに対し、一見回転とは関係のなさそうなエピソードもあるが、回転とは空気を瞬時に変えてしまう意外性のことかと考えればなるほどと思い、描かれているはなさんのイメージの鮮やかさと爽やかさが印象に残る。
 「しじみ と りんご」はこの2作が書かれたあとの3作目である。この作品は、いつ死んでも不思議ではない重い病気を抱えた猫に、不死身という言葉から〈しじみ〉という名前を付けて、〈死なないで、しじみ。〉という、あえて言えば絶対にかなわない願いをかけるという矛盾を抱えている。最初の2作を意識的、または無意識的に踏まえた上で、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉という言葉が出てくる必然性があるのではないだろうか。
 小詩集『イデア』の掉尾を飾る作品「イデア」では、このような思いに「イデア」という名前が与えられる。常識的に言えば、「イデア」とは、生まれては消えていく現象とは異なり、そういった現象を生み出す根拠となる決して消えない本質的な存在としての観念というようなことだろう。しかし、村岡さんの「イデア」は、永遠に続くものなどないという断念を前提とした上での、〈永遠に続くもの〉への〈執着〉、〈何かを失うこと〉への〈畏れ〉(「恐れ」ではないことに注意したい)と〈悲し〉みという人としての思いらしい。
 しかし、この作品には、〈「君が今日まで生きてきて、この作品を作れて、本当に良かった」〉という〈野々歩さん〉の言葉と、〈私には一緒に泣いてくれる人がいるんだということに気が付いた〉という暗闇の出口から差す光がある。〈時間の粒子が流れるのが、一つ一つ目に見えるよう〉だという〈いつかの魔法〉の世界の美しさには目を瞠る(今まであまり触れてこなかったが、技術的な巧さも相当のものだ)。ここで小詩集『イデア』の世界がよい形でひとまず完結し、全体に「イデア」という名前が与えられるのは納得できる。
 ところがそのしじみが、次の作品(「しじみの花が咲いた」)が書かれた2か月後までの間に死んでしまう。

   野々歩さんは身をよじらせて、声をあげて泣いた。
   慟哭、という言葉では到底表しきれない
   言葉にできない何かが
   何度も何度も私たちを責めるように揺さぶった。

この4行に込められた悲しみの深さは、一読者の胸にも響くものがある。さらに、荼毘に付されてほとんど灰になったしじみを見て、〈私は言葉を失〉い、それからのひと月は〈空っぽ〉になってしまう。〈空っぽだった心〉に新たな〈気持ちが芽生えてきた〉のは、亡くなったしじみにかぶらせた花冠と同じヒナギクを庭に植え、その花が一輪咲いたときだった。ここで詩を書く第2の理由が生まれる。

   「言葉にできない気持ちを言葉にするのが詩なのだとしたら、
   もう一度、言葉に向き合ってみよう。」

しじみを失って言葉を失った〈私〉には、まもなく〈しじみの花〉も枯れてしまうという試練がやってくるが、もう言葉を失ったままにはならない。

   わからないまま
   今日もレンズ越しに、言葉を探している。
(中略)
   答えのない問いを、何度も繰り返しながら。

 これで詩は村岡さんにとってはるかに大きな存在になったと思う。あえて言えば、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉ということなら、詩が必要になるのは特別なときだけに限られるだろう。そういえば詩を書いていた時期もあったなあという人は、詩のない生き方は考えられないという人よりもずっと多いはずだ。〈言葉にできない気持ちを言葉にする〉ために〈答えのない問いを、何度も繰り返しながら〉〈言葉を探〉すということになると、詩は生きることの中心に関わってくることになる。詩集のふたつの区分のうち、「イデア」が〈言葉を書き留めたい〉という時期、「イデア、その後」が〈言葉を探している〉時期だとすると、後者の方がずっと多いのは当然だと思う。

 

2

 もっとも、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉という思いがはっきりと言葉になったのが3作目だったのと同じように、〈言葉にできない気持ちを言葉にする〉ために〈言葉を探〉すという作業は、すでに「イデア」の時代から行われていたようにも思う。それは、「イデア」の部で今まで触れてこなかった「未完成の言葉たち」と「青空の部屋」の2つの作品で顕著に感じることだ。
 「未完成の言葉たち」は、タイトル自体が言葉を探した戦いの跡だということを示しており、4つの断章から構成されている。「1 「旅」」は、次の4行から始まる。

   いつかバラバラになってしまう私たち
   今はまだ、そうなりたくなくて
   必死に一つに束ね上げ
   毎夏、家族で旅に出る。

 最初の3行で「しじみ と りんご」までの3作に漂っていた不安を言語化しており、この不安が作品全体を覆うことになる。最初の3作にも不安はあるが、その不安を吹き飛ばす要素が出てくる。しかし、「未完成の言葉たち」では「1 「旅」」のなかのはなさんの笑い声ぐらいしか救いがない。その笑い声も、〈いつかバラバラになってしまう私たち〉の予兆として描かれていると思う。最終連の〈遠く離れて撮っている私〉は、頑張ってもいずれバラバラになってしまうという思いに駆られているように見える。
 ただ、ここでかすかな疑問が浮かぶ。家族の絆というものが案外もろいものだということは事実だとしても、いずれかならずバラバラになるとまで思うのは、ちょっと度を越しているのではないだろうか。少々ごたごたすることがあっても、家族の絆を疑わない人もいる。家族の絆がもろいという思いは、かつて家族が壊れたことがあるという経験があるからではないだろうか。
 詩「イデア」では、村岡さんにとって11本目の映画『イデア』(映像個展〈眠れる花〉でも上映された)のことが触れられているが、〈壊れてしまった家族の記憶と、壊れそうな家族と/瀕死の飼い猫についての映画〉だと要約されている。実際、「1 「旅」」に書かれている秩父旅行は映画『イデア』に含まれており、赤紫色の花も、自分以外の3人を少し離れたところから撮っているショットもある。「2 「夜」」は、この詩集で初めて出てくる暴力的で残酷なシーンだが、〈お母さん〉が出てくることからも、〈壊れてしまった家族の記憶〉だと考えられるように思う。〈私〉と〈あの女〉と〈お前〉がいるが、全部同じで自分のことを指しているのではないだろうか。
 「3 「空」」は〈――未完成――〉と書かれているが、この詩集は、作品が完成したかどうかにかかわらず、書かれたものを次々に突っ込んで作られたようなものではない。実際に印刷された本になったものと、最初に発表された浜風文庫のものとでは、いくつかの作品で異同がある。だから、〈――未完成――〉というスペースホルダーを置いていることには何らかの意味があるはずだ。たぶん、次の「青空の部屋」がこの「3 「空」」にあたるものなのではないのかと思う。ただ、「青空の部屋」として完成したものはもう「未完成の言葉たち」の枠には収まりきらなかったようだ。
 「青空の部屋」は、「未完成の言葉たち」の「2 「夜」」と「1 「旅」」のふたつの家族をつなぐ時期のことを書いているように感じられる。壁紙として選んだのは青空だが、学校にはほとんど行っていないという。〈夜が更けて/私がいた部屋は光が無くなり真っ暗闇になった。〉とあるので、青空の壁紙の部屋にずっと籠もっていたのだろうか。天窓から本物の青空は見えたようだが、一見開放的な青空の壁紙のなかで閉じこもっているという矛盾がある。実際、感じていたのは〈自分の精神と魂が互いの肉体を食い潰していく激しい痛み。〉だ。そして〈「白と黒の真っ二つに切り裂かれるアンビバレンス」〉と自己規定している。

   この時期、私と私の核との関係は、
   ある究極まで達したけれど、
   それと引き替えに、
   私の時間的成長は、15歳で止まってしまった。
   私が発病した瞬間だった。

これは恐ろしい言葉だ。〈ある究極〉とは、自分は〈「白と黒の真っ二つに切り裂かれるアンビバレンス」〉だとわかってしまったということなのだろうと思うが、それは安心が得られる自己理解からはほど遠い。そして、そこで止まってしまったというのである。そこは、言葉の見かけとは裏腹に固く閉ざされている牢獄のような「青空の部屋」だ。
 「青空の部屋」をこのように読むと、「未完成の言葉たち」の「4 「光」」を読む糸口が見えてくるように思う。何しろ、この部分は〈もう鎖は必要ない。〉という解放の瞬間を歌っているからだ。しかし、〈けれど、もうすぐ私は私の体とさよならする。/真の自由を手にするために〉という自殺の示唆は、本当の解放なのだろうか。
 もちろん、そうではないだろう。〈やがて「青空の部屋]で死んでいくんだろう。〉という行を含む「青空の部屋」が「未完成の言葉たち」の「3 「空」」の位置に入るのではなく、「未完成の言葉たち」の「4 「光」」のあとに続く別の作品になったのは、自殺すれば解放されるわけではないという考えに落ち着いたからではないだろうか。そして、このように考えていくと、次の詩作品「イデア」の先ほども引用した次の箇所がとても大きな意味を持っていることを感じる。

   いつもは何かと注文をつけたがる野々歩さんが、
   「君が今日まで生きてきて、この作品を作れて、本当に良かった。」
   と言ってくれた。
   その言葉を聞いて、
   私には一緒に泣いてくれる人がいるんだということに気が付いた。

 

3

 長くなったが、〈言葉にできない気持ちを言葉にする〉ために〈言葉を探〉すということが『イデア、その後』よりも前から始まっていたという話だった。先ほども触れたように、「イデア、その後」では、そのような作業がさまざまな方向に向かって行われていく。言葉を必要とするあらゆるものが次々に詩の題材として取り上げられているように感じる。そして、それは見事に成功して、さまざまなものが言葉を見つけて村岡さんの詩の新しい領土になっていく。
 ただ、それらのなかでも私には読者として特に気になるテーマがひとつある。それは〈お父さん〉のことだ。『イデア』のなかですでに始まっていた〈言葉を探〉す作業が直接つながっているのは、このテーマだと思う。そして、このテーマは村岡さんをもっとも苦しめているテーマでもあるようだ。
 一冊を読み終えたときに強い印象を残す〈お父さん〉だが、初めて出てくるのは意外と遅い。「イデア、その後」のなかの「クレプトマニア」で、全体の9作目である。それに対し、〈お母さん〉は「イデア」に含まれている全体としては3作目の「しじみ と りんご」で登場し、「未完成の言葉たち」や「青空の部屋」でも登場している。そして、「クレプトマニア」での〈お父さん〉の初登場のしかたは異様だ。
 クレプトマニアとは病的に窃盗を繰り返してしまうことである。最初の6連、2ページ半は〈私〉が繰り返したそのような食べ物の窃盗と〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉というテーマで進んでいく。正確に言うと、2連から5連までは窃盗の記憶と罪の感情であり、窃盗が見つかった破局的な場面の記憶であり、〈あなた〉が〈私〉を〈メッタ打ち〉にしたあとで〈きつく抱きしめ〉た記憶で、非常にはっきりとした映像が目に浮かぶ(〈あなた〉に対する告白という形で全体が「ですます」調になっているからということもあるだろう)。
 「クレプトマニア」というタイトルの詩だが、クレプトマニアの話はこの5連で終わってしまう。何しろ5連で〈それ以降、私はパタリと盗みをやめました。〉と言っているのだから、非常にきれいに終わってしまう。本当のテーマはクレプトマニアではないのではないか。実際、不潔で醜い男たちとの性交、しかもその男たちは自分であるというという1、6連のテーマの方がクレプトマニアのテーマよりも映像がはっきり見えて来ない分、深いのではないかと感じさせられる。窃盗癖は克服できた〈けれど私の外形は醜いまま〉。克服できないものがあると言っている。
 正直なところ、私には〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉と窃盗のつながりがよくわからない。たぶん、作者には切実なつながりがあるのだろうとは思うが、むりやりこじつけて考えてもあまり意味がないような気がするし、そこまで踏み込まない方がよいような気もする。あとで(16連)、〈切れない刃物でメッタ刺しにされているような気分。〉という〈夫〉の感想が紹介され、なるほどと思わされるが、そのような感想になるのは、外からは本当の核心がよく見えないからだろう。
 7連では1、6連の〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉の身の置所のなさから〈お母さん〉に助けを求める。ちなみに、2連から5連までの間にも親である〈あなた〉が出てくるが、この〈あなた〉は〈お母さん〉とは呼ばれていない(あとで触れるように、〈お母さん〉であることは間違いないが)。しかし、7連で〈お母さん助けて〉と悲鳴を上げたあとの8連では、生まれた家での家族が列挙される。

   お母さん、お姉ちゃん、弟、お父さん。友達。
   たくさんの人たちを傷つけながら生きてきた。」
   私の生活は今、
   たくさんの人たちの不幸の上に成り立っている。

 家族の列挙の仕方として〈お父さん〉を最後にするというのはなかなかないことだが、その後の「家族写真(抜粋)」で父親はほかの女性と別の家庭を築いたことが明かされ、なるほどと思うことになる。これだけ多くの人を列挙しているが、9連から11連は〈お父さん〉の発言と〈お父さん〉への謝罪と〈私〉の応答で、ほかの人たちは登場しない。しかも、その〈お父さん〉の発言は、人の親としてまったく信じがたいものである。

   「お前たちは育ちが悪い」
   「由梨はヤク中」

 最初の1行は、子ども全員を切り捨てるだけでなく、〈育ちが悪い〉という表現で母親も侮辱している。次の1行は、最初の1行よりももっと強い言葉で由梨さん個人を侮辱している。ここで〈たくさんの人たちを傷つけ〉ているのは、〈私〉ではなく〈お父さん〉なのである。しかし、〈私〉は〈お父さん〉に謝ってしまう。

   お父さん、誇れるような人間でなくて、ごめんなさい。

   お父さん、私のことが嫌いですか?
   私は、私のことが嫌いです。

 9連2行目の部分に対して〈私〉が謝るのはまだわかるが、これでは1行目で侮辱された母と姉、弟は救われない。
 先ほど、〈夫〉の感想について触れたが、この詩はもとの詩とそれに対する感想の両方から構成されている。〈夫〉の感想が入っている16連の冒頭は〈この詩を一気に書き上げて、〉という1行なので、もとの詩の部は15連までで、それに対する感想の部は16連以降のように見える(実際、浜風文庫で発表された初出形では、15連と16連の間に3行分ぐらいの空行が入っていた)。12連から15連は、9連から11連と同じように、〈私〉以外の人(ふたりの娘さん)の言葉に対する〈私〉の反応であり、詩のリズムとしては9連から11連とうまく響き合っている。
 しかし、内容から考えると、11連までの登場人物は結婚、出産前の家族だったのに対し、12連以降からは新しい家族が登場している。そして、12連から15連でふたりのお嬢さんが発する言葉は、11連の2行目、〈私は、私のことが嫌いです〉に対する反応である。お嬢さんたちがこの詩の前の部分を読んでいるのか、母親がこの詩と関係のないところでときどき口にする(のではないかと想像される)〈私のことが嫌い〉という言葉に反応しているのかは明確には示されていないが、16連の〈夫〉の感想のあと、17連以降でふたりのお嬢さんが〈私〉を抱きしめるところが描かれているので、彼女たちも11連までの全部を読んだのかもしれない。
 いずれにしても、ここで言っておきたいのは、11連までで前後を区切って読むと、この詩を読む上で何かと役に立つということである。15連までで区切って読むと、12連から15連が11連までの毒を洗い流してくれるというシンコペーションのような効果があるが、逆に11連までが訴えていた苦しみが見えにくくなる。言いにくいことを断片的に言葉にしながら、辛さの根源が〈お父さん〉にあることにようやくたどり着いたことがぼやける。それは、ぼやけるように書いたということでもあるのだろう。
 作者にとって、この詩はたぶん「もとの詩」よりも「感想」に意味があると思う。16連で夫の感想に反応したあと、次の3行がある。

   決して虚構を演じているわけではないけれど、
   私の中に詩という真実があるのか、
   詩の中に私は生きているのか。

どう読んだらよいか、なかなか迷うところだ。仮に「もとの詩」は11連までだったとして、クレプトマニアにしても〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉にしても父親の言葉にしても、そうですよね、そういうこともありますよね、と簡単に納得できる話ではない。〈私の中に詩という真実があるのか〉という言葉からは、〈私〉の真実は〈私〉以外の人には伝わらないのかという苛立ち、〈詩の中に私は生きているのか〉という言葉からは、〈私〉は本当に生きているのかという不安を感じる。
 しかし、次の17連でふたりのお嬢さんに抱きしめられ、次の4行が生まれる。

   幼い頃の大きな渦に飲み込まれたまま
   いつしか私は
   抱きしめるだけではなく、
   抱きしめられる立場に、また、なっていた。

〈あなた〉に抱きしめられてクレプトマニアから卒業できた5連がここで想起される。かつて子だった〈私〉は母になっており(ここで5連までの〈あなた〉が〈お母さん〉であることは間違いないと判断できる)、ふたりの子を抱きしめているが、またふたりの子に抱きしめられてもいる。

   その瞬間、
   間違いなく詩の中に生きていた。
   詩の中に生きていた。

という最後の3行からは、本当に生きているという充足感が伝わってくる。しかし、〈その瞬間、〉という限定と過去形からは、その充足感がいつまでも続くわけではないという思いも感じられる(実際、母に抱きしめられてクレプトマニアから卒業できた5連のあとの6連は〈けれど〉で始まって、〈醜い私を愛してくれる人など、いるわけもなく/私は私を愛するしかなかった。〉という閉塞に引き戻されている)。
 〈お父さん〉のことに話を戻そう。先ほども触れたように、「クレプトマニア」の「もとの詩」を11連までだと考えると、辛さの根源が〈お父さん〉にあることがはっきりする。〈「お前たちは育ちが悪い」/「由梨はヤク中」〉の2行だけでも相当なものだ。しかし、当事者ではない読者としては、もう少し手がかりがほしい。先ほども触れた「家族写真(抜粋)」には、次の3行がある(タイトルに「(抜粋)」とあるのは、浜風文庫の初出では、“”で囲まれた部分の後ろに家族写真を燃やしたことへの後悔の言葉が続いているからである)。

   精神を病み、大量服薬を繰り返した私を、軽蔑していた父。
   私の母ではない女性たちとの生活に安らぎを見出した父。
   腹違いの弟たち妹たちの方が優秀だ、と言って自慢する父。

「クレプトマニア」の〈「由梨はヤク中」〉の1行の意味がここで明らかになり、〈ヤク中〉という言葉の酷さがさらに激しく感じられる。そして、〈父〉が家族を捨てたこと、もとの家族をどのように侮辱したかもわかる。しかし、「透明な私」の次の3行の方が、〈お父さん〉に対する感情をよく伝えてくれるかもしれない。

   ゆりはどこだ!ころしてやる!
   おとうさんが、わたしをさがしてる。
   わたしは、いきをひそめて、かくれてる。

もっとも、これは一度ならず見ている〈怖い夢〉で、おそらく実際にそういうことがあったわけではないだろう。ただ、父親に対してとてつもない恐怖心を抱いていたのは事実だと思う。以上以外で〈お父さん〉が明示的に出てくるのは、「昼の光に、夜の閣の深さが分かるものか」の「3 由梨」だけである。

   だいぶ前、東京拘置所にいた父と手紙のやりとりをしたことがあって、
   その中に、父から届いたこんな言葉があった。

   「由梨が小さい頃、自分の鼻を指差して『パパ、パパだよ』って教えていたら、鼻=パパだと勘違いしたらしく、
   由梨の鼻を指差して『パパ、パパ』って言ってたことがあった(笑)。」

   それを読んで、
   怖かった父のイメージが完全に覆るまではいかなかったけれど、
   私の中で何かがグシャっと潰れて、
   涙が止まらなくなった。
   人は単純じゃない、多面的な生き物なんだって
   そう、腑に落ちたというか。
   ああ、私にも父親がいたんだな
   愛されていなかった訳じゃないんだな、ということがわかった。
   完璧な親なんていないってことも、
   傲慢だけど、許す許さないってことも、
   長い時間をかけて決着がつけばいいやと思い始めている。

引用がちょっと長くなった。読んでいて読者もほっとして救われる部分だが、〈父〉を〈怖〉いと思っていることはわかる。

 

4

 全33篇のうち、これら4篇にしか登場しない〈お父さん〉がなぜ強く印象に残ってしまったのだろうか。それは、詩集を何度も読むうちに、この〈お父さん〉が村岡さんの一部として村岡さんのなかに入り込んでいると感じてしまったからだ。何しろ、この詩集のなかで村岡さんに強い憎悪の言葉を投げつけてくるのは、〈お父さん〉と村岡さん自身だけなのである。まだ保護を必要とする小さな子どもにとって親は絶対的な存在であり、その時期に親が子に与える影響は計り知れないものがある。子どもの内面の奥深くに入り込んで容易に消えない痕跡を残すことはあると思う。それは、私自身がそうだったからということでしかなく、村岡さんもそうなのだと決めつける根拠にはならないが、一読者としての私は、村岡さんのなかに内面化された父親がいるという読みにひとたびたどり着いてしまうと、もうそこから離れられなくなってしまったというわけである。
 このように読むと、父と名指しされていなくても父の影が見えてくる作品が浮かび上がってくる。小詩集『イデア』のなかにもすでにある。それは言うまでもなく、「未完成の言葉たち」と「青空の部屋」のことだ。
 先ほども引用したように、「青空の部屋」には〈自分の精神と魂が互いの肉体を食い潰していく激しい痛み。〉という行がある。〈精神〉は論理的、理性的な思考、〈魂〉は衝動的に浮かび上がってくる理性で抑えられない感情のことだろうか。そのようなご自身のことを〈「白と黒の真っ二つに切り裂かれるアンビバレンス」〉と言っていることも先ほど触れたが、この行は次の3行から導き出されている。

   男でも女でもない。大人でも子供でもない。
   人間でいることすら、拒否する。
   じゃあ、お前は一体何者なんだ?

〈男でも女でもない〉し、〈大人でも子供でもない〉のだ。私はここに内面化された父親の存在を読み込んでしまう。そして、〈…激しい痛み。〉の行のあとには次のような連が続く。

(2行略)
   緑の生首が生えてきた。
   何かを食べている。
   私の性器が呼応する。
(4行略)
   私が母の産道をズタズタに切り裂きながら産まれてくる音だ。
   そして、漆黒の沼の底に、
   白いユリと黒いユリが絡み合っていた。

〈緑の生首〉が指しているものは内面化された父のペニスだろう。それに〈呼応〉しているのは〈私の性器〉だ。どちらも〈私〉なので、〈白いユリと黒いユリが絡み合って〉いることになる(もちろん、ユリは花の百合と村岡さんの名前の由梨をかけているのだろう)。「クレプトマニア」冒頭の〈私自身〉である〈不潔で醜い男たち〉との性交とのつながりを感じる。〈私が母の産道をズタズタに切り裂きながら産まれてくる〉というところが謎だが、〈母〉を傷つけているという罪の意識は感じられる。少し前のところで、〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉と窃盗のつながりがよくわからないと書いたが、〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉と母のメッタ打ちからの抱擁とのつながりと見れば、これと通じるところがあるのかもしれない。
 「未完成の言葉たち」では、「2 「夜」」の冒頭に〈私は、叫んだ。/「あの女の性器を引き裂いてぶち殺せ!」〉という2行がある。ここは〈私〉が〈お父さん〉としての〈私〉で〈あの女〉が本来の〈私〉だというように私は読んでしまう(〈私〉と〈あの女〉、そして、2行後の〈お前〉が全部同じ〈私〉なのではないかということは先ほども触れた)。しかし、この詩で特に注目すべきは、「4 「光」」の後半だろう。

   ある夜、6本指になる夢を見た。
   自分の体の一部なのに、自分の思うようには動かせない、
   もどかしい6本目の指。
   思い切ってナタを振り下ろしたら、
   切り裂くような悲鳴をあげて、鮮血が飛び散った。

   真っ赤に染まった5本指は私。
   切り落とされた6本目の指は誰?

   そんな風に、痛みで私たちは繋がっている。

〈自分の体の一部なのに、自分の思うようには動かせない、/もどかしい6本目の指。〉という2行にも、〈真っ赤に染まった5本指は私。/切り落とされた6本目の指は誰?〉という2行にも、自分のなかにある他者の存在が描かれている。それが〈お父さん〉であるとは書かれていないが(〈誰?〉なのだから)、「イデア、その後」を読み、全体を何度も読んでしまった私には、〈お父さん〉に思えてしかたがない。
 「2 イデア、その後」にも、同じように気になる箇所が含まれている詩がいくつかある。「診察室」は「クレプトマニア」と同じようにていねいに読みたい作品だが、それをしてしまうと長くなるし、この文章が何を目指しているのかわからなくなってしまうので省略して、やむを得ず今の話題に関連するところだけを引っ張り出してくるが、まずは電車のなかで見かけた女性を乱暴に犯す想像をする。

   私の股の間から鋭利なナイフが生えてきて、
   女の陰部は血だらけになった。
   絶頂に達した瞬間、女は不要な単なるモノになり、
   エクスタシーと嫌悪と憎悪のグチャグチャの中で私は
   醜く歪んだ女の顔を、原型をとどめないくらい何度も殴った。

〈鋭利なナイフ〉という女性を傷つける存在としてのペニスの非常に具体的なイメージが出てくる。「クレプトマニア」の〈母の産道をズタズタに切り裂〉くという表現に通じるものがある。これは単なる男ではなく、〈お父さん〉という〈私〉の内面に住み着いてしまった具体的な男性なのではないか。
 そして、〈殺す、殺される、死ぬ、死なせるなどの/不穏な言葉が〉〈飛び交う〉診察室の場面を間にはさんで次のような2連で締めくくられる。

   死刑判決を受けて、
   独居房にいる孤独なあなたを今すぐ連れ出して
   狂おしいほど交わりたい。一つになりたい。
   そして、あなたが他の人にしたように、
   私をメッタ刺しにして、殺して欲しい。

   この詩は、午前2時過ぎにあなたとわたし宛てに書いた
   歪なラブソングだ。

この〈あなた〉は誰とは名指しされていないが、殺人事件を起こして〈死刑判決を受け〉た不特定の誰かではなく、特定の人物がイメージされていると思う。そして、冒頭の想像とつながっている。〈あなた〉は〈私〉であり、「クレプトマニア」の冒頭の〈不潔で醜い男たちと交わる〉〈私自身〉や「未完成の言葉たち」「2 「夜」」の〈私〉、〈あの女〉、〈お前〉でもある。
 実は、〈父〉に関して唯一ほっとする描写が含まれているとして先ほど引用した「昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか〉は、この〈診察室〉の半月後に発表されている。これもじっくり読むべき作品で、「1 花」の部分だけ〈診察室〉の3日後に先に発表されていて、そのあとに「2 眠」、「3 由梨」が書き足されているという形なのだが、「3 由梨」の冒頭に先ほども引用した〈東京拘置所にいた父〉が出てくる。〈死刑判決を受けて、/独居房にいる孤独なあなた〉というのはその〈父〉のことであり、〈私〉のことでもあるように見える。
 「イデア、その後」には、ほかにも「絡み合う二人」、「鏡」、「ピリピリする、私の突起」などにこのテーマに関連して注目すべき箇所があり、それぞれていねいに取り上げるべき意味があると思うが、詳述は避けたい(この文章が終わらなくなってしまうので)。
 ここでちょっと考えておきたいことがある。この文章の最初の方で、「イデア」が〈言葉を書き留めたい〉という時期、「イデア、その後」が〈言葉を探している〉時期というような見取り図を書いたが、「イデア、その後」が〈言葉を探している〉時期だというのはちょっと違うのかもしれない。〈お父さん〉、あるいは〈父〉という言葉が詩のなかに現れた過程をこのように見直してみると、〈お父さん〉という言葉は〈探して〉見つかったものとは思えない。単にお父さん一般にとどまらない村岡さんにとってある特別で具体的な意味を持った父親の像はずっと前からあり、それを表す〈お父さん〉、あるいは〈父〉という言葉は村岡さんのなかにあったと思う。
 しかし、言葉を発すること、特に文字や映像として残るような形で発することには、途方もないエネルギーが必要になることがあると思う。自分にとって特に重い意味があり、容易に解決できないことでは特にエネルギーが必要になるだろう。そういう言葉を発するためには、何かしら噛み砕いてその言葉を客観化(無害化?)できるようにする咀嚼の過程(気持ちの整理?)が必要になる。村岡さんが詩よりも十数年前から取り組んでこられた映像作品でも、公式サイトの映像作品紹介のページ( http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/works.html )を見た限りでは〈父〉というテーマは見当たらない。〈未完成の言葉たち〉、〈青空の部屋〉、〈クレプトマニア〉、〈家族写真(抜粋)〉、〈診察室〉(触れそこなっていたが、この作品は浜風文庫では〈家族写真〉の次に発表されており、詩集でも同じように配列されている。また、映像作品の『イデア』に家族写真を燃やすシーンがあるが、詩作品〈家族写真〉の3連以降の内容は映像作品には含まれていない)、〈昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか〉という作品の流れを見ると、〈言葉を探〉す過程というよりも言葉を咀嚼し、外に発せるようにする過程のように感じる。

 

5

 詩集を何度か読むうちに、この詩集はノンフィクションとして書かれていると思うようになった。これはかなり珍しいことだと思う。今どき、詩を書こうと思って現代詩の講座に通えば、詩はフィクションでよいのであって、小学校で教わったように思ったことを正直に書くことを最優先にすることはないと教わるだろう(もっとも、私には講座に通った経験はないのでここは想像である。小学校でそういうことを教え込まれた経験の方はある)。独学でも、ゲンダイシというものを目指したのなら、あれこれの詩論などを読んで、思ったことを正直に書いたりしないものだということを学ぶ(私はこっちの方)。
 そう思った理由はいくつかある。ひとつは随所に挿入されている写真だ。「1 イデア」の最後には、こちらを向いている猫が小さく写っている家のなかで撮ったと思われる写真がある。これは生きていたときのしじみなのだろう。小詩集『イデア』には、これを含む4枚の猫の写真がある。「しじみの花が咲いた」には、黄色い花の写真がある。「はな と グミ」には折り紙、「眠は海へ行き、花は町を作った。」には小さな町という詩のなかで出てきたものの写真が入っている。そして、映画『イデア』には、家族写真を燃やすシーンがある。詩集を何度か読むうちに、これらはすべて詩に書かれたことが真実であることを証明するという任務を負ったものに見えてきてしまったのである。もちろん、それだけが目的だと言うつもりはない。むしろ、言葉だけでは足りないので、写真や映像も使っているということなのかもしれないが、結果として存在証明のようにもなっているとは言えるだろう。
 もうひとつの理由は写真ほど多くの例があるわけではないが、作品自体にある。先ほども触れたように、「クレプトマニア」は「もとの詩」と「家族の感想」のふたつの部分に分かれている。そして「家族の感想」は、「もとの詩」と一体となった村岡さんの現実の思いに対する感想になっている。つくりものに対する感想ではない。また、「塔の上のおじいさん」には、夢のなかの話だが、〈「すごい御宅だったよ。/塔の上のラプンツェルみたいなお家だった!/今から詩に書くから! そしたら読んでね、野々歩さん」〉という3行がある。ここで当たり前の前提となっているのは、見てきたものを詩に書くということだ。そして、そのような詩を家族が読んで書かれた事実についての感想を言うということが日常になっていることを窺わせる。
 そして、ある意味で決定的な理由がもうひとつある。村岡さんの作品はノンフィクションなのではないかと考えるようになり、この文章を書こうとしていたときに、たまたま公式サイトのprofileのページ( http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/profile.html )を見て驚いた。「私の制作方法」の項目に次のような一節があったのだ。

   私の作品は、フィクションではありません。どの作品も、私が見たもの・聞いたもの・体験したこと…等の忠実な再現です。作品中に描かれるもの全てが私にとっての「現実」なのです。

しかも、同じページの「私が表現したいこと「私=パラドックス」」には、〈表現手段にこだわりは無く、絵でも文章でも映像でも何でも良いのです。〉とも書かれている。これはおそらくかなり前に書かれたもので、映像作品の作者として書かれたものだろうが、「クレプトマニア」の〈真実〉という言葉はここに書かれた〈現実〉と同じ意味だろう。この文章で書いた私のあれこれの推測には的外れな部分がいろいろあるだろうが、村岡さんの詩がノンフィクションとして書かれているという推測はほぼ間違いないと思う。
 とは言え、フィクションとノンフィクションは言葉にして並べた印象ほど大きく違うわけではない。そもそも、ノンフィクションという言葉はフィクションという言葉よりも厳密で、虚構の部分がちょっとでも混ざっていたらノンフィクションとは言えなくなる。しかし、虚構がちょっとだけ混ざっているフィクションは、まったく架空のフィクションよりもノンフィクションに近いものになるだろう。
 たとえば、村岡さんの義父である鈴木志郎康さんの詩は、ほとんど詩集ごとにスタイルが変わり、取り上げられている題材も変わるので、簡単にひとことでまとめられるものではないものの、実際に起きたこと、見聞きしたことを素材として書かれたらしいものがかなり多数ある(それこそ、村岡さんの作品と同様に家族が登場するものも)。それらの作品は、完全なフィクションよりもはるかにノンフィクションに近い。しかし、多くの場合、書かれている題材自体を伝えることよりも、その題材に対する作者の視角に作者の関心があるように感じる。実際に起きたことを素材としているので、純粋なフィクションではない。しかし、鈴木志郎康さんというレンズを通し、書かれた事実よりもレンズ自体による光の曲がり方に表現行為の重点が置かれるために、書かれた事実のノンフィクション性は軽視され、ときには意図的に歪められる。ここで思い出さずにはいられないのが、鈴木志郎康さんに魚眼レンズで撮った写真を集めた『眉宇の半球』という本があることだ。そのあとがきには、次のような部分がある。

 わたしは撮影行為を一種の思考装置として来たわけである。写真を撮ることで、写真の意味の生まれ方を考えるのを楽しんできた。魚眼レンズはそういうことでは非常に楽しい。撮影するときの微妙な身体の動きが、向き合った空間の意味の持ち方に大きく影響するところが、おもしろくて堪えられない。つまり、これら写真は、結果としての「写真」であるから、それを見る方はそこから出発してしまうが、実は撮ったわたしにとっては終点なのだ。

 これは、鈴木志郎康さんの詩にも(そして多くの現代詩人の詩にも)当てはまることではないだろうか。書かれた内容よりも、それをどう書くか、どう歪めるかに興味がある。ノンフィクションを目指していないので、最終的に一切の虚構の混入を許さないノンフィクションにはなり得ない。
 このことに関連して印象に残っていることがある。20年以上前に初めて鈴木志郎康さんの奥様で、鈴木志郎康さんの詩集にたびたび登場する麻理さんと初めてお会いしたときのことだ。何しろ前世紀のことなので正確なところは覚えていないが、志郎康さんの詩にたびたび登場されることについてどう思っておられるのかを尋ねたら(もちろん、すぐ横に志郎康さんご本人もいらっしゃったのだが)、「あれは私ではありません。私はあんな人ではありません。あんなのは大嘘です」と満面の笑顔で返されたのだ。言葉の細部ははっきりと覚えていないが、笑顔で全面否定は間違いないところで、そこは死ぬまで忘れないだろう。志郎康さんも、不機嫌になったり困った顔をされたりするのではなく、いっしょに笑っていた。ところが、本当のお名前は麻理さんではなく真理子さんであるらしいということは、つい最近Facebookを見るまで知らなかった。でも、鈴木志郎康さんがどなたかの文章について、「麻里じゃなくて麻理だ」と怒っているところを目撃した記憶もある。要するに、「麻理」さんは鈴木志郎康さんの詩の世界のなかでの真実なのだ。
 このように言うと、先ほどの村岡さんの文章も〈私にとっての「現実」〉と言っているので、両者に大きな違いはないようにも見える。〈私にとっての「現実」〉だから、あなたにとっての現実ではないかもしれないと言っているわけだ。しかし、作者の意識のなかで、ノンフィクションとしての生身の自分を押し出すか、作品の世界はあくまでも作品の世界であって事実そのものではないと考えるかの間には、天と地ほどの差があると思う(どちらかが優れているということではなく)。
 ノンフィクションとして書こうとすると、書いた内容にフィクションが混ざらないようにしようとする。フィクションを排除して書こうとすると、作者が特に意識しなくても、作者という統一体が作品全体にある秩序を与えるようになるのではないだろうか。もちろん、作者自身にも統一の取れていない部分やはっきりと矛盾する部分があり(村岡さんの主題はまさにそこにある)、たとえば光を求める作品と光を拒絶する作品が現れるというようなことはあるだろう。作者にも、外部の情況の変化や自分のなかの感覚や思考の発展とともに変化が現れるはずだ。しかし、作者にとっての現実にできる限り忠実に書こうとすれば、矛盾にも一貫性のある形が現れ、時間とともに起きる変化も、前の段階を踏まえた成長、変化であって、唐突なものにはならないだろう。
 それに対し、ノンフィクションとして書く気がなければ、作品を作品らしく仕上げることに力を注ぐことになる。だから、作品が独立し、過去の作品が今の作品に影響を与えたり、今の作品が将来の作品を縛ったりすることはない。
 もっとも、これは図式化しすぎで、ノンフィクションとして書くという意識がなくても、同じ作者が書くものが大きくばらついたりはしないものだろう。ひとりの作家を論じるときには、この作家にはこれこれこのような傾向があり、このような主題の展開、発展があるという指摘をするものだ。しかし、ノンフィクションとして書かれた詩群には、その程度ではとても済まないぐらいの複雑なリンクが張り巡らされる。そのため、ひとつの詩を単独で解釈するのが難しくなる。個々の作品の独立性が弱まるということだ。この文章がこのような形で、つまりある作品のある部分と別の作品のある部分のつながりを執拗に追いかけるような形で書かれることになったのはそのためである。

 この文章は、映像作家として確固たる地位を築いた村岡さんがなぜ新たに詩作にも進出したのかという素朴な疑問から始まった。その疑問がつまらないものだったことはすぐにわかった。しかし、ひとつひとつの詩作品には作品としてのまとまりがありつつ、それらの詩作品の間に密接なつながりがあるこの詩集は、まとまった複数のシーンが組み合わされて作られる映像作品の比喩のようでもある。
 浜風文庫( https://beachwind-lib.net/?cat=48 )には、すでにこの詩集以後の作品がたくさん集まっている。それらを読むと、浜風文庫に「ねむの、若くて切実な歌声」が掲載されてから4年もたっていないのが嘘のように感じる。この文章ではふたりのお嬢さんについては最初の方でしか触れなかったが、2年ちょっとの詩集のなかの時間でも、成長にともなう大きな変化が感じられる。詩集以後の2年弱で変化のスピードがさらに上がったような気がする。月並みな言い方だが、村岡さんの詩からは当分目を離せない。
(2021.10―2022.09)

 

(後記)
 2021年7月に出た詩集について、内面化された父親とノンフィクションというアイデアをつかんで10月頃からこの文章を書き始めたが、2ぐらいまで書いたところで停滞してしまった。今年の1月末から2月始めにかけて3の冒頭を書こうとしたが、ほんの少し進んだだけでまた止まった。今度の停滞は非常に長く、やっと再開したのはこの8月で、何とかここまできた。文章を区切って番号を入れたのはこの作業の過程である。
 4を書き終えようというところで、Profileページを確認するために久しぶりに公式ページを見た。そしてdiaryページを見ていないことに気づき、恐る恐る覗いてみた。恐る恐るというのは、不都合な事実がわかっちゃっう恐れがあるからだ。2004年から書き続けられているので(毎日ではないが)、かなりの量がある。最初はつまみ食いのような読み方だったが、この後記を書く前に全部読んだ(映像作品もVimeoで見られる分は一通り見た)。で、予想通り不都合な事実がわかっちゃったわけである。
 「しじみ と りんご」の〈始めたばかりの拙い詩〉というフレーズを鵜呑みにして、村岡さんの詩は『イデア』から始まったのだと思い込んでいたが、それは村岡さん自身が自らの言葉を「詩」として押し出すようになったのが『イデア』、「ねむの、若くて切実な歌声」からだということに過ぎず、diaryにはすでに詩の原石がたくさん眠っていたことがわかった。それこそ、はてなブログに移行する前の2004年12月11日の最初の記事からそうだ( http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/diary/04-12.html )。

   基本的に私は、「変化するもの」より「変化しないもの」に惹かれるんです。根がグータラだからかもしれないけど(笑)。「不変なもの」に惹かれるの。だから自分自身の変化も望まないんです。永遠に私は私でいたいんです。ただね、変化は変化でも、唯一例外、「成長」という名の変化だけは大歓迎であります! 常に学習して常に成長し続けたいわ!

〈「普遍なもの」に惹かれるの〉から〈…大歓迎であります!〉までの各文の展開の速さ、疾走感(あえて吉増剛造的な語彙を使うが)はすごいものだと思う。はてなブログ移行前のすべてのエントリーに、さまざまな意味で詩的だと思わされる部分が含まれている。
 しかし、「ねむの、若くて切実な歌声」以前の詩的原石は、散文の一部に詩的なものが含まれているということには留まらない。2006年3月3日の「タイトルなんて思い浮かばないです」が最初だと思うが、行分け詩のように一文一文で改行するエントリーも現れる。これはブログなどではよくあることだと言ってしまえばそれまでだが、2007年5月3日に「言葉にならない詩」というタイトルで、一文の途中でも改行するエントリーが現れる。これは「青空の部屋」の原形とも言うべきもので、一読者からすれば詩作品そのものだと言えるだけの質がある。2008年には、義父である鈴木志郎康さんの『声の生地』の感想があり、行分けの投稿が目立って増えてくる。その最初である2008年6月6日の「箱の中から こんにちは!」は、〈今日のこのブログ記事〉という言葉が出てきて、詩を書くという意識ではないのだろうが、最後の行が秀逸だ。
 統合失調症の治療のために作家活動を休止したという期間はブログ記事も少なくなるが、2017年から2018年にかけてはこの種の詩の卵がたくさん登場する。しかし、村岡さんはそれらをあくまでも「詩」としては扱っていない。ただ、その後の詩の素材としては使っている。たとえば、「透明な私」から〈おとうさん〉が出てくる箇所として引用した3行は、2017年7月7日の「こわいゆめ」に含まれている3行の1、2行目を逆転させたものだ。村岡さんの詩が「ねむの、若くて切実な歌声」から唐突に始まったわけではないことがわかった。イメージの多くには、長ければ10年以上の歴史がある。村岡さんの詩が2018年に始まったという先入観で文章を書いてしまったので、いやあ参ったというところである。
 詩集のなかでの父親の登場が遅いということも書いたが、diaryでは、先ほどの2017年7月7日以外で2008、9年に3回登場している。それらはどれも悪い登場のしかたではない。〈「人生は絶望でいっぱいだけど、ほんの少しの希望があれば、それだけで、人生を生き抜く価値がある」〉という〈良い言葉〉を言った人であり、〈「晴れ着を着て、記念写真を撮りなさい」〉と言ってお金を渡してくれた人であり、〈知識欲が旺盛な人〉であって、「クレプトマニア」や「家族写真(抜粋)」で出てきた人とは別人のようである。しかし、3箇所とも注意して読むと、父に対して複雑な感情を抱いていることは伝わってくる。
 ほかにも、diaryを読まずに、詩集だけを読んだためにちょっと不都合なところはいくつかある(〈私が母の産道をズタズタに切り裂きながら産まれ〉たというのが事実だったらしいことなど)。ちなみに、Facebookの古い投稿は読んでいないが、それも読んでいればさらに新たなことがわかってしまうだろう。しかし、不備がいくつもあってもまったく無駄なものを書いたわけではないだろうと思うので、このまま提出することにした。以上、長い言い訳で恐縮です。

 

 

 

 

2022年の憲法記念日

 

長尾高弘

 
 

ウクライナには
日本の憲法9条のようなものがなく、
歴としたウクライナ軍がある。
みんなそれを忘れてないか?
ロシアが侵攻したのは、
ウクライナ軍がロシア系住民を殺してる
という主張からだ。
(それは言いがかりだという人もいるけど、
 ぼくは本当だと思っている。
 証拠の動画は捏造されたものには思えなかった。
 でも、さしあたりその点については白黒をつけないでおこう)
もし、ウクライナ軍なんてものがなければ、
ロシア軍だってウクライナに攻めていくことは
できなかったはずだ。
自衛戦争の形をとりつくろわなければ
今どき戦争なんて始められないのだから。
なんで軍隊なんか持ってしまったのだろう?

日本には憲法9条がある。
でも、自衛隊という軍隊にしか見えないものがあり、
アメリカと日米安全保障条約という軍事同盟を結んでいて、
アメリカの戦争に参加する集団的自衛権なんてものも
行使することになってしまった。
日本のまわりは中国、朝鮮、ロシアと
アメリカが敵扱いしている国がずらりと並んでる。
朝鮮など、休戦してるとはいえ、
アメリカとはずっと戦争状態のままだ。
最近は台湾をめぐってアメリカが中国に脅しをかけており、
日本もしっぽを振ってついていこうとしてる。
南西諸島は中国の方を向いたミサイル基地だらけだ。
おまけにウクライナ紛争をきっかけに、
世論調査では改憲した方がいいという人の方が多いと
新聞が騒いでる。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることの
ないやうにすることを決意し」たんじゃなかったのか?
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
 われらの安全と生存を保持しようと決意した」んじゃ
なかったのか?
もう過去の過ちは繰り返さないという決意は
どこに行っちゃったのか?

 

 

 

長田典子『ふづくら幻影』読書メモ

 

長尾高弘

 
 

 

『ふづくら幻影』は、作者が幼少時に暮らし、人造のダム湖である津久井湖の底に沈んだ旧神奈川県津久井郡中野町不津倉にまつわる詩作品を集めた詩集である。以下は、個々の作品の感想。まだ詩集を読まれていない方は、先に詩集を読んだ方がよいかもしれない。

「祈り」。「涙」という縦の動きが「水位」という言葉で横に広がる「湖面」という境界となり、その下に沈んだ祖先との間に長い距離ができる。この場合、水は必然的に冷たいものになるだろう。最後の「永遠に結露する」が見事。

「夏の終わり」。湖が渇れて地上に現れたかつての村の絵が二度描かれる。おじおばが若かった頃はまだどこがどこだったかわかるが、「新しく家族となった男」と数十年後に来たときにはもうどこがどこだかわからない。湖底というふだん見えないものが見えたときに数十年という時間が重層化される。「男」という言葉がちょっと冷たく感じられて気になる。

「上を向いて歩こう」。「幼すぎた私の涙」の5行と坂本九の歌で工場にいた家族、親戚、奉公人の思いを描いている。天井が夜空になって星が輝くことから、決して辛い涙ばかりではないのだろう。

「バャリースのオレンヂジュース」。働く人々の褻の日々を描いたあとで晴れの日が描かれる。ふたつの詩で高度経済成長期の空気をよく伝えていると思う(私も長田さんよりさらに幼いながらその時代を生きたので、ぼんやり思い出すものがある)。

「セドリックとダイナマイト」。タイトルのふたつはセットであることが明かされる。でも、補償金はまだ入っていないのだ。このセドリックの種明かしの1行が初読のときから印象に残った。火消しの場面は、この詩集では書かれていない家族の運命の伏線になっているようだ。最後から2番目の連はひょっとするとなくてもよかったのかもしれない。

「しらんぷり」。「大きな魚」が効いている。日常と非日常。外から来た人の死が明らかになったところで繰り返される「いつも通り」も効いている。最後の連を読むと、遠くから見ると光っているのに近づくとただの石になってしまう川の石の連が自然の恐ろしさの伏線になっていたのかと気づく。

「蛍」。50年前は私が住んでいた柏市でも行くべきところに行けば蛍が見られた。20代の頃、越後湯沢で見たのが最後だなあ、と蛍がいた頃のことを思い出す。すごい技を持っているおじさんというのも、ごくわずかになっただろう。その時代を知っている者には、時代が変わったことがよく伝わってくる。

「水のひと」。過去には夢ではなく現実だったはずの野辺送りの行列が夢のように美しく描かれている。とりどりの色とひらひら、ゆらゆらといった畳語(ひとびとというのもある)がそのような効果を盛り上げていると思う。最後の「商店街のある町で/溺れたひともいるそうです」の2行が、村を失ったことの後悔を問わず語りに示していてうまいと思う。

「お祭り」。過去の村の生活を美化しているだけではなく、男の子は神輿をかつげるのに女の子はかつがせてもらえないというジェンダーの問題を告発口調ではなくそっと示している。「黒曜石」は、「ツリーハウス」や「空は細長く」でも何食わぬ顔をして再登場する。

「かーん、かーん、キラキラ」。ジェンダーでは差別される側だったが、民族では差別している側に立っている。食べもののなかに砂が混ざり込んでいたときのような苦さがある。でも、この作品が入っていることによって、この詩集が描く村の生活は深みが増したと思う。

「川は流れる」。これを読んで改めて地図を見た。相模川の源流が山中湖にあることを初めて知った。川をせき止めて作った湖の詩集に川の源流の話は欠かせないだろう。最後の「めだかに遊んでもらっていたのも気づかずに/川がお母さんのようだったのも気づかずに」の2行が効いている。

「ツリーハウス」。村が湖底に沈んだあとの再訪の詩であり、「夏の終わり」と対応している。このふたつの詩の間に過去の村の絵が入っている。「蛍」からの3作が、開発と無関係だった頃の村の生活を活写していて、それが詩集のちょうど中央あたりになっており、時間をU字形にたどっている。山羊の黒曜石と「わたし」のうんこの対比が面白い。

「午前四時」。亡くなったご両親が夢に現れる。浜風文庫で故郷を離れたあとのお父上との激しい対立関係についての作品をすでに読んでいるので、「もう借金取りに追いかけられるのはいやだからね/こんどこそ儲かるといいね」という2行をいずれまとめられるだろうその詩集の予告編のように受け取ってしまった。でも、ここでは「もっともっと たくさん/いろんな ありがとうを 言わなくちゃ」といった行に救われる。

「黄浦江」。メアンダーはmeanderで蛇行という意味の英語。前作『ニューヨーク・ディグ・ダグ』を思い出させる。国境を越えて蛇行という共通点を持つ中国の川と外国の人が登場することによって詩集の風通しがよくなっている。

「空は細長く」。今という時間から過去を振り返っている。スサノオが退治したヤマタノオロチなるものもおそらく川であり、彼は治水の力によって権力を獲得したのだろう、というようなことを思い出す。詩集内の位置からも、湖の底に沈んだ川沿いの村へのレクイエムのような響きを感じる。

「巡礼」。ユーラシア大陸の西の果てで東の果ての故郷を思う。時間も戦国から現代までをたどり、「セシウム」が効いている。スケールが大きくて、詩集の締めくくりの詩にふさわしい。

途中で少々文句もつけてしまったが、時代と人が見事に描かれていて、構成がよく練られているすばらしい詩集だと思う。最後にもうひとつ文句を言ってしまうと、製紐工場の最後を見たかった。それは次の詩集で明らかにされるのかもしれないけど。