西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で言うべくして、とうとう言えへんかったことども

 

佐々木 眞

 
 

 

まだ春には遠いある朝、神奈川県大和市保健福祉センターで開催された県央福祉会の第6回人権委員会に出席したら、理事長はんが、開口一番、『津久井やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』なぞと、のたまうやんか。

おいおい、ちょと待ってくれ。それは問題のすり替えとちゃうか。
あれは19人も人を殺したっちゅう、戦後最大の大量殺人事件やで。
そのうえ、その19人ちゅうのんは、みんな最重度の障がい者ばっかりや。
かてて加えて、その大犯罪を犯したんは、つい最近まであんたたちの同僚として働いていた福祉介護士やないか。

いちばん障がい者を理解し、障がい者の味方であるべきはずの介護者が、無抵抗の障がい者を次々に血祭りにあげる。いわば自分の身内から、とんでもない裏切り者が出たようなもんやないか。だからこそ、みんなあ大きな衝撃を受けてるんとちゃいますか。

それやのに『津久井やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』とはなに?
もちろん最重度の障がい者ちゅうても、施設に幽閉して世間の風に当てへんのは、本人のためにもならへんし、出来るだけ門の外に出したほうがええに決まっとる。

障がい者を施設内に固定せず、地域で暮らせるようにすんのは、大変結構なこっちゃ。
しゃあけんど、それにも限度がある。
一人では身動きできない重度の障がい者のための介護施設は、今までも必要やったし、これからも必要やろう。

事件後の親たちが、現在と同じ機能を持った施設の再建を求めてんのは当然。そのうえで神奈川県や国に対しては、障がい者福祉へのさらなる注力と施設やホームの増設を要求するべきとちゃいまっか。

それよりも理事長はんが、いますぐにやらんといかんこと。
おこがましいけど、それは身内の職員の動揺を速やかに押さえ、再び障がい者に対するサービスを自信を持って行う元気を回復し、返す刀で今回殺人犯が唱えて実行した「障がい者抹殺論」に対する反撃を行うこととちがいまっか。

昔から強者もおれば、弱者もいるのが、世の中というもんや。
弱者の中には、努力して強者の列に伍せる人もおるけど、様々な事情でそれが不可能な人も大勢おる。
しかし経済力や生産性が、人間的価値のすべてではないやんか。
今は地上最強を自負するひとも、様々な事情で、一夜にして最弱の存在に転じてしまうことも、よーあるわなあ。

要するに強者といい弱者というのんも、この世の仮の姿であって、「人間みな人類」、一皮めくれば同じ穴のムジナであるってことを知らんといかんのちゃいますやろか。
そやからこそ障がいを持つ人も、持たへん人も、共に仲良く幸せに暮らせる社会を作らんといかんのやないかなあ。

誰もが知っとるように、この世では、障がいを持つ人も、持たん人も、おんなじように大切な存在や。
人間は、経済的な有用性や生産性とは無関係に、1個の生物として平等やし、1人の人間として、平等の社会的文化的価値を有しとる。

そやさかい、この世では、強者が弱者を差別したり、抑圧したり、まして殺傷したらあかん。ぜったいにあかんねん。
前者の多くは肉体的・精神的・経済的・社会的な弱者やさかい、後者を庇護し、心身両面にわたって協力・支援する義務があるねんねん。

そうや。思い出した。かつて「この子らを世の光に」と喝破した人がおったなあ。
ふつうの社会運動家やったら、「この子らに世の光を!」というところやろうが、近江学園の創立者、糸賀一男はんにとっては、知的障がい児こそが、この世の宝石やったんや。

しゃあけんど、この子らには知的障がいがあり、わいらあ健常者の目から見たら、世のため、人のために、たいした貢献をしているとは思えへん。
いったいどこが世の光なんやろか?

彼らは、社会的にはまるで“でくのぼう”のように無知で無能や。
彼らは、経済的には生産力が皆無に等しいねん。
彼らは、例えば現在のわが国の某首相やアメリカの暴大統領のように、金力と人材と公権力を駆使して油断なく狡知を働かしたり、世のため人のためにならへん悪事や謀略を行うすべを、生まれながらにして持っとらへんのや。

万人が万人の敵となるホッブスの夜。
ひたすら他者の善意を信じ、弱さを丸出しにして無邪気に生きる最弱者の彼らの瞳の中に、聖なる愚者の光を認めるひとも、さだめしおるに違いない。

そんな障がい児者の介護にあたる人々の中にも、劣悪で恵まれない労働環境の中で疲弊して、あの植松聖選手と同様の思考回路をたどって、障がい者無用論やヒトラーの優生思想にひかれ、またしても障がい者抹殺の愚行に走ろうとする人がおるかもしれんなあ。
いや、おるに決まっとる。

しゃあけんど、そんな人たちにもう一度思い出してほしいこと。
それはなあ、あんたが亡きものにしたいと思うとる大多数の障がい児者の人たちとは、
「人を殺そうと夢見ることはおろか、それを実行することも出来へん。まことに人類の宝物のような人々や」
いうこっちゃ。

そんなあれやこれやの、せめて100分の1でも、あの日あのとき、あの会場で、理事長はんに食らいつきたかったんやけど、わいらあ、なあんも言えへんかったなあ。
手をあげて立ち上がることさえ、せえへんかった。できへんかったなあ。

あれから何日も何カ月も経ってしもうて、こんなとこでグチャグチャ言うとるなんて、あかんなあ。あかん、あかん、ほんま、わいらあ、あかんやっちゃなあ。

 

 

 

西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で言うべくして、とうとう言えへんかったことども」への4件のフィードバック

  1. 県央福祉会さんは言うほど社会に開かれた運営はしていませんよ。グループホーム地域化と言いますが、グループホーム所在の町内のイベントに利用者が参加することはまずないし交流もない。まだやまゆり園の方が、地域の小学校から頻繁に運動会などに利用者が招待されていた。月に一回は小学生と地域清掃もしていた。そんな動きは県央福祉会のグループホームにはない。あと職員の質。ほとんどが非常勤アルバイトで、基礎的な知識はほとんどない人が多い。ほとんど我流で判断する。たとえば進行性の障害(筋ジスなど次第に体が動かなくなる人)の利用者に対し身体介護を我流でやり転倒させることは日常です。救急救命法も知らない夜勤非常勤とか、非常勤に対し研修とは言うが非常勤職員が時間外で研修に参加することはほとんどないし忙しいから非常勤しているという事実。しかも、常勤の医師・看護師などの医療スタッフがいないのです。なので夜間オンコールもできない。とにかく内情は佐瀬理事長の理想に反してお粗末です。津久井やまゆり園から利用者を引き取ると言いますが、このレベルと環境で本当に重度の利用者の面倒を見れるのか疑問ですよ。

    • こめこん様
      コメントありがとうございます。いろいろこの業界の内部事情に通じておられるようですが、かつて県央福祉会ややまゆり園に勤務されていたのでしょうか?
      小生の息子は20年ほど前から県央福祉会の通所とホームでお世話になっているので、おっしゃっていることも分かります。
      利用者の親として施設や施設長にいろいろ言いたいこともたくさんあるのですが、その一方では成人障害者の受け皿が県下、いな全国にあまりにも少なすぎ、欠点のない複数の優良施設からバターな方を選択する自由さえないのがまずは最大の問題といえましょう。地元に受け皿がないために必死で施設を探している仲間がなんと大勢いることか。施設やホームのクオリテイもさることながら、そんな初歩的な事柄が大きなネックになっていますね。
      また最近はなぜだか就職事情が好転したために福祉関係の志望者が激減しており、人材教育どころかスタッフの定員すら埋められないという憂うべき現実があります。
      奇跡的にhappy fewの部類に入れた我が家ではありますが、とりあえず現在の施設の担当者と仲良くなって、せめて彼や彼女が最愛の息子を殺傷したり虐待したりできないような信頼関係を築きあげるくらいしか、当面おらっちにやれることはなさそうなんですね。

  2. いかにも。。しかしながら一言。
    例えば山奥から出て地域で暮らしたいと本気で願っている重度の障害者がいたとします。
    実際に津久井やまゆり園さんにはいらっしゃいます。

    何処の法人も、何処の事業所も来てくださいと言ってくれなかったら。それはそれで山奥から出たいの願っている方達には「絶望」しか与えないでしょう。

    「重度の」そして「津久井やまゆり園の」利用者さんを本気で県下のケアホームに「どうぞどうぞ来てください」と言える法人さんは極めて少ないでしょう。

    その点、県央福祉会さんは手をあげている時点で社会福祉法人として福祉事業に対して本気で向き合っているのかと思いますし、地域に移りたいと願っている人たちへは僅かですが「希望」を与えているのかと。

    また職員の介護技術レベルについて。確かに高度な技術を持っている人は少ないですね県央さんは。しかしながら高度な技術を持っている職員がいるのも事実です。

    どんなに技術を持っていても落としますよ。人ですから。本当に申し訳ないですし、あってはならないことですが、落としてしまうことがあるのは事実です。

  3. 介護太郎さん
    コメントありがとうございます。
    「どんなに技術を持っていても落としますよ。人ですから。本当に申し訳ないですし、あってはならないことですが、落としてしまうことがあるのは事実です。」とうのはよく理解できますし、ある意味では仕方がないことだと思います。
    県央福祉会のみならず、どんな施設の、どなたにお世話になっても、感謝しかありませんが、小生のような障害者の親がいちばん心配なのは、たまたまそれが「津久井やまゆり園」の殺人者のような人物だったらどうしよう、不運と諦めるしかないのかな、ということです。
    佐々木眞拝

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