「新しい詩のスタイル」って褒められてどんどん書いてちゃった。

 

鈴木志郎康

 

 

水道の水が
冷たく
感じられるようになった、ちゃ。
はい。
毎朝、4時起きして、
詩を書いてるっちゃ。
はい、詩も読んでるっちゃ。
はい。
それから、朝食の支度してるっちゃ。
はい。
杖ついてキッチンに
トッコン、トッコン。
はい。
先ず、前の晩から水に漬けてた大豆と一緒に、
キャベツに人参、玉ねぎ、セロリ、かぶなんか、
水道の水で洗って、
蒸して、
温野菜にしてるっちゃ。
はい。
紅茶沸かして、
食パン一枚焼いて、
バターを塗った上に
ハム一枚を乗せて、
洋がらしを
少おおし塗って、
それで、
毎朝の食事っちゃ。
はい。
蒸した大豆は
滋賀の大鶴大豆、
柔らかく大きく膨れて、
美味しいちゃ。
はい、
はい。
ちゃ、ちゃ、ちゃ。

詩人の
須永紀子さんからメールが来たっちゃ。
2015/10/07 17:02、・・・・・ のメッセージ:
鈴木志郎康さま
風が冷たくなってきました。
浜風文庫の
「この秋の訪れは独眼流のウインク生活となっちゃった。」
を拝読しました。
9日間も入院なさって大変でしたね。
そのことを記録しつつ詩作品として成立させる、
これは新しいスタイルだと思います。
つらさや愚痴を書かないこともすごいです。
なかなかできないことだと思います。
複視はもう治まったのでしょうか。
お身体大切になさってください。
須永紀子

「そのことを記録しつつ詩作品として成立させる、
これは新しいスタイルだと思います。」
認めてくださって、
嬉しいです。
須永さん、
ありがとう。
その記録ってことで、
須永さんのメールを
そのまま引用させてもらいました。
新しい詩のスタイルだって、
それだっちゃ。
記録が詩の言葉になるちゅうこと。
言ってみれば叙事ですね。
歴史的叙事なんて大掛かりなものじゃなくて、
極私的叙事ってこと、
ストレートってこと、
まあ、悪く言えば、
身の上話ってことじゃ、だめじゃん。
蒸すキャベツはどうなってんの、
人参はどう切ってるの、
大豆を蒸すって、
そりゃ、何だい。
叙事ですよ。
叙事。
事件や事実を客観的に述べるってことっちゃ。
キャベツを客観的に述べるって、
人参を客観的に語るって、
冗長だって構いやしないぜ。
どうせ、
事実ってのは言葉じゃないのよ。
言葉は言葉、
言葉にしたら、
空っぽ。
沸騰する鍋に入れた
金物のざるの中の
大豆の空っぽ、
その上の
ほぼ4センチ四方のキャベツの葉っぱの空っぽ、
人参の輪切りの空っぽ、
四つ切りの玉ねぎの空っぽ、
細切りのセロリの空っぽ、
空っぽ、
ぽっ、ぽっ、ぽっ、
鳩、ぽっ、ぽっ。
まーめがほしいか、
そらやるぞ、
その豆は大豆ってわけっちゃ。

大豆をね。
糸の先にしっかりと結んで、
下剤を塗って、
お寺の境内の、
鳩の群れに投げると、
一羽の鳩が
それを食べて糸がついたそのまま豆を下痢する。
次の鳩がその豆を食べて下痢する、
またその次の鳩が下痢する、
ってな具合に、
鳩を数珠繋ぎに捕まえられるって、
さらに下剤を塗れば、
もっともっと、
鳩を数珠繋ぎに捕れるって、
江戸笑話にあったっちゃ。
は、は、は。
うそっ、
豆粕な話ちゃ。
空っぽ。

大豆を蒸して食べるのは、
植物タンパクの補給ってことですよ。
「植物性たん白は良質の蛋白源で、コレステロールの調節作用、血圧低下作用、
動脈硬化抑制作用、血糖値低下作用、抗ガン作用、・・・」(注)
もういいっちゃ。
ちゃ、ちゃ、ちゃ。

詩の新しいスタイルが、
何処かにいっちゃった。
これじゃ、
詩っちゅうものが、
破綻しちまってるじゃん。
じゃん、じゃん。

大切なのは、
「記録しつつ詩作品として成立させる」でしょう。
つまり、
事柄を言葉にしつつ、
詩にするってこっちゃ。
しつつ、
しつつ、
しつつを働かせなきゃ、
詩にはならないってこっちゃ。
ちゃ、ちゃ、きゃ、きゃ、
うるさいっ。
事柄を語る言葉は空っぽ。
空っぽは、
比喩にならないっちゃ、
空っぽは、
イメージにならないっちゃ。
しつつが空っぽを繋げるっちゃ。
いきなりですが、
まあ、
繋げるためには、
言葉の行間に、
磁場を発生させるじゃん。
ちゃ、ちゃ、ちゃで、
磁場を発生させるじゃん。
磁場って、
何じゃい。
電気が流れりゃ、
磁場が生まれる、
心が動けば、
意味が生まれる。
意味って、
その人そのもの、
言葉をその人に還すってこっちゃ。
それが詩なんですよ。

わたしゃ、
物が二重に見える
複視になっちゃってさ、
右の視野を隠すってことで、
独眼流ウインク生活してるけど、
目測が狂うから、
包丁を使う時は、
注意しなくっちゃならないのよ。
人参を輪切りにストン、
コロコロって、
床に落ちちゃった。
まあまあ、
後で、
ゆっくり、
拾えば、
いいっちゃ。

蒸し野菜やら、
洋辛子つきハムトーストやら、
ミニトマトやら、
バナナやら、
蒸し大豆やら、
牛乳パックやら、
なんやら、
乗せたお盆を、
麻理に、
テーブルに運んでもらって、
わたしの朝食っちゃ。
食べ終わる頃に、
秋の陽射しが
テーブルの上まで、
伸びてくる。
ああ、
秋っちゃ。
秋っちゃ。
まだ、庭の
白い朝顔の花が咲いているっちゃ。

 

 

(注)日本植物蛋白食品協会Q&A
http://www.protein.or.jp/faq.html

 

 

 

「新しい詩のスタイル」って褒められてどんどん書いてちゃった。」への2件のフィードバック

  1. ぼくの暮らしている大分県では、話の語尾に「ちゃ」がつきます。それこそ「ちゃっちゃ
    ちゃっちゃ言うなっちゃ」という冗談を言い合うくらいです。しかし、こうして読んでみると「ちゃ」のつくる結びと立ち上がりのリズムは整った感じがしてなかなか悪くないものだなと思いました。

  2. 藤さん コメントありがとうございます。「大分県では、話の語尾に「ちゃ」がつく」ということは知りませんでした、ちゃ。嬉しいです、ちゃ。しつれしました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です