平成スチャラカ社長行状記

 

佐々木 眞

 
 

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某月某日
地下道ですれ違おうとした男が、いきなり私の腰に腕をまわしてエイヤとぶん投げようとしたので、そうはさせじと、こっちも彼奴の腰に腕をまわしてナンノナンノとこらえていると、いつのまにか周りに人だかりができた。

すると男は急に力を抜いて「いやいやこれは失礼つかまつった。ほんの冗談、冗談。許されよ、許されよ。アラエッサッサア」と言いながら一礼し、すたこらさっさと立ち去った。

某月某日
さすが日本を代表する大手メーカーの大展示会だ。広大な空間をフルに生かした様々な物販ブースが何百と設営され人だかりができている。私たちもすぐに入場したいと思ったが、なんせ招待状を持っていないからどうしようもない。

必死でもぐりこむ口実を考えていたら、O社の吉田氏が通りかかったので、これ幸いと大声で呼び止め「吉田さん、吉田さん、ちょっと中へ入れて下さいよ。生憎記者招待券を社に置いてきちゃたんで困ってるんですよ」と頼み込んだ。

すると吉田氏は「なんだ佐々木か。お前なんか、ウチにとってなんのメリットもないからなあ」と嫌みを言うので、「おや、そんなことないですよ。なんならおたくがいま喉から手が出るほど欲しいものを言ってみなさいよ。たちどころに希望を叶えてあげるから」と返した。

すると吉田氏は声をひそめて「じつは渋谷の専門店百貨店情報が入ってこないんで弱ってるんだ」というので、「なんだ、そんなこたあお安いご用ですよ。手元に渋谷流通協会の報告書があるんで、よろしければお貸ししますよ。お代はお任せしますから、そちらで適当に値をつけてもらえばいいですよ」というと、吉田氏はこちらへすっ飛んできて中へ入れてくれた。

某月某日
「私Adogの田村ですが」という電話が掛かってきたので、いったい誰だろうと訝しく思ったが、すぐに先週名刺を交換した取引先の女性だと分かった。

「なにかご用ですか?」と尋ねると「送って頂いた企画書の件で直接お目にかかりたい」というのだが、私はそんな企画書を送った覚えはないので、はてどうしたものかと思い悩んだ。

某月某日
かつて友人だった男が脳こうそくで倒れたので、その代理に私が呼ばれて、彼が復帰するまで、「名前だけの社長」を務めることになった。

某月某日
大阪のデザイナーたちは「東京のデザイナーなんか最低。なんとかしてください」と、みんな声を揃えて新社長の私に言い付ける。

私が「名前だけの社長」になったお祝に、A男とB子が、私を銀座の料亭で接待してくれるというので、喜んで出かけたのだが、酒や料理はそっちのけで、やおら販促物のパンフレットを持ちだして、これについてなにか意見を述べろ、と強要する。

その口調が変なので、よく見ると、彼らはもうきこしめて、ぐでんぐでんに酔っぱらっているのだ。こんな連中と打ち合わせなんて、とんでもない。「想定外のコンコンチキだ!」と捨て台詞を吐いて料亭を飛び出したが、2人はどんどん後を追ってくる。

瞬く間に追い付いた男の顔をよく見ると、なんと前の会社にいた日隈君ではないか。彼は「佐々木さん、そんなに大急ぎで逃げ出さなくてもいいじゃありませんか。せっかくあなたの昔の恋人を連れてきたのに、一言も言わずにほおっておくんですか」という。

じぇじぇ、それではあの酔っ払い女がそうだったのか、と思わずその場で立ち止まると、「ほおら、急に態度が変った。それじゃあ僕たち先に東京タワーに行っていますから、あとから来てくださいな」といいざま姿を消した。

某月某日
5年前に会社を辞めた井出君が突然やって来て、「ただ同然の値段で高級別荘地が手に入るから、いますぐ現地へ行きましょう」とせっつくので、「いまから会議があるんだよ」と断ると「この絶好のチャンスを逃したら、もう二度と手に入りませんよ」となおも勧誘する。おいらはしつこいひとは嫌いだ。

某月某日
取引先のL社の宣伝部へ行き、次シーズンのテーマを尋ねたら「アリゾナ州のイメージだ」という。「アリゾナ州のどんなイメージなんですか」とまた尋ねたが、ただ「アリゾナ、アリゾナ」とオウム返しに答えるだけで、具体的な内容がある訳ではないことが分かった。

「そもそもアリゾナ州ってどこにあるんですか?」と聞いたが、それすら理解していないようなので、あきれ果てた。「いったい誰がそんなテーマに決めたの?」と尋ねたら、カンという人物だという。

「カン氏はどこにいるの?」と聞いたら、「あそこです。あそこでふんぞり返っています」というので、見るとどこかの国の官房長官そっくりだったので、私はカン氏には会わずにL社を出た。

L社を出たら、そこはアリゾナ州だった。見渡す限り荒涼とした砂漠が広がり、風がヒューヒュー吹きすさんでいる。ふと見ると、大勢のインデイアン、もとい、アメリカ先住民の子供たちが、私を取り囲むようにして迫ってくる。

怖くなった私は、彼らから逃れてどんどん高い山に登っていくと、円陣を組んだリトル・インデイアンたちも、どんどん私を追って高い山のてっぺんまで登ってくるので、「困ったなあ、どうしよう」と立ち往生してしまった。

ところが、たまたまそこに居合わせた大正時代の着物をきたおばさんたちが、やはり円陣を組んで、リトル・インデイアンたちの円陣にまともにぶつかっていくので、「嗚呼助かった!」と喜んだ私は、その間に沖縄の亀甲墓のような建物の中に入り込んだ。ここならきっと安全だろう。

某月某日
私たちが乗った世界一大きな風船が、熱帯夜の赤道上空に差し掛かったので、窓を開けると、月の光と共にわずかばかりのそよ風が吹き、極彩色の鳥が舞い込んできた。

 

 

 

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