「ために」の出番

 

辻 和人

 
 

ぐっぐっぐっ
鍋の中にあるのは
カレー
かっかっかっ
からぁーいん
ジャガイモの
かっかっかっ
皮を剥いて
ニンジンと一緒に一口大に切って
ゆっゆっゆっ
茹でるん
今日は土曜日
だけどミヤミヤ出勤の日
大学の教務課って土曜日もやってるん
交代で
しゅっしゅっしゅっ
出勤するん
かっかっかっ
カレーの出番
かずとん、かずとん、かずとんとんの
数少ないレパートリん

窓の外には桜の花びら
ピンッ、ピンッ、ピンッ
ピンクが吹雪いて
夕闇が明るい
庭に桜が植わってるマンションって良しですよ
こんなマンション見つけてくれたミヤミヤって良しですよ
よしっよしっよしっ
ミヤッミヤッミヤッ
そんなミヤミヤの帰りを待って
食事を作る
学生さんたちのために職場で頑張っているミヤミヤのために
カレーを煮る
ミヤッミヤッミヤッ

ファミ、レド、ソラ、シシのために
毎日ご飯を用意していたなあ
安売りの大袋に詰まったカリカリをお皿に移して
それだけじゃ寂しいので
猫缶も乗せてあげる
どうぞ、召し上がれ
ぼくに対して何の遠慮もないファミは真っ先にズカズカ近づいてきて
ふゅっふゅっふゅっ
鼻を細かく震わせて匂いを確かめると
前足を踏ん張って「食べるぞ」という態勢を整える
ガリッガリッガリッ
時折頭を起こして
噛んだご飯をゆっくり飲み下す
その、遠くを見るような眼差し
ぼくを貫いていってそのまま色褪せた壁に突き刺さるん
ぼくに対する感謝なんて込められていない澄んだ眼差しに
ドッキドッキドッキ
食べ終わったファミは舌なめずりしてから
ちゃぴちゃぴちゃぴ
おいしそうに水を飲んで悠々毛繕い
やがてそろりそろりとレドとソラが入ってくるん
シシは部屋に入って来ないのでベランダにお皿を出してやるん
ガリッガリッガリッ
ガリッガリッガリッ

夕闇がほんとの闇に変わってきた
そろそろミヤミヤ、帰りの時間が近いかな

ぐっぐっぐっ
ジャガイモもニンジンも柔らかくなってきました
いざ、投入の時
タマネギ刻んで
トマト切って
じゅっじゅっじゅっ
炒めて炒めて炒めて
ざぁっと一気に鍋の中へ
トマトは大きいのを1個丸々使うのがかずとん流
そろそろサイドメニューも作りますか
レタス刻んでアボガドの実掬って
スモークサーモンを添えればサラダ一丁あがりん
酢にオリーブオイルと塩・砂糖、それにお醤油を少々加え
即席の和風ドレッシングもできあがりん
お湯を沸かして
さっき炒めたタマネギの残りを入れてスープの素を加えれば
なんちゃってオニオンスープもできあがりん
おっとそろそろお肉も投入するかな
ざくっざくっざくっ
解凍した鶏肉切って
じゅっじゅっじゅっ
ワインを少々加えて炒めて炒めて
ざぁっと一気に鍋の中へ
肉も野菜も切り方が実に不均等
男の料理はお手軽だねえ
ねえっねえっねえっ

ミヤッミヤッミヤッ
自転車を走らせて家路につくミヤミヤ
真っ暗な中、細いライトをしっかり灯して
表通りは車が多いから裏通りを選んで
路地から飛び出してくる人がいるかもしれないから
交差点が近づくごとに
きゅっきゅっきゅっ
ブレーキ握って
慎重に自転車を操るミヤミヤ
一日中学生さんたちのために
忙しく書類を作ったり問い合わせの電話をかけたり
誰かの面倒を見るなんて発想が一切ないファミとは大違いだけど
夜になればお腹が空くことは同じ
さ、一旦火を止めていよいよカレー粉投入
まだ冷える4月上旬の夜にカレーライスはおいしいよ
かっかっかっ
からぁーいん
あっあっあっ
あったかーいん

ミヤッミヤッミヤッ
ミヤッミヤッミヤッ
ぼくはさ
誰かのためになんて発想はない人だったんだよん
けど
ファミ、レド、ソラ、シシが空きっ腹抱えてちゃしょうがないん
ミヤミヤがお腹空いてちゃしょうがないん
ぼくはさ
万物の霊長らしき「人間」に生まれたん
先進国らしき「日本」に生まれたん
家を継ぐらしき「長男」に生まれたん
安月給だけど安定してるらしき「正社員」になったん
亡くなったおじいちゃんは参謀本部に勤めた軍人で
戦争はいけないと言いつつ孫たちに勲章をいっぱい見せてくれたん
ギラギラ光って
怖かったん
「ために」するのはやだな
「長男」はやだな
「日本」はやだな
「人間」はやだな
でもって「正社員」もやだな
なのにどれもやめられない
困って祐天寺の六畳一間のアパートに引き籠ったん
居心地良かったん
20年そこで眠ってたん

ところが何と何と
ファミのために、レドのために、ソラのために、シシのために
ご飯作らなきゃいけなくなったん
突然「ために」が降ってきたん
カリカリに猫缶乗せ続けて
何と何と

ぐっぐっぐっ
カレー煮てるん
「異性愛者」として結婚して
名字を変えさせてしまったミヤミヤのために
カレー煮てるん
おたまで鍋を掻き回すと
疲れてお腹すいて自転車走らせてるミヤミヤの姿が
ぐっぐっぐっ
「ために」「ために」「ために」って
浮かんでくる

カチャッチャッチャッ
鍵が回る音
ミヤミヤ、帰ってきたん
よーし、最後の仕上げ
鍋にミルクをコップに4分の1程注ぐん
こうすれば味がまろやかになるん
うん、おいしい
これぞかずとん流
「お帰り、ご飯できてるよ。」
「ただいまぁ、夜桜きれいだねえ。」
コートを脱ぐん
ミヤミヤの生身が現われるん
「ために」が立ってるん
かっかっかっ
からぁーいん
あっあっあっ
あったかーいん

 

*「ミヤミヤ」「かずとん」の呼び名については
空0「かずとんとん」をご参照ください
空空0https://beachwind-lib.net/?p=2247

 

 

 

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