村岡由梨詩集『眠れる花』
詩の言葉が生まれる瞬間

 

長尾高弘

 
 

 

1

 浜風文庫で村岡さんの詩を初めて読んだのはいつだったかもう忘れてしまったし、どの作品を読んだのかも覚えていないが、これはすごいと思ったことは間違いなく覚えている。近頃なかなかない衝撃だった。今年(2021年)の春にちょっとしたきっかけでFacebookの友だちにしてもらって、6月13日に映像個展〈眠れる花〉を見に行き、そこで初めてちゃんと挨拶し(村岡さんの方から声をかけていただいたんだけど)、会場で売られていた小詩集『イデア』を買って読んだ。
 7月に刊行された詩集『眠れる花』は2部に分かれていて、1には小詩集『イデア』がそのまま収められている。2は「イデア、その後」となっているが、1の3倍ほどの分量がある。詩集を開いて目次を見たとき、このアンバランスな分け方はどういう意味なのかとちらっと思った。しかも、短いセクションには「イデア」という明確なタイトルがあるのに、長い方は「イデア、その後」という自立していない感じのタイトルになっている。もっとも、そこにこだわっていてもしょうがないので、作品を何度も読んだ。読んでみて、ちょっとわかったことがあった。
 周知のように村岡さんは映像作家として知られ、国際的な賞をいくつも受賞されているのだが、初めて映像作品を作られてから20年近くたって、なぜ詩という表現手段にも進出されたのかは、私でなくても誰もが興味を持つところだろう。驚いたことに、この詩集にはその答え、とまでは言わなくてもヒントが書かれている。それもひとつではなくふたつある(いや、3つか?)。
 ひとつ目は、「イデア」の部分にある。「しじみ と りんご」の最終連(とその前の連)だ。

   死なないで、しじみ。
   これ以上大切なものを失いたくない。
   ただそれだけなのに
   小さな赤い心臓も、グリーンの目も、白くてやわらかな胸毛も、
   いつか燃えて灰になってしまう。
   後に残るのは、始めたばかりの拙い詩だけだ。

   それでも、私が言葉を書き留めたいのは、
   決して忘れたくない光景が、
   今、ここにあるから。
   もう二度と触れることが出来ない悲しみでどうしようもなくなった時、
   私は何度もこの詩を読み返すんだろう、と思う

 その名も「イデア」という作品に〈永遠に続くと思っていた関係にも/いつか終わりの時がやってくる。〉という2行があるが、この詩集ではすべてがいずれ失われるという思いがあちこちで吹き出している。完全に取り戻せるわけではなくても、言葉はその失われたものを思い出すための手段になる。
 もっとも、作品「イデア」には、次のような行もある。

   永遠に続くものに執着して
   何かを失うことを畏れて悲しんで
   壊れてしまった家族の記憶と、壊れそうな家族と
   瀕死の飼い猫についての映画を撮った。

 つまり、失わないため、あるいは失われたものを思い出すための「映画」もあるわけだ。それでは映像だけではなく詩に進出したのはなぜかという素朴な疑問への答は再びわからなくなってしまうが、もはやそんなことはどうでもよいような気もする。あえて言えば、詩の方が適したものと映像の方が適したものがあるというようなところなのではないだろうか。
 それは、初めて詩の言葉が吹き出したとき、つまり、この詩集の冒頭の2篇を読めばなんとなくわかるような気がする。それぞれ、詩集のタイトルにもなった眠(ねむ)と花(はな)のふたりのお嬢さんのことを描いているが、冒頭の1行がどちらも波乱含みになっている。

   このところ、娘のねむとの会話がぎこちない。
           「ねむの、若くて切実な歌声」

   夫とケンカした夜のことです。
           「くるくる回る、はなの歌」

 ところが、「ねむの、若くて切実な歌声」では3連目から、「くるくる回る、はなの歌」では次の2行目から、ふたりのお嬢さんがその暗い気分を吹き飛ばしてくれる。それはやはりかけがえのない瞬間、絶対に忘れたくない瞬間だろう。冒頭の暗雲を吹き飛ばしてくれただけに、その瞬間の大切さは際立ってくる。
 その大切な瞬間を映画という形で残すにはどうすればよいだろうか。まさかもう一度その瞬間を演じ直して撮るわけにはいかないだろう。思いがけないことだったから心を動かされたわけで、脚本を作って演じたのでは、予想外だった、思いがけないことだったという大切な部分がなくなってしまう。しかし、言葉で書けば、思いがけない喜びをそのまま再現できる。言葉と映像には、そのような違いがあるような気がする。
 もっとも、最初からそういうことを意識して詩を書くことを選んだということではなさそうな気もする。というのも、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉という気持ちは、この2作では明示的には書かれていないからだ。もちろん、単に詩の流れのなかで、そういう言葉の出番がなかっただけなのかもしれないが、そういうことではないような気がする。
 そもそも、「ねむの、若くて切実な歌声」は、詩を書こうとして書かれた言葉ではないようにさえ思える。書き留めて形にしないではいられないような言葉が生まれ、それがどんどん頭に溜まっていき、悪戦苦闘してやっと書き留めたとき、初めてそれが詩だったことに気づいた、というようなことではないかという気がしてならないのである。ひとりの人のなかで初めて詩が生まれるというのは、そういうことなのではないだろうか。詩のなかに、ねむさんが歌った様子を描写した次のような4行があるが、

   最初は、はにかみながら
   途中吹っ切れたように、

   ねむが、まっすぐ前を見据える。
   歌声が、大きくなる。

これはまるで村岡さんのなかで詩が初めて生まれてこようとしているときの比喩のようにも感じられる。〈切実な歌声〉なのだ。
 それに対し、2作目の「くるくる回る、はなの歌」は、すでに詩を書こうとして書いた作品になっているように感じる。それは、先ほど引用した冒頭の1行のほか、〈よく回転する姉妹です。〉という行で、ですます文が使われているからだ。読んでいてこのふたつのですます文のところにさしかかるたびに、作者が読者としての私に語りかけてくるような錯覚に陥る。このような語りかけは、最初から作者に詩を書く、人に見せる作品を書くという意識がなければ出てこないだろう。実際、1作目以上に作者の意図(はなさんのことを書く)がはっきりと感じられる。回転寿司に側転という回転続きのエピソードに対し、一見回転とは関係のなさそうなエピソードもあるが、回転とは空気を瞬時に変えてしまう意外性のことかと考えればなるほどと思い、描かれているはなさんのイメージの鮮やかさと爽やかさが印象に残る。
 「しじみ と りんご」はこの2作が書かれたあとの3作目である。この作品は、いつ死んでも不思議ではない重い病気を抱えた猫に、不死身という言葉から〈しじみ〉という名前を付けて、〈死なないで、しじみ。〉という、あえて言えば絶対にかなわない願いをかけるという矛盾を抱えている。最初の2作を意識的、または無意識的に踏まえた上で、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉という言葉が出てくる必然性があるのではないだろうか。
 小詩集『イデア』の掉尾を飾る作品「イデア」では、このような思いに「イデア」という名前が与えられる。常識的に言えば、「イデア」とは、生まれては消えていく現象とは異なり、そういった現象を生み出す根拠となる決して消えない本質的な存在としての観念というようなことだろう。しかし、村岡さんの「イデア」は、永遠に続くものなどないという断念を前提とした上での、〈永遠に続くもの〉への〈執着〉、〈何かを失うこと〉への〈畏れ〉(「恐れ」ではないことに注意したい)と〈悲し〉みという人としての思いらしい。
 しかし、この作品には、〈「君が今日まで生きてきて、この作品を作れて、本当に良かった」〉という〈野々歩さん〉の言葉と、〈私には一緒に泣いてくれる人がいるんだということに気が付いた〉という暗闇の出口から差す光がある。〈時間の粒子が流れるのが、一つ一つ目に見えるよう〉だという〈いつかの魔法〉の世界の美しさには目を瞠る(今まであまり触れてこなかったが、技術的な巧さも相当のものだ)。ここで小詩集『イデア』の世界がよい形でひとまず完結し、全体に「イデア」という名前が与えられるのは納得できる。
 ところがそのしじみが、次の作品(「しじみの花が咲いた」)が書かれた2か月後までの間に死んでしまう。

   野々歩さんは身をよじらせて、声をあげて泣いた。
   慟哭、という言葉では到底表しきれない
   言葉にできない何かが
   何度も何度も私たちを責めるように揺さぶった。

この4行に込められた悲しみの深さは、一読者の胸にも響くものがある。さらに、荼毘に付されてほとんど灰になったしじみを見て、〈私は言葉を失〉い、それからのひと月は〈空っぽ〉になってしまう。〈空っぽだった心〉に新たな〈気持ちが芽生えてきた〉のは、亡くなったしじみにかぶらせた花冠と同じヒナギクを庭に植え、その花が一輪咲いたときだった。ここで詩を書く第2の理由が生まれる。

   「言葉にできない気持ちを言葉にするのが詩なのだとしたら、
   もう一度、言葉に向き合ってみよう。」

しじみを失って言葉を失った〈私〉には、まもなく〈しじみの花〉も枯れてしまうという試練がやってくるが、もう言葉を失ったままにはならない。

   わからないまま
   今日もレンズ越しに、言葉を探している。
(中略)
   答えのない問いを、何度も繰り返しながら。

 これで詩は村岡さんにとってはるかに大きな存在になったと思う。あえて言えば、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉ということなら、詩が必要になるのは特別なときだけに限られるだろう。そういえば詩を書いていた時期もあったなあという人は、詩のない生き方は考えられないという人よりもずっと多いはずだ。〈言葉にできない気持ちを言葉にする〉ために〈答えのない問いを、何度も繰り返しながら〉〈言葉を探〉すということになると、詩は生きることの中心に関わってくることになる。詩集のふたつの区分のうち、「イデア」が〈言葉を書き留めたい〉という時期、「イデア、その後」が〈言葉を探している〉時期だとすると、後者の方がずっと多いのは当然だと思う。

 

2

 もっとも、〈決して忘れたくない光景が、/今、ここにあるから〉〈言葉を書き留めたい〉という思いがはっきりと言葉になったのが3作目だったのと同じように、〈言葉にできない気持ちを言葉にする〉ために〈言葉を探〉すという作業は、すでに「イデア」の時代から行われていたようにも思う。それは、「イデア」の部で今まで触れてこなかった「未完成の言葉たち」と「青空の部屋」の2つの作品で顕著に感じることだ。
 「未完成の言葉たち」は、タイトル自体が言葉を探した戦いの跡だということを示しており、4つの断章から構成されている。「1 「旅」」は、次の4行から始まる。

   いつかバラバラになってしまう私たち
   今はまだ、そうなりたくなくて
   必死に一つに束ね上げ
   毎夏、家族で旅に出る。

 最初の3行で「しじみ と りんご」までの3作に漂っていた不安を言語化しており、この不安が作品全体を覆うことになる。最初の3作にも不安はあるが、その不安を吹き飛ばす要素が出てくる。しかし、「未完成の言葉たち」では「1 「旅」」のなかのはなさんの笑い声ぐらいしか救いがない。その笑い声も、〈いつかバラバラになってしまう私たち〉の予兆として描かれていると思う。最終連の〈遠く離れて撮っている私〉は、頑張ってもいずれバラバラになってしまうという思いに駆られているように見える。
 ただ、ここでかすかな疑問が浮かぶ。家族の絆というものが案外もろいものだということは事実だとしても、いずれかならずバラバラになるとまで思うのは、ちょっと度を越しているのではないだろうか。少々ごたごたすることがあっても、家族の絆を疑わない人もいる。家族の絆がもろいという思いは、かつて家族が壊れたことがあるという経験があるからではないだろうか。
 詩「イデア」では、村岡さんにとって11本目の映画『イデア』(映像個展〈眠れる花〉でも上映された)のことが触れられているが、〈壊れてしまった家族の記憶と、壊れそうな家族と/瀕死の飼い猫についての映画〉だと要約されている。実際、「1 「旅」」に書かれている秩父旅行は映画『イデア』に含まれており、赤紫色の花も、自分以外の3人を少し離れたところから撮っているショットもある。「2 「夜」」は、この詩集で初めて出てくる暴力的で残酷なシーンだが、〈お母さん〉が出てくることからも、〈壊れてしまった家族の記憶〉だと考えられるように思う。〈私〉と〈あの女〉と〈お前〉がいるが、全部同じで自分のことを指しているのではないだろうか。
 「3 「空」」は〈――未完成――〉と書かれているが、この詩集は、作品が完成したかどうかにかかわらず、書かれたものを次々に突っ込んで作られたようなものではない。実際に印刷された本になったものと、最初に発表された浜風文庫のものとでは、いくつかの作品で異同がある。だから、〈――未完成――〉というスペースホルダーを置いていることには何らかの意味があるはずだ。たぶん、次の「青空の部屋」がこの「3 「空」」にあたるものなのではないのかと思う。ただ、「青空の部屋」として完成したものはもう「未完成の言葉たち」の枠には収まりきらなかったようだ。
 「青空の部屋」は、「未完成の言葉たち」の「2 「夜」」と「1 「旅」」のふたつの家族をつなぐ時期のことを書いているように感じられる。壁紙として選んだのは青空だが、学校にはほとんど行っていないという。〈夜が更けて/私がいた部屋は光が無くなり真っ暗闇になった。〉とあるので、青空の壁紙の部屋にずっと籠もっていたのだろうか。天窓から本物の青空は見えたようだが、一見開放的な青空の壁紙のなかで閉じこもっているという矛盾がある。実際、感じていたのは〈自分の精神と魂が互いの肉体を食い潰していく激しい痛み。〉だ。そして〈「白と黒の真っ二つに切り裂かれるアンビバレンス」〉と自己規定している。

   この時期、私と私の核との関係は、
   ある究極まで達したけれど、
   それと引き替えに、
   私の時間的成長は、15歳で止まってしまった。
   私が発病した瞬間だった。

これは恐ろしい言葉だ。〈ある究極〉とは、自分は〈「白と黒の真っ二つに切り裂かれるアンビバレンス」〉だとわかってしまったということなのだろうと思うが、それは安心が得られる自己理解からはほど遠い。そして、そこで止まってしまったというのである。そこは、言葉の見かけとは裏腹に固く閉ざされている牢獄のような「青空の部屋」だ。
 「青空の部屋」をこのように読むと、「未完成の言葉たち」の「4 「光」」を読む糸口が見えてくるように思う。何しろ、この部分は〈もう鎖は必要ない。〉という解放の瞬間を歌っているからだ。しかし、〈けれど、もうすぐ私は私の体とさよならする。/真の自由を手にするために〉という自殺の示唆は、本当の解放なのだろうか。
 もちろん、そうではないだろう。〈やがて「青空の部屋]で死んでいくんだろう。〉という行を含む「青空の部屋」が「未完成の言葉たち」の「3 「空」」の位置に入るのではなく、「未完成の言葉たち」の「4 「光」」のあとに続く別の作品になったのは、自殺すれば解放されるわけではないという考えに落ち着いたからではないだろうか。そして、このように考えていくと、次の詩作品「イデア」の先ほども引用した次の箇所がとても大きな意味を持っていることを感じる。

   いつもは何かと注文をつけたがる野々歩さんが、
   「君が今日まで生きてきて、この作品を作れて、本当に良かった。」
   と言ってくれた。
   その言葉を聞いて、
   私には一緒に泣いてくれる人がいるんだということに気が付いた。

 

3

 長くなったが、〈言葉にできない気持ちを言葉にする〉ために〈言葉を探〉すということが『イデア、その後』よりも前から始まっていたという話だった。先ほども触れたように、「イデア、その後」では、そのような作業がさまざまな方向に向かって行われていく。言葉を必要とするあらゆるものが次々に詩の題材として取り上げられているように感じる。そして、それは見事に成功して、さまざまなものが言葉を見つけて村岡さんの詩の新しい領土になっていく。
 ただ、それらのなかでも私には読者として特に気になるテーマがひとつある。それは〈お父さん〉のことだ。『イデア』のなかですでに始まっていた〈言葉を探〉す作業が直接つながっているのは、このテーマだと思う。そして、このテーマは村岡さんをもっとも苦しめているテーマでもあるようだ。
 一冊を読み終えたときに強い印象を残す〈お父さん〉だが、初めて出てくるのは意外と遅い。「イデア、その後」のなかの「クレプトマニア」で、全体の9作目である。それに対し、〈お母さん〉は「イデア」に含まれている全体としては3作目の「しじみ と りんご」で登場し、「未完成の言葉たち」や「青空の部屋」でも登場している。そして、「クレプトマニア」での〈お父さん〉の初登場のしかたは異様だ。
 クレプトマニアとは病的に窃盗を繰り返してしまうことである。最初の6連、2ページ半は〈私〉が繰り返したそのような食べ物の窃盗と〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉というテーマで進んでいく。正確に言うと、2連から5連までは窃盗の記憶と罪の感情であり、窃盗が見つかった破局的な場面の記憶であり、〈あなた〉が〈私〉を〈メッタ打ち〉にしたあとで〈きつく抱きしめ〉た記憶で、非常にはっきりとした映像が目に浮かぶ(〈あなた〉に対する告白という形で全体が「ですます」調になっているからということもあるだろう)。
 「クレプトマニア」というタイトルの詩だが、クレプトマニアの話はこの5連で終わってしまう。何しろ5連で〈それ以降、私はパタリと盗みをやめました。〉と言っているのだから、非常にきれいに終わってしまう。本当のテーマはクレプトマニアではないのではないか。実際、不潔で醜い男たちとの性交、しかもその男たちは自分であるというという1、6連のテーマの方がクレプトマニアのテーマよりも映像がはっきり見えて来ない分、深いのではないかと感じさせられる。窃盗癖は克服できた〈けれど私の外形は醜いまま〉。克服できないものがあると言っている。
 正直なところ、私には〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉と窃盗のつながりがよくわからない。たぶん、作者には切実なつながりがあるのだろうとは思うが、むりやりこじつけて考えてもあまり意味がないような気がするし、そこまで踏み込まない方がよいような気もする。あとで(16連)、〈切れない刃物でメッタ刺しにされているような気分。〉という〈夫〉の感想が紹介され、なるほどと思わされるが、そのような感想になるのは、外からは本当の核心がよく見えないからだろう。
 7連では1、6連の〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉の身の置所のなさから〈お母さん〉に助けを求める。ちなみに、2連から5連までの間にも親である〈あなた〉が出てくるが、この〈あなた〉は〈お母さん〉とは呼ばれていない(あとで触れるように、〈お母さん〉であることは間違いないが)。しかし、7連で〈お母さん助けて〉と悲鳴を上げたあとの8連では、生まれた家での家族が列挙される。

   お母さん、お姉ちゃん、弟、お父さん。友達。
   たくさんの人たちを傷つけながら生きてきた。」
   私の生活は今、
   たくさんの人たちの不幸の上に成り立っている。

 家族の列挙の仕方として〈お父さん〉を最後にするというのはなかなかないことだが、その後の「家族写真(抜粋)」で父親はほかの女性と別の家庭を築いたことが明かされ、なるほどと思うことになる。これだけ多くの人を列挙しているが、9連から11連は〈お父さん〉の発言と〈お父さん〉への謝罪と〈私〉の応答で、ほかの人たちは登場しない。しかも、その〈お父さん〉の発言は、人の親としてまったく信じがたいものである。

   「お前たちは育ちが悪い」
   「由梨はヤク中」

 最初の1行は、子ども全員を切り捨てるだけでなく、〈育ちが悪い〉という表現で母親も侮辱している。次の1行は、最初の1行よりももっと強い言葉で由梨さん個人を侮辱している。ここで〈たくさんの人たちを傷つけ〉ているのは、〈私〉ではなく〈お父さん〉なのである。しかし、〈私〉は〈お父さん〉に謝ってしまう。

   お父さん、誇れるような人間でなくて、ごめんなさい。

   お父さん、私のことが嫌いですか?
   私は、私のことが嫌いです。

 9連2行目の部分に対して〈私〉が謝るのはまだわかるが、これでは1行目で侮辱された母と姉、弟は救われない。
 先ほど、〈夫〉の感想について触れたが、この詩はもとの詩とそれに対する感想の両方から構成されている。〈夫〉の感想が入っている16連の冒頭は〈この詩を一気に書き上げて、〉という1行なので、もとの詩の部は15連までで、それに対する感想の部は16連以降のように見える(実際、浜風文庫で発表された初出形では、15連と16連の間に3行分ぐらいの空行が入っていた)。12連から15連は、9連から11連と同じように、〈私〉以外の人(ふたりの娘さん)の言葉に対する〈私〉の反応であり、詩のリズムとしては9連から11連とうまく響き合っている。
 しかし、内容から考えると、11連までの登場人物は結婚、出産前の家族だったのに対し、12連以降からは新しい家族が登場している。そして、12連から15連でふたりのお嬢さんが発する言葉は、11連の2行目、〈私は、私のことが嫌いです〉に対する反応である。お嬢さんたちがこの詩の前の部分を読んでいるのか、母親がこの詩と関係のないところでときどき口にする(のではないかと想像される)〈私のことが嫌い〉という言葉に反応しているのかは明確には示されていないが、16連の〈夫〉の感想のあと、17連以降でふたりのお嬢さんが〈私〉を抱きしめるところが描かれているので、彼女たちも11連までの全部を読んだのかもしれない。
 いずれにしても、ここで言っておきたいのは、11連までで前後を区切って読むと、この詩を読む上で何かと役に立つということである。15連までで区切って読むと、12連から15連が11連までの毒を洗い流してくれるというシンコペーションのような効果があるが、逆に11連までが訴えていた苦しみが見えにくくなる。言いにくいことを断片的に言葉にしながら、辛さの根源が〈お父さん〉にあることにようやくたどり着いたことがぼやける。それは、ぼやけるように書いたということでもあるのだろう。
 作者にとって、この詩はたぶん「もとの詩」よりも「感想」に意味があると思う。16連で夫の感想に反応したあと、次の3行がある。

   決して虚構を演じているわけではないけれど、
   私の中に詩という真実があるのか、
   詩の中に私は生きているのか。

どう読んだらよいか、なかなか迷うところだ。仮に「もとの詩」は11連までだったとして、クレプトマニアにしても〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉にしても父親の言葉にしても、そうですよね、そういうこともありますよね、と簡単に納得できる話ではない。〈私の中に詩という真実があるのか〉という言葉からは、〈私〉の真実は〈私〉以外の人には伝わらないのかという苛立ち、〈詩の中に私は生きているのか〉という言葉からは、〈私〉は本当に生きているのかという不安を感じる。
 しかし、次の17連でふたりのお嬢さんに抱きしめられ、次の4行が生まれる。

   幼い頃の大きな渦に飲み込まれたまま
   いつしか私は
   抱きしめるだけではなく、
   抱きしめられる立場に、また、なっていた。

〈あなた〉に抱きしめられてクレプトマニアから卒業できた5連がここで想起される。かつて子だった〈私〉は母になっており(ここで5連までの〈あなた〉が〈お母さん〉であることは間違いないと判断できる)、ふたりの子を抱きしめているが、またふたりの子に抱きしめられてもいる。

   その瞬間、
   間違いなく詩の中に生きていた。
   詩の中に生きていた。

という最後の3行からは、本当に生きているという充足感が伝わってくる。しかし、〈その瞬間、〉という限定と過去形からは、その充足感がいつまでも続くわけではないという思いも感じられる(実際、母に抱きしめられてクレプトマニアから卒業できた5連のあとの6連は〈けれど〉で始まって、〈醜い私を愛してくれる人など、いるわけもなく/私は私を愛するしかなかった。〉という閉塞に引き戻されている)。
 〈お父さん〉のことに話を戻そう。先ほども触れたように、「クレプトマニア」の「もとの詩」を11連までだと考えると、辛さの根源が〈お父さん〉にあることがはっきりする。〈「お前たちは育ちが悪い」/「由梨はヤク中」〉の2行だけでも相当なものだ。しかし、当事者ではない読者としては、もう少し手がかりがほしい。先ほども触れた「家族写真(抜粋)」には、次の3行がある(タイトルに「(抜粋)」とあるのは、浜風文庫の初出では、“”で囲まれた部分の後ろに家族写真を燃やしたことへの後悔の言葉が続いているからである)。

   精神を病み、大量服薬を繰り返した私を、軽蔑していた父。
   私の母ではない女性たちとの生活に安らぎを見出した父。
   腹違いの弟たち妹たちの方が優秀だ、と言って自慢する父。

「クレプトマニア」の〈「由梨はヤク中」〉の1行の意味がここで明らかになり、〈ヤク中〉という言葉の酷さがさらに激しく感じられる。そして、〈父〉が家族を捨てたこと、もとの家族をどのように侮辱したかもわかる。しかし、「透明な私」の次の3行の方が、〈お父さん〉に対する感情をよく伝えてくれるかもしれない。

   ゆりはどこだ!ころしてやる!
   おとうさんが、わたしをさがしてる。
   わたしは、いきをひそめて、かくれてる。

もっとも、これは一度ならず見ている〈怖い夢〉で、おそらく実際にそういうことがあったわけではないだろう。ただ、父親に対してとてつもない恐怖心を抱いていたのは事実だと思う。以上以外で〈お父さん〉が明示的に出てくるのは、「昼の光に、夜の閣の深さが分かるものか」の「3 由梨」だけである。

   だいぶ前、東京拘置所にいた父と手紙のやりとりをしたことがあって、
   その中に、父から届いたこんな言葉があった。

   「由梨が小さい頃、自分の鼻を指差して『パパ、パパだよ』って教えていたら、鼻=パパだと勘違いしたらしく、
   由梨の鼻を指差して『パパ、パパ』って言ってたことがあった(笑)。」

   それを読んで、
   怖かった父のイメージが完全に覆るまではいかなかったけれど、
   私の中で何かがグシャっと潰れて、
   涙が止まらなくなった。
   人は単純じゃない、多面的な生き物なんだって
   そう、腑に落ちたというか。
   ああ、私にも父親がいたんだな
   愛されていなかった訳じゃないんだな、ということがわかった。
   完璧な親なんていないってことも、
   傲慢だけど、許す許さないってことも、
   長い時間をかけて決着がつけばいいやと思い始めている。

引用がちょっと長くなった。読んでいて読者もほっとして救われる部分だが、〈父〉を〈怖〉いと思っていることはわかる。

 

4

 全33篇のうち、これら4篇にしか登場しない〈お父さん〉がなぜ強く印象に残ってしまったのだろうか。それは、詩集を何度も読むうちに、この〈お父さん〉が村岡さんの一部として村岡さんのなかに入り込んでいると感じてしまったからだ。何しろ、この詩集のなかで村岡さんに強い憎悪の言葉を投げつけてくるのは、〈お父さん〉と村岡さん自身だけなのである。まだ保護を必要とする小さな子どもにとって親は絶対的な存在であり、その時期に親が子に与える影響は計り知れないものがある。子どもの内面の奥深くに入り込んで容易に消えない痕跡を残すことはあると思う。それは、私自身がそうだったからということでしかなく、村岡さんもそうなのだと決めつける根拠にはならないが、一読者としての私は、村岡さんのなかに内面化された父親がいるという読みにひとたびたどり着いてしまうと、もうそこから離れられなくなってしまったというわけである。
 このように読むと、父と名指しされていなくても父の影が見えてくる作品が浮かび上がってくる。小詩集『イデア』のなかにもすでにある。それは言うまでもなく、「未完成の言葉たち」と「青空の部屋」のことだ。
 先ほども引用したように、「青空の部屋」には〈自分の精神と魂が互いの肉体を食い潰していく激しい痛み。〉という行がある。〈精神〉は論理的、理性的な思考、〈魂〉は衝動的に浮かび上がってくる理性で抑えられない感情のことだろうか。そのようなご自身のことを〈「白と黒の真っ二つに切り裂かれるアンビバレンス」〉と言っていることも先ほど触れたが、この行は次の3行から導き出されている。

   男でも女でもない。大人でも子供でもない。
   人間でいることすら、拒否する。
   じゃあ、お前は一体何者なんだ?

〈男でも女でもない〉し、〈大人でも子供でもない〉のだ。私はここに内面化された父親の存在を読み込んでしまう。そして、〈…激しい痛み。〉の行のあとには次のような連が続く。

(2行略)
   緑の生首が生えてきた。
   何かを食べている。
   私の性器が呼応する。
(4行略)
   私が母の産道をズタズタに切り裂きながら産まれてくる音だ。
   そして、漆黒の沼の底に、
   白いユリと黒いユリが絡み合っていた。

〈緑の生首〉が指しているものは内面化された父のペニスだろう。それに〈呼応〉しているのは〈私の性器〉だ。どちらも〈私〉なので、〈白いユリと黒いユリが絡み合って〉いることになる(もちろん、ユリは花の百合と村岡さんの名前の由梨をかけているのだろう)。「クレプトマニア」冒頭の〈私自身〉である〈不潔で醜い男たち〉との性交とのつながりを感じる。〈私が母の産道をズタズタに切り裂きながら産まれてくる〉というところが謎だが、〈母〉を傷つけているという罪の意識は感じられる。少し前のところで、〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉と窃盗のつながりがよくわからないと書いたが、〈不潔で醜い男たちと交わる夢〉と母のメッタ打ちからの抱擁とのつながりと見れば、これと通じるところがあるのかもしれない。
 「未完成の言葉たち」では、「2 「夜」」の冒頭に〈私は、叫んだ。/「あの女の性器を引き裂いてぶち殺せ!」〉という2行がある。ここは〈私〉が〈お父さん〉としての〈私〉で〈あの女〉が本来の〈私〉だというように私は読んでしまう(〈私〉と〈あの女〉、そして、2行後の〈お前〉が全部同じ〈私〉なのではないかということは先ほども触れた)。しかし、この詩で特に注目すべきは、「4 「光」」の後半だろう。

   ある夜、6本指になる夢を見た。
   自分の体の一部なのに、自分の思うようには動かせない、
   もどかしい6本目の指。
   思い切ってナタを振り下ろしたら、
   切り裂くような悲鳴をあげて、鮮血が飛び散った。

   真っ赤に染まった5本指は私。
   切り落とされた6本目の指は誰?

   そんな風に、痛みで私たちは繋がっている。

〈自分の体の一部なのに、自分の思うようには動かせない、/もどかしい6本目の指。〉という2行にも、〈真っ赤に染まった5本指は私。/切り落とされた6本目の指は誰?〉という2行にも、自分のなかにある他者の存在が描かれている。それが〈お父さん〉であるとは書かれていないが(〈誰?〉なのだから)、「イデア、その後」を読み、全体を何度も読んでしまった私には、〈お父さん〉に思えてしかたがない。
 「2 イデア、その後」にも、同じように気になる箇所が含まれている詩がいくつかある。「診察室」は「クレプトマニア」と同じようにていねいに読みたい作品だが、それをしてしまうと長くなるし、この文章が何を目指しているのかわからなくなってしまうので省略して、やむを得ず今の話題に関連するところだけを引っ張り出してくるが、まずは電車のなかで見かけた女性を乱暴に犯す想像をする。

   私の股の間から鋭利なナイフが生えてきて、
   女の陰部は血だらけになった。
   絶頂に達した瞬間、女は不要な単なるモノになり、
   エクスタシーと嫌悪と憎悪のグチャグチャの中で私は
   醜く歪んだ女の顔を、原型をとどめないくらい何度も殴った。

〈鋭利なナイフ〉という女性を傷つける存在としてのペニスの非常に具体的なイメージが出てくる。「クレプトマニア」の〈母の産道をズタズタに切り裂〉くという表現に通じるものがある。これは単なる男ではなく、〈お父さん〉という〈私〉の内面に住み着いてしまった具体的な男性なのではないか。
 そして、〈殺す、殺される、死ぬ、死なせるなどの/不穏な言葉が〉〈飛び交う〉診察室の場面を間にはさんで次のような2連で締めくくられる。

   死刑判決を受けて、
   独居房にいる孤独なあなたを今すぐ連れ出して
   狂おしいほど交わりたい。一つになりたい。
   そして、あなたが他の人にしたように、
   私をメッタ刺しにして、殺して欲しい。

   この詩は、午前2時過ぎにあなたとわたし宛てに書いた
   歪なラブソングだ。

この〈あなた〉は誰とは名指しされていないが、殺人事件を起こして〈死刑判決を受け〉た不特定の誰かではなく、特定の人物がイメージされていると思う。そして、冒頭の想像とつながっている。〈あなた〉は〈私〉であり、「クレプトマニア」の冒頭の〈不潔で醜い男たちと交わる〉〈私自身〉や「未完成の言葉たち」「2 「夜」」の〈私〉、〈あの女〉、〈お前〉でもある。
 実は、〈父〉に関して唯一ほっとする描写が含まれているとして先ほど引用した「昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか〉は、この〈診察室〉の半月後に発表されている。これもじっくり読むべき作品で、「1 花」の部分だけ〈診察室〉の3日後に先に発表されていて、そのあとに「2 眠」、「3 由梨」が書き足されているという形なのだが、「3 由梨」の冒頭に先ほども引用した〈東京拘置所にいた父〉が出てくる。〈死刑判決を受けて、/独居房にいる孤独なあなた〉というのはその〈父〉のことであり、〈私〉のことでもあるように見える。
 「イデア、その後」には、ほかにも「絡み合う二人」、「鏡」、「ピリピリする、私の突起」などにこのテーマに関連して注目すべき箇所があり、それぞれていねいに取り上げるべき意味があると思うが、詳述は避けたい(この文章が終わらなくなってしまうので)。
 ここでちょっと考えておきたいことがある。この文章の最初の方で、「イデア」が〈言葉を書き留めたい〉という時期、「イデア、その後」が〈言葉を探している〉時期というような見取り図を書いたが、「イデア、その後」が〈言葉を探している〉時期だというのはちょっと違うのかもしれない。〈お父さん〉、あるいは〈父〉という言葉が詩のなかに現れた過程をこのように見直してみると、〈お父さん〉という言葉は〈探して〉見つかったものとは思えない。単にお父さん一般にとどまらない村岡さんにとってある特別で具体的な意味を持った父親の像はずっと前からあり、それを表す〈お父さん〉、あるいは〈父〉という言葉は村岡さんのなかにあったと思う。
 しかし、言葉を発すること、特に文字や映像として残るような形で発することには、途方もないエネルギーが必要になることがあると思う。自分にとって特に重い意味があり、容易に解決できないことでは特にエネルギーが必要になるだろう。そういう言葉を発するためには、何かしら噛み砕いてその言葉を客観化(無害化?)できるようにする咀嚼の過程(気持ちの整理?)が必要になる。村岡さんが詩よりも十数年前から取り組んでこられた映像作品でも、公式サイトの映像作品紹介のページ( http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/works.html )を見た限りでは〈父〉というテーマは見当たらない。〈未完成の言葉たち〉、〈青空の部屋〉、〈クレプトマニア〉、〈家族写真(抜粋)〉、〈診察室〉(触れそこなっていたが、この作品は浜風文庫では〈家族写真〉の次に発表されており、詩集でも同じように配列されている。また、映像作品の『イデア』に家族写真を燃やすシーンがあるが、詩作品〈家族写真〉の3連以降の内容は映像作品には含まれていない)、〈昼の光に、夜の闇の深さが分かるものか〉という作品の流れを見ると、〈言葉を探〉す過程というよりも言葉を咀嚼し、外に発せるようにする過程のように感じる。

 

5

 詩集を何度か読むうちに、この詩集はノンフィクションとして書かれていると思うようになった。これはかなり珍しいことだと思う。今どき、詩を書こうと思って現代詩の講座に通えば、詩はフィクションでよいのであって、小学校で教わったように思ったことを正直に書くことを最優先にすることはないと教わるだろう(もっとも、私には講座に通った経験はないのでここは想像である。小学校でそういうことを教え込まれた経験の方はある)。独学でも、ゲンダイシというものを目指したのなら、あれこれの詩論などを読んで、思ったことを正直に書いたりしないものだということを学ぶ(私はこっちの方)。
 そう思った理由はいくつかある。ひとつは随所に挿入されている写真だ。「1 イデア」の最後には、こちらを向いている猫が小さく写っている家のなかで撮ったと思われる写真がある。これは生きていたときのしじみなのだろう。小詩集『イデア』には、これを含む4枚の猫の写真がある。「しじみの花が咲いた」には、黄色い花の写真がある。「はな と グミ」には折り紙、「眠は海へ行き、花は町を作った。」には小さな町という詩のなかで出てきたものの写真が入っている。そして、映画『イデア』には、家族写真を燃やすシーンがある。詩集を何度か読むうちに、これらはすべて詩に書かれたことが真実であることを証明するという任務を負ったものに見えてきてしまったのである。もちろん、それだけが目的だと言うつもりはない。むしろ、言葉だけでは足りないので、写真や映像も使っているということなのかもしれないが、結果として存在証明のようにもなっているとは言えるだろう。
 もうひとつの理由は写真ほど多くの例があるわけではないが、作品自体にある。先ほども触れたように、「クレプトマニア」は「もとの詩」と「家族の感想」のふたつの部分に分かれている。そして「家族の感想」は、「もとの詩」と一体となった村岡さんの現実の思いに対する感想になっている。つくりものに対する感想ではない。また、「塔の上のおじいさん」には、夢のなかの話だが、〈「すごい御宅だったよ。/塔の上のラプンツェルみたいなお家だった!/今から詩に書くから! そしたら読んでね、野々歩さん」〉という3行がある。ここで当たり前の前提となっているのは、見てきたものを詩に書くということだ。そして、そのような詩を家族が読んで書かれた事実についての感想を言うということが日常になっていることを窺わせる。
 そして、ある意味で決定的な理由がもうひとつある。村岡さんの作品はノンフィクションなのではないかと考えるようになり、この文章を書こうとしていたときに、たまたま公式サイトのprofileのページ( http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/profile.html )を見て驚いた。「私の制作方法」の項目に次のような一節があったのだ。

   私の作品は、フィクションではありません。どの作品も、私が見たもの・聞いたもの・体験したこと…等の忠実な再現です。作品中に描かれるもの全てが私にとっての「現実」なのです。

しかも、同じページの「私が表現したいこと「私=パラドックス」」には、〈表現手段にこだわりは無く、絵でも文章でも映像でも何でも良いのです。〉とも書かれている。これはおそらくかなり前に書かれたもので、映像作品の作者として書かれたものだろうが、「クレプトマニア」の〈真実〉という言葉はここに書かれた〈現実〉と同じ意味だろう。この文章で書いた私のあれこれの推測には的外れな部分がいろいろあるだろうが、村岡さんの詩がノンフィクションとして書かれているという推測はほぼ間違いないと思う。
 とは言え、フィクションとノンフィクションは言葉にして並べた印象ほど大きく違うわけではない。そもそも、ノンフィクションという言葉はフィクションという言葉よりも厳密で、虚構の部分がちょっとでも混ざっていたらノンフィクションとは言えなくなる。しかし、虚構がちょっとだけ混ざっているフィクションは、まったく架空のフィクションよりもノンフィクションに近いものになるだろう。
 たとえば、村岡さんの義父である鈴木志郎康さんの詩は、ほとんど詩集ごとにスタイルが変わり、取り上げられている題材も変わるので、簡単にひとことでまとめられるものではないものの、実際に起きたこと、見聞きしたことを素材として書かれたらしいものがかなり多数ある(それこそ、村岡さんの作品と同様に家族が登場するものも)。それらの作品は、完全なフィクションよりもはるかにノンフィクションに近い。しかし、多くの場合、書かれている題材自体を伝えることよりも、その題材に対する作者の視角に作者の関心があるように感じる。実際に起きたことを素材としているので、純粋なフィクションではない。しかし、鈴木志郎康さんというレンズを通し、書かれた事実よりもレンズ自体による光の曲がり方に表現行為の重点が置かれるために、書かれた事実のノンフィクション性は軽視され、ときには意図的に歪められる。ここで思い出さずにはいられないのが、鈴木志郎康さんに魚眼レンズで撮った写真を集めた『眉宇の半球』という本があることだ。そのあとがきには、次のような部分がある。

 わたしは撮影行為を一種の思考装置として来たわけである。写真を撮ることで、写真の意味の生まれ方を考えるのを楽しんできた。魚眼レンズはそういうことでは非常に楽しい。撮影するときの微妙な身体の動きが、向き合った空間の意味の持ち方に大きく影響するところが、おもしろくて堪えられない。つまり、これら写真は、結果としての「写真」であるから、それを見る方はそこから出発してしまうが、実は撮ったわたしにとっては終点なのだ。

 これは、鈴木志郎康さんの詩にも(そして多くの現代詩人の詩にも)当てはまることではないだろうか。書かれた内容よりも、それをどう書くか、どう歪めるかに興味がある。ノンフィクションを目指していないので、最終的に一切の虚構の混入を許さないノンフィクションにはなり得ない。
 このことに関連して印象に残っていることがある。20年以上前に初めて鈴木志郎康さんの奥様で、鈴木志郎康さんの詩集にたびたび登場する麻理さんと初めてお会いしたときのことだ。何しろ前世紀のことなので正確なところは覚えていないが、志郎康さんの詩にたびたび登場されることについてどう思っておられるのかを尋ねたら(もちろん、すぐ横に志郎康さんご本人もいらっしゃったのだが)、「あれは私ではありません。私はあんな人ではありません。あんなのは大嘘です」と満面の笑顔で返されたのだ。言葉の細部ははっきりと覚えていないが、笑顔で全面否定は間違いないところで、そこは死ぬまで忘れないだろう。志郎康さんも、不機嫌になったり困った顔をされたりするのではなく、いっしょに笑っていた。ところが、本当のお名前は麻理さんではなく真理子さんであるらしいということは、つい最近Facebookを見るまで知らなかった。でも、鈴木志郎康さんがどなたかの文章について、「麻里じゃなくて麻理だ」と怒っているところを目撃した記憶もある。要するに、「麻理」さんは鈴木志郎康さんの詩の世界のなかでの真実なのだ。
 このように言うと、先ほどの村岡さんの文章も〈私にとっての「現実」〉と言っているので、両者に大きな違いはないようにも見える。〈私にとっての「現実」〉だから、あなたにとっての現実ではないかもしれないと言っているわけだ。しかし、作者の意識のなかで、ノンフィクションとしての生身の自分を押し出すか、作品の世界はあくまでも作品の世界であって事実そのものではないと考えるかの間には、天と地ほどの差があると思う(どちらかが優れているということではなく)。
 ノンフィクションとして書こうとすると、書いた内容にフィクションが混ざらないようにしようとする。フィクションを排除して書こうとすると、作者が特に意識しなくても、作者という統一体が作品全体にある秩序を与えるようになるのではないだろうか。もちろん、作者自身にも統一の取れていない部分やはっきりと矛盾する部分があり(村岡さんの主題はまさにそこにある)、たとえば光を求める作品と光を拒絶する作品が現れるというようなことはあるだろう。作者にも、外部の情況の変化や自分のなかの感覚や思考の発展とともに変化が現れるはずだ。しかし、作者にとっての現実にできる限り忠実に書こうとすれば、矛盾にも一貫性のある形が現れ、時間とともに起きる変化も、前の段階を踏まえた成長、変化であって、唐突なものにはならないだろう。
 それに対し、ノンフィクションとして書く気がなければ、作品を作品らしく仕上げることに力を注ぐことになる。だから、作品が独立し、過去の作品が今の作品に影響を与えたり、今の作品が将来の作品を縛ったりすることはない。
 もっとも、これは図式化しすぎで、ノンフィクションとして書くという意識がなくても、同じ作者が書くものが大きくばらついたりはしないものだろう。ひとりの作家を論じるときには、この作家にはこれこれこのような傾向があり、このような主題の展開、発展があるという指摘をするものだ。しかし、ノンフィクションとして書かれた詩群には、その程度ではとても済まないぐらいの複雑なリンクが張り巡らされる。そのため、ひとつの詩を単独で解釈するのが難しくなる。個々の作品の独立性が弱まるということだ。この文章がこのような形で、つまりある作品のある部分と別の作品のある部分のつながりを執拗に追いかけるような形で書かれることになったのはそのためである。

 この文章は、映像作家として確固たる地位を築いた村岡さんがなぜ新たに詩作にも進出したのかという素朴な疑問から始まった。その疑問がつまらないものだったことはすぐにわかった。しかし、ひとつひとつの詩作品には作品としてのまとまりがありつつ、それらの詩作品の間に密接なつながりがあるこの詩集は、まとまった複数のシーンが組み合わされて作られる映像作品の比喩のようでもある。
 浜風文庫( https://beachwind-lib.net/?cat=48 )には、すでにこの詩集以後の作品がたくさん集まっている。それらを読むと、浜風文庫に「ねむの、若くて切実な歌声」が掲載されてから4年もたっていないのが嘘のように感じる。この文章ではふたりのお嬢さんについては最初の方でしか触れなかったが、2年ちょっとの詩集のなかの時間でも、成長にともなう大きな変化が感じられる。詩集以後の2年弱で変化のスピードがさらに上がったような気がする。月並みな言い方だが、村岡さんの詩からは当分目を離せない。
(2021.10―2022.09)

 

(後記)
 2021年7月に出た詩集について、内面化された父親とノンフィクションというアイデアをつかんで10月頃からこの文章を書き始めたが、2ぐらいまで書いたところで停滞してしまった。今年の1月末から2月始めにかけて3の冒頭を書こうとしたが、ほんの少し進んだだけでまた止まった。今度の停滞は非常に長く、やっと再開したのはこの8月で、何とかここまできた。文章を区切って番号を入れたのはこの作業の過程である。
 4を書き終えようというところで、Profileページを確認するために久しぶりに公式ページを見た。そしてdiaryページを見ていないことに気づき、恐る恐る覗いてみた。恐る恐るというのは、不都合な事実がわかっちゃっう恐れがあるからだ。2004年から書き続けられているので(毎日ではないが)、かなりの量がある。最初はつまみ食いのような読み方だったが、この後記を書く前に全部読んだ(映像作品もVimeoで見られる分は一通り見た)。で、予想通り不都合な事実がわかっちゃったわけである。
 「しじみ と りんご」の〈始めたばかりの拙い詩〉というフレーズを鵜呑みにして、村岡さんの詩は『イデア』から始まったのだと思い込んでいたが、それは村岡さん自身が自らの言葉を「詩」として押し出すようになったのが『イデア』、「ねむの、若くて切実な歌声」からだということに過ぎず、diaryにはすでに詩の原石がたくさん眠っていたことがわかった。それこそ、はてなブログに移行する前の2004年12月11日の最初の記事からそうだ( http://www.yuri-paradox.ecweb.jp/diary/04-12.html )。

   基本的に私は、「変化するもの」より「変化しないもの」に惹かれるんです。根がグータラだからかもしれないけど(笑)。「不変なもの」に惹かれるの。だから自分自身の変化も望まないんです。永遠に私は私でいたいんです。ただね、変化は変化でも、唯一例外、「成長」という名の変化だけは大歓迎であります! 常に学習して常に成長し続けたいわ!

〈「普遍なもの」に惹かれるの〉から〈…大歓迎であります!〉までの各文の展開の速さ、疾走感(あえて吉増剛造的な語彙を使うが)はすごいものだと思う。はてなブログ移行前のすべてのエントリーに、さまざまな意味で詩的だと思わされる部分が含まれている。
 しかし、「ねむの、若くて切実な歌声」以前の詩的原石は、散文の一部に詩的なものが含まれているということには留まらない。2006年3月3日の「タイトルなんて思い浮かばないです」が最初だと思うが、行分け詩のように一文一文で改行するエントリーも現れる。これはブログなどではよくあることだと言ってしまえばそれまでだが、2007年5月3日に「言葉にならない詩」というタイトルで、一文の途中でも改行するエントリーが現れる。これは「青空の部屋」の原形とも言うべきもので、一読者からすれば詩作品そのものだと言えるだけの質がある。2008年には、義父である鈴木志郎康さんの『声の生地』の感想があり、行分けの投稿が目立って増えてくる。その最初である2008年6月6日の「箱の中から こんにちは!」は、〈今日のこのブログ記事〉という言葉が出てきて、詩を書くという意識ではないのだろうが、最後の行が秀逸だ。
 統合失調症の治療のために作家活動を休止したという期間はブログ記事も少なくなるが、2017年から2018年にかけてはこの種の詩の卵がたくさん登場する。しかし、村岡さんはそれらをあくまでも「詩」としては扱っていない。ただ、その後の詩の素材としては使っている。たとえば、「透明な私」から〈おとうさん〉が出てくる箇所として引用した3行は、2017年7月7日の「こわいゆめ」に含まれている3行の1、2行目を逆転させたものだ。村岡さんの詩が「ねむの、若くて切実な歌声」から唐突に始まったわけではないことがわかった。イメージの多くには、長ければ10年以上の歴史がある。村岡さんの詩が2018年に始まったという先入観で文章を書いてしまったので、いやあ参ったというところである。
 詩集のなかでの父親の登場が遅いということも書いたが、diaryでは、先ほどの2017年7月7日以外で2008、9年に3回登場している。それらはどれも悪い登場のしかたではない。〈「人生は絶望でいっぱいだけど、ほんの少しの希望があれば、それだけで、人生を生き抜く価値がある」〉という〈良い言葉〉を言った人であり、〈「晴れ着を着て、記念写真を撮りなさい」〉と言ってお金を渡してくれた人であり、〈知識欲が旺盛な人〉であって、「クレプトマニア」や「家族写真(抜粋)」で出てきた人とは別人のようである。しかし、3箇所とも注意して読むと、父に対して複雑な感情を抱いていることは伝わってくる。
 ほかにも、diaryを読まずに、詩集だけを読んだためにちょっと不都合なところはいくつかある(〈私が母の産道をズタズタに切り裂きながら産まれ〉たというのが事実だったらしいことなど)。ちなみに、Facebookの古い投稿は読んでいないが、それも読んでいればさらに新たなことがわかってしまうだろう。しかし、不備がいくつもあってもまったく無駄なものを書いたわけではないだろうと思うので、このまま提出することにした。以上、長い言い訳で恐縮です。

 

 

 

 

2022年の憲法記念日

 

長尾高弘

 
 

ウクライナには
日本の憲法9条のようなものがなく、
歴としたウクライナ軍がある。
みんなそれを忘れてないか?
ロシアが侵攻したのは、
ウクライナ軍がロシア系住民を殺してる
という主張からだ。
(それは言いがかりだという人もいるけど、
 ぼくは本当だと思っている。
 証拠の動画は捏造されたものには思えなかった。
 でも、さしあたりその点については白黒をつけないでおこう)
もし、ウクライナ軍なんてものがなければ、
ロシア軍だってウクライナに攻めていくことは
できなかったはずだ。
自衛戦争の形をとりつくろわなければ
今どき戦争なんて始められないのだから。
なんで軍隊なんか持ってしまったのだろう?

日本には憲法9条がある。
でも、自衛隊という軍隊にしか見えないものがあり、
アメリカと日米安全保障条約という軍事同盟を結んでいて、
アメリカの戦争に参加する集団的自衛権なんてものも
行使することになってしまった。
日本のまわりは中国、朝鮮、ロシアと
アメリカが敵扱いしている国がずらりと並んでる。
朝鮮など、休戦してるとはいえ、
アメリカとはずっと戦争状態のままだ。
最近は台湾をめぐってアメリカが中国に脅しをかけており、
日本もしっぽを振ってついていこうとしてる。
南西諸島は中国の方を向いたミサイル基地だらけだ。
おまけにウクライナ紛争をきっかけに、
世論調査では改憲した方がいいという人の方が多いと
新聞が騒いでる。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることの
ないやうにすることを決意し」たんじゃなかったのか?
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
 われらの安全と生存を保持しようと決意した」んじゃ
なかったのか?
もう過去の過ちは繰り返さないという決意は
どこに行っちゃったのか?

 

 

 

長田典子『ふづくら幻影』読書メモ

 

長尾高弘

 
 

 

『ふづくら幻影』は、作者が幼少時に暮らし、人造のダム湖である津久井湖の底に沈んだ旧神奈川県津久井郡中野町不津倉にまつわる詩作品を集めた詩集である。以下は、個々の作品の感想。まだ詩集を読まれていない方は、先に詩集を読んだ方がよいかもしれない。

「祈り」。「涙」という縦の動きが「水位」という言葉で横に広がる「湖面」という境界となり、その下に沈んだ祖先との間に長い距離ができる。この場合、水は必然的に冷たいものになるだろう。最後の「永遠に結露する」が見事。

「夏の終わり」。湖が渇れて地上に現れたかつての村の絵が二度描かれる。おじおばが若かった頃はまだどこがどこだったかわかるが、「新しく家族となった男」と数十年後に来たときにはもうどこがどこだかわからない。湖底というふだん見えないものが見えたときに数十年という時間が重層化される。「男」という言葉がちょっと冷たく感じられて気になる。

「上を向いて歩こう」。「幼すぎた私の涙」の5行と坂本九の歌で工場にいた家族、親戚、奉公人の思いを描いている。天井が夜空になって星が輝くことから、決して辛い涙ばかりではないのだろう。

「バャリースのオレンヂジュース」。働く人々の褻の日々を描いたあとで晴れの日が描かれる。ふたつの詩で高度経済成長期の空気をよく伝えていると思う(私も長田さんよりさらに幼いながらその時代を生きたので、ぼんやり思い出すものがある)。

「セドリックとダイナマイト」。タイトルのふたつはセットであることが明かされる。でも、補償金はまだ入っていないのだ。このセドリックの種明かしの1行が初読のときから印象に残った。火消しの場面は、この詩集では書かれていない家族の運命の伏線になっているようだ。最後から2番目の連はひょっとするとなくてもよかったのかもしれない。

「しらんぷり」。「大きな魚」が効いている。日常と非日常。外から来た人の死が明らかになったところで繰り返される「いつも通り」も効いている。最後の連を読むと、遠くから見ると光っているのに近づくとただの石になってしまう川の石の連が自然の恐ろしさの伏線になっていたのかと気づく。

「蛍」。50年前は私が住んでいた柏市でも行くべきところに行けば蛍が見られた。20代の頃、越後湯沢で見たのが最後だなあ、と蛍がいた頃のことを思い出す。すごい技を持っているおじさんというのも、ごくわずかになっただろう。その時代を知っている者には、時代が変わったことがよく伝わってくる。

「水のひと」。過去には夢ではなく現実だったはずの野辺送りの行列が夢のように美しく描かれている。とりどりの色とひらひら、ゆらゆらといった畳語(ひとびとというのもある)がそのような効果を盛り上げていると思う。最後の「商店街のある町で/溺れたひともいるそうです」の2行が、村を失ったことの後悔を問わず語りに示していてうまいと思う。

「お祭り」。過去の村の生活を美化しているだけではなく、男の子は神輿をかつげるのに女の子はかつがせてもらえないというジェンダーの問題を告発口調ではなくそっと示している。「黒曜石」は、「ツリーハウス」や「空は細長く」でも何食わぬ顔をして再登場する。

「かーん、かーん、キラキラ」。ジェンダーでは差別される側だったが、民族では差別している側に立っている。食べもののなかに砂が混ざり込んでいたときのような苦さがある。でも、この作品が入っていることによって、この詩集が描く村の生活は深みが増したと思う。

「川は流れる」。これを読んで改めて地図を見た。相模川の源流が山中湖にあることを初めて知った。川をせき止めて作った湖の詩集に川の源流の話は欠かせないだろう。最後の「めだかに遊んでもらっていたのも気づかずに/川がお母さんのようだったのも気づかずに」の2行が効いている。

「ツリーハウス」。村が湖底に沈んだあとの再訪の詩であり、「夏の終わり」と対応している。このふたつの詩の間に過去の村の絵が入っている。「蛍」からの3作が、開発と無関係だった頃の村の生活を活写していて、それが詩集のちょうど中央あたりになっており、時間をU字形にたどっている。山羊の黒曜石と「わたし」のうんこの対比が面白い。

「午前四時」。亡くなったご両親が夢に現れる。浜風文庫で故郷を離れたあとのお父上との激しい対立関係についての作品をすでに読んでいるので、「もう借金取りに追いかけられるのはいやだからね/こんどこそ儲かるといいね」という2行をいずれまとめられるだろうその詩集の予告編のように受け取ってしまった。でも、ここでは「もっともっと たくさん/いろんな ありがとうを 言わなくちゃ」といった行に救われる。

「黄浦江」。メアンダーはmeanderで蛇行という意味の英語。前作『ニューヨーク・ディグ・ダグ』を思い出させる。国境を越えて蛇行という共通点を持つ中国の川と外国の人が登場することによって詩集の風通しがよくなっている。

「空は細長く」。今という時間から過去を振り返っている。スサノオが退治したヤマタノオロチなるものもおそらく川であり、彼は治水の力によって権力を獲得したのだろう、というようなことを思い出す。詩集内の位置からも、湖の底に沈んだ川沿いの村へのレクイエムのような響きを感じる。

「巡礼」。ユーラシア大陸の西の果てで東の果ての故郷を思う。時間も戦国から現代までをたどり、「セシウム」が効いている。スケールが大きくて、詩集の締めくくりの詩にふさわしい。

途中で少々文句もつけてしまったが、時代と人が見事に描かれていて、構成がよく練られているすばらしい詩集だと思う。最後にもうひとつ文句を言ってしまうと、製紐工場の最後を見たかった。それは次の詩集で明らかにされるのかもしれないけど。

 

 

 

井手綾香の選曲によるメッセージ?

 

長尾高弘

 
 

去年(2020年)の春先に人に教わって井手綾香というシンガーソングライターのことを知った。私も00年代にはそれなりにJ-POPも聞いていて、当時まだ潰れていなかった地元のCDショップでMONGOL800の『Message』を買い(沖縄のインディーズのCDが横浜で買えたのだからいい時代だった)、BUMP OF CHICKENの「天体観測」の歌詞をとても気に入っていた(CDどこ行っちゃったんだろう?)。女性シンガーでは椎名林檎、鬼束ちひろ、CoccoのCDを買っていて、最終的にはCoccoに落ち着いた(最近になって、「練炭自殺する人は最初に椎名林檎を聴き、次にCoccoを聴いて、最後に鬼束ちひろの曲を聴いてから死ぬ」などと言われていたことを知って驚いた)。しかし、00年代終わり頃から翻訳仕事のBGMはすっかりクラシックに落ち着いてしまい(耳から歌詞が入ってくると仕事にならないのだ)、新しいJ-POPはテレビなどでたまたま耳にしたものしか知らなくなってしまった。安倍政権になった頃あたりから、テレビの歌番組はどんどん縮小され、出演者もジャニーズとAKB、坂道が半分以上を占めるようになったので、J-POPはごく一部しか耳に入らなくなっていたようだ。

で、井手綾香に話を戻すと、最初からすごいと思ったわけではなかった。CDを出しているビクターエンターテインメントによる公式ユーチューブチャンネル(https://www.youtube.com/channel/UCQ3rWvbZThf0ihnRnHP0oug)でPV(プロモーションビデオ)をいくつか見て、たしかに聞き覚えがある曲があることはわかったものの、そのときは特にそれ以上の興味はわかなかった。それからしばらくの間、井手綾香というアーティストのことはすっかり忘れていた。

そうこうするうちに新型コロナが世界的な大問題になり、日本でも緊急事態宣言が出されて、街からすっかり人が消えた。ライブスポットはコロナのクラスター発生源と見なされ、ミュージシャンには辛い日々が始まった。井手が3月に予定していた3人ライブも延期になったらしい。そのような時期に、最初に井手のことを教えてくれた人から、彼女が新しいホームページとユーチューブチャンネルを作ったという話を聞き、ちょっと覗きに行った。ライブ活動の場を失ったミュージシャンたちがインターネット経由で無観客のライブ演奏を聞かせる配信ライブというのを始めたことが話題になり始めた頃だ。ホームページによると、活動名をひらがな表記の「いであやか」から本名の「井手綾香」に変えたらしい。デビューしたときには「井手綾香」だったが、途中で「いであやか」になり、今回また戻ったということだそうだ。先ほどのユーチューブチャンネルが「いであやか」のチャンネルであるのに対し、新しい方は「井手綾香」のチャンネルである(https://www.youtube.com/channel/UCGbgXnr75_H-_24WTRaJxJw)。

開設したばかりだからなのだろう、見られる動画は数本しかなかった。どれも自作曲ではなく、内外の有名楽曲を歌い直すいわゆるカバーだった。しかし、その歌を聞いて本当にびっくりした。とてつもなくうまいのである。たとえば、宇多田ヒカルの「Automatic」が元の曲とはまったく別の曲のように聞こえる(https://www.youtube.com/watch?v=pvlVoEh0Lk4)。他の曲も、ユーチューブで検索すればオリジナルのアーティストの演奏が聞けるが、どれも自分の解釈で自分の曲にしていることがわかる。

そもそも、日本のポップスのボーカリストは、CDで聴いてよいと思っても、テレビの生放送などで歌っているところを聞くと、なんでこんなに音を外すんだろうと思わされることが多い。CDにしたり配信販売したりする音源の製作では、何度も録音して音が外れていないよい部分を絶妙な編集作業でつないでいって上手な演奏に仕立て上げるという話を聞く。歌が下手なことで有名だったが人気絶頂でセールスも好調なアイドルグループのCDでも、たしかにあまり音が外れているようには聞こえなかった。つまり、CD、配信、ラジオ、店で流れている有線放送などでは歌の上手下手があまりわからないのである。そういうところで人気をつかんだ歌い手だけがテレビに出てきて、音を外しても素知らぬ顔で歌を歌い、ファンも素知らぬ顔をして声援を送る。本当に歌のうまいアーティストには気の毒なシステムだ。

自分が音痴なものだから、外していないところでも外していると思っているようなところがあるのかもしれないが、アメリカのボーカリストがライブで歌っているところなどを見るとたいていは本当にうまいもので(外さないだけでなく、声にパンチがあり、説得力がある)、日本の市場全体のレベルの低さを感じてしまう。井手の歌は、アメリカの多くのボーカリストをはるかに越えると言えるかどうかまではわからないが、少なくとも日本の多くのボーカリストをはるかに凌駕するレベルだと感じた。ただ外さないというだけでなく、発声に無理がなく(無理な発声だと聴いている方も疲れてくるような気がする)、声に透明感があり(特に高音の裏声が美しい)、歌の感情に合わせて声の表情を変えてくる。だからこそ、独自の解釈と感じられるのだと思う。

そういうわけで、初めて知ってから3、4か月後、私のなかで井手綾香はまずシンガーとして気になる存在になった。なにしろ、音源として作られた音に絵を被せているPVよりも、自室で絵と音をぱっと同時に撮った動画の方が歌としてすっと入ってきたのだ。なかなかあることではない。ユーチューブ井手綾香チャンネルのカバー曲の動画は何度も繰り返し見た。最初のうちはひんぱんに更新されていたが、5月半ばで新しいカバー曲の動画はしばらく追加されなくなった。代わってインテリアアートの動画が2つ追加されたので、それらも見た。特に2本目は、絵を製作するところを早回しで見せているのだが、迷いなくすすっと進む鉛筆が見事な線を描いていくことに驚いた。ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%84%E3%81%8B)を見て、高校は芸術学科で絵を学んでいたことを知り、なるほどと思った。絵に舌を巻きはしたが、見たいのはやはり歌っている動画である。7月に1本追加されたが、またしばらく更新が止まった。

そうこうするうちに夏は過ぎていった。そして、9月に入ったところで新しい方のユーチューブチャンネルに新しい動画(https://www.youtube.com/watch?v=bhNb-b2F_Pg)が追加された。今度のものはカバーではなく、自室での自撮りでもない。バンドを従えた無観客配信ライブで音源になっていない自作曲を歌ったものである。タイトルは「チキン南蛮のうた」。井手の地元である宮崎のことを宮崎弁で軽く自虐しながら(知らなかったがチキン南蛮は宮崎名物らしい)、むしろ宮崎の人が喜びそうな内容の歌にしている。クスッという笑いはあるが、決してコミックソングではなく、ノリのよいポップな曲だ。曲の〆で井手がふらついて「こけるとこやった」と言うところまで入っているのだが、そのイントネーションはおそらく宮崎弁のものなのだろう。ひょっとすると、そのイントネーションが曲にも生かされてるのかもしれない。

驚いたのは、ビクターのユーチューブに入っている数々の曲とはテイストがまったく違っていたことだ。たいがいのアーティストにはその人のカラーというものがあって、同じような感じの曲を量産していく。カラーがまったくないのも個性がないということで問題なのかもしれないが、同じパターンではだんだん縮小再生産になってしまう。私には曲を作るというところがもう想像を絶する謎の作業なのだが、そういう私でも井手には普通のアーティストよりも作曲の引き出しがたくさんありそうだと思った。かくして、井手綾香はソングライターとしても気になる存在になった。

彼女が作った曲について知りたければ、やはりCDを買うということになる。ウィキペディアによると、フルアルバムは『atelier』(2012年)、『ワタシプラス』(2014年)、『A.I. ayaka ide』(2017年)の3枚があるらしい。大人買いではなく、古いものから2週間置きに1枚ずつ買ってじっくり聴くことにした。それも今まで買ったことのない初回限定DVD付きというやつである。最初のPVの印象が薄かったのに対し、ライブを見てこの人はすごいと思ったので、DVDにライブ映像が入っていることを期待したのである。『atelier』のDVDはすべてPVだったが(それまでに発売されたシングルやミニアルバムのために作られているものも含まれているらしく、アレンジが違う曲もあるということにはあとで気づいた)、『ワタシプラス』には『atelier』発売時の全国ツアーのライブ映像、『A.I. ayaka ide』には、PVのほかにピアノ(井手本人が弾いている)とチェロをバックに歌うアコースティックなスタジオライブが入っていた。井手の歌唱の魅力を存分に味わえる後者には特に満足した。その後、アマゾンでメジャーデビュー前の『Toy』というインディーズ盤も中古で入手できることがわかって買った。

これでばっちりだと思っていたところ、偶然スポティファイ(Spotify)というネットの音楽配信サービスがあることを知った。無料と有料の2種類の契約があり、無料サービスだとあれこれ制限があるが、CDや配信でメジャーレーベルから公式にリリースされた曲ならすべて、無料サービスでもフルコーラスで聞ける。このスポティファイで井手綾香といであやかのページを見ると、ミニアルバムやシングルに入っているのにフルアルバムには入っていない曲がけっこうあることがわかった。最初は無料サービスの制限のことをよく知らず、買ったCDで聞けるものを含めてPCアプリでいろいろな曲を聴きまくっていたら、あっという間に1か月間に自由に聴ける曲数の上限に達してPCでは何も聴けなくなった。それでもスマホのアプリではプレイリストに登録した曲を聞けるので、プレイリストを作り、ブルートゥースでスマホをカーオーディオにつないで聴いていた。ただし、無料サービスのスマホアプリでは曲順を指定できないので、聴きたい曲をすぐに聴くことはできない。そういう制約はあったが、リリースされた大半の曲は聴けるようになった。スポティファイにはなぜか最初のミニアルバムである『Portrait』(2011年)が入っていなかったので、しばらくしてそれを買ったらCDか配信でリリースされた曲は全部聞けるようになった。次のミニアルバム『Portfolio』(2011年)はスポティファイで聞けるけれどもそれも買った。

シンガーソングライターには、歌唱と作曲と作詞の3つの要素がある。もちろん、それらがひとつにまとまってシンガーソングライターのパフォーマンスになるわけだから、バラバラに切り離してあれこれあげつらうのは無粋というものかもしれない。しかし、今まで書いてきたように、私はまず井手の歌唱に引き込まれ、あれ、曲もいいぞと思うようになってきたところだった。CDを買うと歌詞カードが入っている。そこで、必然的に歌詞もちょっと見てみようかということになる。

私が普段接している現代詩は曲がつくことを想定していないが、歌詞は曲がつくことが前提となっており、その分制約があると考えられる。ポップミュージックには、おおよそAメロ、Bメロ、サビという3種類のメロディが入り、Aメロが起承転結の起でBメロが承、Bメロの最後に転を感じさせる小節が入って、サビで結というか、一番の思い(叙情の情の部分)をどんと打ち出すという形があるようだ。このAメロ、Bメロ、サビをだいたい2回は繰り返す。ただの繰り返しではなく、Aメロ、Bメロの繰り返し方を加減したり、順番を変えたり(たとえば、最初にサビを持ってくることもある)、一部を省略したりすることが多いが、その繰り返しの部分では、同じ歌詞を繰り返したり、少し変えたものにしたりすることが多い。字数は短歌や俳句などと比べれば自由だが、曲につける以上、曲がつかない自由詩と比べれば自由ではない。だいたい、ひとつの曲はせいぜい5、6分までなのだから、だらだらと長い歌詞を作るわけにはいかない。そういう意味で、歌詞には定型詩的な部分があるはずで、そのような部分が歌詞の作りや発想にも影響を与えていると思う。

さらに、曲を聴いて楽しむ側は、一般に歌詞の全貌には触れない。CMなどで曲が使われる場合、サビのそのまた一部ぐらいしか流れないわけで、歌詞の全体像などとてもわからない。ドラマの主題歌になればもう少し長く使われるが、2番以降の部分が省略されることが大半だ。テレビの音楽番組などでワンコーラス分、あるいはフルコーラスで聞ける場合でも、かならずよく聞き取れない部分が出てくる。むしろ、インパクトの強いワンフレーズを入れられるかどうかが勝負のような感じもする。しかし、カラオケで歌おうという人は(私はカラオケは大嫌いで、やむなく行ってもできる限り歌わずに済ませようとするけど)歌詞をなめるように読むはずであり、そうでなくてもCDには歌詞カードも付けるわけで、全体としての完成度もおざなりにはできないだろう。

一応素人なりにそのような考えの枠組みを準備して、曲を聴きながら歌詞を聞き取ろうとしたり、歌詞カードを読んだりしてみた。最初に買った『atelier』を聴いていると、曲の境界を越えて、夢を実現するために頑張るというメッセージが入ってくる。自分を曲げないという意思の強さや容易に自分の思い通りにはならない現実の厳しさを感じていることも伝わってくる。恋愛や失恋の曲は意外と少ない。かつて好んで聴いていた生きづらさを前面に出したアーティストたちとはまったく違うが、まっすぐな気持ちが伝わってきてよいと思った。

最初はそれだけで満足していた。失礼ながら、それ以上のものを期待していたわけではなかった。ところが、ある日『ワタシプラス』に入っている「青いバス」(https://www.uta-net.com/song/161777/)という曲を聴いていて、おやと思った。冒頭のAメロは「今日も」という言葉でいつもと同じということを強調している一方で、次のフレーズでは「珍しく優しい」といつもよりよい方に違うということを言っている。さてはいつもとは違う何か(たぶん、嫌なこと)があったなということをここで予告しているようだ。果たしてサビの後半で彼氏が出ていったという種明かしがある。そういえば、Bメロでは運転手の優しさに続いて、ちょっとよいこと(とてつもなくよいことではなく、ほんのちょっとよいこと)を強調していたなということが思い出され、サビの冒頭で「幸せだらけ」とちょっとやけっぱちな言い方をしていることも思い出される。強がりを言っているけれどもへこんでいることがよくわかる。それでもなんとか自分を保とうとしているところに好感が持てる。そして、この歌詞を乗せている曲が能天気というぐらいに明るいのだ(https://www.youtube.com/watch?v=KjmZFgpiFyQ)。

先ほど、歌詞の世界ではインパクトの強いワンフレーズが勝負になっているのではないかと言ったが、「青いバス」の歌詞に感じるのは作りのよさだ。小さな部品がうまく噛み合わさって全体として大きな効果を上げているように感じる。ただ、ぼんやり聞いていたら、そういう作りになっていることがわからないのがちょっと不利なのかなとも思う(実際、私はぼんやり聞いていたので、何度か聞くまでこの曲の歌詞の構造に気づかなかった)。

そのうち、そのような歌詞の作りのよさを感じる曲がほかにもあることに気づいた。たとえば、『atelier』に入っている「ひだり手」(https://www.uta-net.com/song/128721/)だ。これもうっかりしていて最初は「抱き締めて」、「キスをして」と言っている相手を恋人だと思っていたが、『ワタシプラス』のDVDに収められているライブでトロンボーン奏者でもある「アメリカのおじいさん」だということを知った(「ひだり手」のトロンボーンはこの祖父、井手の母の父であるビル・ワトラスが吹いており、PVでは井手がビルの肖像画を描いている。PVの一部はユーチューブいであやかチャンネルに入っている。https://www.youtube.com/watch?v=rDJK9yaVwaQ)。確かに歌詞をじっくり読めば、愛の形が恋人のものではなく、家族のものだということがわかる。

この曲の歌詞でまずうまいなと思ったのは、冒頭のAメロで「あの雨を降らせた 大きな雨雲は/遠い空に浮かんでる」と言っているところだ。ここで「雨」はすでに過去の話になっており、「遠い空」ということから無害で小さなものになっていることがわかる。危険はもう終わっているということで聞いている側としてはほっとするし、あとの部分で語られる「愛」が単なる約束ではなく、実際に注いでくれたものだということがはっきりする。その分、愛は確かで強く大きいものとして受け取られるのだ。歌詞は「何気ない言葉ひとつで/晴れてゆく 涙の粒/手のひらには愛が見える」と続いており、「雨」は涙の原因、または涙そのものを指す比喩だとわかる。祖父は何気ない言葉をかけ、手を差し出してくれた。その愛で苦しさから救われる。こうやって散文化して書くと味気ないが、歌詞は限られた数の言葉でこれだけの情報をしっかり伝えてくる。

1番のサビが終わると、2番のAメロ、「あの日私はまだ 背伸びした子供で…」が続く。1番で「遠い空」という空間的な距離があることを示したのに対し、今度は時間的な距離があることを示していて、さらに雨が遠ざかる。1番では「雨」は比喩として描かれていたが、2番では傘や濡れた肩の具体的な描写をしている。大きな祖父に守られている小さな孫娘のイメージがくっきりと見えてくる。しかし、1番で「雨」が比喩的なものとして扱われているので、この雨から孫娘を守る祖父のイメージは、愛のひとつの形として比喩的に受け取られる。1回雨から守ってくれたというだけではなく、さまざまな形で守ってくれたことが何度もあったという広がりが出てくるのだ。

片思いしている彼のいるところに出かけたけれども、何もなくひとりで帰ってくるという『ワタシプラス』の「ストール」(https://www.uta-net.com/song/161781/https://www.youtube.com/watch?v=mdHUS5H6Uh8)も作りがしっかりしていると思う。「君」のためにいろいろ揃えたけれどもストールが足りないという一見単純な歌詞だが(「ストールが足りない」の部分がサビになっていて強く押し出されてくるので、この作りが非常にはっきりわかる)、「ストール」がなければ首筋が寒いわけで、寒々とした気持ちだということが伝わってくるし、それは最後に出てくるように「君」が足りないということでもあるだろうが、自分には愛されるために必要な何かがどうにも足りないと感じているのではないかとも想像させられる。そして、「春の匂いはまだしない」などと言って、季節の上でもまだ恋愛に届いていないことを暗示している(「夜風は冷たい」とか「白い溜め息」といった言葉も冬を強調している)。たまたま冬にそういうことがあったと解釈するよりも、季節も動員して恋がうまくいかないことが強く伝わるように作り込んでいると解釈する方が自然だろう。

ネットに残っているメジャーデビューから数か月後のインタビュー(https://natalie.mu/music/pp/ideayaka/page/1)に面白い発言がある。歌詞を言葉の響きとして捉えていたので、初めて書いた歌詞はひどい内容だった、今(2011年現在)でも歌詞は苦戦しているというのだ。これについては、メジャーデビュー前のインディーズアルバム(と言っても、製造販売はメジャーデビュー時と同じビクターである)『Toy』の各曲の歌詞に手がかりがある。『Toy』には、ビートルズの「Let It Be」のカバーのほか、オリジナル曲として「愛をつなごう」、「まっすぐに」、「あのね」、「ありがとう」の4曲が収録されているが、これらはメジャーデビュー後のミニアルバム『Portrait』と『Portfolio』にも収録され(それぞれに2曲ずつという形で)、「あのね」と「愛をつなごう」はフルアルバムの『atelier』にも収録されている。これらのCDを買ってしばらくたってから気づいたのだが、吉田珠奈との合作とクレジットされている「ありがとう」以外の3曲の作詞者は井手綾香単独から井手綾香、MIZUEの共作になっている。

そして、どれも歌詞の内容が大幅に変わっている。「あのね」(https://www.uta-net.com/song/108172/)はストーリーが大きく変わった。オリジナルでは、1番(AメロふたつとBメロ、サビ)から2番のAメロ、Bメロ、サビ1までは主語が「ぼく」であり、おそらく男の子だと思われる。それに対し、2番のサビ2は主語が「私」であり、こちらは男の子の思いを聞いた女の子だと思われる。最後の〆の部分はふたりのうちのどちらとも取れるし、両方だとしてもよいのかもしれない。1番では仲直りしようとして苦しむ男の子の姿が描かれるが、2番では一転して「いつのまにか笑いあってい」る。リアルではある(現実の生活はそんなもんだろう)が、ここでちょっと話が白ける感じになるのは否めない。しかも、終わった話をまた蒸し返して「思い出となって」「隠れている」「あの日の思い」を打ち明け、互いに相手を「my best friend」と認め合うというのだから、ちょっと盛り上がりに欠ける(不和になる前には少なくとも淡い恋愛の予感ぐらいはあるが、ここで「my best friend」と言うことによって恋愛の芽は完全になくなっているように思う)。

改作後は、1番と2番の間に時間的距離はない。最初に出てきた手紙を書くに至った気持ちを縷縷述べている。主語は一切出てこないので、この思いの主が男の子か女の子かまったくわからないし、「手をつなぎたい」という部分もなくなっているので、相手が恋愛対象なのか単なる友だちなのかもわかりにくくなっている。不和の原因が書かれていないのは両作で同じだが、改作前の思いの主にはその原因がわかっているらしいのに対し、改作後は思いの主にも原因がわからず、その分困惑が強くなっている。また、その困惑の様子が「廊下に向かう君に/声かけることできずに」のように具体的に描かれているのではっきりとした印象が残る。そして、改作後の歌詞では、相手が許してくれるのかどうかわからないにもかかわらず、「どんな事があっても/君はMy Best Friend」と言い切って終わることにより、思いの主が困惑状態から1歩前に踏み出していることがはっきりし、高揚感がある。話を単純化し、描写を具体的にしている分、よくなっているし、最後の同じ「君はMy Best Friend」という歌詞が改作前とはまったく違う響きになって曲を締めている。

「愛をつなごう」(https://www.uta-net.com/song/116577/)は、1番の内容はほぼ同じままにしつつ、2番を大きく変えている。改作前の2番は「帰り道 離れていく youの背中を見て/ちょっと寂しいような oh ホッとするような」と始まることからもわかるように、1番から前進していない。しかも「本当の気持ち」を「言えてない」のだ。なのに改作後と同じように、「私」は「変われた」と言っている。それに対し、改作後の2番はひとりがふたりになって「モノトーンの世界を」「君と僕の色で」「塗ってみようよ」とさらに大きく前に踏み出す。美術科の高校に通う井手に合わせるかのように、絵の用語が入ってきたのも改作の特徴で、1番では「ひとりきりで」「未来」を「デッサンするように」「夢」を「描いてる」という内容になっている。「デッサン」のときはまだ「モノトーン」なのだ。

1番の内容はほぼ同じだと言ったが、表現は大きく変わっている。そもそも改作前の歌詞は、英語が多すぎる。「please do’t go行かないで」とか「I See分かってる」というのではまるで英単語帳のようだ。こういったものは取り除かれ、横文字はOhとyeahが散発的に入るだけになった。そして、日本語の歌詞では、まったく逆の言葉が使われている部分がある。「気づかれないように」が「いつか誰かに 気づかれたいのに」になり、「ぐちゃぐちゃな髪を直して」が「ぐちゃぐちゃな髪も気にしない」になっているのである。臆病な女の子がちょっと大胆でしっかりとした自我を持った子になっている。この改作も、歌詞を前向きで強いものに変えている。

先ほど引用したインタビューには、恋愛ものの歌詞は、自分にはあまり経験がないので、友人から聞いた話や他人の観察から作っているという箇所もある。あまり真に受けない方がよい発言かもしれないが、学校で教わる嘘ではない本当のことを書いた詩というのとはちょっと違って、歌詞は作りものだという意識が窺える(現代詩に関わる人間なら、みな評価するところだ。詩でも短歌、俳句でも歌詞でも作為なしで作れるわけがない)。「愛をつなごう」の改作の過程で歌詞をまったく反対の意味に変えていること(または変えることを受け入れていること)は、そういう意識とつながっているのではないかと思う。

このMIZUEという人が共作者としてどのように関わったのかはわからない。送られてきた歌詞にどんどん赤字を入れていったのか、それとも井手にヒントを与えて自分で答えを出させるようにしたのか。いずれにしても、井手が高校3年生だった2011年に出た2枚のミニアルバム、『Portrait』と『Portfolio』のオリジナル11曲は、井手が一躍注目されるきっかけとなった「雲の向こう」(413曲のなかからエスエス製薬ハイチオールCのCMに採用されて、この歌を歌っているのはどういう人なのかという問い合わせが殺到したという)を除き、全部MIZUEとの共作とクレジットされている。

2枚目のフルアルバムである『ワタシプラス』(2014年)でも、15曲中3曲にはMIZUEのクレジットがある。しかし、2012年、高校卒業とほぼ同時に発売された最初のフルアルバム『atelier』では、すでに13曲中10曲が井手単独の作詞となっており、共作3曲のうちの2曲は上記の「あのね」と「愛をつなごう」なので、わずか1年で作詞の方も独り立ちしたと考えてよいと思う。しかも、そのなかに先ほど取り上げた「ひだり手」も含まれている。2009年から2012年までのわずかな間に驚くほどの成長を遂げたと考えられる。先ほど、改作の特徴として単純化と具体的な描写を挙げたが、そういったテクニックもしっかりと身に着けているようだ。「ストール」は単純化のよい例だし、「青いバス」、「ひだり手」は具体的な描写のよい例である。さらに、「ストール」や「ひだり手」では、素材がただの素材としてそれだけの意味で閉じてしまうのではなく、自分に足りないものや自分を包み込んでくれる愛というもっと大きな意味を比喩的に表すようにまでなっている。

さて、「チキン南蛮のうた」を歌った8月末の配信ライブは、「週末のおと」(https://www.youtube.com/channel/UCn0xIgyGabsBYyVD5sA4_8w)という配信企画の第2回で、「チキン南蛮のうた」以外に「雲の向こう」、「さがしもの」、「飾らない愛」、キャロル・キングの「I feel the earth move」、「消えてなくなれ、夕暮れ」も歌っていた。配信ライブ自体は有料のイベントで、ユーチューブに無料で見られるダイジェストが掲載されているが(https://www.youtube.com/watch?v=YPdgMzrB0pI)、全曲が聴けるのはユーチューブ井手綾香チャンネルで公開されている「チキン南蛮のうた」だけで、ほかの曲はフルでは聴けない。聴けず仕舞いになってしまった。これは痛恨のミスできわめて残念なことだ。ユーチューブばかりチェックしていてはだめで、ツイッター(https://twitter.com/ide_ayaka)を見なければいけないということを学習した。

この学習のおかげで、10月始めの真空ホロウというユニットの無観客配信ライブにゲスト出演した動画(https://www.youtube.com/watch?v=InuRuEl7dtw)は、配信開始時には間に合わなかったもののしっかりチェックできた。これはユーチューブの真空ホロウチャンネルに掲載されているものなので、井手綾香チャンネルだけをチェックしているだけでは見逃すところだったのである。動画の冒頭でディズニー映画『アラジン』の「ホール・ニュー・ワールド」を歌っているが(ほかに3人のシンガーソングライターがゲスト出演しており、井出の出番はこれ以外では8分過ぎの全員で歌う曲しかない)、「おおぞら」という歌い出しのところで本当に空に飛び上がったかのような開放感がある。一時は毎朝かならず聴いていた。

そして、10月24、25日に「週末のおと」の第6、7回に出演することも知った。もっとも、これは第1回から第3回に出演したnikiie、井手綾香、立花綾香の3人が2回にまたがって出演するという形なので、それぞれが歌う曲数は少ない。そして、この第7回で「週末のおと」という企画は最終回ということだった。第2回のときに懲りているので、配信ライブのチケットを初めて買うことにした。歌舞伎は見に行くが、コンサートやライブに行ったことはほとんどないので、私にとっては何やら新鮮なことだった。と言っても、まず24日の分を見てから25日の分を買うかどうかを決めようというのだから優柔不断なことでもあった。24日は「ルーツのおと」と題し、影響を受けた他人の曲を歌う回(https://www.youtube.com/watch?v=yPTyGdBBnRY)で、悪くはなかったがもちろんそれだけでは物足りない。急いで25日のチケットも買った。

25日は「さいごのおと」でそれぞれが持ち歌を2曲ずつ歌った(https://www.youtube.com/watch?v=-lRDURKT8E0)。井手は『ワタシプラス』に入っている「消えてなくなれ、夕暮れ」(https://www.youtube.com/watch?v=FXucbDcWpPc)のほか、CDや配信の形ではリリースされておらず、ファンの間では幻の曲とされているらしい「マリーゴールド」を歌った。この曲はENEOSのオイルのCM曲として使われたものの、この日の井手が言ったところによると、CMで使われた部分しか録音されなかったという。今、「マリーゴールド」と言えば2018年リリースのあいみょんの曲が有名だが、これはそれとは別の井手が作詞作曲した曲で、CMは2014年に流されている。オイルとマリーゴールドがオレンジ色つながりになっているのはさすがだ。ただ、この日は声を張らない低音の部分がうまく出なかった感じに聞こえた。本人も納得がいかなかったのか、ユーチューブ井手綾香ページで公開されたのは「消えてなくなれ、夕暮れ」の方だった。「さいごのおと」は31日までアーカイブ(配信した内容そのものの記録。最初の配信のときはライブだったが、当然ながらアーカイブを見るときにはライブの録画を見ることになる)が残っていたので、毎日見た。

そして、「週末のおと」のアーカイブが消えてしまったのとほぼ同時に、「HEY! LOOK AT ME NOW!」(https://heylookatmenow.themedia.jp/)という新しい配信企画の第1回に井手がゲスト出演することが発表された(11月30日配信)。先ほど触れた真空ホロウの配信ライブにも参加していたみきなつみがホストで、ゲストとしてもうひとり果歩が出演するというものである。今度は迷わずチケットを買い、あとは11月30日を待つだけだと思っていたが、27日にユーチューブでライブ配信が行われたのを見損ねた。気づいたのは翌日だった。夜の7時頃に思いついて9時から始めたのだそうだ。もっとも、アーカイブ(https://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA)はあったので(本稿執筆時点も残っている)、生配信でチャットすることはできなかったが(まあ、間に合ってもそんなことはしなかっただろうけど。ちなみに、チャットの内容もアーカイブに残っている)何が配信されたのかはわかった。30日のライブの宣伝という意味合いがあったようで、実際にユーチューブでライブの存在を知ってチケットを買った人もいたようだ。チャットで「みきなつを助けてあげてくださいね」と言っていた人がいたが、たぶん「HEY! LOOK AT ME NOW!」の関係者なのだろう。2時間余りの配信の大半はおしゃべりだったが、アカペラで何曲か歌も歌ってくれた(たとえばhttps://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA&t=1422では「愛をつなごう」が聴ける)。でも、それは本番の1/6ぐらいの声なのだという。30日のライブでは30分で5曲ぐらい歌うということは明かし、すでに何を歌うかは決めてあるとも言ったが、何を歌うかは内緒だった。今は練習に励んでいるということで、30日のライブはユーチューブチャンネルの配信とは力の入れ方が全然違うようだということはわかった。

そして、30日。最初は果歩のライブ、引き続きみきと果歩のおしゃべりがあり、1時間近くたってから井手の出番が始まった。「おしゃべりが盛り上がってきたところですが、次の方の時間が来てしまいました~」というような感じだったが、しっとりとした「ステーション」(『A.I. ayaka ide』、 https://www.youtube.com/watch?v=Ae8dOFipUlA&t=3520s)が始まると、配信はすっかり井手の歌とピアノが支配する世界になった。あとは「琥珀花火」、「消えてなくなれ、夕暮れ」、「弱虫トラベラー」、「飾らない愛」が続いた。「琥珀花火」は音源になっていない曲でもっとも新しい。ほかの3曲はすべて『ワタシプラス』である。

このライブも期限付きでアーカイブを何度も見られるようになっていた。ほかのふたりには申し訳ないが、井手がひとりで歌った30分だけを何度も繰り返し聴いた。井手が曲の感情に合わせて歌い方を変えているということは前にも書いたが、どうしたものか私には悲しい曲を歌うときの声がとりわけきれいだと感じられる。音源になっているものでは、YUIの曲を13組がカバーしている『SHE LOVES YOU』(2012年)で井手が歌っている「Namidairo」などがそうだが、このライブでは断然「琥珀花火」(https://www.instagram.com/p/BzSwJf_gzMN/?utm_source=ig_web_copy_link)だった。この曲はCDや配信になっていないので歌詞サイトを見ても歌詞は載っていないが、「あの日の少女が描いた夢は打ち上げる花火のように咲いて絵空事散る花の行方を探してた」と歌っていたように聞こえた。この歌詞だけでも悲しい曲だが、井手が夢を実現するために頑張る、みんなも頑張ってという内容の曲をたびたび書いて歌っていたことを考えると、さらに悲しく感じる。それでまた、リンクしているインスタからもわかっていただけると思うが、透明感のある声が染み通ってくるのだ。一時は、井手の30分のなかでもこの曲だけを何度も繰り返し聴いていた。

しかし、そのうちに27日のユーチューブライブで5曲の選択に思い入れがあるような話しっぷりだったことが思い出され、「琥珀花火」だけでなくまた全体を聴くようになった。そこでようやくこの文章の本題にぶつかることになったのである。つまり、この5曲の選択には何か意味があるのではないかということだ。それも、この5曲を歌う順番に意味がある。ストーリーがあるのだ。

一見したところ、この5曲にはあまり共通性はない。「ステーション」と「消えてなくなれ、夕暮れ」は失恋の曲だが、「弱虫トラベラー」はライブのなかで進路に迷っていた妹さんを励ますために書いた曲だと紹介し(書いているうちに自分を鼓舞するような感じになったとも言っていたような気がする)、「飾らない愛」はお母さんを思って書いた曲だと紹介していた。実際、「飾らない愛」は、母と子の関係を描いたNHKドラマの主題曲になっていたはずだ。それでも、この4曲には「あなた」や「君」といった二人称が入っている(「琥珀花火」は歌詞を確かめられないが、二人称はなかったような気がする)。この4曲の二人称を恋人や家族ではなく「音楽」に置き換えると、全体がひとつのメッセージを形成しているような感じがしてくる。

「ステーション」(https://www.uta-net.com/song/227524/)は、「あなたの答えは分かっていたけれど」と言うのだから、本来は恋人にやり直そうと言ったけど断られたというような状況なのだろう。しかし、「あなた」が音楽だとすると、先ほどの「琥珀花火」の歌詞と似た状況になってくる。音楽を愛し、音楽のなかにどんどん入っていったのに跳ね返されたというような意味に取れる。そう思いながら聴いていると、「ベンチに残った小さな気配に胸が張り裂けそうよ」、「甘い記憶は 染み付いたまま」、「忘れないでね 愛した事を」といった歌詞が印象に残る。そして「琥珀花火」が続くわけだから確かに話が続いている。「琥珀花火」で歌われているのは、夢破れて故郷に帰ってくるという風景であり、さらに悲しい。なにしろ二人称がないので、音楽の出番さえないのだ。

次の「消えてなくなれ、夕暮れ」(https://www.uta-net.com/song/149481/)は、ビクターの販売サイト(https://www.jvcmusic.co.jp/-/Discography/A022673/VICL-36796.html)に行くと、「20歳を迎える井手綾香が、初めて描いた自身の失恋「消えてなくなれ、夕暮れ」」などと書いてあって驚いてしまうのだが(PVでも最後は海に向かってなんか叫んでいる)、実際の失恋を描いたのだとしても、感情に任せて書き飛ばしたのではなくよく考えて作られているように思う(そうでなければ、歌える曲の数が限られている配信ライブで毎回のように取り上げないのではないか)。かはたれ(彼は誰)どきとも言われる夕暮れを舞台背景としているので、私からはあなたが見えるけれどもあなたからは私は見えないという状況がとてもリアルに目に浮かぶ。別の女性と歩いている「あなた」を見つけてしまった場所が「交差点」だというのもうまくできていて、「あなた」とは出会ってもすぐに離れてしまうということを暗示しているように感じる。もちろん、片思いではないのだ。「抱きしめてくれた あなたの温もり」、「何度も呼びあったふざけた名前」、「肩幅大きなシャツの着心地」といった短いフレーズで決して浅い仲だったわけではないことをしっかりと暗示している。シャツなどの具体的なイメージが非常に効果的だ。そして、「あなた」への思いがどうしても消えないということを強調しつつ、「誰にも聞こえないさよなら」と自分の存在が消えてしまうような思いで締めくくる。ほかの女と歩いている男を見つけたところで修羅場を演じるのではなく、自分だけが身を引いてしまうというストーリーには、え、ホントにそれでいいの? と思わないでもないが、大きなお世話というものだろう。

で、5曲のストーリーにどうつながるのかと言えば、言うまでもなく、一番耳に残る「でもあなた(音楽)の事は 忘れられていないみたい」である。「週末のおと」第7回のパフォーマンス(https://www.youtube.com/watch?v=FXucbDcWpPc)では、ここでちょっと笑みがこぼれるのが印象的で、失礼ながら能で「嫉妬や恨みの篭る女の顔」とされている「般若の面」(ウィキペディア https://bit.ly/3soFzhh 参照)のことを思い出してしまう。「嫉妬や恨み」というよりはただ強い思い(音楽への?)を感じるだけだが、その思いの強さに圧倒されるのだ。

次の「弱虫トラベラー」(https://www.uta-net.com/song/161779/https://www.youtube.com/watch?v=Vt9h-9db1Zg)は、先ほども触れたように、ライブのなかで妹さんのために書いたというコメントがついていた曲だが、「軽すぎる足どりでは/足跡さえつけられない」、「私は、私/操りモノじゃない」、「バトンを繋ぐ気はない/真新しいレーンを行く」といった強いメッセージを含んだ歌詞が印象的だ。歌詞の話題に入るところで、多くの曲のメッセージがよいと言ったが、そのなかでもこの曲のメッセージは特によいし、J-POPの歌詞ではあまり聞かないメッセージのようにも思う。ほかのアーティストの歌詞にも、自分を貫きたいというメッセージがないわけではないが(むしろ、普通はそういう部分を持っているものだろう)、ここまでそういう思いの強さを感じさせるものは珍しいような気がする。借り物ではない本物の自分というものがあることを感じる。

5曲のストーリーとの関わりということでは、言うまでもなく、この曲でもっとも耳に残る「終わらない 終われない このまま」という部分だ。このフレーズは2回出てくるが、特に2度目は「離さない 譲れない夢 抱きしめたんだ/私は弱虫トラベラー/それでも 変われたんだよ/君(音楽)がいるから」と続く。まるで音楽への思いの強さを歌っているかのようだ。

最後は、ライブのなかでお母さんのために書いたと紹介した「飾らない愛」(https://www.uta-net.com/song/161774/https://www.youtube.com/watch?v=a2PIejZnCfQ)である。これは愛しているという歌ではなく、愛してもらっているという歌なので、このストーリーとは関係なさそうに見えるかもしれない。しかし、自分が音楽を愛していたというよりも、音楽が自分を愛してくれていたんだ、音楽はそれだけ大きいものなんだという発見によって、自分にとって音楽がいかに大切かを再認識したということがあってもおかしくないと思う。音楽が自分を愛してくれていると言っても、それは特権的な、自分だけがというようなものではないだろう。「飾らない愛で」「包」まれているという感じのものではないだろうか。そして「壊れない愛」でもあるのだ。音楽からは絶対に離れられないということをしっかりと自覚したという感じに聞き取れる。

これらはもともとがそのような目的で書かれている曲ではないので、こじつけが過ぎると言われればそうだと認めるしかない。井手はきっとこういうことを考えていたはずだと強く主張するつもりもない。そもそも、井手自身はライブ直前のユーチューブライブでも、直後のnikiieとのポッドキャスト (https://bit.ly/32oGLHc)でもそんなことは言っていないし、「HEY! LOOK AT ME NOW!」のライブレポート(https://spice.eplus.jp/articles/279559)にもそんなことは書かれていない。

ただ、そのポッドキャストによると、最近は生計を立てるために音楽だけではなくインテリアデザインの仕事もしているのだという。特に、2020年は新型コロナの影響もあったはずだが、インテリアの仕事で忙しかったらしい。そして、「このままだと音楽から離れ過ぎそうで怖い、受けてよかったと今でも思っている」、「ライブを通してもうちょっと音楽を頑張りたいなと思った。二度と私のことを見ないでってな感じだったら、アーカイブ速攻消してみたいな感じだったら、終わったあってなってたかもしれない」というような内容のことを言っている。選曲から感じ取れたストーリーは、この発言とだいたい符合しているのではないだろうか。そして、11月の配信ライブは音楽を続けるか止めるかぐらいの切羽詰まった気持ちでしていたらしいことがわかる。パフォーマンスから張り詰めた気持ちのようなものは確かに感じた。今までに聞いたどの演奏よりも心が揺さぶられるものだった。

選曲の解釈が井手の意図と合っているかどうかはどうでもよいことだ。受け取り方は聞く方の勝手である。ただ、こういう読み方ができるというのは面白いことだと思う。失恋が大切なものを失ったことの比喩にもなれるのだ。そのようなことが可能なのは、やはり曲の作りがしっかりしているからだろう。井手綾香の歌詞からは多くのことを教えてもらったような気がする。

 

(追記)
1月に書き始めたのに4月の終わり近くまでかかってしまった。もともとは11月の配信ライブで感じたことを書こうとしたものなので、そこまでで終わりとしたが、11月からはもう半年近くたつ。その後のことも少し書き加えておこう。

配信ライブ直前のユーチューブライブで公約した月1回のユーチューブへのアップロードは1月まで続いた。2月終わりにメジャーデビュー10周年記念のアコースティックセッション「Next Decade」の配信が発表されたので、すぐにチケットを買った。今度は井手自身の企画で、11月のような弾き語りではなく、ピアノとギターのサポートが付く。そして、すでに録画を済ませているということも公表された。配信1週間前の3月5日には、11月以来のユーチューブライブ(https://www.youtube.com/watch?v=y3GQajBOIx4)があった。インテリアの仕事がやはり大変らしく、2月のアップロードはこのユーチューブライブで代えさせてくれということだった。

10年前の3月11日は言うまでもなく東日本大震災が発生した日である。私の場合、家人が10日に北海道旅行に出かけたので、その夜はひとりで近所のステーキ屋さんに行ってカウンターで腹いっぱい飲み食いし、翌日は新宿の寄席にでも行こうかなと思っていたが、なんとなく諦めて横浜の仕事場で翻訳仕事をしていた。午後2時46分、東北地方ほどではないにしても、私としては生まれて50年で初めてという揺れに驚き、両手で仕事場の2本の本棚を上から押さえていた。その日が金曜日だったことは、なぜか鮮明に覚えている。

CDは、ランキングの集計で有利になるようにほぼかならず水曜日に発売される。井手のデビュー盤、ミニアルバムの『Portrait』は、そのときにはすでに大量にプレスされて倉庫に眠っていたのだろう。発売予定日だった3月16日は、3月11日のあとの最初の水曜日である。たぶん、発売日のお祝いムードはまったくなかっただろう。イベントどころではなかったはずだ。

井手のデビュー10周年記念のセッションは、11日を外して12日に配信された。いきなり11月と同じ「ステーション」、「消えてなくなれ、夕暮れ」が歌われる。メンバー紹介の短いMCのあと、3曲目として高梨沙羅が出演するクラレのCMのために書かれた「さがしもの」(2015年配信、https://www.uta-net.com/song/192073/)が歌われた。「この目で見たい たどり着きたい/ここではないどこかへ」とか「自分を信じて 風をあつめるわ」といった歌詞には、スキージャンプを意識した語彙が含まれているが、最後の「踏み出した心にそっと手を当てて明日へ」というフレーズともども、「Next Decade」、すなわち次の10年に向かっての決意表明のようにも聞こえる。

次に、H.E.R.の「Best Part」(https://www.google.com/search?q=H.E.R.+Best+part)、宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」(https://www.google.com/search?q=%E7%9C%9F%E5%A4%8F%E3%81%AE%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%9B%A8)と2曲のカバーが続いた。どちらも初めて聞く曲だったが、例によってアーカイブ(16日まで残っていた)を何度も聴いて耳になじませた。「Best Part」は幸せを一身に表したような曲で高音の鳥のさえずりのような部分の美しさがなんとも心地よかったが、「真夏の通り雨」は一転してとても暗く悲しい曲だった。でも、この日一番印象に残ったのはこの曲で、歌詞もじっくり読んだ。明示されていないが、ここに出てくる「あなた」は間違いなく死んでおり、もう夢のなかでしか会えない。だから、「通り雨」なのに「ずっと止まない」し、雨が止まないのに「渇き」が「癒えない」。これは隅々まで本当にすごい歌詞で¶、ちょっとうまく歌ったぐらいでは曲に負けてしまうが、井手の歌唱はこの曲が発しているものをすべて表現していたと思う。

「さがしもの」から3曲続けて歌ったあとでまた短いMCが入った。2曲のアーティスト名と曲名を紹介してから、メジャーデビューして10年なのでこのライブをしているということを何やら申し訳なさそうに話した。その様子はやはり東日本大震災から10年でもあるということを意識してのものだったのではないかと思った。そして、「真夏の通り雨」は、震災と原発事故で亡くなった近親者を持つ人たちへの挨拶として歌われたような気がした。まあ、気がしただけである。ここでも井手本人がそういったことを言うことはなかった。

そして、最後の曲として本文でも触れた「雲の向こう」(https://www.youtube.com/watch?v=hCrTzoXeY7I)が歌われた。「真夏の通り雨」と比べればなんとも初々しい曲だが、「来年(あした)の今頃 どこで何してるかな?/わらってたって 泣いてたって 煌めいてほしい」とまるで10年後の今の井手自身に語りかけるような歌詞が含まれている(https://www.uta-net.com/song/108170/)。そして今の井手が10年後の井手に語りかけるという意味もあるだろう。10歳年上の宇多田ヒカルの「真夏の通り雨」のように、生きてきた年輪を感じさせる井手綾香の曲を聴いてみたいものだ。

 

「勝てぬ戦に息切らし」の一つひとつの言葉の選択や「忘れちゃったら」の「ちゃったら」は絶妙だし、「揺れる若葉に手を伸ばし/あなたに思い馳せる時」のバリエーションとしてぬけぬけと「誰かに手を伸ばし/あなたに思い馳せる時」というフレーズを滑り込ませるところには息を飲む。生きながら心は死んでいるということをこれ以上しっかりと描くことはなかなかできるものではないだろう。

 

 

 

イノベーション

 

長尾高弘

 
 

無症状なのに感染させられるようにするとは
うまいやり方を考えたもんだ。
疫病で苦しんでるのは遅れてる国だよね、
とかうそぶいて
そういった国の人々からうまい汁吸ってる
先進国とか言ってるところの連中に
疫病で苦しむってのがどういうことなのか
教えてやれたわけだからさ。
でもうまくいかなかったことがひとつ。
あいつらまだ気づいてないんだ。
自分たちが南の人々に苦しみを押し付けてきたこと、
この疫病でも相変わらずそうだってこと。

 

 

 

新井知次さんの詩

 

長尾高弘

 
 

新井さんと知り合ったのは4年前の2016年、洲史さんに誘われてつづき詩の会に参加したときだ。洲さんとは前の年に尾内達也さんが主催された都内の朗読会で初めて会って、住所が近所だということを知ってお互いに驚いたのだった。私と洲さんが住む横浜市都筑区では毎年1月に都筑区民文化祭というものがあって、つづき詩の会は、そこに詩のパネルを出品することを主目的とする会として始まった。最初は関中子、新井知次、若林圭子、洲史の各氏と私の5人で、年に1度の活動では寂しすぎるので、2か月に1回ずつ集まって詩の話をすることになった。

例会を何度か重ねるうちに、発表者を決め、その発表者が取り上げたい詩人の作品をいくつかコピーしてきて、ほかの参加者は会に出てきて初めてそれを読み、感想を言い合うという形ができあがってきた。また、原田もも代、植木肖太郎、黒田佳子、柿田安子の各氏らが新たに参加してにぎやかになってきた(このほかにも一時参加して発表もされたが例会には定着しなかった方が何人かおられる。例会には出なくても本来の目的である1月の文化祭に出品される会員もおられる)。関さんのていねいなフォロー(たとえば、例会前にはかならず連絡を入れてくださる)はもちろんだが、しっかりとした読みを見せられる会員が多く、例会が楽しい時間になったので続いてきたように思う。新井さんはそういった会員のなかでも特に鋭い(そして厳しい)読みを示され、一目置かれる存在だった。

2018年頃からは会員が出した詩集をほかの会員にも配り、それを読んできて自分がいいと思ったものを朗読して感想を言い、それについてほかの会員が感想を返すという形が増えてきた。原田もも代『御馳走一皿』、関中子『沈水』、若林圭子『窓明かり』を取り上げ、拙著『抒情詩試論』(厳密には詩集ではないが)も取り上げていただいた。ところが、どうしたものか、新井さんの詩集は後回しになってしまった。新井さんの新作が載っている詩誌「獣」も例会のときに何冊かいただいていたが、それも取り上げ損なってしまった。2019年になって新井さんが何度か例会に出席されなくなり、体調が悪いらしいということを聞いた。2020年の都筑区民文化祭で久しぶりにお会いできたが、それがお会いした最期になってしまった。6月28日に84歳で亡くなられたということを関さんから聞いた。

遅ればせながら、つづき詩の会では、7月と9月の例会で新井さんの詩を取り上げることになった。7月は新井さんが参加していた同人誌「獣」(と言っても同人が次々に亡くなって最後は新井さんだけになっていたが)の63号から66号(これが最終号になるのだろう)までに掲載された新井さんの詩をその場で初めて読み(もらっても読んでなければ初めてになる。私は一応「予習」していったが、新井さんには本当に申し訳ないことに、生前には本腰を入れて読んでなかった)、その7月の例会で奥様から提供していただいた2007年の詩集『丸くない丸』を持ち帰って9月に気に入った詩を朗読して感想を言うことになった。9月の例会には奥様も参加して下さった。

詩集『丸くない丸』(京浜文学会出版部、2007年11月発行)は3部構成になっている。あとがきによれば、1、3部は2007年までの10年間に書かれた作品だが、「パネルルーム」と題された2部の大部分は1970年代に書かれているという。ただし、〈小説がうまくいかなかったので、えい! とばかりドラマ仕立てで書いたものなので、結果として散文詩となってしまったようです〉というあとがきの言葉は額面通りに受け取らない方がよいように思う。新井さんは東京電力で働いていたことを隠されなかったが、2部には東電での仕事と定年(本人の意思とは無関係に辞めさせられるという意味が強く感じられる「停年」という表記が使われている)に取材した作品が集められている。3部は義母の方の介護にまつわる作品、1部はその他さまざまな作品が入っている。

読みたい作品を朗読するといういつもの流れで会は始まった。私は真っ先に手を上げて詩集でもっとも長い作品を読んだ。

 

空白空白空0魚の骨

空0魚の骨が喉にひっかかっている 思いを飲み込むと
痛みがチクチクと 紫色に感電死した事故速報の男の顔
になって長い尾をひいている どうしてそういう事にな
ったのか 事故現場のポンチ絵の中で男は最早感情のな
い記号となって横たわっている だからぼくたちは誰も
悲しまない ただ読み流して 自分ではなかった幸せを
さりげなく懐にしまって 高圧電線と隣り合わせた機械
の保守に駆けずりまわっている
空0そしてまた隣の誰か 隣のとなりの誰か の事故報告
が素知らぬ顔で流れてくる
空0悲しみではない痛み 痛みではない恐れ 恐れではな
い日々が連なって 糧を得ている自分がいる

空0ブレーン・ストーミング 糧をばらまいている背広は
横文字と号令をかけるのが好きだ コップの中の嵐 で
は様にならないのか
空0「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」
空0テンション高く 安全検討会をせよと現場にラッパを
吹きならす
空0「C」はなぜ事故ったか なぜ なぜの嵐をコップに
吹き込むのだ
空0Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中
なぜ「C」が感電したか ポンチ絵を囲んでぼくたちが
重い口をひらくと ひらひら記号たちが躍り出でくる

空0錯覚 監視不良 安全区画が悪い 教育不足 体調が
悪かった という嵐 おいおい本当かよ 隠蔽している
ものはないのかよ だが記号たちに口はない 安全検討
の慣用句だけが飛び出るのをみているだけだ こんな時
労基署の立ち入りがある筈 だが調査結果は決してぼく
ら現場もんには流れてこない
空0怪我と弁当は自分持ち それしか吹かない嵐なのか
魚の骨がポンチ絵の中で泳いでいる 嵐の意見を整理
しよう これが知恵袋で アメリカはミサイルを飛ばし
た手法だというのだ 食べ飽きたメリケンから骨だけが
泳いで日本へ来たのか
空0事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽま
で繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状
に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭
をひきおこしてしまったという訳だ 人 物 設備 環
境 みんな悪かったという結果論は 集約すれば「C」
の錯覚が第一級戦犯となっていく
空0そうなのか なぜ夜間作業になってしまうのか まだ
ある A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売
の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記
号に見えてくる

空0魚の骨で解明された これでミサイルが飛び 事故が
無くなる めでたしめでたし 検討会の打ち上げは飲屋
へ直行 厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄さ
れていく
空0真実事故はこれで無くなるのか Aの側であったぼく
らが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだ
ろうか 親会社の指示書を読み上げる姿だけが見えてく

空0見上げると二重に雲が流れ 上の白い雲に肉のない魚
がくねり 下の雨雲には何やら記号らしきものが浮かん
で ぼくの頭に落ちてきそうだった

 

これは「あとがき」が言うように70年代に書かれた作品なのだろう。アメリカが〈ミサイルを飛ばした手法〉というところにベトナム戦争の影を感じる(ベトナム戦争ではミサイルにやられたのは米軍の方だったが)。

すっと読めるわけではないのは、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられているからだろう。特に目立つのは「記号」という言葉だ。最初は感電事故で死んだ作業員を〈感情のない記号〉と呼んでおり、その後この死者は実際に「C」という記号で呼ばれている。しかも、A、Bとは異なり、「C」だけが棺桶に入れられたように鉤括弧つきだ。そして〈背広〉(幹部社員)が〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉と言う。もちろん、本当に〈記号〉と言うはずはなく、ほかの言葉を使ったのだろうが、その言葉は何だったのだろうか。〈死者〉かそれとも〈死亡事故〉か。そして検討会の出席者である社員たちも、社員たちが口にした言葉もすべて〈記号〉と呼ばれている。〈記号〉は、自分を生きていないという意味での死を含めた死の象徴のようにも見える。

多義的な言葉という点では、タイトルの〈魚の骨〉もそうだ。〈魚の骨〉は、最初はのどに引っかかっている。のどに引っかかるというのは、「魚の骨」という単語を聞いたときにまず頭に思い浮かぶことだ。しかし、しばらくして次に出てきた〈魚の骨〉は〈ポンチ絵の中で泳いでいる〉。これはかなりぶっ飛んだ風景である。そもそも骨になった魚は泳がないし、それも絵の中だという。ポンチ絵というのは、明治時代の『ジャパン・パンチ』という漫画雑誌に由来する言葉で、要するに風刺漫画ということだ。ちなみに、フルーツポンチも、もとはフルーツパンチらしい。しかし、ポンチではパンチがなく、むしろ滑稽に感じてしまうのは私だけではないだろう。〈魚の骨〉は〈ブレーン・ストーミング〉と呼ばれる〈コップの中の嵐〉が吹いているそのコップのなかで泳いでいる。異様で滑稽な風景だ。そして、〈魚の骨〉とはまさに先ほど取り上げた死の象徴としての〈記号〉にほかならない。

〈事故った「C」が魚の頭で そこから太骨が尾っぽまで繋がり 無数の小骨がコップの中の嵐を引き連れ枝状に連なっている この悪さ加減の小骨が太骨を通って頭をひきおこしてしまったという訳だ〉頭から小骨に行って小骨から頭に戻る過程で〈なぜ夜間作業〉か、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ〉といった問いが抜け落ちる。なぜ抜け落ちるのかと言えば、〈魚の骨〉、すなわち〈記号〉は骨だけなのに泳げてしまうからだ。

〈頭をひきおこしてしまった〉というのは「死亡事故をひきおこしてしまった」ということなのだろうが、人が死ぬことよりも死亡事故の不都合さに困っている様子が伝わってくる。だからこそ、〈「C」の錯覚が第一級戦犯〉になってしまうのだ。先ほどの〈「ドンナコトガアッテモ記号ヲ増ヤスナ」〉もそうだが、言葉にさまざまな意味が重ね合わせられている一方で、ここでは普通は使わない意味のために言葉が置き換えられてもいる。このように言葉が複雑に操作されているものを小説になりそこなった散文詩と呼んでよいものだろうか。最初から詩になるしかない言葉だと言うべきではないか。

しかし、私がこの詩を誰にも取られないうちに自分で読みたいと思ったのは、単に言葉の詩的な扱い方の巧みさに舌をまいたからではない。〈Aが立会い人 Bが監督 「C」以下三名が仕事中〉、〈A以外はみんな社外工〉という関係性のなかで、〈ぼく〉が〈Aの側であったぼくらが検討会をやり 「C」たちにそんな時間が持てるだろうか〉と自らの立場を明示しているからだ。Aは「C」と同じ立場ではなく、「C」から見れば会社そのものである。死者を出した事故を〈コップの中の嵐〉で処理してしまう存在だ。ここで新井さんは「C」に成り代わって、あるいは天の声のような無人称的存在となって、正義の側から悪を告発するのではなく、告発されても仕方がない側の人間として、目に映ったことを包み隠さず書いている。抵抗詩、プロレタリアート詩などと呼ばれている作品には、まさに正義の側から悪を告発する形のものがたくさんあると思うが、そのような作品はとかく自分のことを棚に上げてしまいがちだ。この作品はそうではない。被害者であると同時に加害者でもある苦しさから目を逸らさずに会社とA、B、「C」の関係を誠実に描ききっている。その誠実さ(と意志の力)に心を打たれるのだ。詩に心を打たれるというのは、やはり詩から読み取れる思想に心を打たれるということなのではないだろうか。

70年代と言えば、自己否定論で知られる全共闘運動を経たばかりの時代であり、『丸くない丸』のなかにも〈パネルルームに 公安直通電話が接ながり(中略)資本はバブドワイヤーを一米ばかり嵩上げし 看板をペンキで塗りつぶし 攻撃目標がインペイされ 全共闘 デモ日程 デモルート ゲバルトゲバゲバ(中略)寡黙になったぼくらのパネルルームからアンポ条約はこれでもかと皮膚に擦過して 七0年代 電源確保の幕開き〉という印象的な詩句が連なる「幕開き」という作品がある。当時の学生が新井さんのこれらの詩を読んでいて、電力労働者に同志がいることを知っていたら、いやただ知っているだけでなく学生と労働者が連携し、そのような連携の糸が無数に張り巡らされていたら、時代は大きく変わっていたのではないだろうか、などとつい夢想してしまう。

70年代はまだ出稼ぎが行われていた時代でもあって、〈災害記録 零 のからくり 深夜作業で落下するのは下請工〉〈「あんたらは 糸を吐く直前の 蚕のような手だ」/なでまはす 異形の 東北弁の 笑い〉という詩句を含む「陰」という作品では、「魚の骨」にも書かれていた東電の現場の関係性が「東北」として可視化されていた時代のことが活写されている。今は、東北に限らず、4次、5次の下請けに雇われた全国の労働者たちが福島第一原発の現場に集まって被曝しながら事故処理をしているという違いがあるが、大筋では同じ構造がずっと前からあり、今も生き続けていることがわかる。その構造のなかで、〈おいおい本当かよ 隠蔽しているものはないのかよ〉、〈A以外はみんな社外工という身分はどうだ 商売の秘密に触れない賢さが 次の誰かを手招きしている記号に見えてくる〉とつぶやいている「ぼく」は、まるでF1の事故を予言していたかのように見える。その一方で、〈厄落しの酒で「C」の記号が飲み込まれ排泄されていく〉のは「ぼく」も同じなのだ。とても苦い詩だと思う。

2部の終わりの方には「停年の風」、「停年」といった明らかに定年後に書かれた作品が並んでいて、どちらも9月の例会で取り上げられたが、全員がひと通り作品を読んでから、また手を挙げて「停年の風」のひとつ前に面白い作品がありますと言って「廊下トンビ」という作品を読んだ。

 

空白空白廊下トンビ

肥えたトンビが
悠々と廊下を徘徊している
終業まじかの事務所
鶏たちが行儀良く首を揃えて
ペンをはしらせている

赤提灯に付き合えよ
羽根が柔らかく鶏を包むと
もう誰だって逃れられない
懐の暖かそうな鶏よ
しかし獲物はするりと逃げていく

鶏の秩序を変えようと
ハタを振った奴がいた
尻馬でトンビは強く羽ばたいたが
馬が速く走りすぎたのか
ほとんどの鶏が落馬していった
気が付くとトンビの机は窓際に移され
あろうことか馬が骨折していた
それならそれで俺はオレ 気楽に行けやと
廊下の囁きがなぜか耳にとどいて
徘徊する羽根の揺らぎに鼻唄さえもれた

 

このトンビ、最初はむかつく上司のことを書いたのかなと思った。実際、例会でも誰のことかちょっと議論になった。しかし、〈尻馬でトンビは強く羽ばたいたが〉とあるから、非組合員ではない。実際、その後ネットを見ていたらこの詩の先駆形をたまたま知ったのだが、そこには詩集で削除された〈鼻唄はだが時にエレジーとなった/かつて手取り足取り教えた鶏たちが/今はトンビの頭に座っている/全てに喉の渇く重さがずんときて/酒でも飲まなければ脱水してしまう//気楽さはしかし後戻りなんかない/ひっかけられた鶏糞を払いのけ/酒に焼けた赤い鼻のトンビが/今日も鼻唄まじり/磨きぬかれた廊下を俳桐している〉という4、5連があった(鶏がトンビの頭に座って鶏糞をひっかけるというところは惜しい感じもするが、詩集の形のようにここを省略したのはよかったように思う)。ご自身をトンビにたとえているのは間違いないと思う。例会では、奥様に「会社では言いたいことを飲み込んでおられたのですか?」と尋ねたが、組合活動では言いたいことを言われていたとのこと。愚問だったなと思った。

鶏といえば、人間に飼われ狭いところで卵を産む機械として扱われているイメージがある。一方、トンビは諺に「トンビが鷹を生む」と言われるように凡庸な存在のように扱われているが、以前ニュースになったように、急降下して人が食べているものをかっさらっていく荒々しさも持っている。何しろ鷲鷹類なのだから。そのようなトンビを自分の比喩として使うところが新井さんらしい感じがする。〈赤提灯に付き合えよ/羽が柔らかく鶏を包む〉というところが絶妙だ。

順番が逆になったが、7月の例会ではこの詩集から10年前後たった詩誌「獣」掲載の近作から、会員それぞれが読みたい作品を読んだ。私が読んだのは63号の次の作品だ。

 

空白空白鉄の匂い

畑では食っていけなかった
日清・日露の戦勝踊りが輪になって
日いずる国の鉄の会社の産業革命
親が死んで四人の兄弟は畑を捨てた
小才のきいた長兄がまず川崎へ
金と命の鋼管会社とはよく言ったものだ
兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ
畑で鍛えた体に汗がよく似合った

昭和の戦争を乗りきって
退職金はたいて庭付きの家を手にした
親父は毎朝早く庭木と会話し
片隅の菜園に故郷を手入れして
小さな庭に朝日を迎える
そんな朝いつまでも顔をみせない親父に
部屋を覗くとベッドで息がなかった
他殺か自殺か医者から警察へ

司法解剖から帰ってきた親父の
大きく武骨な手から
鉄の匂いが立ちのぼり
ぼくの胸にしみ入った

 

学校の歴史の授業では、産業革命期の人の動きをここまでわかりやすく教えてくれなかったと思う。試しに、たまたま持っていたちょっと前の高校日本史の教科書を読んでみたが、松方デフレ財政で下層農民が小作に転落したということや繊維産業の担い手が小作農の娘たちだったということは書かれていたが、農民はあくまでも農民であるという印象を持ちそうな書きぶりであり、労働者はどこからともなく増えたような書き方だった。この詩には、〈畑では食っていけなかった〉ので労働者になった(マルクスの言う本源的蓄積)という教科書に書かれていない歴史のダイナミズムが書かれている。〈金と命の鋼管会社〉は〈金と命の〉「交換」〈会社〉でもあった。死と隣り合わせで働いていたのだ(私も学習塾で小学生にこの時期の日本の歴史を教えたことがあるが、教科書と同じような説明しかできなかったのが残念だ)。

しかし、〈親父は毎朝早く庭木と会話し/片隅の菜園に故郷を手入れして〉の2行を読むと、好きこのんで都会に出てきたわけではないことが実感として伝わってくる。それに対し、息子である〈ぼく〉は〈大きく武骨な手から/鉄の匂いが立ちのぼり/ぼくの胸にしみ入った〉と言っている。〈ぼく〉にとってお父さんは鉄の人だったのだ。〈匂い〉は「臭い」ではない。漢字ひとつで「いやなにおい」ではなく「いいにおい」という意味になる。嗅覚はもっとも身体的な感覚だとも言われる。ここに父を悼む気持ちがきれいに昇華していると思う。

と言っても、父をただ無条件に賛美しているわけではないのが新井さんらしいところで、1連の〈小才のきいた長兄〉、〈兄の札ビラを見て弟たちは勇んで川崎へ〉といった詩句には、父とその兄弟たちに対する批判的な目を感じる。そのような意味で微妙な響きを感じさせるのが2連の冒頭の〈昭和の戦争を乗りきって〉という1行だ。好んで戦争したわけではないにしても、反対したわけでもない。いわば、天災のように降ってきた戦争は、避けがたい不幸であり、〈乗りき〉るしかなかったのだ。しかし、無責任に戦争を始めた人間は確かにいるのであって、戦争は人災である。戦争が人災だったことに気づかなければ、また同じように天災を装った人災に見舞われることになるだろう。〈乗りきって〉からここまで読み取るのはいささか強引かもしれないが、少なくともそういう思考を誘い出さずにはいられない詩句になっていると思う。

例会では読めなかったが、63号には次の作品もある。

 

空白空白空の箱

肥桶かついで
生の大根まる齧り
筋肉隆々の青年よ
指揮棒が天から振られた
鎮守の神が軍歌を歌い出し
一夜明ければ立派な兵士だった

満州ではジンギス汗に会えたか
沖縄では鬼畜めがけて軍刀振り上げ
母の写真がちぎれ砕けた
雲から神が落ちたので
空っぽの箱で肥桶の村へ帰還
あまりに軽い箱だったので開けると
沖縄で戦死・ご冥福を祈る
紙切れ一枚に嗚咽がひろがった
祖母が仏壇から紙包みをとりだし
「ほら兵の爪と髪の毛だよ」
箱に入れて皆で手を合わせた
鎮守の神は無言だった
こんな寂しい死者との出会いは
その後一度もない

疎開児だった僕に貼りついた映像
倅が孫と遊びにきたので
こんな事があったと
兵叔父サンの話をしだすと
やめなよと倅が眉をしかめたので
皆で回転寿司を食べにいった

 

「鉄の匂い」では〈昭和の戦争を乗りきって〉1行で済ませた〈昭和の戦争〉のことである。「鎮守の神」、つまり人々がただ豊作を祈って崇めていた村々の神社が明治の天皇制と靖国によって軍事的に再編され、兵士供給装置となり、無数の戦死者を生み出したことが見事に描かれていると思う。宗教は恐ろしい。日本軍に殺された民衆も、宗教こそ異なれ、日本軍兵士と同じような農民や労働者だったのだ。

64号の「一揆物語り」という散文詩には、次のような部分が含まれている。

 

……
空0時が流れて、僕の兄弟が正月に顔を揃えた。何かの拍子に「秩
父困民党」の話がでた。権力は弱者を切り捨てる。概ね同意の酒
杯に母の実家の話が注がれる。
「秩父は神流川を挟んだ隣村だ。日照りは同じ苦しみ。一揆に加
勢したのか」
「ところがどっこい、曾祖父たちは竹槍担いで国賊退治だった」
空0皆はがっかりして、それから大笑い。曾祖父よ許せ。
……

 

大戦中、母の実家に疎開したときに、曽祖父が冬場の炬燵話で国賊退治を自慢した場面を受けたあとの連の一部である。

「鉄の匂い」や「空の箱」に描かれた父や叔父にも同じような視線が注がれているのではないだろうか。たとえば、「鉄の匂い」には書かれていないが、日本が植民地支配していた朝鮮で行った朝鮮土地調査事業で土地を奪われた人々(捨てたわけではなく奪われたのである)も、大挙して日本にやってきて〈金と命の交換会社〉に吸い込まれていっている。その運命が日本人労働者よりもさらに過酷だったことは言うまでもない。〈戦争を乗りきっ〉た日本人労働者は彼らのことをどう見ていたのだろうか。

詩誌「獣」には新井さんのエッセイも載っていて、そのときどきの関心事が書かれているが、それらのエッセイと同じ号の詩が見事につながっていて、つづき詩の会の例会が終わったあとの酒席で新井さんが控えめに話されたことにもつながっている。たとえば、66号には宗左近の縄文のことが書かれているが、新井さんが「長尾さん、宗左近についてはどう思ってますか。縄文のこと書いてますよね」と話しかけてこられたことを覚えている。本当のことではあるが「いやあ、あまり読んでなくて」とそっけなく答えてしまったが、66号の「宗左近の史的感性」という文章には、次のような印象的な言葉が書かれている。

 

空0ところで、古代史家の多くは渡来人が縄文人を滅ぼし
たのだ、とは決して言わない。混血などにより現在へと続
く日本人のルーツになったと論証する。しかし、この歴史
観からは宗左近の文学は成立しない。殺して滅ぼしたので
ある。それが、詩人の史的感性なのであると考える。

 

最近は、まるで日本の歴史を2600年ちょっとまで引き伸ばすためであるかのように、右から縄文を褒めそやす論調が目立っているが、それとはまったく反対のことが書かれている。そもそも、古事記/日本書紀のアマテラスの宮殿では、田んぼを耕し、機織りをしていたのだ。どこから見ても弥生以降の文化である。古事記/日本書紀は征服者の神話だと受け取るのが自然だろう。

新井さんに話しかけられたとき、記紀が弥生以降の文化だということにはちょっと触れた記憶があるが、新井さんがこのような見方から宗左近を話題にされていたことにはまったく思いが寄らなかった。ちょっと飛躍しすぎだと言われてしまうかもしれないが、渡来人(弥生人)が縄文人を殺したという見方は、近代日本が朝鮮半島から中国、東南アジアに侵略していって、現地の人々を人として扱わず、こき使ったり、犯したり、殺したりしたことを直視する見方に通じていくと思う。それに対し、弥生人の神話を崇めながら、縄文人は自分たちの祖先だなどと言うことは、日本国と日本人が犯してきた犯罪をなかったことにして、侵略を正当化してしまう見方に通じている。混血は間違いなく起きているだろうが、だからといって殺戮の歴史は消えない。先ほど触れた見たくないものを直視するという新井さんらしさがここにも現れていると思う。

自分の怠惰のために新井さんとそういう話をすることができなかったこと、そして新井さんの詩にしっかりと向き合ってここに書いたような感想を伝えられなかったことを後悔している。

 

 

 

遠近法

 

長尾高弘

 
 

遠くに子どもがいるよと思ったら、
近づいてみるとおばさんだったり、
遠くからおじさんが来るよと思ったら、
女子高生とすれ違ったりする。
昔からこんなだったかな?
ちょっと前のことでも覚えてないよ。
歳を取るってこういうことなのかな?

 

 

 

緊急事態

 

長尾高弘

 
 

いい感じで弾丸が入ってるロシアンルーレット。
ひとつかと思ったらふたつある。
王冠のマークが付いたのと、
コインのマークが付いたのと。
金持ちが持たされるのは王冠マークの方だけ。
そうじゃない人は両方。
入ってる弾丸の数も違うって噂だよ。
少なくとも
コインマークの方はなしにしてくんないかなあ。

 

 

 

かの字

 

長尾高弘

 
 

バクチってのはさ、
客さえいれば胴元はかならず儲かるもんでしょ。
客のなかには得するのもいれば損するのもいるけど、
胴元はかならず何割かを取ってくわけだから負けなし。
逆に客全体で見ればかならず損するわけだよね。
イカサマなしなら、
やればやるだけ実際の結果が理論的な確率に近づいてくから、
かならず損するわけ。
まして、イカサマがあるなら、
得させる客がいる分ほかの客は損するわけだから、
イカサマなしのときより損するわけでしょ。
最高裁判所の一九五〇年の判決でも、

賭場開張図利罪は自ら財物を喪失する危険を負担することなく、専ら他人の行う賭博を開催して利を図るものであるから、単純賭博を罰しない外国の立法例においてもこれを禁止するを普通とする。

って言ってるわけ。
ない方からある方にカネが動くだけさ。
でも、そういう法律がある一方で国やら都道府県やらが
競馬、競輪なんかを主催してるんだよね。
さっきの裁判で負けた被告の弁護人もそれを主張してる。
国も公認してるんだから、
刑法一八六条二項(賭博場開張図利罪)は
新憲法では無効だって。
(何しろ日本国憲法施行から三年しかたってなかった頃の話だから
「新憲法」なのよ)
でも裁判所は、
国などが賭博場開帳図利と本質的に同じことをしているからといって、
賭博一般を認めているわけじゃないでしょって一蹴しちゃってるんだな。
論理は通ってると思うよ。
ただちょっとすっきりしないよね。
そもそもこの判決は賭博自体について、

勤労その他正当な原因に因るのでなく、単なる偶然の事情に因り財物の獲得を僥倖せんと相争うがごときは、国民をして怠惰浪費の弊風を生ぜしめ、健康で文化的な社会の基礎を成す勤労の美風(憲法二七条一項参照)を害するばかりでなく、甚だしきは暴行、脅迫、殺傷、強窃盗その他の副次的犯罪を誘発し又は国民経済の機能に重大な障害を与える恐れすらあるのである。

ってな風に格調高く非難してるわけだから
なおさらすっきりしないと思うんだよね。
まあ、三権分立ってのがあるからさ、
裁判の争点にもなってないことについて、
裁判所が国や都道府県に口出しするわけにもいかないから、
それ以上踏み込んでいないんだろうってことにしとこうか。
ここからは法律の専門家でもなんでもないおいらの考えだけどさ、
国や都道府県が胴元になって客から巻き上げたお金は、
理論的には税金の一部になって広く納税者に還元されるはずだよね
(実際には国とかいうやつは社会保障をけちって
軍事費や政権関係者の集票のための宴会に税金を使うみたいだけどさ)。
たぶん、国営、公営のバクチを容認できるとすれば、
結構無理があると思うけどそれ以外の理由はないと思うよ。
国や都道府県がコントロールして過熱しないようにしてる、
とかいうような理屈があったとしても、それは嘘だと思うね。
すでに国営でも公営でもないパチンコ屋ってのがあるでしょ。
風営法ってのがあって許可をもらわないと営業できないから、
行政のコントロールが効いてるんだって理屈なんじゃないかな。
でも、パチンコ屋って警察から天下りするんだよね。
え、警察って規制当局なんだからパチンコ屋からしたら敵なんじゃないの?
って感じがするかもしれないけどさ、
パチンコ屋からすりゃあ、警察OBなら警察の手のうちを知ってるし、
かつての部下に睨みを効かせてくれんだろうって期待があるから
大歓迎でしょ。
そういう自分の商品価値を知ってる警察OBからすれば、
高く売って左うちわの老後を過ごそうって思うのが自然じゃない?
規制当局ってのは理研のわかめちゃんじゃなくて利権の塊だと思うよ。
ほかの業界でもさ、ヤメ検とか言って、検事を辞めて弁護士になると
依頼が殺到するっていうよね。
それと同じなんじゃないかな。
で、横浜市長が選挙のときだけ「白紙」にした「かの字」のことだけどさ、
収賄容疑で国会議員が逮捕されるってな展開になってるでしょ。
語るに落ちたって感じだよね。
今まで「かの字」が公認されてなかった日本に
「かの字」ができるってことになれば、
「かの字」のノウハウがある外国企業が目をつけるに決まってるよね。
でも、そういう企業には「日本」のノウハウがないから、
なんとか食い込もうとして、
「かの字」解禁に熱心な国会議員に接近したわけでしょ。
結局、「かの字」解禁の理由は経済振興だの観光立国だのじゃなくて、
政治家たちの金儲けだったんだなって思ったよ。
業者は三割の税金を払うだけで、
あとの儲けは全部国外に持ち出してっちゃうのに、ウェルカムしてんだから。
でも、この国では法の下の平等なんて絵に描いた餅らしいからさ、
検察は「したっぱ」をつかまえて仕事してるふりをしてるだけで、
大物は涼しい顔してボロ儲けしてるんだと思うよ。
だってこの話、トランプがアベにじきじきによろしく頼むぜって言ったという
アメリカの業者は絡んでないんだもん。
で、「かの字」が続く限り、大物には金が入り続けるってことなんだろうね。
ひとり殺せば犯罪者だけど、たくさん殺せば英雄、神だって言うけどさ、
詐欺師や泥棒の世界でも同じってことなんだろうねえ。