鳥渡

 

廿楽順治

 
 

ちょっと
と読むらしい

鳥のようによろよろとひとは
「そこ」を
渡らない

空や川はいつまでも
「そこ」なのだろうか

きみはかんがえるふりをして
(六十年間)
奇妙な味の酒をのんでいる

死んで
生きよ

「そんなことあるわけはない
 ちゃんと帰ってこい」

そういう妻も
きみも
(つまりわたしのことだ)
もう どこをも高く渡らずに

ほんのすこしだけ
夜の椅子で
たがいに羽のようなものを動かしている

 

   ※高円寺のバー「鳥渡」で

 

 

 

胸の日

 

廿楽順治

 
 

子どものふくらんだ胸が
空のむこうへ ひらかれていく

その町でわたしたちは
六十年あまりを暮らしていました

ももいろのスーパーがあり
扉の影は いつもこわれていた

おおきな冷凍庫から よたよたやってくる
わたしたちの子どもそっくりの鳥

仕方なく
胸は ふくらんでしまったのでしょう

ひらいた空へ
わたしたちはぼろぼろの機影のように

(入っていく)

けれども ふるい
じぶんの爆音のほかはきこえてこない

 

 

 

おとうと

 

廿楽順治

 
 

おとうとをまもれなかった

それだけを
根にもって

わたしの父親は生きてきたらしい
(そうだ、おまえがいけなかったのだ)

おとうとの
傷ついたくちびるの

あの血はいつまでもかわかない
それがにくたらしい

老いてから
大学ノートにそのことを書いた

死ぬまぎわまで
おとうとには会おうとしなかった

わたしたちの夢の土地は
ときとして

そのような
遠いおとうとで濡れている

 

 

 

日曜日

 

廿楽順治

 
 

なにもかもが過ぎてしまった
越えたものは多い

(子どもなんかいなくてよかった)

そのひとを亜麻布につつんで
引き取り
丘にむかって
われわれにおおいかぶされ

(と言ってはみたものの)

この亜麻布はなににひとしいのか
ひとしさの
包み方がわからない
「生きたひとをなぜ死人のなかに
たずねているのか」

日曜がきたので仕事はやすんだ
(わたし)というのは
丘の過去形です

ひとしさのうえにいて
ずっとはたらかない

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

声をだしながら
背後をあるいているひとはこわい

耳だけのものが
足下にいて

聞き取れなかった声を
(うまい、うまい)
と舐めているのかもしれない

声をだしているそのひとは
つまり
遠くにいるべつの「わたし」だ

(そうか)
会話だからこわいのか

「わたし」になれなかった
うしろの生きものが

舐めるように
かかとへ話しかけてくる

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

きみたちの内に塩をふりなさい
(泣いてなんかいねえやい)
もしも片方の目玉だけが
しょっぱいのなら
抜いてしまいなさい

片側だけでこの川岸にいればいい

風景のついてない方の足も
切ってしまいなさい
きみたちはどこまでも
全体である必要はない
塩はよいものである

この町がほんとうに
片方の目玉だったらね

 

 

 

 

廿楽順治

 
 

「わたしは数えられたりしない」
のれんをくぐって
男の影はやってきた

みんな
みごとな豚です
重油だらけの空でそだってきた

傘をたたんで
定食を頼もうとする四千人

群れというのは
どうせみんな耳が濡れているのだ

傘のようにたたまれた眠りで
鍋へと飛び込む

「ひとりではないので」
いっせいに同じ夢を食らうほかない
やーい 豚

店の外に
四千人の
子どもがたかっている

 

 

 

この口

 

廿楽順治

 
 

手を洗わないでめしを喰っています

わたしは誰かと聞くな
この口に入ったものは真理

喰ったあとの声がおそろしいので
落ちたパンもたべる
その信仰は見あげたものである

父母のしつけは忘れた
死んだのはよくおぼえているが
生きたことは思い出せない

だから手を洗わない
理由は音をたてない

この口からでるものは
きたない影

 

 

 

夏休み

 

廿楽順治

 
 

わたしとゆきこは
夢の駅前で
いい争いをしていました

おそろしさが
ただよっている

とうに死んでしまった子どもが
やってきて
「やめて」

といっているのに

しずかでなつかしい海辺のほうへ
きいろく濁って

これから三人
曳かれていくのでした

駅前でやきそばをたべたあと
わたしとゆきこは

生きかえった子どもと
耳をならべて眠っていました

ひとの死んだ夢を
盗んできたので
おそろしくしあわせなのです

 

 

 

長屋正月

 

廿楽順治

 
 

なんどだって
われわれは丸くあつまってしまうのだ

(うたをうたいだすやつもいて)

泣いている船長の老人
それがどうやらみんなの親らしい

ぼくは中上健次の『岬』を読んでいるんです

とつぜんへんなことをいう少年
麩菓子の箱が積まれてある部屋であった

ののしりあう発音が
どれも水のなかでのようにくぐもっている

(どうしてそこにケロヨンがいるのだろう)

死んでうすくなったその丸に
こんどはわたしがすわって

あきることなく
さむい夜に出る船の話をくりかえす