忘却セッケン

(1993年 詩集「忘却セッケン」より)
 
 

正山千夏

 
 

雑誌で
自分はどこからきて
どこへいくのかということを考えている科学者の話を
読んだ

その時 私は
電車の中で
家へ向かっていた

遠い遠い昔に
忘れ去られたことを再び
憶い出そうとする
その人の顔のところに私の親指があたっていた

家にたどり着いたら
また、私は
忘却セッケンで手を洗ってしまった。

机に向かって
自分はどこからきたのか
憶い出そうとした
(私は、多分、男と女が結合してそして女の人の中からきたみたいだ

けれど、
私の体液の表面張力で(それは、コトバかもしれない)
その細かな水の玉に強引に
くるめてくることができる記憶は
ほんのちょっとです(科学者の言う宇宙のチリより小さいみたい)

その夜 お風呂に入って
また、私は
忘却セッケンで身体を洗ってしまった。

この忘却セッケンが
どんどん小さくなって
しまいになくなるとき
私は終点に着くのだ

 

 

 

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