俥屋

 

廿楽順治

 
 

その夜は少し雨が降りはじめていました。

稲荷町駅の角を折れた先から、ひどく威勢のいい輓子の声が近づいてきて、わたしの脳髄に入り込もうとしてくるのでほんとうに弱りました。

旦那。馬車値で参りましょう。

輓子の尻からは管のようなものが伸びていて、俥の後ろの狐色した皮の袋につながっています。

あらよ、あらよ。

かけ声に混じって、ぶりぶりと妙な音がしていました。輓きながら、男は糞をしているのです。その糞が、管を流れて袋に入っていきます。

わっしの魂は、こうして、
どんどん薄くなるのです。

輓子の桐油の合羽だけが、雨の粒をはじいて、きらきら光っています。

あらよ、あらよ。

戦争はその頃、まだ遠くでした。
でもそれはもう、ぶりぶりとした狐色になって
わたしの脳髄にたまらない臭気を送り込んでくるのです。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です