村岡由梨
2024年9月に鼻腔内悪性リンパ腫と診断された愛猫クルミ。
まるで蒸かしたてのあんまんみたいに、
温かくて甘い死を内包している猫だ。
癌の再発に怯えて、治療費もかさんで
綺麗事では生きてゆけない現実に身体が震えたけれど、
クルミが一日でも元気に生きられるよう、
出来ることは何でもしようと、家族で決めた。
胃ろうをして、食べ方を忘れてしまったクルミに
野々歩さんが「こうやるんだよ」と煮干しを噛んでみせる。
開け放した窓からやわらかい風が吹いているのを
気持ちよさそうに全身で受け取るクルミ。
大好きな野々歩さんに抱っこされて、
上下する胸の運動に目を細めるクルミ。
「まだ6歳なのに」
私たちがクルミのことを思って泣いていると、
「どうしたの?」という顔で見てくる
いじらしいクルミ。
お気に入りのエビのおもちゃを咥えて、
一生懸命に歩くクルミ。
最近はトイレでおしっこやうんちをした時や、
お腹が空いた時、ミーミーと鳴いて教えてくれる。
私たちが家を空けている時、
ひとりでミーミー鳴いているところを想像すると、胸が詰まる。
クルミ クルミ クルミ
何て脆くて、小さくて、かわいいクルミ。
失いたくない。耐えられない。
それなのに、いつか『その日』はやってくる。
今度雪が降ったら、
小さな雪だるまを作って、一緒に写真を撮ろうね
そう約束をした。
数年経って、クルミのことを
泣かずに思い出すことが出来るようになってしまうんだろうか。
記憶が薄れてしまうのが、無性にこわい。
『時間』を、磔にして標本にして壊したい。
やがて溶けて無くなる雪のように、逃げるなよ。
村岡由梨さんへ
私は、鈴木由梨、あなたの本名です。
結婚して、鈴木姓になりました。
従業員が5人しかいない訪問介護の会社を運営して生計を立てています。
映画を作ったり、詩を書くだけでは生活できません。
かと言って、私に会社を経営する才があるはずもなく、
会社は赤字続きです。
母に言われるがままに介護福祉士の資格を取りました。
「素晴らしい仕事ですね」と言ってくれる人たちもいます。
素晴らしい出会いもありました。
いつも「今日は空が綺麗よ」と教えてくれる方がいて、
二人で並んで座って空を見ることもありました。
職業に貴賤は無いということも、わかっています。
けれど、ごめんなさい。
介護の仕事に誇りを持つことが、できません。
今年の夏は特に辛かった。
大粒の汗を流しながら、利用者の御宅で風呂掃除をしていて、
排水口に便が転がっているのを見た時。
脱衣所にテラテラ光る大きなゴキブリを見た時。
声が出そうになるのを堪えて必死に掃除を続けました。
排泄介助の仕事を終え、
豪雨の中ポンチョを着て自転車で帰宅したら、
娘が丁度出かける所で、おしゃれをしていて、
びしょびしょになった自分を何だか恥ずかしく思いました。
映像作家で詩人の「村岡由梨」と、
ホームヘルパーの「鈴木由梨」が交差することは
ほとんどありません。
極々稀に両方の私たちを知る人もいますが、
同一人物だと、なかなか信じられないようです。
移動は基本的に自転車です。
削られた自尊心を埋めるように、
スマホで光を撮り集めます。
昼、夕方、夜の空。
太陽、月、金星。
行き帰りに通る陸橋から見える、車のヘッドライト。
カメラを向けていて、涙がこぼれる時もあります。
ある日、昼間のひどい暑さのせいで、
大きな葉っぱがカラカラになって落ちていて、
私は、わざとその上を自転車で通りました。
葉っぱがカサッと破れる音が聞きたくなったのです。
帰りにまた同じ葉っぱがあったので、
もう一度自転車で轢き殺しました。
カサッと良い音がして、葉はボロボロになりました。
行き先がわかっているのに、
自転車を違う方向へ走らせようとしている私。
私たちが本当に行きたいところは、どこなのでしょうか
序
けれど、私はこのままでは終われない。
白く激しく燃えるような
辺りいっぺんを激しく焼き尽くすような
作品を作るまでは。
出し尽くす。焼き尽くす。
自分の命を最後の一滴まで絞りだす。
私は、ひとりの表現者として生き切りたいのだ。
娘たちが蝶になる夢を見た。
懸命に飛んで家に辿り着いたのに、
それが娘たちだということに
私も野々歩さんも気が付かない。
あまりにも美しい蝶だったから、
あっという間に捕まえて
磔にして標本にして眺めて殺した。
不思議だね。
臍の緒を切った瞬間から
私たちは別々の人間になって
心も身体も離れていく一方なのに、
あなたたちの痛みや悲しみは
変わらず私の魂に突き刺さる。
紙で手を切ったように、キーンと痛む。
近頃 私 何かが おかしい
何者かに駆り立てられて
あるはずの階段を踏み外す不穏
世界は正常で、異常なのは私なのだと
世界は正常で、異常なのは私なのだと
もうすぐ決壊する
自分の手の指の皮を噛み千切って食べたら血が滲んだ
こうして血の味のする日常の些細な綻びから
世界は壊れていく
その日は、あまりにも悲しく辛いことが多過ぎた。
真っ暗な部屋でうずくまり、
細い身体を捩らせて声を上げて泣く花の姿を見て、
かける言葉も見つからずうなだれる、
機能不全の母親。私。
「パパは怒鳴るし、物に当たるし、
猫の首をへし折りそうって言うし、
ママは一緒に死のうって言う」
「何で私を産んだの」
「お願いだから私を殺してよ!!」
暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。
およそひと月前、私たちは幸せだった。
花と私、二人で新宿のジョナサンで
バナナパフェをシェアして食べたのだった。
花は細長いフォークで、私は細長いスプーンで。
一番最初に、さしてあるプリッツを1本ずつ食べた。
「プリッツおいしいね」
「うん」
「コーヒーゼリー、ちょっと苦いけどねぇ」
そう言いながら、笑っていた私たち。
ジョナサンを出て、
駅までブラブラ歩いた。
よく晴れた日だった。たくさんの若い人たちが行き交っていた。
私が「ママこの前、イキって
スタバでマンゴーのフラペチーノ頼んじゃったよ」
と言うと、花は笑って
「ママ抹茶苦手なんだっけ?スタバでは
『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』
がおすすめだよ」
と言うので、私は笑って言った。
「それ、詩に書きたいから送ってよ」
すぐに花がLINEで送ってくれた。
『抹茶クリームフラペチーノのホワイトモカシロップ変更』
家では、残っている時間を惜しむように寄り添いあって、
何本も映画を観た。
ハッピーエンドの映画を観て、
花は、目を拭っていた。
「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」
そう私が言うと、
花は小さく「うん」と頷いた。
それからおよそひと月ほど経って、
花がひとり、死のうとした。
身に覚えのある痛みだった。苦しみだった。
でも私は、もはや10代の少女ではないのだ。
母親なのだ。
怒ればいいのか。泣けばいいのか。
わからなかった。
わからなかったけれど、
ただ花を失うのがとてつもなく怖かった。
眠、私、野々歩さん
私たちが1階にいれば、花は2階へ行く。
私たちが2階へ行けば、花は1階へ行く。
それなのに花は、
帰宅時、家の鍵がかかっていると
ものすごく怒る。
まるで『家』が自分を拒絶していると感じるのか、
ものすごく怒る。
もうそろそろ『鍵』を渡す時なのか。
互いの不在を確かめ合う鍵を。
互いを『信じる』証として、銀色に鈍く光る鍵を。
『また一緒にパフェ食べようね』
そうメッセージを送ろうとして、
送れない私がいる。この期に及んで
傷つけたくないのか
傷つきたくないのか
野々歩さん「もうそろそろ自由にしてやれよ」
私「誰か私たちを優しく軌道修正して下さい」
花「勝手にセックスして、勝手に産んでんじゃねぇよ」
あの日、暗闇の中、花の大粒の涙が銀色に鈍く光るのを見た。
私、偽善者。
(2025年10月 花17歳、私43歳)
2025年11月 花18歳、私44歳。
花がインフルエンザにかかって、今日までが外出自粛期間だった。
一昨日は、大きなイワシ団子と豆腐揚げ、生姜入りのさつま揚げと大根のおでんを作ったらおかわりをしてくれた。昨日は、眠と花と私で、アサイーボールをUberした。私は初めてのアサイーボール。花が「はちみつをいっぱいかけるとおいしいよ」と言うのでそうしてみたら、とてもおいしかった。高いから滅多に食べられないけれど、次はナッツ類を多めにしてみようと思う。明けて今日、花は「友達の家でクッキー作るんだ」と言って出かけて行った。帰ってきて、「ママこれ見て」と耳たぶを見せてくれた。先月の誕生日に、野々歩さんと私と眠からプレゼントしたピアスをしていた。ピアスの銀色の鈍い光が涙でぼやけた。
「うれしい」
「ありがとう」
私たちの空白にある厄介なドア
を隔てて交わされる、
ぎこちない言葉たち。
一人一人、鍵を手にして、
外界へ飛び立っていく。いつか
いつでも帰ってきていいんだよ、と
互いを信じて
「ハッピーエンドの映画だけ、観ていたいよね」
そう、自由に。
ただ、自由に。
幸せな記憶 悲しい記憶
書いた瞬間に過去となる
詩とは記憶の美しさだ
一筋の月の光だ
私も、野々歩さんも、眠も、花も
クルミも
今を生きている
今を、ただ懸命に生きていた