フランダースの犬

 

今井義行

 

 

わたしは 夕御飯を ちいさな テーブルで 食べている
きょうは 塩バターパンと ブロッコリーやかぼちゃ 海藻類のサラダ
デザートに チョコワッフル

デイケアの仕出弁当では不足しやすい
栄養分を 夕御飯で おぎなっている

締めの チョコワッフルを(カロリ―オーバー)
うっとりと 齧りながら・・・・

賢治祭 平成27年 9月21日 宮沢賢治詩碑にて
と いうNHKニュースを みた

食後には 忘れずに 安定剤のまなくっちゃ、ね

わたしは 宮沢賢治詩碑にて
と いうNHKニュースを 知る

宮沢賢治は 命日かさね 神になり
宮沢賢治は 命日かさね 神になり

随分 憧れられて いるのですね
人びとを たすけました ものね

ところで、

新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・
「フ」 とおもいたって
パソコンを 開いて 検索して
そうすると その、「フ」 って

幾つもの ことばの 候補のなかから 物語の
「フランダースの犬」の 結果へとつながった
そうしてね・・・・・・・・
「フランダースの犬」の 記憶へとつながった
わたしは子供の頃に本を読んだアニメも見てた

ウィキペディア(Wikipedia)などで、

あらすじを たどるだけで
どうにも しずくが にじんでしまう──

風車小屋の 風車が 回っています

大聖堂の うつくしい ルーベンスの 絵画の
したで 冷たくなっている
少年と 愛犬の 抱きあう
すがたが 想いおこされて
最終話が たちあがって きて それは

さいごには 駆けつけた ≪人びとには≫ 「まにあわなかった」という物語なんだ

≪人びとには≫ って いうことは にんげん如きには、だ

欧州では このものがたり
「負け犬」の ものがたり
として 酷評されているというのです
米国では このものがたり
「希望がない」とハッピー
エンドに替えられているというのです

欧州にも米国にも <神>という天上の概念があり
「自立」や「勝利」が 天に尊ばれる風土・・・?
棲んだことはないし 語れる筋合などありません

欧米では 日本で この ものがたりが なぜ
そんなに 愛されているのか 不可思議なんだ

高邁な悲劇ではなく 賤民の俗物ということ かしら
さいごには ≪人びとには≫ 「まにあわなかった」という 結ばれなさは

おなみだ ちょうだいの 大衆演劇に あやまりな!
おなみだ いただいてね 活きている 大衆歌謡に!

ご、「ごん狐」は どうなるの

に、「人魚姫」は どうなるの

撃ち殺されてしまった野狐や 泡になるほかなかった人魚
理想郷を夢みた賢治は 哀しみの深さに沈潜した人よりも
すぐれて いるのでしょうか

「よだかの星」は inori 「永訣の朝」は satori
昇華すること 浄化すること 自らの志向で
「愛」というものを 体を張って つたえた のだろう
それは それで うつくしく 愛されながら

宮沢賢治は 命日かさね 神になり
宮沢賢治は 命日かさね 神になり

新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・
新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・

南吉はこころやさしかったかもしれないが
日記に 延々と怨恨を書き綴ったというし
女子校に赴任したときは ウキウキだったみたいよ

宮沢賢治は 神秘を 遺したひと

アンデルセンは ホモセクシュアル だったという
あひるは醜で 白鳥は美 それは偏向、じゃないよ

人魚も 彼も マイノリティ だったのさ

彼は 泡となって
天に かくまわれたかったのではないのかな さて、

季節の変り目 あかるい お茶でも 飲もうと
わたしは 秋色のともだちと 秋色の昼下がり
公園通りの喫茶店で 待ちあわせをしたのです

わたしは やわらかい椅子に座って
紅茶が いいなあ・・・・って 想った

あっ、風車小屋の 風車が 回っています

宮沢賢治は 命日かさね 神になり
宮沢賢治は 命日かさね 神になり

そう、ネロとパトラッシュは牛乳を積んだ荷車を牽いていたんだ
いつの日も 何処までも いつまでも

わたしは ミルクティーを たのんだ
ともだちは コーヒーを ミルクで割った

紅茶の あかは 太陽の ようだな と想った

ミルクティーって・・・・太陽に 乳液を垂らすことなんだね

アイスティーって・・・・つまり冷やした太陽のことなんだね
レモンティーって・・・・太陽にレモンを垂らすことなんだね
ミルクティーって・・・・太陽に 乳液を垂らすことなんだね

一週間という なかで さまざまな ひとに 出あっているなあ
鬱々しているときに愛が怯えている そんなうつろな愛で行うとき わたしは わたしを
含め 誰に対しても うつろな愛にしか 成らないと 想ったり・・・ それは過ちなのですか

窓から人波を眺めている 秋色のともだちの横顔は
ジャニーズの 岡田准一に 似ているけれど 正面を向くと
鶴太郎に変化するので ヘン ( あはは・・・ ) 「帰りに ヒカリエに 寄りたい」と言う

宮沢賢治は 命日かさね 神、となる
宮沢賢治は 命日かさね 神、となる

ともだちは ヒカリエに行きたいと言うけど わたしは どこへ行きたい、か
生と負の蝶つがい 折りたたまれ お互いの話をかたり
生きてやるも 退いてやるも
ああ、似てるねと 希望を 持って
それぞれが 片方ずつの翅になって
蝶となって おそるおそる翔いて 午後は過ぎる

新美南吉は 何処へ いったろう・・・・・・・・・・・・・
「フ」 とおもいたって 検索して
そうすると その、「フ」 って

幾つもの ことばの 候補のなかから 物語の
「フランダースの犬」の 結果へとつながった
そうしてね・・・・・・・・

わたしは 四季のある 日本で 詩を書いています
ある日には 湿潤した 一日があり それが春でも
哀しいときには 哀しいですよ 誰につげなくても

そうしてね・・・・・・・・
「フランダースの犬」の 記憶へとつながった
わたしは子供の頃に本を読んだアニメも見てた

大聖堂の うつくしい ルーベンスの 絵画の
したで 冷たくなっている
少年と 愛犬の 抱きあう
すがたが 想いおこされて

そう、ネロとパトラッシュは牛乳を積んだ荷車を牽いていたんだ

風車小屋の 風車が 回っています

いつの日も 何処までも いつまでも
ネロとパトラッシュはね、 牛乳を積んだ荷車を牽いていたんだ

わたしは ミルクティーを のみつつ
わたしは ミルクティーを のみつつ

わたしは ときに 日常の隙間に 神をかんじることがある それは、
例えば 小型冷蔵庫とモルタル壁の隘路から 一瞬を見護る瞳でした
でもね 世界の あちらこちらに 意地悪な神、いましたよ・・・・・・・・

宮沢賢治は 命日かさね 神、になり
宮沢賢治は 命日かさね 神、になり

だけど 人が そうなって どうする

そうして わたしは ミルクティーを のみほした・・・・・・・・・
わたしは ミルクティーを のみほした・・・・・・・・・
ほら、ネロとパトラッシュが牛乳を積んだ荷車を牽いていきます

 

 

 

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