鈴木志郎康
やばいよ。
詩人を自称する
わたしこと、
鈴木志郎康さん
あなたにとって、
詩を書くって、
何ですか。
やばいんですよ。
そんなことを自問しちゃあいけません。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。
生きてるから
詩を書く。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
パチンッ。
一週間ってはやいねえと言って、
ヘルパーさんが
頭からシャワーの湯をかけて、
わたしのからだをゴシゴシっと、
素早く洗ってくれたっす。
わー、気持ちいい。
ありがとうさん。
毎週月曜日に、
ヘルパーさんはわたしのからだにシャワーの湯を浴びせてくれるっす。
一週間はたちまち過ぎて、
その間に、
わたしはいったい何をしていたのか、
思い出せないってことはないでしょう。
昨日は今日と同じことをしてたじゃんか。
ご飯食べてうんこして、
そのうんこがすんなりいかないっす。
気になりますんでざんすねえ。
うんこのために生きてるって、
まあまあ、それはそれ、
新聞読むのが楽しみ、
そしてあちこちのテレビの刑事物ドラマ見ちゃって、
でも、その「何を」が「何か」って、
つい、つい、反芻しちゃうんですねえ。
記事が、
ドラマの筋が、
昨日今日で忘れちまって、
思い出せないっす。
気にすることではないんっすが、
気にするってことが、
気になるっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
パチンッ。
たった一つなった庭のみかんの実はまだそのまましてあるっす。
緑が少ない小さな庭に、
灯を灯したようにミカン色を濃くしてポツンとなっているっす。
1月26日っす。
今朝はぬかった泥の坂道を
同乗した車が下って行って、
セーターを着ようと頭を突っ込んで頭が出ない夢から覚めちゃって、
起床して、
餌を待ってニャーしている猫のママニに餌を与えたっす。
これは、
FaceBookなどに書いちゃったから、
言葉として、
それなりに覚えているっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。
年と、
月日は、
毎日毎日、
違うんだよね。
1年を365日としてですね。
80年で、
閏年が20回として、
29220日余りの
違う日が過ぎたっすよ。
何を当たり前のこと言ってるんだい。
でもね、
わたしの過ぎ去った、
その毎日毎日は、
どんどん忘れ去られてしまうっす。
過ぎ去れば空っぽ。
空っぽ、
素敵な空っぽ、
それが無念といえば無念で、
わたしは毎日したことを、
6000円もする外国製の日記帳に、
日記につけているんでざんす。
他人には読めない小さくて汚い字なんでざんす。
書いてるわたしにゃ、文字は文字、
つまり言葉にしているでんざんす。
でも、まあ、
空っぽは空っぽ。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
パチンッ。
家の中には、
時計が、
わたしが座るテーブルの椅子から見えやすく、
ベッドからも見えるように、
置いてあるっす。
台所にもあるっす。
仕事場にもあるっす。
全部で五つはあるっす。
時刻は刻一刻見てるっす。
パチンッ。
麻理が毎日そばにいてくれて、
よかったなあ。
今日のお昼は、
蕎麦だった。
11時半を回っていたでざんす。
パチンッ。
パチンッ。
朝4時起床、
早い時は3時起床、
紅茶、ブルーベリージャムをつけてクラッカー3枚、
本に埋まった仕事場に降りて詩を書いたっす、
世の中が暗いうちの、
密かな遊びでざんす。
明るくなって、
6時過ぎに朝食、
麻理に運んでもらったっす、
甘い蒸しキャベツ、
甘い蒸し人参、
甘い蒸し玉ねぎ、
とろけそうな甘い蒸し蕪、
美味しいっす。
トマトもブロッコリもセロリも
美味しいっす。
焼いたパンにハムとキャベツを挟んで、
紅茶でごくりっす。
テレビの「あさが来た」を見ちゃって、
ヒロインのあささんの明治の活発に続いて、
うちの麻理さんが、
わたしの痛む足をお湯で濡らしたタオルで拭いて、
マッサージしてくれるっす。
朝日と日経の
朝刊を読んじゃって、
アメリカ合衆国の大統領選挙の
トランプ氏って、なんじやい、
甘利明経済再生担当相の辞任って、なんじゃい、
元プロ野球選手の清原和博が覚醒剤所持容疑で逮捕って、ばっかだなあ、
これが安倍晋三首相が改憲に意欲を示した
開会中の国会と重なってるんだぜ、が、
うっすら頭の隅に残ったまんま、
それからトイレに行ってうんこしてっす。
また更に朝刊を読んで、
夏目漱石の「門」って、
暗いなあって、
これで二時間まあまあ生きてですね、
それから、よろけながら庭に出てですね、
クリスマスローズの鉢の花の写真を撮っちゃって、
再び階段の手摺りに掴まって仕事場に降りて、
ですね、Macに向かってですね、
SNSに投稿して見て回るっす。
ウッ、ウ、ウ、ウ、ウ、
メッ、メ、メ、メ、メ、
パチンッ。
晴れた日は
9時を過ぎると、
部屋の中に、
暖かい陽が射してくるっす。
テーブルの上まで射してくるっす。
紅茶茶碗が光ってくるっす。
懐かしいなあ、って、
あてどもなく懐かしいなあ、って、
パチンッ。
月に二度、
前立腺癌と複視で、
病院に行く日以外の、
午前中は、
こんな具合っす。
午後はといえば、
麻理のベッドに並んだベッドで
テレビを見るっす。
うとうとしながら、
「科捜研の女」とか、
「相棒」とか、
再放送番組っす。
もう飽きちゃったなあ。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。
からだ、
身体が介護認定されてるっす。
わたしのからだっすね。
隔週で月曜日の午前中には、
訪問理学療法士さんが来て、
家の前を百メートルほど歩いて、
脚と背中の筋肉をストレッチしてくれるっす。
この紅茶、美味しいですね、何という紅茶ですかって言ってくれるっす。
薬缶にダージリンとアールグレイのパック、それに
ハニーバニラカモミールのパックを放り込むんですよ。
そうですか、美味しいですね。
と言って、
理学療法士さんは電動自転車で次の訪問先に向かうっす。
毎週の水曜日の午後には女性の訪問マッサージ師さんが来て、
細かく体をマッサージしてくれるっす。
詩集、読みましたよって言ってくれるっす。
訪問マッサージ師さんは詩集を買ってくれたっす。
嬉しい思いでマッサージされるっす。
毎週の金曜日の午後にはまた訪問理学療法士さんが来て、
ほぼ全身のストレッチのリハビリでざんす。
自分でもストレッチしてくださいよって言われちゃうでざんす。
これでも、それでも、
すぐに脚やあちこちの筋肉が固まっちまって、
立ち上がると痛いざんす。
二本の杖ついてよろよろって危ないざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。
そうそう、忘れちゃいけないのが、
薬を呑むってことでざんす。
薬は2週間分を40分かけて日分けのケースに入れてるっす。
朝食後には8個の錠剤プラス4カプセル
サプリメント14錠、
昼食後に2錠、サプリメント8錠、
夕食後に5錠、サプリメント11錠、
エビオスはカリカリっと、
集団疎開でお菓子代わりに食べたのを思い出すっす。
パチンッ。
夕方には4時回って夕刊、
夕刊は麻理に玄関から取ってきてもらうっす。
階段を下りる脚が痛いっす。
そして夕食、
野菜スープになんかハンバーグとかレトルトのおかずっす。
翌日は残った野菜スープを牛乳入りのカレーにするんでざんす。
19時半にはベッドで、
うとうとしてっす。
日曜のNHK大河ドラマ「真田丸」を見たいって、
思ってっても、
眠ってしまうんでざんす。
22時回って、
トイレに起きて、
炊飯器の釜を洗って、
歯を磨いて、
喉の薬を吸入してっす。
そして眠るんでざんす。
パチンッ。
そうそう、
眠っても、
夜中に三回は、
おしっこに起きるっす。
そんときざんすね。
目を瞑ると、
眠る前に、
頭の中に、
言葉が巡ってくるんでざんすねえ。
芯の深みがほぐれるんでざんすか。
その言葉が、
早朝目覚めて、
覚えていれば、
めっけ物、
それを脳髄で揺らしながら、
仕事場に降りって行くっす。
詩が書けるんでざんす。
嬉しいですでざんす。
わたしは生きてる。
わたしは生きてるんでざんす。
パチンッ。
パチンッ。
1月30日の「浜風文庫」で、
今井義行さんの詩「きぬかづき」を読んだっす。
パチンッ。
きぬかづきの小芋から皮を剥かずに食べたって、
それが、女の人のからだに重ねられて、
今井さんが自分の心を真摯に語る詩なんでざんすが、
そこにですね、
「勤務時間も 詩を書いていました 「詩」が人生の 目的でしたから
しかし 「給料泥棒」に 本当に 「詩」が書けるわけないでしょう
漫然と盗んできた 者に 本当の 「詩」が書けるわけないでしょう」
ってありましたでざんす。
パチンッ。
パチンッ。
鈴木志郎康こと、わたしが、
今井さんの詩 「きぬかづき」の「浜風文庫」のFaceBookへの投稿に、
「ところで、この詩作品は人の人生にとって「詩とは何か」という問いをはらんでいますね。」って、
コメントしたんざんすら、でざんすね。
今井義行さんは、
律儀に、ですね。
「(前略)この詩では、わたし個人の場合の目標を書いているわけですが、それは、会社でも他所でも、昇進や権威の獲得には興味はなく、日々の場と葛藤しながら書くことで、マイノリティが生きづらい社会でも、生きていく力が湧き、前進できるから書いています。読者の方々の置かれている立場は多様だと思いますので、それぞれの立場から「詩とは何だろう、何処を目指すか」という想像へと繋がっていけば良いなと思います。(後略)」
「(前略)わたしは詩作は、自分が楽しいだけでなく、他者の心を震わすこともあるという意味で、十分社会参加であると捉えていますので、他の分野も含めて、保護法があっても良いじゃない、とも思います。(後略)」
って、ざんすね。
現在の詩作の意味合いと、
詩人の生き方をしっかりと、
返信してくれたんでざんすね。
パチンッ。
そういう考えもあるなあって、
思いましたでざんすが、
パチンッ。
パチンッ。
わたしは、
「詩人保護法」には反対って、
コメントしちゃいましたでざんす。
他人さんのことはいざ知らず、
わたしの詩を書くって遊びが、
国の保護になるなんざ、御免でざんす。
パチンッ。
パチンッ。
わたしにゃ、
詩を書くって、
ごくごく、
極々、
密かな行いで、
誰にも邪魔されない
一人遊びなんでざんすねえ。
読んでくれる人がいれば、
めっけもん、
嬉しいって、ですね。
詩人を自覚してる
わたしこと
鈴木志郎康にとちゃあ、
それだけのことでざんす。
詩を発表するところの、
さとう三千魚さんの
「浜風文庫」に甘えているんでざんす。
やばいんでざんす。
ホント、やばいんでざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、
パチンッ。
パチンッ。
きょうは日曜日、
あした月曜日、
ヘルパーさんがやって来て、
一週間ってはやいねえと言って、
わたしの全身を頭からゴシゴシって、
洗ってくれるっす。
パチンッ、
パチンッ、
パチンッ。
フウー。
この詩を書いて、
読み返したら、
わたしゃ、
急激に不機嫌なったでざんす。
ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ。
パチンッ、