空の履歴書

 

廿楽順治

 
 

青い履歴書が
空にある

どこにも
うまれなかったと書いてある

雨だから欠勤

夜になってもやってこない
わたしはそういう労働者になりたい

「孤独ってわけね」

休むことなく
光をはこぶ
あのばかもの
(ときには茜色に)

今日もまた
死んだので空は広がっています

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

最期になって
どうやらわたしはまた勤めに行くらしい

昨夜からの雨が
(つづいていて)

ひとびとは首を低くしながら
眠りを急いでいる

夜は何度わたりましたか
(正確に言ってみましょう)

そこでは大きな戦争のようなものが
ありましたか

最期の職場なのに
またおつりをまちがえている

ああ やっぱり
だいじな朝なのにあわないのだ

大きな戦争のようなものが
空で
あったから

 

 

 

私鉄

 

廿楽順治

 
 

夢には
京成線しかでてこない

いくところがもう決まっているからだ
雨がふっていて

駅から
高速道路の下をくぐりぬける

さびしい商店街の奥に
食堂がある

そこでだれかと酒をのむ
「生きていたころと何もかわりない」

そう話すひとは「わたし」らしい
京成線は音がしないので

朝までのんでいても
じぶんからはけして目がさめない

「駅なんて
おれたちにあったかなあ」

その会話も
(二回目だ)
死んでいたころと何もかわらない

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

おかあさんは わらっていますが
なあに空虚です

あるとき
血が下からたいへんにでましたが

それはあなたがたです
死んでいくのは だってあなたがた

おかあさんはね
この世界にはずっといませんでしたよ

せんたくものも
昨晩のおかずも ずっとそのままです

おかあさんは
戦争のある世界にはいないので

(やっぱりね)
ちっともひとの「死」でふとっていません

 

 

 

鳥渡

 

廿楽順治

 
 

ちょっと
と読むらしい

鳥のようによろよろとひとは
「そこ」を
渡らない

空や川はいつまでも
「そこ」なのだろうか

きみはかんがえるふりをして
(六十年間)
奇妙な味の酒をのんでいる

死んで
生きよ

「そんなことあるわけはない
 ちゃんと帰ってこい」

そういう妻も
きみも
(つまりわたしのことだ)
もう どこをも高く渡らずに

ほんのすこしだけ
夜の椅子で
たがいに羽のようなものを動かしている

 

   ※高円寺のバー「鳥渡」で

 

 

 

胸の日

 

廿楽順治

 
 

子どものふくらんだ胸が
空のむこうへ ひらかれていく

その町でわたしたちは
六十年あまりを暮らしていました

ももいろのスーパーがあり
扉の影は いつもこわれていた

おおきな冷凍庫から よたよたやってくる
わたしたちの子どもそっくりの鳥

仕方なく
胸は ふくらんでしまったのでしょう

ひらいた空へ
わたしたちはぼろぼろの機影のように

(入っていく)

けれども ふるい
じぶんの爆音のほかはきこえてこない

 

 

 

おとうと

 

廿楽順治

 
 

おとうとをまもれなかった

それだけを
根にもって

わたしの父親は生きてきたらしい
(そうだ、おまえがいけなかったのだ)

おとうとの
傷ついたくちびるの

あの血はいつまでもかわかない
それがにくたらしい

老いてから
大学ノートにそのことを書いた

死ぬまぎわまで
おとうとには会おうとしなかった

わたしたちの夢の土地は
ときとして

そのような
遠いおとうとで濡れている

 

 

 

日曜日

 

廿楽順治

 
 

なにもかもが過ぎてしまった
越えたものは多い

(子どもなんかいなくてよかった)

そのひとを亜麻布につつんで
引き取り
丘にむかって
われわれにおおいかぶされ

(と言ってはみたものの)

この亜麻布はなににひとしいのか
ひとしさの
包み方がわからない
「生きたひとをなぜ死人のなかに
たずねているのか」

日曜がきたので仕事はやすんだ
(わたし)というのは
丘の過去形です

ひとしさのうえにいて
ずっとはたらかない

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

声をだしながら
背後をあるいているひとはこわい

耳だけのものが
足下にいて

聞き取れなかった声を
(うまい、うまい)
と舐めているのかもしれない

声をだしているそのひとは
つまり
遠くにいるべつの「わたし」だ

(そうか)
会話だからこわいのか

「わたし」になれなかった
うしろの生きものが

舐めるように
かかとへ話しかけてくる

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

きみたちの内に塩をふりなさい
(泣いてなんかいねえやい)
もしも片方の目玉だけが
しょっぱいのなら
抜いてしまいなさい

片側だけでこの川岸にいればいい

風景のついてない方の足も
切ってしまいなさい
きみたちはどこまでも
全体である必要はない
塩はよいものである

この町がほんとうに
片方の目玉だったらね