西暦2015年師走蝶人酔生夢死幾百夜
佐々木 眞
ふと見ると目の前の白い花にウスバキチョウが止まって一心不乱に蜜を吸うておる。北海道のそれも大雪山系・十勝岳連峰の高山地帯にしか棲息しないはずの天然記念物がどうしてこんな里山にいるのかと私は訝しく思った。12/1
じつは訝しく思うが早いか、それとも遅いか分からないうちに、私は夢中で、透明な翅を持つその高貴な蝶の黒い胴体を、むんずと捕まえ、右手の人差指と中指で両の羽を抑えながら、左手の親指と人差し指で、むぎゅうと胸を押すと、暫く指を押し返していた彼女は、ぐったりとなった。12/1
ここ数年の間に、東京では日本人が激減し、海を渡って、赤白黄色黒色の異民族の人々が押し寄せてきたので、犯罪が激増し、私たち捜査1課の刑事たちは、容疑者の捜査や取り調べに必要な英語、スペイン語、中国語、韓国語、アラビア語の習得に追われていた。12/2
今日は公衆衛生の日なので、われわれは公園のトイレを掃除し、トイレットペーパーをとりつけた。しかし私は便器に降りかかった巨大なウンチに手を触れることだけは、どうしても出来なかった。12/3
久しぶりに、ファッションショーを見た。聞けば私の妹が、その新ブランドの店長を務めるというのだが、大丈夫だろうか? 彼女は嬉しさゆえに、まるで蝶のようにフワフワと舞いあがっている。12/3
クーデターにかかわった劇団の幹部たちは、東京から安曇野まで逃れてきたのだが、北アルプスの山麓で、いよいよ最後の時を迎えようとしていた。12/4
私は、シロナガスクジラだ。久しぶりに湾内に入って遊弋していると、管理人が飛んできて、「きみきみ、ここはドックなんだから、勝手に泳ぎ回っては困る。君の番号は110番なんだから、その番号の場所に停泊しなさい」と怒った。12/6
小学館から頼まれて、ビルの小集会ホールで環境問題について講演しようと「夕張炭鉱では」と声を張り上げたら、右傾化する会社に対する抗議集会も同じ会場で開催されていて、拡声器が「打倒相賀!」とシュプレヒコールを絶叫するので、夕張炭鉱どころではなくなり、ほうほうのていで引き揚げた。12/6
念願のミステリートレインが、いよいよ発車するようだ。どこか私の見知らぬ素晴らしい土地へ連れて行ってくれるとうれしいな。12/7
耕君が一人で特急に乗って、田舎の親戚まで旅立つことになったので、駅に停車している電車の中まで見送りに行ったら、先頭の1号車の1番の席に、巨大なライオンが寝そべっている。困った困った。12/9
新人も超ベテランも、同じひとつのスポーツを楽しむことができるので、その奇跡のような平等性を、私は掌中の珠のように慈しんでいた。12/10
実際茂原印刷のスポーツ選手は、超カッコ良かった。秋冬には、真っ赤なスウエーデン刺繍のセーターを着て、運動場で日向ぼっこをしていると、大勢の女子が「サインしてえ!」と近寄って来るのだった。12/11
国賊といわれて村八分になり、夜逃げする途中で、高校生のA子に出会ったら、「どこにでもいくから連れて行って欲しいの」といわれて、B市の安ホテルに泊ったら、私のすがれた胸にしがみついてきた。12/11
痛い痛い、猛烈に歯が痛い。しかし朝起きたら、痛みが消えてしまっているかも知れない。するとこの痛みはなんなのだ。嘘か眞か、予兆か警告か、心臓からの便りか。12/12
案ずることはない、「南無阿弥陀仏」と唱えておれば、それでいいのじゃ、と誰かの声がした。12/13
南の島のヤシの樹の下で、まず私がジャンプして、右手で2枚の布を放り投げると、それが落ちてくるところを捕まえた息子が、今度は左手で放り投げる。私たちはそんな動作をいつまでも繰り返していた。12/14
疲労困憊した私が、テントに潜り込んで寝ていると、いつの間にか見知らぬ女が私の傍に横たわっているので、「どうした?」と云うてやると、いきなり抱きついてきたので、どうしようもなく2人は獣になってしまった。12/16
我われは苛烈な戦闘の後でとうとうギシック号を占拠して、無期限ストライキに突入した。その翌日はガ島に上陸して大学の寄宿舎を封鎖し、しばらくはそこで待機することにした。12/17
敵が来襲してきたので、私はいつものように家ごと飛びあがって応戦しようとしたが、なぜか重くて駄目だったので、仕方なく私だけで空に舞い上がったが、時すでに遅く、万里の長城のような巨大なものが、空を覆い尽くして迫ってきた。12/19
突如白刃をきらめかせている3人の侍に取り囲まれた私は、おもむろに抜刀しながら、こやつらも侍のはしくれ、いっときに3人が押し寄せることはないだろう。しからば1人ずつ退治するまでのことじゃ、と青眼に構えた。12/20
仕事がなくて喰うに困っていた私に、同文社の前田さんからメールがあって、これから始まる「失われた寺社仏閣全集」の取材とライターをやってほしいという。「これは面白そうだ、まずは鎌倉の大慈寺から行きましょう」と提案したら、そういうのもあなたの好きにやってもらいたいといわれた。2/21
「ただしこのシリーズは毎月1冊のペースで刊行し、全100巻にまとめたいので、原稿締め切りは毎月末にしてもらいたい」というので、「ちょっと待ってください、せめて1ヶ月半にしてください」と頼んだら、「まあいいでしょう」という返事だったが、いつまで経っても肝心のギャラの話がない。12/21
税金取りが差し押さえにやってきた。私の虎の子の現金は、庭の草上の食卓の上に全額置かれていたのだが、彼らはまさかそんなことがあろうとは夢にも思わず、部屋の中をあらさがししてから引き揚げたので、私は九死に一生を得たのだった。12/22
猛烈なブリザードが吹き付ける冬のアイガー北壁の一角にあって、1ミリも身動きできず、私は何昼夜にもわたって一匹のヤモリのようにへばりついていた。12/23
王の一族は、先祖代々近親結婚が続いて蒲柳の質が相続され、、長男も次男も子宝に恵まれなかったので、仕方なくそれぞれに養子を取ったのだが、その養子の動物的活力が新たな騒動と禍の元になって一族の混乱は末永く続き、やがて滅びた。12/24
忘年会へ行こうと部下のTと新宿を歩いていたら、交差点に懐かしの女が青ざめた顔で立っていたので、Tに先に行ってくれと頼んで女の手をそっと握ると、氷のように冷たい。
とりあえず伊勢丹の前のきっちゃてんに入ったが、客はいないし、誰も注文を取りに来ない。
仕方なく2階に上がって、自分でコーヒーとアイスクリームを作り、急な階段をそろそろ降りて1階の席まで戻ると、女はいない。代わりに取引先のS社の大勢の連中が、すべての席をうずめつくして大騒ぎしている。12/25
我われは次第にその村人たちと仲良くなり、時々彼らの家で御馳走になったり、彼らと連れだって町へ買い物に行くようになった。12/26
その大きなヘリが墜落したために、2匹の羊が潰されて死んでしまった。ついでに残るⅠ匹も殺してやろう、とヘリから出てきた乗組員が羊に襲いかかると、その羊はメエエ、メエエと鳴きながら必死に抵抗したので、町の人々は拍手喝采した。12/27
愛犬ムクと愛猫ノラを谷間で遊ばせ、私だけ一気に山頂に駆けあがって一息入れていると、下の方からなにやら悲鳴のようなものが聞こえてきた。山頂から覗き穴で眺めてみると、谷間を巨大な獣がうろつきまわっている。12/27
熊だ!ヒグマだ! ムクとノラが危ない! どうしよう。しかしこんなに離れていてはどうしようもない。ひたすら無事を祈りながら、なおも覗き穴に目を凝らしていると、白い小さな動物がこちらに登ってきた。
あれはノラだ。愛猫の後には槿毛色の愛犬ムクが、その後ろからはウサギやイノシシ、さらにその後ろからは、なんと獰猛なヒグマが山頂めがけてしずしずと登ってくるではないか!12/27
おや健君じゃないか。なに、お父さんの夢を全部録画してあげるって? そりゃあいいねえ。いまは毎晩夢を見たと思ったらすぐに起き出して、電気をつけて枕元の手帖に殴り書きしているから、オチオチ寝られやしない。どうか全部録画しておくれ、と私は息子に頼んだ。12/29
なに、そのヘッドギアのようなものは? そうかこれを被って寝ると、コードがそっちに伝わって全部記録してくれるのか。なんともまあ便利な機械が出来たもんだねえ。御蔭で今晩からぐっすり安眠できそうだ。健君ありがとう。12/29
町田家の人たちと一緒に歩いていると、どこかからボールが飛んできた。町田まち子が「おじさん、こんなところを散歩してると殺されちゃうよ」と悲鳴をあげたので、周囲を見渡すとそこは国立競技場の中だった。12/30
えいやっ!と捕まえると、ガイガーカウンターだった。
山中の山中家を訪ねたら、ゲンスブールとバーキンの「Je t’aim Moi Non Plus」がガンガンかかっていて、「いまショーで浮かれていた“はくいスケ”を順番に犯しているとこだから、明後日また来てくんろ」という返事だったので、そのまま引き返した。12/30
私はイイネを押し続けたが、その間に国籍不明の敵から爆撃を受けた私たちの船は、あっという間に撃沈され、昏い海の底へと沈んでいった。12/30
百万弁の関西日仏会館辺から、ボロ自転車に乗って東大路を南下していると、急にお腹が減ってきたので、どこか饂飩屋でもないかと探していたが、坊主がお稚児さんをお姫様抱っこしている姿を一瞥して、急に食欲が失せてしまい、気がつけば京都タワーの下にいた。12/31
地元のヤクザに招待され、年忘れパーティでやけ食いしていたら、突如前歯が歯ぐきもろともテーブルに飛び出したので、組員も驚いてのけぞっている。組長が呼んでくれた救急車に乗せられた私がよく調べてみると、それは身に覚えのない誰かの入れ歯だった。12/31
*「夢百夜」の過去の脱落分を補遺します。
夢は第2の人生である 第11回
西暦2013年霜月蝶人酔生夢死幾百夜
久しぶりに音響の不気味なサントリーホールへ行ったら、背中どころかケツ丸出しの超妖艶女流ピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリ嬢が髪振り乱して演奏していたので、超興奮した私が舞台に上がってバックからクイクイ犯したのに、平然とリストを弾いているのだった。11/30
みなし子ハッチになってしまった私の遺産を狙って、親戚の者たちがいろんな悪さや嫌がらせをしていたが、私はじっと我慢を続け、いずれは彼らを見返してやろうと虎視眈々とその機会を窺っていた。11/28
お尋ねものとして放火、窃盗、恐喝、婦女暴行などをやりたい放題の乱行を繰り広げていた私。とうとう十手のお縄を頂戴して市中引き回しの上磔となったが、なんの後悔もなかった。11/28
私を「どうしようもないデクノボウで世界一卑怯な奴!」と罵ったその最高権力者めがけて突進した私は、その憎らしい顔を靴で踏みにじり、足蹴にして川に突き落とすと、まわりの連中は、あっけに取られてお互いに顔を見合わせるのだった。11/27
ダイナア妃ともども我々は山中で孤軍奮闘したのだが、多勢に無勢武器弾薬も尽きたので、次第に前線から後退を余儀なくされていたが、そのときどこからともなく飛来した敵弾が、しんがりの中尉の頭を貫通したので、彼の頭は柘榴のように弾けた。11/26
いろんなメディアで短歌や俳句を募集しているというので、どんどんネットで応募していたが、自宅の電話番号を間違えたまま投稿してしまったことに気が付いた。自分としてはかなり自信作だっただけに、悔しいというか、耄碌したというか、眠っていながら目の前が暗くなる想いだった。11/25
マムシは危険だし好きではないが、こいつに出会うと捕まえて、すぐに叩き殺すか、体調が良く元気な時は、彼奴の頭を口の中で噛み切ることにしている私だった。11/24
海に向かって開かれた細長い洞窟が、私の住居だった。「ここは狭いから、余計なものは全部捨てるんだ」と隊長がいうとおりにしていたのだが、次々に宅急便がいろんな物を送り届けたので、すぐに手狭になってしまった。11/23
私たちはその海岸で多くの魚を捕まえたが、隣の北朝鮮の倉庫には魚どころかなにも置いてなかったので、彼らを魚料理の宴に招いたのだが、誰もやってこなかった。11/22
戦争の捕獲品をラクダに乗せて帰国した私たちだったが、その配分を巡って仲間がいちゃもんをつけてきたので、私は頭にきて「それなら全部お前たちにくれてやる」と怒鳴って席をたった。11/20
展示会が終わったら好きなCDを貰っていいといわれた」とイケダノブオがいうので、私は「誰から?」とにらみをきかせ、それらのCDを全部ゼンタロウに渡して「お前が入用な奴を抜いて残りを俺に返せ」と冷たく言い放った。13/11/19
出版社の入社式の夜に出来て仕舞った知花クラクラ嬢は美術雑誌課に、私は文藝誌課に配属された。広大な編集部の真ん中にビオトープの池があり、昼休みに私が茶色い亀を放り込むと、大口を開けた鰐が、たちまちそいつをかっ喰らったので、クラクラ嬢は失神してしまった。11/18
地方から出てきたばかりの私が、どの列車に乗ればいいのか東京駅で迷っていると、いかにも洗練された親切な青年が、「これに乗って、ここで降りなさい。僕も一緒に途中まで行きますから」と言ってくれたが、発車しても姿が見えないと思いきや、ホームの先端で飛び乗って来た。11/17
その若い男の本当の職業は、実は投資家で、「2千万の原資でたちまち2億2千万円を手にしたことがあります。もしあなたがお金に困っていたら、私がなんとかしてあげますからそう言ってください」と朗らかに語るのであった。
「どんな難しい命題でも即座に読み解いてみせましょう」と自信満々で請け合うので、私が気になっていた禅の公案の意味を問うと、その男は私からかなり離れた場所にどかりと腰をおろし、無言のまま部厚い唇をゆっくりと動かすのだった。11/17
信じなければならないのに、どうしても信じきれない仲間に対する乾坤一擲の犠牲的精神を発揮して、私は腹腹爆弾のスイッチをその仲間に託し、権力の中枢部へと単身突入していった。13/11/16
突然変異が起こったのか、従来の日本人が備えていた構成要素以外の遺伝子を持つ子供たちがどんどん生まれるようになってしまったので、全国民がパニック状態に陥った。11/15
街の外れの公園で野球が始まった。バッターの私が強い打球を放つと1塁手のノノヘイが球を後逸したので、私は溝蓋のベースを蹴って全速力で2塁に向かったが、いくら走ってもベースがないし2塁手もいない。仕方なく後戻りしたらノノヘイにタッチされて、アウトになってしまった。11/14
みたこともない美しく巨大な蝶が止まっていた。鮮やかな紅色の羽根を静かに動かしている彼女の胸を、右手の親指と人差し指でそっと挟んで、三角形の硫酸紙に収めようとしていると、翼の中からやはりみたこともない美しい中小2匹の蝶が飛びだした。11/14
東京駅の近くで、またしても私は迷子になってしまった。行けども行けども横須賀線のホームに辿り付けず、おまけに私は自転車に乗ったままなのである。ようやくたどり着いた改札口の若い女性の前で法外な運賃を要求された私は、ブチ切れた。11/13
私たち南軍と東軍は激戦を繰り広げていたが、武器ではなく野球の試合で決着をつけようということになり、両軍18名の選手が白熱のシーソーゲームを展開したが、9回裏の最後の攻撃で私の一打が劇的な本塁打となり、ついに結着がついたのだった。11/12
こうして私たちが東軍を従えていた間に、強大な北軍は西軍を屈服させ、一路南下していたが、単身丸腰で敵地に乗りいれた私の「無益な戦いはやめよう」という提言が受け入れられ、しばしの平和が訪れたのだった。11/12
授業をしようといったん教室に入った私が、忘れ物をしたので引き返して戻ってくると、そこは文化祭の準備をする学生たちで超満員だった。机の上に立ったカトリーヌ・スパーク似の長身の学生から「センセ、ちょっとこのスカートの長さを見て下さい」と頼まれたので、私は赤面した。11/11
なんのこれしきの軍勢、あっという間にねじ伏せてやる、といきまいて敵陣に襲いかかった我が軍であったが、圧倒的な数を頼みにしゃにむに攻めに攻めても強固な砦を落とせず、どんどん死傷者が増えていくのだった。11/11
私は甘い顔をしたドライバー、通称「甘顔ドライバー」なのだが、レースの途中でいつもガードレールに突っ込むので、協会ではわざわざ私のために「甘顔ドライバー・スイート・スポット」という特別コーナーを作ってくれた。11/9
若い女性ばかり100人くらいが住んでいる女語ケ島にでは、毎月リーダーが替わってうまく運営されていた。138/11/8
私は何週間もかけて、南北ベトナムやアフリカの僻地を行き来している。はじめそれは仕事だったはずだが、いまではそれは自分の趣味というか、それなしではおのれを制御できない生き方の基軸規範のようなものになってしまい、いったいいつになったら故郷に帰れるのか見当もつかない。13/11/7
懐かしい故郷を離れ、遊撃隊の隊長として戦場に出てから永い歳月が経ったが、久しぶりに国境の南のわが牧場に戻ると、真っ先に私を見つけた愛犬ポスが、猛烈な勢いで私の胸に飛び付いたので、私はその場でひっくりかえってしまった。11/6
急に戦争になってしまったので、交通網も大混乱している。ようやく新横浜までやって来たのだが、ホームに止まったまま新幹線は、定時になってもさっぱり動かない。もてる限りの疎開用の荷物を車内に担ぎこんだ乗客たちは、疲れ切った表情でねむりこけていた。13/11/5
1台の砲車と1個小隊を率いた私は、敵軍が占拠する皇居目指して突撃を敢行したが成功せず、敵の砲撃で壊滅的打撃を蒙りながらもなおも旺盛な闘志を燃やしていた。13/10/5
高台にある住宅街の広場の一角に住民たちが購読しているいろんな新聞が並んでいて、住民たちはそれらを手に取りながら、ゆっくり読んだり、感想を述べ合ったりしながら、日曜の朝のひとときを楽しんでいました。13/11/3
私と近所のおばさんたちが立っている道路の目の前でタクシーが停まり、お向かいの寺尾さんの奥さんが降りるときに、座席に落ちていた千円札を「忘れ物ですよ」といって運転手に渡したので、それを見ていたおばさん連中は、「偉いわねえ」と感嘆していたが、私ならそうはしないなと思った。13/11/3
大阪での打ち合わせの帰り、電車の中でまたしても例の女が「あたしもうすぐロスに行くから、あんたにあげてもいいよ」と囁くのだが、私はその手は桑名の焼き蛤と思いつつ、急速に暮れなずむ十三の夕景を眺めていた。13/11/2
草原に火を放たれたために、黒い煙と紅蓮の炎が私に向かって押し寄せた。もうどこにも逃げ場はない。完全に退路を断たれた私は、いよいよその時が来たと覚悟を固めた。13/11/1
同盟国アメリカの戦闘機のパイロットとの共同作戦が続いていた。私は射撃手に実弾の代わりにプラスティックの弾を渡したのだが、彼はそれに気付かないで撃ちまくっていた。13/10/31
夢は第2の人生である 第12回
西暦2013年師走蝶人酔生夢死幾百夜
久しぶりに大学を受験した。5科目のうちひとつでも成績が良かったら合格できると勝手に思い込んで、ろくに問題が解けなかった数学や生物の答案はださなかったら、落第してしまった。失敗、失敗。耄碌、耄碌。12/31
長らくこの駅で改札係を務めてきたのだが、いよいよ定年間際となり、行きかう学生たちと顔を合わせるのもこれが最後かと思うと、胸にこみ上げるものがあるが、いちばん気になるのはいつも駅の片隅で薔薇を持ったまま誰かをずっと待ち続けている深窓の美女ふうの謎の女だった。12/30
寅さんが生き帰って生き返って「男がつらいよ」の新作が完成したというので、中野君の招きで浅草松竹に出かけたが、両隣のコンパニオンが体を触るのと、周囲の男たちが煙草をもうもう吹かすので、私は飛び出して半島の先端に座って海を眺めていたが、コンパニオンは追いかけてきてなおも触りまくるのだった。12/29
大災害に遭った私たちは、懸命に逃れて安全な建物の中に逃げ込んだのだが、階段の途中で後ろを振り返ると、背の高い息子の顔が見えたのでやっと安心できた。12/29
前回の人寄せ興行にオランダのチューリップフェアを打ち出したところ、思いがけず集客があったらしく、社長はいきなり新参者の私を指名して「次はなにをやってくれるんだい?」と訊ねるので、ちょうどその時たまたまトドプレスの小黒氏を懐かしく思い出していた私が「トド」と答えると、社長は「海獣ショーだね」と泣いて喜んだ。12/27
大学の建築科で渡辺ゼミに所属する私は、生真面目な学生でありながら、国家特殊秘密探索に従事するテロリストでもあり、毎日のようにシリア人やイスラエル人を暗殺しているので、いっこうに気が抜けないのだった。12/26
居間でミサ曲を聴いていたら、地震でもないのに突然家ががたがたと揺れ動き、半分くらい傾いたところで、ようやく踏みとどまった。これはいったいどうしたことだ。おおこわ。12/25
「一輪の彼岸花が咲いている 世界一弱い国でいいじゃないか」という自作の短歌をプリンしたTシャツを着た私が、名古屋城を見物していると、歌人の岡井隆氏が「お、なかなかイイね」といわれたので「これは日経歌壇で先生に選んだ頂いた歌ですよ」と説明すると「そうじゃったかね。忘れとったよ」と仰った。12/24
第九条をプリントしたTシャツを着て、「日本国憲法」を再出版された元小学館編集者の島本脩二さんと二人で新宿御苑に花見に行くと、天皇陛下によく似た人が「おや、これはなかなかいいですね」といわれたので差し上げると、安倍首相に似た男も「私にもぜひ」というので本と一緒にプレゼントしてやった。12/24
部落への道を急いでいる私の前に姿を現したのは、何枚もの畳や様々な家具でしたが、道の真ん中に転がっているそれらを乗り越えながら、私がなおも前進しようとしていると、無惨に壊れた大きな家と壁が立ちふさがり、それ以上の侵入を拒んでいるのでした。12/23
日本と戦争状態に入っている外国にたまたま滞在していた私は、「断固戦争反対」を唱えて街頭をうろついていると、たちまち巡査に誰何され、ただちに気違い病院に連れ込まれたのだった。
絶海の孤島にたつ高層建築のガラス張りの部屋に住んでいた私は、若月嬢に誘われてビルを降り、船に乗って本土に住む彼女の家を訪ねたのだが、いつまで経っても彼女は私を解放してはくれなかった。12/22
私は、店長以下全員がホモのNYのイタリアン・レストランで、パスタを食べようとしたのだが、彼らは「美味しいパスタの作り方を教えてあげるわ」といって私をぐるりと取り囲んで、いっかなパスタを食べさせてはくれなかった。12/21
しかなく別のレストランに入って念願のパスタを食べようとしていると、今度はホモではないヘテロとおぼしき店長が、「たったいまテロリストから、この店に爆弾を仕掛けたという電話があったので、すぐに外へ出て下さい」と叫んだので、仕方なくそのまま逃げ出した。12/21
私たちは広い野原のあちこちにテントを張って、モンゴル人のような生活を楽しんでいた。青空の下で朝から晩までいろんな人のテントを訪ねて、屈託のないおしゃべりをしたり、御馳走になったりお茶を飲んだりしたが、それは慶長の秀吉の醍醐の花見に少し似ていたかもしれない。12/20
かなり有名な画家であり、翻訳家でもある中年の女性の下請けの仕事を、私は長い間担当していた。彼女は名前のみで、実際の仕事はぜんぶ私に丸投げされていたのであるが、私は絵や語学の素人なので、いつも苦労に苦労を重ねてその仕事をやってきたが、彼女は絵筆も辞書さえ持っていなかった。12/19
かつて愛した少女と別れた私が、泉岳寺の近くで地下鉄の駅を探していると、道端の植物になんと南国特産の巨大なコノハチョウが止まっているのをみつけたので、息を凝らして近づいて右手の親指と人差し指でつかまえ、ギュウと胸を圧迫すると、蝶はその鋭い歯で私の指をチクリと刺した。こいつもしかして吸血コウモリではないだろうか?12/17
誰もがあまり雑誌を買わなくなってきたので、突然わが社のかつての有名雑誌「えりぬき」の休刊が決まった。私は「えりぬき」の若くてきれいな女性編集長のところへ行って慰めようとしたのだが、彼女は泣き崩れて誰の言葉も耳に入らないようだった。12/18
南洋のその島の三箇所は非常に危険だから「絶対に近づかないように」と領事らに警告されていたにもかかわらず、私は丸腰でそこを訪ねて、島民たちとなごやかに交歓していた。12/17
「ブランドイメージを守るためには、あなたと広告部と外部のデザイナーのロゴタイプをいつも同じパターンで使うように徹底しなければなりません」と私が述べると、その世界的に高名なデザイナーは、苦虫をかみつぶしたような顔をした。12/16
北島君のカメラがいいなあ、欲しいなあと思って1万円札を差し出して「これを譲ってくれないか」といいながらよく見たら、デジカメではなくアナログの古くてボロボロの機種だったので、出したお金をひっこめました。12/15
隣の家からどんどん人が出てくるのだが、みんな手に手に「ゆすらうめ」がいっぱいなった枝を持ちながら、うれしそうな顔をしている。うっすらとピンクに色づいたその実をみているうちに、私も欲しくなって隣家に入っていった。12/15
気がつくと私はどんどん流され、黒潮の思いがけない速い流れに乗って列島を南下しつつあった。遥かかなたには富士山の白く小さな峰が望まれた。12/14
格調高い英国製スーツに身を包んだ永田氏は、私の質問に対して、「スーツの下にポロシャツを着てもいいんじゃないの」と微笑みながら答えた。12/14
眠っている私の口の中に女の舌が入り込んで来た。驚いていてそっと目をあけてみると、それは蛇の赤い裂けた舌だったので、私はそいつの首を噛み切ってしまった。12/13
電通映画社の松尾さんが「僕はね、あなたが仰ったとおり、いやそれ以上の映像をUCLAで撮影してきましたよ」というと、傍らにいて電通の古川氏が「ではこれで自宅までどうぞ。書き方はおわかりですね」といいながらタクシー券を呉れた。
田舎の駅で降りた若者たちは、電車から自転車を下ろしてサイクリングに出かけた。しばらく彼らの後を追ったが、どんどん距離が離れて行く。私にはランニングシューズが必要だと気付いたので、近くの商店街の靴屋に入ってあれこれ試している間に、時はどんどん過ぎていった。12/11
昔の知り合いのOという女性が個展を開くというので、私は知らずに百万円超の資金を援助していたらしい。それと知った妻が驚き怪しみ怒ったのは当然のことだったが、もっとショックだったのは私の方で、私はその事実をつい今しがた知らされたのだった。12/10
熱砂に埋もれた精霊教会に、突如手に手に機関銃を握り締めたアルカイダの兵士たちが乱入し、西欧からの3名の観光客を銃殺したので、私はあわてず騒がず死体を祭壇まで運び上げて神に祈りを捧げているうちに、テロリストたちは教会から立ち去った。12/9
今日の授業は駅前の別館です、と突然事務室より通告されたので、私がその教室を探し当てて入ると、15名くらいの見知らぬ学生がどんちゃん騒ぎをしていたので「うるせえ!」と一喝して、授業を始めようとしたが出席簿がない。いつもなら助手が取ってくれるのだが誰もいない。12/8
仕方なく授業を始めたが、誰も聞いていないようなので、私は自分の声に耳を傾けながらどんどん没入していった。しかしその教室には時計が無く、私も時計を持っていない。夢中になって喋り続けていると、突然学生たちが一斉に退席していった。いつのまにか時間が来たらしい。12/8
寄宿舎のコインランドリーで洗濯をする時はいちおう受付に申し込むのだが、ほとんどいないし、いても出てくるのが遅い。それで勝手に洗濯していたら、突然回転が止まってしまった。隣の学生にどうしたらいいか訊ねたら、そのうちに動きますよといって漫画を読んでいる。12/8
NY暮らしもそろそろ終わりだというのに、自堕落な私は遊び回ってばかりいて、卒業制作に全然手がつかず、迷宮のような寄宿舎の中を朝から晩まで徘徊していた。12/6
原宿の木下歯科で櫻映社の石田さんに会ったら、彼の右脚が木になっていた。軍国主義のアホ莫迦右翼内閣が中国と戦端を開いたために、千駄ヶ谷小学校も、竹下通りも表参道も青山学院もミサイル攻撃で消滅していた。12/7
その事業部で新ブランドを立ち上げることになり、2人のデザイナーが新しい店舗デザインを競うことになった。しかし私が支援してやることになったデザイナーは、実力も自信もなく、ただただ世界中をかけずり回ってはひいでたアイデアを盗もうと腐心しているのだった。12/4
砂漠の真ん中に生えているクヌギの樹の緑の葉っぱに、なんとコムラサキが止まっていた。私は息を凝らして近より、見事に捕まえた。親指と人差し指ではさんで蝶の胸をぐぐっと押さえると、彼女は死にもの狂いに抵抗したので、私はうろたえ、それ以上力を加えることが出来ない。12/6
小久保という男に貴重なビデオ・コレクションを確保するように命じておいたのだが、ハイハイと返事ばかりはよくて、実際はなにもしないずぼらで抜けめのないこの男は、案の定致命的な過ちを犯していたのだった。12/6
この事業部組織には、私を含めて2名のマネージャーしかいないのだが、面白そうな仕事はほとんどもう一人の男に集中しているので、頭に来た私は、勝手に彼の仕事をどんどんやってしまったところ、それにようやく気付いた男が、案の定血相を変えて怒鳴りこんで来た。12/3
メンズブランドのデザイナーのみどりさんは、黒を基調にした素敵なメンズウエアをデザインするのだが、必ずユニセックス&ウイメンズ用の服も作ってしまうので、経営者の私は非常に困惑している。12/2
地中海に面した港町南仏セットの海岸通りで、私は万事休していた。グラン・ササキと呼ばれた大親分は殺されたし、中親分は官憲に逮捕された。本来ならばプチ・ササキである私がそのあとめを継がねばらぬが、その大義名分が見つからないまま、私は白いポンティアックを激走させた。12/1